悪名高い、とは俺にそこまで似合わない言葉だ。
本来大多数の端っこ、誰の目にもつかない場所こそ俺の立ち位置である。そして俺はそんな自らの立ち位置がそこまで嫌いではなかった。何をするにも一人ではあるが、それは裏を返せばだれにも気を遣わなくてよいし、誰にも無理に合わせる必要がない。自分の好きな時に、好きなことが、自分のためだけにできる。自分の喜びは自分だけのものであり、憂いもまた同じ。ぼっちとはどこまでも自己完結している生き物であり、よりどころを求めず、他者にプラスにもマイナスにもならない、なってはいけない。
しかし周りの人間は、そんなことは知ったことではない。
「おはよー」
朝の喧騒の中、ガラガラ、と俺の後ろでドアが開く音がする。声の主は見なくてもわかる。相模南。彼女は少し立ち止まり、俺の横で聞こえるように「チッ」と舌打ちをする。…毎朝毎朝ご苦労様です。イラつくくらいなら前のドアから入ればいいのではないだろうか。それは彼女のプライドが許さないのだろうが。
まあ相模が何を言おうと、どんな態度をとろうと、あいつは結局俺の見えないところで陰口をたたくか、遠巻きに嫌味をまき散らす程度だ。さほど実害はない。それよりもうっとうしいのは…
目だけを窓際の後ろの席に向ける。
「ちょ、なんで俺だけハブなんだよー。それどこのヒキタニくん?何タニくんだよー」
「ハブにするつもりじゃなくても、勝手に一人になってんだから自業自得だろ。戸部タニくん」
「ちょ、まじひどいわー。まあ何タニ君と違って部活あるしぃ、忙しい俺がいけないんだけどー。」
あー、おもしろいおもしろい。
俺は文化祭で自らの仕事を完遂させるため、相模にいくつかの言葉を投げかけた。そして彼女は俺の思惑通り実行委員長として壇上に立ち、俺の思惑通りに失敗した。
その副産物として、不本意だが俺の悪名はそこそこ校内に知れ渡ることとなった。…まあ副産物とはいっても、それは俺がそう求めたことでもある。
そして今、俺の周りはこの通り寒々しい様相を呈している。
窓際では戸部、大岡、大和の三人が大声で話している。どうやら葉山はまだ登校していないようだ。葉山がいなくても彼ら三人が「仲良く」できているのは、俺のおかげかもしれない。
そう思うと特に腹も立たない。…とはいえ、せめてその必要以上にでかい声はやめていただけるとありがたい。俺に聞こえるように言っているのかもしれないが。
三人が話している近くには三浦が座って携帯をいじり、海老名さんはその近くに立って何やらニコニコしている。由比ヶ浜は男たち三人の近くで後ろ手を組んで「あはは…」と笑い、ちらりとこちらを見る。…別に何か期待しているわけではない。彼女には彼女の立ち位置がある。
三浦はモブ男三人のことなど気にも留めていないらしく、いくら大声で話そうとそちらを見るそぶりもない。大したものだ、と俺は思う。普通同じグループの人間が盛り上がっていたら少しは意識がそちらに向くものだろう。女王としてふるまっているのではない。恐らく彼女は本当に興味がないのだ。彼女にとって重要なのは、彼女に興味があることだけ。その姿勢は万が一彼女がぼっちになったとき、とても重宝されるに違いない。おめでとう。
一人求められてもいない分析を終える。やはり他者の観察は新たな発見もあり、なかなかの暇つぶしになる。本人も思ってもいないその人を俺が勝手に定義づけるのも、遊びとしては悪くない。
本格的に意識を腕の中の漆黒に向ける。…何やら格好良い言い方をしたが、単純に本格的に寝たふりに入っただけだ。
視界は黒くなるが、窓際の三人の声が廊下側の俺まで届く。彼らはまだ俺をネタにして騒いでいるらしく、タニ君タニ君と楽しげに笑っている。タニ君って、もはやまじで誰だよ。
寝る気など毛頭ないが、流石にこれだけうるさいと周りの人間も迷惑していることだろう。その周りの人間も俺には関係ないのでさして問題ではないのだが。
そう思いつつ周りの様子をうかがおうとすると、教室に冷たい声が響いた。
「あんたら、ちょっとうっさい」
携帯をいじる姿勢は全く変わらず、三浦優美子はそうつぶやいた。
そのつぶやきに教室内の空気が一瞬凍る。さすがである。俺だったらつぶやくどころか、目の前の人間に普通の声で話しても気づかれないというのに。もはや俺のステルス能力は念能力の域にまで昇華されている。
彼女の声にモブ男三人は驚き、そしてビビったのか「すまん」と短く誰かが謝罪し、声は急速にしぼんだ。
俺はというと、そこまで驚きもしなかった。彼女は思ったことを口にしただけだと確信していたからだ。彼女にとって三人の声はうっとうしかったのだろう。それは彼らの声が大きかっただけではなく、そもそも陰口、嫌味といった類のものが彼女とは相いれないからかもしれない。
そしてそれをこの瞬間に口にしたのは、葉山がいなかったからという一点に尽きる。彼の存在が彼女のストッパーとなり、彼女の女王振り、傍若無人ぶりは制限されているのではないか。
三浦は全く様子を変えずに携帯をいじる。
そんな彼女の様子を横目で伺うと、こちらに興味なさげに視線を送る三浦と目が合う。こ、こわいこわいこわい。すぐに寝たふりを続ける。いや、無理。無理といったら無理。あれと何秒も目合わせたら、俺死ぬよ?恐怖で。
「キーンコーンカーンコーン」
四限終了を告げるチャイムが鳴り、昼休みになる。あれから葉山は登校してこなかった。平塚先生によると、家の事情で休みらしい。俺も家が恋しすぎるという理由で毎日でも休みたいところである。
さて、昼飯を食うか。窓の外を見ると今日は見事な快晴。俺はそそくさと席を立ち、ベストプレイスへと向かった。
一人ここで食べる昼飯は、小町と食べる飯の次にうまい。俺はそう確信を持つ。頬を気持ちの良い風が通り抜け、俺は雲一つない青空を見上げる。一つ文句を言うとすれば、今日は戸塚が目の前で練習していないことだけはいただけない。戸塚がいれば飯はそれだけで5倍はうまくなる。(当社比)
最後のサンドイッチをほうばり、俺は立ち上がろうとする。食後のマッ缶のお時間だ。よいこのみんな、マッ缶を飲みきるまでがお食事です。
「あ、ヒキオじゃん」
突然後ろからかけられた声に思わず振り向く。
「あんた、こんなとこで何やってんの?」
そこにはウーロン茶とオレンジジュースを両手に持った三浦優美子がいた。
「…飯食ってんだよ」
くそ、マッ缶買いに行くタイミングを逃した。さすがに女王を無視して自販機へ向かう度胸は、俺にはない。
「は?別に教室で食べればよくない?なんでこんなとこで食ってるし」
以前にも言われたようなセリフを繰り返される。もしかしたらリア充は全員抱く疑問なのかもしれない。
とはいっても、彼女は由比ヶ浜と違い頭が回らないわけではない。それでもわからないのは彼女の女王気質が、一人で見えないところで飯を食うというぼっちの思考を解さないのだろう。
「…こんなとこ、とは言ってくれるな。お前は教室で友人としか昼飯を食ったことがないだろ」
柄にもなくそう小さく反論する。さっきまで至高の場所だと思っていたベストプレイスを、他者に二度も「こんなとこ」呼ばわりされたからかもしれない。または朝の彼女の発言に、少しばかり筋違いの感謝をしていたのかもしれない。…感謝して毒づくって俺ほんとツンデレ☆
言ってから後悔する。しまった、本来学年カースト最下位が、トップにかみつくことなどあってはならない。
恐る恐る彼女を見ると、彼女は瞠目し、「ふーん」とうなずいている。ちょ、なんですか。や、やんのかこら。
「へー、あんた普通に話せたんだ」
「…俺のことなんだと思ってたんですかね」
首に手を当て、答える。いや気づけば三日くらい人と話してねえなぁとかざらだけど。そうなると言葉が出てきづらくはなるけども。
「それにあんたの言うことも間違ってはないし。確かにあーしは教室で友達としかお昼ご飯食べたことない」
俺の発言は完全スルーして、彼女はひとりつぶやく。ちょっと、俺の声ちゃんと耳に届いていますか?
やれやれ。さっさとこんな危険な空間は離れよう。席を立とうとする。しかし。
「よ、っと」
三浦優美子は俺の隣に腰掛けた。
「ちょ、何やってんだお前…」
ほんと何やってんのこいつ。なんでリア充って人のテリトリーにずかずか入り込んでくるの?達人の間合いって知ってる?
「は?教室で友達としか食ったことないって言ったのはあんたでしょ?だったらそうじゃない場所で、そうじゃない人間との経験もしなきゃ、あーしあんたの言ってることも、この場所も否定できないし」
…やはり、頭の回転は悪くないらしい。それに負けず嫌いだ。雪ノ下を思い出すが、彼女とは明確に違う。彼女は他人と距離を置くが、三浦優美子にはその概念は薄いのだろう。彼女のしたいと思うことが彼女の理屈となり、人との距離は二の次だ。特に、関係が薄い人間には一層その色が濃くなるのかもしれない。
ふぅ。彼女は短く息を吐く。ちょ、近い近い近い。俺は一人分の距離を開ける。
彼女はそんな俺の行動にも気づかず、オレンジジュースのふたを開け、空を見上げる。風が彼女の金髪をなびかせる。…俺だけ思いっきり意識してるみたいな図になってるんだが。
「…へー、こんなとこあったんだ。知らなかったし」
ゴクゴク、と喉を鳴らし、彼女は嘆息を漏らす。こんなとこ、という言葉も先ほどまでのニュアンスは欠片も含んでいない。
「満足したらとっとと帰ってくれると助かるんだが…」
「は?あーしがどこにいようが、あーしの勝手でしょ?なんでヒキオに指図されなきゃなんないわけ?」
彼女は俺をにらむ。ひ、ひぃ、ごめんなさいぃぃぃぃ。
「…じゃあ俺が教室戻るわ」
ここでマッ缶飲むまでが俺の昼飯だというのに。まあ彼女に逆らってまですることじゃない。ここは戦略的撤退をとろう。俺は腰を浮かす。べ、別にビビったわけじゃないんだからねっ。
「ヒキオ」
三浦優美子はこちらに視線を向けず、俺を呼ぶ。
「あんた、なんであんなことしたわけ?」
「…は?」
彼女が何についての話をしているのか全く分からない。
「だから、文化祭のこと言ってんの。あれ以来、相模はあんたのこと嫌ってる。それは分かる。そんでクラスのやつらも便乗してあんたをたたいてる。それもわかる。だけど、あんたがなんでそんなことしたのか、あーしにはよくわかんない。
別にあんたが悪くないと思ってるわけじゃない。あーしもあんたが相模にしたこと聞いた時は、最低だと思ったし、そう口にもした。
でも、隼人は。隼人はあんたのことを、時々すっごい憐れそうに、うらやましそうに、まぶしそうに見てる時がある。…あーしはそんな隼人見たことない。
それに戸部たちがあんたをネタにしてる時も、隼人はそれとなく話逸らすし。…まあそれがなくて今日はさすがにイラついたから、あーしが口出しちゃったんだけど」
彼女はガシガシと金髪をかく。
「で、なんで?」
彼女は最終的に、短く俺に問う。その問いには彼女の知りたいこと以外の一切がそぎ落とされ、彼女の思いだけが俺に届いた。彼女は俺を見てはいるが、その瞳に俺は映っていない。彼女は全く別のものを見ている。
彼女は俺を通して一人の男を見ようとしている。葉山隼人のことを、知ろうとしている。いつも葉山を見ているからこそ、彼女は俺に対してこんなことを聞いてきたのだ。
「…別にお前に言うようなことじゃない。それに、すべて終わったことだ」
彼女から視線を外す。彼女の瞳を、俺はまっすぐに見れない。俺が見るには彼女の瞳はまぶしすぎて、そしてひたむきすぎる。
「は?何にも終わってないし。クラスはうるさいし、隼人はおかしいじゃん」
彼女は食い下がる。
俺はそんな彼女を無視し、立ち上がる。マッ缶を買いに行く時間すらなくなっていた。
「ちょ、ヒキオ待てし。まだあーしの質問がおわっ…」
その時、ベストプレイスに、いつもの風が吹いた。
ふわり。
彼女のスカートがまくれる。
俺の視界に、三浦優美子のピンク色のそれが焼き付いた。
「な、な、な…」
彼女はスカートを両手で押さえ、徐々に状況が呑み込めてきたのか、顔は耳まで赤くなる。
そんな彼女に俺は死を覚悟したのか、やっぱりこいつ少女趣味だな、とのんきに思っていた。
「なに見てんだし!!!こ、殺す!あーし、絶対あんたのこと殺す!!!!!!」
比企谷八幡17歳。私の人生はここで終わりました。