あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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そして彼女は勝利を望む。

「…なんで俺なんだよ」

 俺は自分を選挙の推薦人に選んだ三浦に、正直な疑問をぶつける。

 

 確かに俺か由比ヶ浜かの選択であれば、雪ノ下の言った通り選択の余地はない。雪ノ下と由比ヶ浜、三浦と俺という組み合わせが最も合理的だろう。

 雪ノ下は物事を完璧にこなし、その事務処理能力とカリスマ性には確かに目を見張るものがある。しかし逆に気持ち、人情というものを理解する力に乏しく、ともすれば人に「冷たい」という印象を与える。そして由比ヶ浜は事務処理能力には欠けるが人望があり、人に同情することができる。

 同じく三浦もカリスマ性はあるが、事務処理能力という点においてはおそらく由比ヶ浜よりはまし、といった程度だろう。彼女は面倒なことを少しずつ片付けるというタイプの人間ではない。更に言えばその気性の激しさ故、エネルギーの向け方によっては単なる暴走になる恐れもある。俺ならば多少の雑務はこなせるし、…その、なんだ。暴走しそうになった三浦を止めることもできるだろう。恐らくほかの人間では彼女に物申すことはできまい。

 

 しかし今三浦に与えられているのは俺か由比ヶ浜かの選択ではない。彼女は「応援演説をする人間は自分で選ぶ」と言った。三浦の人脈ならばほかにいくらでも選びようがあるだろう。

 

 なぜ俺なのだろうか。

 

「別に、大した理由じゃないし」

 三浦は短く息を吐き、口の端を持ち上げる。

 

「あーしがここにいる理由忘れたん?「覚悟しな」って、あーし言ったよね?」

 俺はベストプレイスにて、彼女に見つめられた昼休みを思い出す。彼女は「葉山を知りたい」そう言った。

 

「だからあーしはあんたを知りたい。…今までさんっざん、あーしに好き勝手言ってきたあんたが、あーしのことどう思ってるか、演説で聞かせてもらうし」

 彼女の言っていることは分かる。確かに俺は三浦に対してここ数週間、かなり好き勝手なことを言ってきた。「厚化粧を止めろ」とさえ言った。

 

「わかった?だからあんたがあーしの応援演説をするの」

 わかった。俺には理由が理解できた。女王らしい自分勝手な理屈だ。

 

 しかし、である。

 

「み、三浦さん。知りたいって、なにを言って…」

 

「ゆ、優美子…ヒ、ヒッキーが優美子のことどう思ってるって…」

 

 おいポンコツ、物事には言い方ってものがあるよね。俺は急いで誤解をとこうと口を開く。

 

「待て、誤解だ。今三浦が言ったのは…」

 

「はぁ?別になんも間違ってないっしょ。つーかそのためにあーしヒキオと一緒に昼ご飯ま…」

 

「頼むからあなたは黙っていてくれませんかね!?」

 なぜか胸を張る三浦の口をとっさにふさぐ。前もこんなことあったような…。

 

「随分と仲がいいようだけど、そのコンビネーションならさぞ見事な選挙活動、演説を見せてくれるんでしょうね?…それなら私も全力であなたたちを潰すわ」

 

「…優美子、私ぜっっっったい負けないから。…ヒッキーの馬鹿―――――――!!!!」

 

「ちっ、気分が悪い…リア充爆散しろ。さっさと死ね」

 

「うっそ…なんでこんな冴えな…モテなさそうなひ人がこんなきれいな人たちから…」

 

 雪ノ下、由比ヶ浜、平塚先生、一色はそれぞれ勝手極まりない宣言、呪詛、疑問を漏らす。いや、どう考えても俺が一番被害を受けているんだが。女、怖い。あと一色、それは言い直しても全く意味がない。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜からなぜか詰め寄られている三浦は、二人を振り切って俺を見る。

「だからヒキオ、あーしの応援演説をさせてあげる時の約束は一つだけ」

 

 彼女はまっすぐに俺を見る。

「あんたがあーしについて思ってることを正直に言うこと。約束できる?」

 

「…わかった。約束する。ボロクソに言われても文句言うなよ」

 

「そん時は、あんたの顔の原型がとどまらない程度に半殺しにするから安心しな」

 

 訂正しよう。女ではなく、怖いのはこいつだった。

 

「じゃあこっちからも一つだけ。…なぜ葉山じゃない?」

 彼の名前を出した瞬間、彼女の視線が下を向く。周りもざわめく。三浦のことを考えるのであれば、これはここで聞くべきことではないだろう。しかし、聞くならばここが最後。俺はそう感じていた。

 

 単に勝ちたいのであれば葉山以上の適任はいない。1年から3年まで知名度がある彼が出てくれば、選挙など一気に人気投票になる。それも彼がついた方が勝利確定の。

 

「…隼人は今部活大変な時期だし、毎日時間取らせる選挙活動で邪魔するわけにはいかない。それに、隼人の力だけで雪ノ下さんに勝つのは…なんか嫌だし。それに言ったのはあんたっしょ。隼人から距離取ったほうがいいかもって」

 

「俺のせいで負けるかもしれんぞ。知っての通り俺は」

 最後まで言えなかった。彼女は俺の唇にもっていたリップのふたを当て、

 

「そんくらいのハンデ、跳ね返してこそあーしっしょ」

 偉そうに笑った。

 

 少しだけ、勝ちたいと思った。

 

 

 

 

 

「ヒキオー、これ書いといて」

 

「おう」

 まあこいつ字そううまくないしな。にしてもこういうのパソコンで打ち出したほうが絶対合理的だろ。

 

「ヒキオー、昨日渡された書類持ってきて」

 

「おう」

 こいつが持ってるとゴミと間違えて捨てかねん。選挙ポスターに落書きしようとしてたからな。自分の。

 

「ヒキオー、先生が演説の原稿なおしたって言ってたから後でちゃんと行きな」

 

「…おう」

 俺のおかんかこいつは。平塚先生も直接言えよ。

 

「ヒキオー、あーしのど乾いたからジュース買ってきて」

 

「お…」

 いや、それは自分で行け。

 

 放課後。奉仕部室にいるのは俺と三浦優美子だけだ。雪ノ下と由比ヶ浜は何か選挙に向けての用事があるのだろう。もしかしたら選挙活動に行っているのかもしれない。

 

 にしても、である。

 

「あ?なにじろじろ見てんだし」

 

「…いや、まだ見慣れなくてな」

 

「あんた、次コレに触れたら…わかるね?」

 

『黒髪』の三浦優美子は、静かな笑顔を浮かべた。

 

「ごめんなさい」

 逆鱗であることがわかっていてもつい触れてしまう。さすがの俺もこの変化には度肝を抜かれた。

 

 三浦は息を吐き椅子に体を預けるようにして寄りかかる。

「あー、つっかれた!たく、どいつもこいつも人の髪の色が変わったくらいのことで騒ぎ過ぎだっての。ねえ、ヒキオ」

 

「今その話すんなって言ったのはどこのどいつだよ。つーかバリバリのギャルが急に髪黒くすれば物珍しくてそりゃ…」

 

「あぁ!?なんかいった?ヒキオ?」

 

「…と、とっても似合っていて超絶キュートだったから、皆騒いじゃったんじゃないでしゅかね」

 当然の抗議と解説を入れる俺を三浦が鬼の形相でにらむ。ふぇぇ…こいつほんとに怖いよう…いやマジで。この機嫌の悪さは、今日一日で確かに相当疲れたようだ。

 

「なっ、きゅ、キュートって…べ、別にあんたに褒められたって嬉しくもなんともないし…。調子乗んなヒキオのくせに!」

 褒めたわけでは断じてない。機嫌を取ったのである。それなのになぜのび太くん以来の罵倒をくらわねばならないのか。まったくもって納得いかない。俺はついでのように殴られた肩をさすりながら思う。

 

 …似合っていないことはないが。

 

「ま、まあいいし。あーしにこんだけのことやらせてんだから、選挙に負けたら承知しないからね、ヒキオ」

 

「なんで俺が全責任を背負わされてんだよ」

 

「うっさい!引き受けたからには全力尽くしな。いい?」

 

「へいへい」

 

「ヒーキーオー?返事は?」

 

「はい!!!!」

 世界一いい返事だったと思う。

 

 彼女は今日、黒く染めた髪の毛で学校に来た。生徒会選挙に出るわけだから当然と言えば当然だが、少し意外ではあった。たぶん彼女のその金髪は、葉山と合わせていると俺は思っていたから。つまり彼女にとって髪の色はいささか以上に意味を持つことだと、俺は思っていたのだ。

 その旨を遠回しに、わからない程度迂遠に彼女に問うと、答えはいたって明快だった。

「あんたバカ?さすがにあの髪じゃ信任投票ならともかく、雪ノ下さんには絶対勝てないっしょ?そんなくだらないことで負け確定するの納得いかないし」

 

 彼女は手鏡越しに俺をにらみ、そう言った。…考えすぎだったか。

 

「やるからには勝つ。あーしが一番じゃなきゃダメなの。いい?」

 

「…仰せのままに」

 わがまま女王の従者も楽ではない。

 

 

 

 

 

 選挙活動は思ったよりスムーズに行った。三浦は事務処理能力にはやはり難ありだったが、人に注目されること、人前に立つことには慣れていた。校内での選挙活動の際も彼女が片手間に考えた選挙活動の台本を俺が常識的な方向に手直ししただけで、彼女は堂々と自らの考えを述べ、自然と人を惹きつけた。

 選挙活動というのは突き詰めて言えば「私ならこれができる」「私ならこれを変えられる」と自分を徹底的に肯定し、人々の役に立つことをアピールすることだ。訓練をしなければ、自分に自信のある人間でなければ不可能だろう。その点三浦は必要事項を満たしていた。あふれ出る高圧さは隠しきれてはいなかったが…。人の前よりもやはり人の上に立つ方がお得意らしい。会長は向いているのかもしれない。

 

「…あんた今何か失礼なこと考えなかった?」

 

「いや、別に」

 三浦優美子、つくづく恐ろしい女である。

 

 放課後。今日は部室ではなく帰り道。三浦は例のごとく鞄を俺の鞄の上に乗せ、自身は荷台による。某ジブリ作品よろしく、体を横向きにして乗る。ちょっと待て、これ思ったよりきつい。思ったより安定しない。あ〇さ〇せいじ君すごかったんだな。主にバランス感覚が。

 

「ふーん…ま、いいけど。あんた応援演説できてんの?本番もう明日だけど」

 

「ああ、問題ない。お前こそできてるんだろうな」

 この数カ月彼女を見ていてわかったのは、この女は考えなしで動き、そして抜けているところがあるということだ。

 

「失礼なこと聞くなし。平塚先生にチェックしてもらってOKもらったから大丈夫っしょ」

 

「それは良かったですね。ところで女王様、僕たちは今いったいどこに向かっているのでしょうか。目的がないならめちゃくちゃ重いからどっかで止まり…グハッ!」

 ささやかな文句と事実を言う俺に、後ろから鉄拳が飛ぶ。

 

「だーれが重いって?とりあえず駅行くから、このまままっすぐでいいし」

 

「だから前も言ったがそっち行くと俺んち遠くなるんだけど…」

 

「あーしはお・も・いのかな?ヒキオ?」

 

「…喜んで送らせてもらいます」

 

「ふふん。よろしい。送らせたげる。さあきびきび進め―!おせえぞー!」

 このクソアマ…。人をギャフンと言わせたいと思ったのは初めてだった。しかしこのハイテンション…

 

「今日あーしの好きなバンドのCD発売するから、早く!」

 どうやら杞憂だったらしい。彼女は今日もいつも通りでした。

 

 

 

「さてヒキオ、CDも買えたし次いくし」

 お目当てのCDをご満悦の表情で眺めながら、三浦は俺に促す。と、言われてもだな。

 

「次もクソもねえ。もう帰りたいんだけど」

 

「次いくし」

 

「だから疲れたから明日に備えて…」

 

「…明日全校生徒にあんたにパンツ見られたことばらしてやる」

 三浦は恨めがましい目をこちらに向ける。ふ。そんなもん脅しにもなってねえ。

 

「そんなこと言って印象悪くするのはお前だろうが。ただの自滅だ」

 

「う、うっさい!あんたは黙ってあーしについてくればいいの!…文句ある?」

 

「…はぁ。せめて早めに終わらせてくれ」

 

「それはあーしの気分次第だし」

 ふんぞり返る三浦優美子とは対照的に、俺のため息はさらに深くなる。

 

「お前の気分に付き合ってたら身が持たねえよ」

 

「あ、着いた着いた。ヒキオさっさと来な」

 最初から俺の話を聞く気はなかったらしい。三浦は小走りでお目当ての場所に駆けて行った。…少しは俺の意見を聞いてもいいのではないでしょうか。

 

「というか三浦さん、…ここ、入るんですか?」

 

「あ?なんか文句ある?」

 彼女は文句タラタラの俺に、ついに眉根を寄せて声を低くする。…これ以上逆らうのは命に関わる。

 

「い、いや、別にないでしゅ」

 いえ、別にないです。

 

「ほらヒキオ、あんたも歌えし」

 個室に入るなり怒涛の如く曲を入れ続け歌い続けた三浦は、俺にマイクを向ける。しかしそれはぼっちにとっては脅迫以外の何物でもない。

 

「いや、俺アニソン以外歌えねえしな」

 思えば中学の時。好きなアニソンメドレーをCDに焼いて女子に贈りつけたことは周知のとおりだが、中学の文化祭の打ち上げでアニソンを熱唱し、空気を凍りつけた俺である。リア充とこういった場所に来た場合は、ひたすら「見」。自ら動かない。これが常識だ。

 

「まーたわけわかんないこと言ってるし、ヒキオ」

 しかしそんな微妙な空気を彼女が察するわけもない。また罵倒かよ、こい…

 

「ヒキオもあーしが歌ってる曲どうせ知らないっしょ?あんただって金払うんだし、別に好きな歌うたえばいーじゃん。あーしだって好きなの入れてんだから。ほら」

 …前言撤回。彼女に常識は通用しないのである。

 

「いや、でも俺が歌いたい曲お前知らないだろうしな…」

 

「…ヒキオ、あーしおんなじこと二回言うの嫌いなんだけど」

 

「はいっ、喜んで歌わせていただきます!」

 彼女がまだ穏やかなうちに俺は曲を入れる。ほら、このままだと怒りに目覚めそうだし。目覚めてスーパーあーしさんとかになってまた金髪になったら怖いし。あ、でも穏やかな心持ってないから大丈夫か。私の戦闘力は53万です。

 

 しかしいきなり電波な曲を入れるのは、俺にとっても彼女にとってもきつい。ここはとりあえず無難に。

 

「あ、これあーしも知ってる」

 イントロを聞いた三浦は両手を打つ。それはそうだろう。俺が入れたのは国民的海賊バトル漫画の主題歌だった。

曲が始まり俺はマイクを持って立つ。曲の入り。少々元気な曲なのでしょっぱなから恥ずかしさはあるが、仕方ない。

 

 息を吸う。ままよ。

 

「ありったけの♪」

 勢いよく、三浦は大声を張り上げた。

 

 …おい。

 

「は?何ぼーっとしてんのあんた。ほらほら、次あんたの番」

 

「お、俺の番って、そんなデュエットみたいなこと…」

 

「…早くしろし」

 静かににらむ彼女に、逆らえないことは自明であった。

 

 

 

 

 

「あー、すっきりした!」

 カラオケ店を出た彼女は大きく伸びをする。そのしぐさによりある二つの部分が強調され、俺はとっさに目をそらす。いやこいつ由比ヶ浜よりないけど、下手すれば由比ヶ浜より無防備だから、八幡たまに目のやり場に困っちゃう。

 

「あんだけ歌えばそりゃあな」

 

「いや、んなこと言ってっけどあんただって大概だったっしょ。好きな歌うたえって言ったのはあーしだけど…」

 三浦は俺の歌いっぷりを思い出したのか、笑いを漏らす。…ええ、流石にタガが外れたことは自覚していますよ。古今東西、カラオケで歌いたいアニソンメドレーをしてしまったことについては。

 

「俺の美声に酔いしれたか」

 せめてもの照れ隠しで応じる俺に、三浦は冷たい視線を送る。ちょ、マジレスはやめてくださいよ。

 

「何言ってんだし、きも。歌ってるあんた必死過ぎてきもかったし。感想言うならなんかきもかった」

 マジレスどころではなかった。きもいの連打に、俺の心はハートブレイク寸前である。心臓が重複していることもどうでもよくなるくらいブレイクしてしまった。…もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいんじゃないですかね。

 

 しかし涙目になる俺に、三浦は追い打ちをかけるように笑う。

 「…ま、でも割と楽しかったからいいっしょ」

 

 俺の道化振りで笑っていただけたようで何より。彼女らしくないまっすぐな笑顔を見て、俺はそう思うことにした。

 

 

 

 

 

 

「ヒキオ」

 

「なんだ」

 

 落ちる夕陽を眺めながら、俺は彼女の呼びかけに応じる。5時を告げる鐘が鳴った直後、公園で遊んでいた子供たちはどこかに消え、ベンチに二人残された。ブランコは今や乗る人間はいなく、キイキイと子供たちが遊んだ余韻を残すだけとなった。無人の公園はどこか世紀末じみている。ふとそんなことを思った。

 

「こうしてると、なんかこの世にあーしら以外いないみたいだし」

 

「…」

 三浦と思考が被ってしまった。しかし、彼女らしくないロマンティシズムを感じさせるセリフに、頬に若干の熱を感じる。夕陽の角度が少々きつい。俺はそれを振り払うために口を開く。

 

「で、何の用だ」

 

「何が?」

 

「とぼけんな。…意味もなく遊びまわったわけじゃねえだろ」

 こうして公園で差し向いになっていると、あの時の三浦の涙を思い出す。彼女は葉山隼人に好かれる自信がないと言った。女王がこぼした初めての弱音。

 

 …理由の察しはつくが。

 

 三浦はうつむき、俺に問う。

「あんたさ、あーしが雪ノ下さんに勝てると思う?」

 

「…ずっと聞きたかったんだが、なぜそこまで思い詰める。なぜそうまで真剣になる。そんなに会長になることにこだわりでもあるのか?」

 

「質問を質問で返すなっての。…んなわけないじゃん。別にあーしは会長になりたいわけじゃない。あーしがさっきなんて聞いたか、覚えてる?」

 

 俺は彼女の言葉を反芻する。『雪ノ下さんに勝てると思う?』確か彼女は俺にそう聞いた。

 

「雪ノ下に勝てるかどうか、か」

 

「そうだし」

 正直分は悪い。あっちは学年の、学校の有名人だ。能力も高いしカリスマ性も持ち合わせている。名前だけで雪ノ下に羨望の眼差しを送る人間だっているだろう。対する三浦も知名度はそこそこだろうが、いかんせん本人の態度が高慢過ぎる。その噂にはきっと良くないものもある。彼女を好ましく思わない人間もいるだろう。下馬評のオッズは偏る。

 

「ひいき目に見て、勝算は3:7ってところか」

 

「それってあーしが…」

 

「3だ」

 

 三浦は唇を噛み、また自分の陰に目を落とす。しかしなぜだ。俺はまだわからない。

 

「俺からも一ついいか?」

 

「…なんだし」

 三浦は下を向いたまま声に応じる。

 

「さっきの質問の続きだ。なぜそうまで雪ノ下に勝ちたがる。…本当に一番になりたいとか、単に雪ノ下に負けたくないとか言う理由か?」

 違う。俺は自らの言葉を否定する。彼女はそこまで短絡的な人間ではない。我は通すが、ほどほどにリアリストだ。自らの立場と求められるキャラクターは理解しているだろう。

 

 ならばなぜ意味のない勝ちにこだわる。

 

「…隼人がさ」

 三浦優美子は、静かに口を開いた。

 

「隼人が、雪ノ下さんのこと見るの。たまに申し訳なさそうに、たまに憧れるみたいに。それでたまに…あーしが見たことないくらい柔らかい目で、見る。あんたを見る時に近いけど、それよりもっと…」

 

 三浦は落としていた視線を空に向ける。夕焼けが退場しかけ、暗闇が蔓延りつつある空を見る。

 

「だから、理屈じゃないし!なんでとか言われても細かいことはあーしにだってわかんない。ただ、あーしは雪ノ下さんには負けたくない。なんとなく、絶対に負けたくない。だからヒキオ、明日はその…なに、頼んだし。しっかりやれ!」

 空を見続ける彼女は、何かをこらえるようにそう叫んだ。

 

 俺も彼女が見る空を眺める。一番星も見えてきた。冬は空が乾燥し、空気中の水分が減り光が屈折しにくい。気流も安定している。俺たちははっきりとその瞬きが見て取れる。

 金星。彼と、彼に近づきたかった彼女の色。それを変えてまで彼女は勝ちたがった。そんな彼女にかけるべき言葉は。

 来る選挙日前夜。俺も少しハイになっているのだろうか。

 

 ロマンティシズムが過ぎるかもしれない。

 

「…競馬がいつも下馬評通りにいくわけねえだろ」

 

 思わずこぼれてしまった。俺の短いつぶやきに三浦はピクリと肩を震わせる。俺は少しの気恥ずかしををごまかすように頭を掻く。

「…ま、その、なんだ。何事もやってみなきゃわからんってな」

 

「ぷ…なにそれ。あんたにまったく似合わないセリフだし」

 三浦は俺の顔を見て笑う。似合わなくてすいませんね…。あらゆる前向きな言葉はこの目の腐りでネガティブ堕ちするんだよ。ネガティブ堕ちって何だし。いや、何だよ。

 

「ほんとあんたってこういう時に、気の利いた事の一つも言えないよね。どーなん男として」

 

「前も言ったがそういうことは俺じゃなくて葉山あたりに求めろ」

 

「んなこと言ってもしょうがないじゃん。そーゆー時隣にいんの大体隼人じゃなくてあん…」

 あきれたように何か言いかけ、三浦優美子はまた口をつぐむ。こっちに向いていた顔は徐々に視線を落とす。その表情までは分からなかった。俺はいつものように言う。

 

「…まあ、何とかなるだろ。むしろなるようにしかならないまである」

 

「まーた適当なこと言ってるし…ま、でもありがと、ね。明日もその、よろしく、だし」

 

「…おう」

 

 宵の明星も顔色を照らすほど明るくなかったのは、お互い幸運だったのかもしれない。

 

 

 


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