「…三浦さん、あなたの提案をもう一度聞かせてもらえる?」
静寂に包まれた奉仕部室で一番最初に口を開いたのは雪ノ下だった。
「だから、あーしが生徒会長に立候補するって」
「どうしてその結論に至ったのかしら」
「そんなのあたり前じゃん」
三浦は鼻を鳴らす。
「一色が生徒会長やらなくなったら他にやる人間がいない、一色が生徒会長に立候補するのが納得できなくて取りやめさせたのはあーし。…正直だるいけど、やらないわけにはいかないっしょ」
三浦は当然のように言った。しかし周りは彼女についていけなかった。もちろん俺も。
「ただし、そこの一色にも生徒会入ってもらうから」
「え、ええ!?なんで私がそんなことしないといけないんですか?もともと生徒会長にならないようにしてくれっていうことで依頼に来たんですけど…」
「はぁ?あんた何都合のいいこと言ってんの?」
口をとがらせて抗議する一色に、三浦は青筋を立てる。
「そりゃ悪いのはあんたを推薦させるように根回ししたやつらだけど、あんたにだって悪いとこあったからこんなことになってんじゃないの?あーしはここの部員じゃない。あんたの希望通りに、あんたを手助けするために会長への推薦を取り消そうとしてるわけじゃない。ただそーゆー卑怯なのはあーしがむかつくからやってんの。だからあんたはあんたで自分のこれまでのなんつーか…ふるまい?に対する責任とりな」
「…」
三浦の言葉に対する一色の返答はなかった。
彼女の言っていることは要するに「自分が責任をとるのだからお前も当然とるだろう」という自分勝手極まりない理屈だ。しかし言っていること自体はまちがっていない。そもそも自分が「生徒会長立候補する」というリスクを負っているのだ。反論できるはずもない。
「待ちなさい」
…一人だけ口をはさめる人間がいたか。至って冷静に雪ノ下は三浦を見据えていた。
「なに?」
「これはまず奉仕部に持ち込まれた案件よ。一色さんを不当に推薦した連中をあぶりだしてくれたのには感謝しているわ。でもその事後処理を部外者にそこまでさせるわけにはいかない」
「だから、これはあーしがやんなきゃ筋が通らないって言ってん…」
「では」
雪ノ下は目の前の冷えきった紅茶に口をつけ、息を吐く。
「あなたはあなたの大事なお友達との時間がこれから約一年間、なくなってもよいという覚悟はあるのかしら」
彼女の問いに三浦は今日初めて言いよどむ。
三浦が会長に立候補し、信任投票になれば恐らく彼女は生徒会長に当選する。そもそも信任投票などそう落ちるものではない。半数以上の生徒たちは無関心のまま「信任する」に丸を付けるはずだ。生徒会への関心が薄いことはすでに証明されている。
そして生徒会に入れば、当然彼女の友人たちとの交流の時間は減る。有り体に言ってしまえば葉山隼人と過ごす時間が減る。つまり雪ノ下は三浦にこう聞いているのだ。「自分の意地と好きな人との時間、お前はどちらの方が大切なのだ」
「…そんな覚悟、ないに決まってんじゃん」
問いに答える三浦の視線は落ちる。
「そんなのあるわけない。だってそれってこれまでのあーしの学校生活全部だから。だべったり、休みの日にどっか遊び行ったり、好きな人の話したり。そーゆーのがあーしの時間のほとんどだったから」
わかるわけがない。俺も雪ノ下も、そんな言葉が理解できるはずもない。しかしなぜだろうか。
彼女の気持ちだけは、痛いほどわかる気がした。
「だけど」
三浦は顔をあげた。
「だけど、あーしはこれまで人生で一回だって卑怯なことはしてきてない。あーしバカだけどそれだけは言い切れる。勝手に首突っ込んで、「あとのめんどいことは知らない」なんてことしたくない。だってそれって、超ダサいじゃん。そんなのあーしじゃない。そんなあーしじゃ…隼人の隣に居られない。
それにそんなことしたらたぶん心の中でバカにするっしょ。あんたと、」
彼女はなぜか俺を見る。みられることには慣れていないのだ。俺はすぐに目をそらす。
「だからやんの。あーしがあーしだけのためにやんの。勝手なこと言わないでくれる?雪ノ下さん」
「…そう」
うらやましい。たぶん彼女も俺と同じようにそう思ったのだと思う。
「なら私の答えも決まっている」
不敵に笑う雪ノ下に、何か嫌な予感がした。
「私も生徒会長に立候補するわ」
…は?
また部室の空気が凍った。
「は、はぁ?何言ってんのあんた。あーしがやるっていってんだから、今更あんたがそんなことする意味ないっしょ!あんたバカなん?」
「考えなしに突っ走るあなたに、そんなことを言われる筋合いは全くないのだけれど。…あなたがあまりにも勝手なことを言うものだから、奉仕部としての責任とか、部長としての態度とか考えるのが馬鹿らしくなっただけよ。私はあなたを生徒会長にしたくないし、それなら私の方がふさわしいわ」
「ふざけんなし。あーしがやるって言ってんだからあーしがやんの。あんたは黙って座って茶でも飲んでな。そんな無理になるもんでもないっしょ」
「別に無理になろうとしているわけではないわ。私は元々生徒会には興味がないことはなかったのよ。姉さんが…」
喋り過ぎた。彼女はそんなような渋面を一瞬つくり、また三浦に笑みを向ける。
「そもそも生徒手帳も開いたことがないようなあなたに、まさか生徒会長が務まると思って?」
「…あーしのこと馬鹿にしてんの?雪ノ下さん。そんくらいあーしだって」
「そういうセリフはその髪の毛をどうにかしてから言ってもらいたいものね」
三浦は虚をつかれたように目を見開き、ばっと頭を押さえる。うん、やっぱりバカだこいつ。
「そ、そんなのあんたには関係ないっしょ!…あーしは降りる気はない。そもそも一色も生徒会はいるから、こいつより下の地位に着きたくないし」
「いろはちゃんが生徒会はいることはもう決定してるんだ!?」「私が生徒会入るのはもう決定してるんですか!?」
約二名からツッコミが入るが、雪ノ下と三浦はそちらを見ようともしない。
「あら、それなら心配はいらないわ。私の下にならついてもかまわないでしょう?むしろ私の下で働けることは光栄に値するわ。ねえ、部下ガヤくん?」
「俺を万年使い走りみたいな言い方をするのはやめろ」
雪ノ下にしろ三浦にしろ、絶対人使い荒いからごめんである。
「何言ってんの?ぼっちのあんたこそ会長なんて器じゃないっしょ。上に立つ人間には勝手に人が集まんの。あーしの下で雑用がお似合いだっての」
バチバチバチ。ああ、久しぶりにこの二人の火花の散り合いを見た。怖いなぁ…。
「ふふっ」
部室に笑い声が漏れる。平塚先生は三浦と言い争う雪ノ下に柔らかい瞳を向けていた。
「「平塚先生!」」
笑う平塚先生に雪ノ下と三浦の声が重なる。
「あーしは」「私は」
「「生徒会長に立候補します」」
たぶん一生この二人は仲良くできないだろうと思った。
「うむ、わかった。では二人とも今週中に推薦人を規定人数集め、リスト化して提出してくれ。応援演説を行う人間の選抜も並行して頼む。これは選挙三日前まででいいが、応援演説の内容を考える期間を頭に入れれば早いほうがいいだろう。何か質問はあるかな?」
「あ、あのー」
控えめに手をあげたのは由比ヶ浜だった。
「生徒会長選挙で落選したほうも、生徒会に入ることになるんですか?」
「恐らくそうなるだろうな。現在生徒会選挙自体に立候補している人間がそもそも一色のほかにいない。だから私も上からの圧力に頭を悩ませていたわけだが…それがどうかしたかね」
由比ヶ浜は少し逡巡し、にらみ合う雪ノ下と三浦を見比べて恐る恐る口を開く。
「じゃ、じゃあ私もはいろっかなー、なんて。生徒会に」
…おいおいおい。
唐突な彼女の言葉に、三浦でさえ言葉を失う。
「…それは不可能ではない。一色が生徒会に入る以上、君が入ることも問題ではないが…なぜ生徒会に入りたいのかね?」
「やっぱり私が生徒会に入ることは確定しているんですね…」
しかし一色の小さな嘆きに反応する者はいない。かわいそうな子である。
「え、えっと…言いにくいんですけど、ゆきのんと優美子絶対ケンカしますよね。そうなったときに間に挟まれるのがいろはちゃんっていうのはちょっと…かわいそう、というか。ほ、ほら、あたしなら全然間に挟まれること慣れてますしっ。むしろそのくらいしかできることなんてないですけど!」
「ゆ、結衣先輩…」
一色は手を合わせて涙ぐんでいるが、俺も泣きそうである。由比ヶ浜はいま一色の代わりに自らを生贄に捧げ、そのくらいしかできないと謙遜してみせたのだ。な、なんて不憫な子…。
「なるほど。…実に君らしいな。しかしそうなると」
平塚先生は部室を見渡す。
「この部活も実質比企谷一人、ということになるわけだ」
…あ。
その瞬間、俺の心の中で幸せの鐘の音が鳴り響いた。
「で、ですよね先生。だとするととうとう俺の刑務作業も終わりを告げてこれからは…」
好きなだけ自堕落に生活できるのだ。思えばこの半年、放課後は拘束され休みは休めず、人には必要以上に嫌われる。踏んだり蹴ったりであった。ついに俺は…
「安心しなさい、比企谷君」
雪ノ下はノートを取り出し、見開きを使って漢字二文字を書いた。
「あなたにはこの役職が一生お似合いよ」
その二文字を見た瞬間、平塚先生と三浦がサディスティックな笑いを浮かべた。この二人にだけは一生逆らえる気がしなかった。
…グッバイ、短かった自由な時間。
将来を暗示するような漢字二文字を見て、俺は大きくため息をついた。
庶務
「さて、ならば由比ヶ浜と比企谷。君たちが雪ノ下と三浦それぞれの応援演説をするのがよかろう。その方が私としても君たちを生徒会の空いた枠にねじこみやすい。一色は「一年生」という枠にねじこめるから問題ない」
「…職権濫用スレスレだろそれ」「私の意思は聞いてくれないんですね…」
「何か言ったかな比企谷?一色?」
「「別に何も」」
不当に生徒会に入れられた俺と一色の声が重なる。こいつとは仲良くできるかもしれない。
「まあ一色さん、あなたは生徒会に入っておいた方がいいでしょうね」
雪ノ下はとほほ、と息を吐く一色に言う。
「どういうことですか?」
「おそらくこれであなたが選挙にも出ず、今まで通りの生活をクラスでするなら、あなたを嫌う人たちはあなたを逆恨みするでしょう。もしかしたら嫌がらせはさらに激しくなるかもしれない。こういう陰険なことをする輩ならなおさらね。
でも生徒会に入れば少し話は変わるわ。嫌がらせをした人間たちの狙いは外れるけれど、一応「生徒会に一色を無理やり入れた」という結果は残る。一応の満足はする。なにより生徒会には三浦さんという圧力が存在している。そう簡単に手は出せないでしょう」
「…逃げろってことですか」
一色は歯を食いしばりうつむく。
「目を背けて、平気な振りするよりはましだろうな」
しまった。つい口に出してしまった。
にらむ一色の目線を受けながす。やはり図星だったか。
彼女の仮面は強い振り。泣きまねは弱い振り。そしてそのどちらも平気な振りだ。それでは問題は解決どころか解消にすらならない。積みあがっていくのみだ。
平塚先生が一色の頭に手を置く。
「逃げることは悪いことではないよ、一色。問題は逃げた先に何があるかだ。君が逃げようとしている先は恐らく君にとってプラスにこそなれ、マイナスになる可能性は低いだろう。ここにいる人間も含めて。…私が保証しよう」
「少なくとも内申の加点にはなるでしょうね」
身もふたもないことを言うのは、もちろん雪ノ下である。さすがにお前は空気を読め。
「あはは…ま、まあいろんな経験できるんじゃないかな?やってみようよ、いろはちゃん。大丈夫。いざとなったらヒッキーとゆきのんがいるから!」
「ゆーいー??あーしはこいつらより頼りないのかねぇ???」
「も、もも、もちろん優美子だっているし!!!むしろ一番優美子が頼れるまであるし!!!!」
声を低くする三浦に、由比ヶ浜は手をぶんぶんと振る。…つくづく疲れそうな生き方してんなこいつ。あと三浦、怖い。
一色は俺たちを見渡し、天井を見上げる。逃れられないとわかったのか、深くため息をつく。
「…わかりました。先輩と先生に、騙されてあげます」
それでも一色はあざとく笑った。
「では応援演説だが…比企谷、由比ヶ浜。どちらがどちらの応援演説をする?言っておくが応援演説をする人間は演説をするだけではない。当然だが立候補者の選挙活動を全面的にサポートすることになる。ここ数カ月の君たちの様子を見て、私としてはどちらがどちらの応援でも問題ないとは思う。しかし…」
平塚先生は横目で俺を見る。…嫌だぞ、俺は。
「先生、建前はいいです。選択の余地などないでしょう」
雪ノ下は立ち上がり、由比ヶ浜の手を取る。
「由比ヶ浜さん、お願いできるかしら」
「ええ!?…う、うん、いいんだけど優美子は…」
由比ヶ浜はちらりと三浦を見る。
「結衣、あんたが決めな。あーしはあーしで勝手に決めるから。好きな方にしなよ」
「…わかった。あたしはゆきのんの応援演説をするよ」
「うん。結衣がいいならそうしな」
彼女らは静かに笑い合う。変わったものだ。どちらも。俺は偉そうにもそう思った。
「で、あーしだけど」
三浦は平塚先生い体を向ける。
「あーしは、あーしの選びたいやつ選ぶから。「選ばされる」の、あーし嫌いなの。いいっしょ?平塚先生」
…お?
「…君はそう言うと思ったよ。もちろんかまわない」
きたああああああああああああああああああああ。
「で、でもそれだとヒッキーが…」
やめろ由比ヶ浜。余計なことを言うな。この流れならば奉仕部は自然消滅。流れで俺も退部。更に生徒会にも入らなくてよい。ノーリスクで平穏を…
「で、改めてヒキオ」
彼女は今度は俺の正面に立つ。
夕焼けが照らす部室に、静かに風が入り込む。彼女の金髪をなびかせる。サラサラという音が聞こえた気がした。柔らかい光がその髪に反射する。
きれいだ、などと思ってはいけないのだ。
「応援演説、頼んだし」
三浦優美子は当然のようにそう笑うのだった。