あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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やはり彼女は見透かしている。

「今日はこのくらいでいいっしょ」

 

 生徒会としてクリスマスイベントには参加することになり、時計を一瞥した三浦が終業を告げる。一色はお先に失礼します、と早足に生徒会室を出ていく。三浦もいち早く出ていく後輩にあきれながらも、少し急いで帰路に就く。雪ノ下と由比ヶ浜は奉仕部の時と同じように生徒会室の鍵を職員室に返しに行く。生徒会発足から一週間、この光景も少しは見慣れた。俺は薄暗い廊下で一人マフラーを巻き、下駄箱に向かう。しかし今日は横から声がかかった。

 

「寄り道せずに早く帰りたまえ、比企谷。生徒会なら下校時刻は守らねばならない」

 

「それ、生徒会じゃなかったら守らなくてもいいように聞こえるんですが」

 引っかかる物言いをする平塚先生に俺は手袋をはめながら尋ねる。平塚先生はにやりと笑う。

「少しは規則を守らない生徒がいなければ、君たちもやりがいがないだろう?」

 

「下校時間は終業時間ですよ。残業は御免だ」

 

「いい心がけだ。残業など進んでやってもろくなことがない」

 

「そうすね。増やしすぎても就業時間で仕事が終わらない無能だと言われ、本当に必要な時だけ入ればやる気が足りないと小言を言われる。なら最初っからやらないほうがいい。お互い諦めもつく」

 

「…確かに正しいが、それは働いたことのない者の理屈だよ、比企谷。決して進んでやる必要は無いが、残業は、そこにあるものなんだ」

 なぜか遠い目をする平塚先生は仕事の愚痴を始める。俺が適当に相槌を打っていると、下駄箱に着いた。

 

「じゃ、お疲れ様です」

 

「ああ、お疲れ。…比企谷」

 平塚先生は腕時計を眺め、髪をかき上げる。夜の闇と相まって、いつもは見ない仕草に少しドキリとする。もう下校時間を過ぎているからだろうか。薄暗い照明に照らされる彼女からは、「先生」という肩書が少し薄れている気がした。その彼女が次に放つ言葉は。俺は続きを待つ。平塚先生は考え込むように天井を仰ぎ、数秒思案したかと思えば大きく息を吐く。

 

「少し、付き合わないか?」

 

「…はい?」

 間の抜けた声が出た。お付き合いなら結婚前提でよろしくお願いします。専業主夫志望です。

 

 

 

 

「ほれ。飲みたまえ」

 

「ども」

 

 平塚先生からコーヒーが投げ渡される。微糖。その二文字が街灯に照らされる。俺は少し顔をしかめそれに口をつける。苦い。平塚先生の片手に握られたそれを見る。無糖。超苦い。

 学校から少しだけ離れた空き地。自販機の近くに平塚先生は自慢らしいスポーツカーを止めた。俺の自転車もその近くに止めてある。周りは住宅街で、空き地は見捨てられたように雑草が茂っている。平塚先生と愛車、背景の雰囲気がどう考えてもちぐはぐで、妙に落ち着かない。

 

「…で、なんすか。寄り道するなと言ったのは先生ですが」

 俺はその居心地の悪さから平塚先生に話を促す。まさか愛の告白というわけではあるまい。しかし。俺は最近男関係での愚痴が多い平塚先生の様子を思い出す。…ないよね?

 

 彼女はふー、とため息とともに煙を吐き出し、車に寄りかかる。

「正直、驚いたよ」

 

「何のことです?」

 

 今日は特に問題を起こした覚えはないが…俺は過去の所業を振り返り、少し身構える。平塚先生はそんな俺を見て苦笑いを浮かべる。

「別に叱りたいわけじゃない。…三浦と君のことだ。応援演説をすると言った時も驚いたが、まさか君があそこまで三浦に肩入れするとは思っていなかった」

 

「…一応推薦人ですから、受けた分の仕事はしますよ」

 

「あの最後の演説も、お役目分なのかな?」

 俺の目をのぞき込む平塚先生から顔を背ける。俺とてあれは黒歴史の部類に入る出来事だと思っているのだ。理屈も通っていなければ役割分の仕事も果たせていない。口調が固くなるのを自分でも感じた。

 

「時間は有限です。それに終わったことだ。そんなことが話したかっただけなら俺は…」

 

「違う。これはその仕事についての話だ」

 平塚先生は厳しい目を俺に向ける。まあ、聞け。そう諭すように言い、髪をガシガシと掻く

 

「実はな…三浦優美子は生徒会長にはふさわしくないんじゃないか、という声が職員の中から上がっている」

 

「…そんなの」

 

「そうだ。そんなの、いまさら結果に何の影響も及ぼさない。選挙で決まったことだし、生徒会というのは生徒たちが運営していくものだ。だから別に彼女を会長から下ろすなんてことも当然ない。生徒たちの心情的にも、制度的にも、そんなことが許されるわけがない」

 平塚先生は俺の言葉を先回りする。ならばなぜ。

 

「ならなんでそんなことを話すんです」

 

「…選挙前からこうなることは予想していた。彼女の普段の言動、容姿から考えれば当然ともいえる。はっきり言ってしまえば教師の大半は三浦に良い感情を抱いてはいない。どうせ雪ノ下が勝つと大半のものが思っていたから、大きく問題にはされていなかっただけだ」

 平塚先生は車に付いたかすかな汚れに気づき、コートの袖で拭く。それは無意味な時間稼ぎのように見えた。質問の答えになっていない。もう一度同じ質問を繰り返す。

 

「なぜ、俺にそんなことを話すんですか」

 

「…あの演説をした君には、知っていて欲しかった」

 平塚先生は俺を見た。いつもすべてを見透かしているような、なにも見えていないような。底の知れない瞳で俺を見た。

 

「時に比企谷、君は今回の選挙、どうなると予想していた?」

 

「それも終わったことです。今更始まる前のことを話しても不毛でしかない」

 

「まあそう言うな。単なる興味だ。テスト後の答え合わせのようなものさ。意味はなくても、意義はある。…みんな不安なんだよ」

 

 そんな言葉が彼女から出るとは思っていなかった。俺は少し驚く。弱みを見せる彼女は初めて見た気がする。やはり、今の彼女は教師として話しているのではないのかもしれない。

 

「先生も不安なんですか?」

 

「ん?君は私をなんだと思っているんだ?私はしとやかで奥ゆかしい、大和撫子そのもののような女だぞ。怖いに決まっている」

 にやりと口の端を持ち上げる彼女に、思わず肩の力が抜ける。どこが、と小さくつぶやくとアイアンクローをお見舞いされた。まじで、痛い。

 ひりひりと痛む頭蓋をさすりながら、俺は口を開く。

 

「選挙の予想、ですか。…3:7だろうと、三浦には言いました」

 

「3:7、か」平塚先生は俺の言葉を聞いて鼻を鳴らす。「つくづく甘いな、君は」

 

「ひいき目に見て、ですよ。本番前に必要以上に落ち込ませる意味はないでしょう。実際の勝率はたぶん二割もなかった…」

 俺の声は彼女に阻まれる。

「それが甘いと言っている」

 一転、彼女は非難するように俺を見る。今度は教師の顔になっていた。彼女はいつでも、こうやって俺を叱るのだ。今度は茶化すことも、茶化されることもできない。

 しばらくにらみ合い、平塚先生が思い出したように吸いさしのたばこをエチケットケースにねじ込む。

 

「二割、か。ではなぜ三浦は今回の選挙で雪ノ下に勝利することができたのだろう」

 

「…考えられる要因は3つ。三浦が予想以上に選挙活動時、演説時に持ち前の度胸を発揮し、堂々とふるまったこと。彼女の普段とのギャップに生徒たちが驚いたこと。マイナスからプラスへ転じたほうが、インパクトも振り幅も大きいですから。そして雪ノ下が…」

 しまった。俺は口をつぐむ。甘いと断言されたことでつい言い返したくなってしまった。突然黙り込む俺に平塚先生は先を促す。

 

「雪ノ下が…どうしたのかな」

 その目が、適当なことを言うのを許さなかった。ここまで来て、か。俺は選挙後に由比ヶ浜と話したことを思い出す。彼女も疑問に思っていた。恐らく平塚先生も気づいているだろう。俺はなんとか口を開く。

 

「雪ノ下はわざと負けようとしていたのではないか、と」

 

「…君にはそう見えたと」

 

「少なくとも確実に勝ちたかったらあんなことは言わないでしょう」

 最後の雪ノ下の演説。自分がすべての相談に乗ると。自分が一人だけの力でこの学校を変えると。演説後、彼女は確かに喝采を浴びた。しかしそれは生徒たちが彼女に圧倒されただけだ。彼女のカリスマに。彼女の迫力に。支持をした生徒もいただろうが、そうでない者もいた。雪ノ下も三浦と同じで各方面で傍若無人にふるまっている節がある。その不穏分子とでも呼ぶべきものがあの傲慢とも取れる演説で爆発したのではないか。俺が選挙後に考えていたことだ。

 

 適当に平塚先生にそんなことを言うと、彼女はまた鼻を鳴らす。

「なるほど。ではなぜ雪ノ下はあんなことを言ったのだろう。彼女は賢い子だ。その程度のことは分かっていそうなものだが」

 

「それは…」

 それを聞かれると俺は何も言えなくなる。それについてはいくら考えても答えが出なかった。雪ノ下があの場で、全校生徒の前であんなことを発言する意味。元々が勝ち戦だったのだ。それをふいにするかもしれない。そこまでのリスクを負ってあの布告をした意味。その意義。俺にはわからない。

 何も言えなくなった俺に、彼女は今度は微笑んで頭に手を置く。俺は無意識にそれを振り払う。

 

「では質問を変えよう。君はなぜあの演説をしたのかね。君は確実に勝つためにあの内容の演説を作ったのか?」

 

「…いえ」

 俺は小さく首を振る。そもそもあんな内容、原稿に起こしてすらいなかった。言おうとも思っていなかった。口をついて出てきた。それだけだ。

 

「それが私が、きみの二割という予想が甘いと言った理由だよ」

 彼女は今度は俺の額を指で小突く。気安く男に触っちゃいけません。俺は小突かれた額をさすりながら、今度は夜空を仰ぐ平塚先生を見る。

 

「人の心は数字じゃない。これは実際の選挙のような票取りゲームじゃなかったんだ、比企谷。そもそも普通の選挙とは違って絶対数が少ない。対象も無作為に抽出された人間ではない。様々な土地からやってきている、総武高校という学校に入ってきた生徒たちでの選挙だ。年齢も偏っている。結果など感情ひとつでいくらでも変わるものさ」

 

「感情、ですか」

 今一つ要領を得ない。彼女の言わんとすることがはっきりとしない。それぞれの候補者が自らを売り込み、選挙権を持つ生徒たちが自らにとって利のある方に投票する。その利の中には恋愛感情や仲間意識など、俺の思う「感情」も含まれる。それは計算できる。二割という勝率は、彼女の人間関係を把握したうえで俺が出した数字だ。実務、能力、人格で雪ノ下に劣る三浦は、有り体に言ってしまえばコネでしか票が取れないと思っていた。いくら顔が広くても全校生徒の半分以上と親密などということはあり得ない。だから相当甘く見積もっての二割だった。しかし俺の予想はことごとく外れた。平塚先生の言っている「感情」とは違う。彼女は「感情」は計算できないと言った。

 いまだに理解が追い付かない俺に、平塚先生は今度はあきれた声を出す。

 

「君が出した数字は、理屈の上でのものだ。電卓の上でならそれも正しかろう。しかし人は最後は理屈では動かない。君もよく知っているだろう?人は最後は感情で動く。特に君たちのようなまだ若い子たちほどそれが顕著だ。

君が先ほど挙げた三浦が選挙で勝利した理由。あれらは要素であって本質ではない。生徒たちは三浦に、そして君により心を動かされた。だから君たちに票が入った。それだけだ。答えはいつだって君が思っているよりずっと単純で、ずっとよくわからないものなんだ」

 

「…でもそんなあいまいなもの」

 俺はうつむいてつぶやく。そんなもの、どうやったって計算には入れられない。いつだって人に揺り動かされ、感情などというバケモノのようなものに飲みこまれ、そしてそれをよしとしなければならない。俺はそんなわけのわからないものから距離をとりたかった。逃げたかった。いままでの人生、小学校も中学校も俺はそれで失敗した。今度は間違えたくなかった。だから…。

 

 何も言えない俺に、平塚先生は優しく微笑みかける。

「当然、理由付けならいくらでもできる。さっき君が言ったように、雪ノ下の最後の演説も彼女自身の票を落とす結果につながっただろう。加えて由比ヶ浜。雪ノ下の弱点をあげ、壇上で候補者をあだ名で呼ぶのはいくら何でもいただけない。君と三浦。一見相いれないような組み合わせがギャップを生み、その意外性が票につながったのかもしれない。しかし。しかしだ、比企谷。繰り返すがそれらは要素であって本質ではない。なぜ雪ノ下が由比ヶ浜との打ち合わせにない演説をしたのか、なぜ君が三浦の推薦人となり、反対に演説台では推薦人らしからぬ演説をしたのか。私にだって本当のところはわからない。しかしそれでいいんだ。むしろそうでなくてはダメなんだ。それが感情であり、本質であり、本物なんだと私は思う」

 

 彼女はまるで自分に言っているように、言い聞かせているように繰り返した。そういう顔をされると、俺もまた何か言い返したくなる。

「でもあんな演説0点もいいところですよ。本来ならいつもの俺のペシミスティックで説得力のある弁舌をですね…」

 

「バカ者。君の弁に説得力があることは否定しないが、あんな場で厭世的な何かを訴えてどうするんだ。バカな文章は国語の宿題だけで充分だ」

 目を合わせ、ひとしきり笑う。まったく、俺らしくない。平塚先生は続ける。

 

「確かに推薦人としてはあの演説は0点だった。立候補者を悪く言ってどうする。しかも自分とは違う世界の人間だなどと…聞いていて肝を冷やしたぞ」

 

「すいません」

 素直に謝っておく。演説中も怖くて平塚先生の顔は見られなかったのだ。

 

「ただ、比企谷。彼女の近くにいるものとしての言葉であれば、あの演説は悪くなかった。…いや、悪くなかったどころか、褒めてやる。君の弁舌に初めて花丸をあげよう。喜びたまえ」

 

「…別にいらないですよ、あんな破綻してるものに。あれこそ意味のないものの極致でしょう」

 

「そうとも言えるな。君はあれをあの場で言った理由を説明できなかった。意味がない証拠だ。しかし、得てして本物というのは言葉にはし難いものだ。…さっきも言ったかな。意味はなくても、意義はあるものだよ」

 

 してやったり、という風に平塚先生は笑う。俺は思わずため息をつく。

「さっきから使ってるそのフレーズにこそ、意味も意義もない」

 

「おっと、これは失礼した。私は実は国語教師なものでね。無駄な言葉遊びなら死ぬまでだってできる」

 彼女は苦笑いを浮かべ両手をこすり合わせる。俺も付き合い程度に笑う。俺も同じだったからだ。

 

「そういえばまだ最初の質問に答えていなかったな。彼女を問題視する声が上がっていることを君に伝えた理由」

 

「別にいいですよ」

 

「聞くまでもない、か?」

 平塚先生はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。

「彼女を支えてやれ、比企谷。皆、一人で立っていられるほど強くない」

 

「…依頼分の仕事はしますよ。アフターケアも含めて。クレーム入れられても面倒だ」

 

「まったく、君はつくづく社畜の才能があるな」

 いらねえよ、そんな才能。また楽し気に笑う彼女を前に、俺はマフラーを巻きなおす。きつく。いい加減寒くなってきた。

 

「…先生、俺はそろそろ」

 

「ああ。引き留めてすまなかったな。…比企谷」

 

「なんですか?」

 平塚先生は車のドアを開け、屋根の部分に腕と顎を乗せる。気取った仕草だが、妙に絵になっているから美人はずるい。

 

「君が理解出来なかった雪ノ下の演説。雪ノ下はわざと負けたわけではないと思うぞ」

 

「…そうですかね」

 

「ああ、そうだ。彼女の演説も0点ではあったが、君と同じで花丸だよ。…あれだけ負けず嫌いな子もいないだろう?」 

 

 違いない。そう笑って、俺は自転車にまたがる。後ろからは聞きなれないエンジン音がうなりをあげている。挨拶はそれで済んだ気がして、俺はさっさとペダルを踏んだ。

 

 もしかしたら自分で思っているより、俺も負けず嫌いだったのかもしれない。

 


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