あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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ようやく彼は気づき始める。

 選挙当日。奉仕部の三人と三浦は体育館の壇上にいる。

 

 まず全校生徒の前に雪ノ下が立った。演説の順番は雪ノ下→由比ヶ浜→三浦→俺という順番だ。いや、おかしいだろ。なんで推薦人が立候補者の後なんだよ。俺は壇上の下の平塚先生に非難の視線を送るが、非常に楽しそうな笑顔しか返ってこなかった。…大方トリを俺にしたかったのだろう。重ねて言うが、それ職権濫用だからな。

 

 よどみなく選挙演説を進める雪ノ下が、咳ばらいを一つした。その目はまっすぐに群衆に向く。

「さて、最後に一つ。

今までいくつかの公約についてお話をしてきましたが、私が生徒会長になった暁には、もっと重要なことを皆さんにお約束します」

 どよめく群衆を前に、雪ノ下は目を瞑り、大きく息を吸う。

 

「私が皆さんの抱える問題のすべての相談に乗ります。すべてを皆さんが皆さん自身の力で解決できる、そんな学校を私が作ります。そしてご存知のように、私にはそれができるだけの力があります。皆さんは私にすべて任せていただいて構いません。この学校は必ず良い方向に向かうでしょう。

しかしそれを成すには、結局は皆さんのお力添えなくしてはありえません。どうかこの雪ノ下雪乃に皆さんの清き一票を、よろしくお願いします」

 彼女の言葉は短かった。伝えたいことは少なかった。言っていることは傲慢そのものだ。しかしそれには淀みも迷いもなかった。そんな彼女の姿勢に、視線に臆したのか。群衆は静まり返る。

 しかし彼女が礼をした瞬間、喝采が湧く。恐らくこれも群衆が望んでいた雪ノ下雪乃の姿なのだろう。どこまでも強く、一人凛と立ち、よりどころを求めない。彼女なら成し遂げるかもしれない。皆そう期待しているのだろう。

 

 一人でやることは悪いことじゃない。一人の怠慢がすべてをぶち壊してしまうくらいならば、確かに彼女一人がやったほうが効率もいいし、確率も高い。

 

 しかし過去の自分の言葉に、俺は今納得できていない。

 

 次は由比ヶ浜がおぼつかない足取りで全校生徒の前に立った。普段の雪ノ下の紹介と彼女の公約の補足。お世辞にもうまいとは言えない。堂に入っているわけでもない。しかしそれ故彼女の懸命さは群衆の心を掴んだ。雪ノ下の作った張りつめた空気が少しずつ弛緩していく。

 

「えーっと、ちょっと時間余っちゃった…えっとえっと、さっきゆきのんはああ言いましたが、実際のゆきのんはとっても賢くて、とってもかっこよくて、全然素直じゃなくて、たまにかわいい、フツーの女の子です」

 普段の呼び名がこぼれ、雪ノ下の弱点をあげる由比ヶ浜に、会場から笑いが漏れる。彼女は誰でも味方にしてしまうのだろう。その懸命な姿勢で。生まれ持っての素直さで。だから雪ノ下雪乃の隣に立つべきなのは、彼女なのだ。

 

「だからみなさん、ゆきのんに力を貸してください。あたしが大好きな、とってもとっても大好きで尊敬してる雪ノ下雪乃に、清き一票を、よろしくお願いします!」

 深く深く、由比ヶ浜結衣は頭を下げた。会場が湧いたのは言うまでもない。

 

 

 

 二人に作られた空気。会場はいまだにその余韻が残る。恐らく学年でもトップの知名度、人気を誇る二人の演説だ。こうなるのは当たり前だった。では、彼女は。

 

 俺は名前を呼ばれ立ち上がった三浦の顔を見る。そこには不安は見て取れない。昨日までの彼女とは思えなかった。彼女は前だけを見ていた。…その視線の先に、誰がいるのか。想像せずともわかる。

 

 三浦の演説もやはりつつがなく進んだ。事前の選挙活動から考えても、この点は心配してはいない。加えて彼女のかしこまった話し方、染めた黒髪に驚いた人間もいたのだろう。群衆は刺すように彼女を見つめた。

 

「えー、少し時間が余ったので私も…いや」

 三浦は時計を見て、バン、と演説台に手をつく。

 

「あーしも言いたいことを一つ」

 …頼むから余計なことは言うなよ。俺がやりにくい。なぜか笑ったような気がした彼女に、俺は身震いが止まらない。

 

「たぶんみんな知ってると思うけど、あーしは本来こんなところに立つべき人間じゃない。

さっきまでの喋り方だって、公約だって、この髪の毛だってこの日のために頑張って作って、練習しただけ。雪ノ下さんみたいな能力もないし、普段から努力もしてなければ尊敬もされてない。あーしは雪ノ下さんみたいに全部ひとりでやることなんて、絶対にできない。

そんなあーしがここに立ってるきっかけだって別にそんなに大したものじゃない。ただ卑怯なことがしたくなかったから。それだけの理由。

だからあーしが生徒会長になったら、皆にもそういうことはさせない」

 まっすぐに彼女は群衆を捉える。たった一人の視線に、群衆は息をのむ。

 

「あーしが生徒会長になったら、いじめとかそーゆーインケンなことはやらせない。そういう卑怯なこと大っ嫌いだから、それだけは約束する。

でもさっき言った通りあーしには特別に能力があるわけじゃない。あーし一人でできることなんて大してないって、最近よくわかった。

だからあーしが生徒会長になったら、みんなの力を貸してほしい。あーし一人じゃ何もできない。生徒会に課題があったら教えてほしい。クラスで嫌なことがあったら伝えてほしい。問題があれば一緒に悩んでほしい。

あーしは自分のために生徒会長になる。みんなの力を借りる。だからみんなも自分たちのために、自分を大切にできるようにあーしと生徒会を使ってほしい。それがあーしが最後に皆に伝えたかったこと。

だからあーしに。この三浦優美子に。皆さんの大切な一票を、どうかよろしくお願いします」

 

 俺は初めて、三浦優美子が頭を下げる所を見た。その姿はなぜかいつもよりも偉そうで、大きく俺の目に映った。また喝采が湧く。

 

 自分に任せろと言った雪ノ下雪乃。自分を助けろと言った三浦優美子。群衆がどちらを選ぶのか、俺にはもうわからなかった。

 

 しかし、である。

 

 …ちょっと待って、この有名人たちの後に、三浦優美子の後に俺が演説すんの?え?これどういう罰ゲーム?

 名前を呼ばれ選挙台に立つ。全校生徒を目の前に感じ俺は今更ながら思う。今この瞬間の「お呼びじゃない」感、異常です。

 

 しかしそこは慣れたもの。心を閉じ、俺はあくまでも用意したものを読み上げる。事務的な事柄ならば対人でも対物でも変わりはない。

「…ですので三浦優美子さんが生徒会長となった暁には、この学校は確実に良い方向に向かっていくことでしょう」

 作ってある応援演説を読み終えようとし時計を見ると、俺も思いがけず時間が余っていた。自分で思っていたよりも緊張し、早口になっていたのかもしれない。焦る頭で先ほどの彼女らの演説と三浦の俺に対する要求を思い出す。

 

 『だからあーしはあんたを知りたい。…今までさんっざん、あーしに好き勝手言ってきたあんたが、あーしのことどう思ってるか、演説で聞かせてもらうし』

 

 このまま終わったら殴られるんだろうな…。見慣れない黒髪の背中を思い出し、一人静かに震える。

 仕方ない。俺は原稿用紙を置く。時間上限はあと1分ほど。充分だ。殴られるのは嫌だし。

 

 俺はいつものように、口の端だけ持ち上げた。

「えー、俺からも最後に少し個人的なことを。

限りなく少ないでしょうが、俺のことを知っている人もいると思います。ご存知のように俺も本来こんなところにいるべき人間じゃない。はっきり言えば俺は三浦さんと親しいからここにいるわけではありません。別に彼女に好意を抱いているわけでもない。当然でしょう。彼女は有名人で俺は日陰者です。…かかわりなんて持っていいはずもない」

 俺の言葉に群衆はざわめく。よくわからない男が、嫌われ者の男がなにを話すのか楽しみにしている。そんな無責任な期待。ちょうどいい。ただ期待されるより、こっちの方が、汚い感情相手の方がよほどやりやすい。

 

「ただ…無理矢理やらされているわけでもない」

 しかし俺から出てきた言葉は。群衆は静まり返る。

 

「彼女と大して親しくない俺でも、これだけは断言できます。彼女は俺とは違って間違えず、自分の思った道を歩くことのできる人間です。その姿はわがままに見えるかもしれない。傍若無人に見えるかもしれない。実際その通りでしょう。

でもそういう人間にしかできないこともある。そういう姿に救われる人々がいる。それが俺が三浦優美子の推薦人としてここに立っている理由です」

 何を言っている。自らの放つ一言一言に驚きが隠せない。これは俺が言うべき言葉じゃない。俺が言うべきは、これではない。

 しかし、俺の口は勝手に動いて止まってくれない

 

「重ねて言います。本人も言っていましたが、三浦優美子は聖人君子じゃない。品行方正でもない。むしろ問題なんて上げたら両の手でも数えきれない。

だから無理にとは言わない。是非にとも言えない。俺と同じでそんな彼女が会長でもいいと思った人、そんな彼女だからできると思ってくれた人だけでいい」

 

 打算した言葉は、作り上げた表情は、もう出てこなかった。

 

「まっすぐに間違わない三浦優美子に、清くても清くなくても構わない。本物の一票を、よろしくお願いします」

 

 ここ数カ月を振り返る。修学旅行。彼女のせいで俺の告白は届かなかった。誰も傷つけずに終わらせることができなかった。生徒会選挙。彼女のせいで奉仕部はなくなってしまう。俺の日常がなくなってしまう。

 でも彼女は言うだろう。なくなってしまうなら、すでに停滞してしまっているものなら、壊してもっと面白いものを作ればいい。三浦優美子はそういう人間だ。彼女は間違った道に進むことを許さない。彼女がいる時間、俺はことごとく間違えることができなかった。

 

 だからたぶん。俺は少しだけ想像する。彼女が横にいる限り、俺は間違えることができないのだろう。

 

 きっと、これからも。

 

 演説を終え呆然とする群衆を前に、俺は礼をする。席へと戻ろうとした瞬間、背中にポツリポツリと小雨のような音が聞こえる。その小さな粒はだんだんと激しさを増す。

 

 …やはり俺には少しばかり、重い。

 

 

 

 

 

「ねえ、ヒッキー」

 

「なんだ」

 

 放課後の奉仕部室。雪ノ下と三浦は選挙関係のことだろうか。平塚先生に呼び出されて外に出ている。

 

「今日のゆきのんさ…」

 自分から話を振っておきながら、由比ヶ浜は言葉を濁す。なんとなく、言いたいことは分かる気がした。

 

「…ああ」

 今日の演説時の雪ノ下雪乃。彼女は…

 

 俺は由比ヶ浜にかける言葉を見つけられない。それは俺が言ってもいいことなのだろうか。それは本当に雪ノ下雪乃の選択だったのだろうか。

 

 そんな俺の様子をうかがうように、由比ヶ浜は俺に上目遣いを送り、恐る恐る口を開く。

 

「ゆきのんの最後の演説、あんなのあたしたちの打ち合わせにはなかった。ゆきのんが一回決めたことをそう簡単に破るとも、あたし思えないんだ。しかもあんな風に聞いてる人たちに反発されるかもしれないようなこと。もしかしたらゆきのん…」

 

「それはないだろ」

 俺は由比ヶ浜の言葉を即座に否定する。彼女は瞠目して俺を見る。

 

「あいつの負けず嫌いはお前も知ってんだろ。勝負事には真剣な奴だ。引く程な」

 

「…うん。だよね」

 おどける俺に、由比ヶ浜はいつもの笑顔で応じる。

 

「でもヒッキーだって変だったよね。…優美子のことあんな風に思ってたなんて、あたし知らなかったし」

 

「あ、あれは場の雰囲気というか流れというかだな…」

 一転してなぜかジトりとした横目を送る由比ヶ浜に、俺は頭を掻いて答える。いや、だってあーしさんが怖いんですもの。あそこで形式張ったことだけ言ってお茶濁しても、殴られる未来しか見えませんもの。まあだからと言ってあれは、自分でも反省すべきだが…

 

「邪魔するし――」「こんにちは」

 俺が言い淀んでいるその時、聞きなれた挨拶とともに三浦がドアを開け、その後を雪ノ下と平塚先生が続いて部室に入る。

 

「終わったぞ」

 開口一番、平塚先生が俺たちに言い放つ。何のことだろうか。俺と由比ヶ浜が目を合わせると、彼女は息を吐き補足する。

 

「選挙の開票が終わった。彼女ら二人には一足先にその結果を伝えるために職員室に来てもらったんだ」

 

 由比ヶ浜の肩がピクリと動く。俺もそうだったかもしれない。雪ノ下と三浦の様子はいつもと変わらなかった。そんなことがあったとは思いもよらなかった。

 

「そ、それじゃあ結果は…」

 

「まあ待て。もう発表の時間だ」

 平塚先生がそう由比ヶ浜を制した直後。天井のスピーカーから声が聞こえた。

 

「選挙管理委員本部長、伊藤です。本日の生徒会会長選挙結果を公表します。立候補者は二年J組雪ノ下雪乃さんと、二年F組三浦優美子さんの二名です。今回の選挙では投票総数932票。無効票数22票。当選したのは得票数504票で」

 続く名前は。無意識に三浦を見る。彼女の表情は。

 

「三浦優美子さんです」

 

 笑顔だった。

 

「ヒキオ!」

 

「…おう」

 

 らしくなく片手をあげる彼女に、俺もらしくなく応じる。

 

 ハイタッチなど生まれて初めてした。ひりひりとした感触が右手にのこる。ちょ、いてえ。力強すぎるだろ。俺は恨めしい目を三浦に向ける。しかし彼女の笑顔を再度見た瞬間、思い知らされる。なぜだろうか。

 

 その痛みも、悪くないと思えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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