あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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しかしそこは振り出しではない。

 意識しなければよかった。そう思うことはよくある。

 

 例えばホラー番組を見た日の夜。トイレに立つ。毎日往復する廊下だ。特別なことなど一つもない。行きではホラー番組を見たことすら寝ぼけて覚えていない。しかし寒さで頭が冷えた帰り。ふと今夜見たモニター上の幽霊の顔が目に浮かぶ。一度思い出すともう止まらない。恐怖が恐怖を呼び、再び布団に入りぬくもりを感じるまでそれが収まることはない。例えば甲子園決勝。何千回、何万回と繰り返したであろうゴロの処理。ここまで来るのに血のにじむ努力を重ねてきた。期待してくれる人も大勢いる。プロへの未来がここで開けるかもしれない。そう思う度に体は固まり、小学生でもしないようなトンネルを、プロにも肉薄する技量を持つ高校球児が普通にする。

 どちらも要するに想像力の問題だ。もしかしたらあのお化けが出るかもしれない。後ろにいる気がする。もしかしたら捕球を失敗するかもしれない。失敗したら大勢の期待を裏切る。一度想像してしまえばそれは歯止めが利かなくなり、事が終わるまで収まらない。

 

 俺が彼女に対して感じていることも、彼女の俺に対する態度ををおかしいと感じるのも、つまりそういうことなのだ。俺はクラスの喧騒の中、一人自らを納得させる。「三浦先輩、全然せんぱいの方見ないでしょ?それこそ必要以上に」生意気な後輩の言葉から無意識に想像を膨らましているだけにすぎない。「彼女を支えてやれ、比企谷」お節介焼の独身教師の言葉が脳裏に引っかかっているだけだ。特段意識しているわけでもなければ、彼女も俺も互いに思うところなどない。その証拠に一色と平塚先生の話を聞くまでの一週間、別に俺は特に違和感もなく過ごしていた。すべてが想像の産物。あふれんばかりの十代の妄想力が成す技である。ぼっちの妄想力なめんじゃねえぞ。こっちは17年間妄想とともに生きてきたんだよ。いや、きもいな。

 

 自己の状況を整理し終えた俺は、満足していつものように机に突っ伏す。夏の教室は熱気に包まれているうえ、クラスの連中の喧騒がやかましく、ろくに寝られたものではない。しかし12月も半ばの今、暖房がきく教室内は心地よい温度となっている。廊下際の俺の席は人の出入りさえなければ外気の冷たさも程よく感じられる位置だ。まあ別に本当に寝ているわけではないが。

 平塚先生からイベントについて聞かされた翌週。今日から実際に海浜総合高校と合同で話し合いを進めることとなった。何やら少し聞いた話によると、急遽もう一校学校が参加する運びとなったらしい。リア充ってのはなんで何でもかんでも誰かとやりたがるんですかね…。違う学校に通っている人間、学力も環境も人間関係も違う。集まり過ぎたところで碌なことにならない。まして普段から自分の学校の中だけで生活が完結している人間がほとんどだろう。学校毎の仲間意識がそれぞれの学校を孤立させることになる可能性が高い。…あ、なんか偉そうにのたまったけど、八幡自分の学校でも一人だったね!てへっ★

 

「ヒキオ。ぼーっとしてんな。さっさといくし」

 後ろから三浦の横柄な声がかかり、ついでに俺の椅子の脚が揺れる。

 

「…おう。つーか蹴らなくても言えばわかる」

 文句を言うと同時に後ろを振り向くが、そこには声の主はいない。教室のドアを見ると既に三浦は鞄を片手に下げ、さっさと廊下に出ていた。同じく廊下から由比ヶ浜が苦笑とともにこちらに手を振ってくる。

 

 件の平塚先生と一色の言葉から妙に俺が意識してしまっているだけだろうが、俺は選挙の一件から三浦の俺に対する態度が変わったように感じてしまっている。いや、変わったというより戻ったというべきだろうか。朝三浦が俺に机を独占することはなくなり、昼休みもベストプレイスに来なくなった。カーストトップと底辺のあるべき姿。収まるべき場に収まったというところだ。

 しかし先程のように、完全に無視されているわけでもない。俺としては真綿で首を絞められているような気分である。…いや、別に俺は悪くない。後輩と教師が悪い。

 教室を出てそんなことをつらつらと思っていると駐輪場に着く。寒空の中俺は一人自転車にまたがる。クリスマスイベントの会場であるコミュニティセンターは学校からそう遠くない。徒歩でも10数分、自転車ならものの数分で着いてしまう。俺以外の生徒会メンバー二年一同はどうやら仲良く一緒に向かうらしい。一色は部活に顔を出してから行くこともあるので基本一人で行くという。…別に寂しくなんてないもん。

 

 二つの意味での寒さに体を震わせていると、前から見知った顔が歩いてくる。 

「あっ、せんぱい」

 

「…なにやってんの、お前」

 

 コミュニティセンターはもうすぐ近く。俺の眼前からはコンビニの袋を重そうに持つ一色が歩いてきた。

 

「なにって…今日話合いでしょ?お菓子の一つでも持ってかないと、もしあっちが持ってきてた場合バツ悪いじゃないですか。別に誰も用意してなくてもあって困るものでもないですし」

 

 ほう。俺は心中少し感心する。何事も最初が肝心とはよく言ったもので、こういうことは向こうがやってからではすでに遅い。まず自ら動くことでそこに誠意や努力と言ったものをあちらが勝手に見出してくれるのだ。一色いろは、やはり馬鹿ではない。当然のように俺に言う一色を見て俺は彼女を再評価する。後輩としてそれを率先して行おうというかわいさもあるではないか。

 俺の関心もつかの間、それに、と一色は口を歪める。

 

「主催のあっち側から予算多く引っ張れるんなら、好きなだけこっちで使った方がいいに決まってるじゃないですかー」

 

 …ごめんなさい、俺が甘かったです。俺はまた一色の評価を見直す。こいつかわいくはあっても愛されはしねえ。はっきり言って怖い。ふっふっふと低く笑う後輩を前に、俺は本気で身震いする。

 しかし後輩にやってもらいっぱなしというのもどうも居心地が悪い。俺は一色に手を差し出す。

 

「…は?なんですか?」

 

「…俺が持つ。寄越せ」

 

 俺が手を伸ばした瞬間、一色の体が同じ分だけ後ろに飛びのく。ちょっと、そういうことやられると中学校の時に落ちてる消しゴム女子に渡して、次の時間には憐れ消しゴム、ゴミ箱に直行していた思い出がよみがえるからやめて。警戒体制のまま一色は唸る。ネコかこいつは。

 

「なんですか口説いてるんですか?先輩はそういうわかりやすいことしないと思ってたんですが、私にはすでに葉山先輩という心に決めた方がいるのでまじで先輩の気持ちには応えられません。正直ちょっと引いてます。ごめんなさい」

 

「あほ。単純に女子の後輩に買い出し行かせて荷物まで持たせんのは、俺の世間体が悪いだけだ。気分的にも気持ち良いもんじゃねえ。後輩女子に荷物持たせてるところ三浦に見られたら何言われるかわからんしな。…ほれ」

 

 俺、庶務だしなぁ。小さくため息をつく。あの女、妙なところで厳しいのだ。

 

「…あ、ありがとうございます」

 

 俺が一息にまくし立てると、一色は目を丸くして袋をこちらに渡す。まじでこいつにだけは誤解されたくない。普通に通報されそうなんだもん。恐怖を感じながら袋の中をのぞくと手の汚れにくいもの、個包装のもの、有名どころのものが占めていた。手が汚れないように、容器の心配がいらないように、誰でも食べれるように。…俺なんかより全然仕事できるな、こいつ。第一印象とは少し違う後輩に、つい感嘆の声を漏らす。

 

「お前見た目とは違っていろいろ考えてんだな」

 

「むー、見た目とは違ってってなんですか。…まあ、そうですね。気が利いてしまいますから、せんぱいと三浦先輩、奉仕部のお二方のこともわかってしまいますよ」

 

「…わかってんなら、お前は少し空気を読め」

 そう。こいつは何を考えているのか、事あるごとに俺と三浦を絡ませようとする。はっきり言って迷惑なのだ。そのたびに三浦は俺から目をそらし、雪ノ下と由比ヶ浜の機嫌が悪くなる。反対に一色の笑みは深まり俺の胃が痛む。…性格が悪すぎる。

 

「先輩はもう少し空気を読まず、三浦先輩と仲良くしてくださいよ」

 

「…あほ。生徒会室の空気きついんだよ、お前がかき乱すと。頼むからおとなしくしててくれ」

 

「鈍感も行き過ぎると犯罪ですよ、先輩。って言うかさっきから私に素直になってどうするんですか。私せんぱいのことまじでどうでもいいんですよ。さっさと三浦先輩とくっついてください」

 一色はため息交じりに言う。この一週間、こいつは二人になるとこの話題を出す。そしてそれに対して俺は…いちいち心がざわめく。ざわ…ざわ…。

 

「あんたら!」

 

 コミュニティセンターの前で話し込む俺たちを怒声が迎える。

 

「何無駄話してんの?あっちもう来てんだけど。さっさと中はいれし」

 俺と一色を一瞥し眉を吊り上げる三浦は、顎でコミュニティセンターの中を指す。

 

「あっ、すいません~ん。私コンビニで今日の話し合いのためのお菓子買ってたら遅れちゃって。途中で鉢合わせたせんぱいが親切にも運んでくれてたんですよ~」

 

「…へー?ヒキオ、そーなん?」

 …気のせいだろうか。獄炎の視線が氷点下まで下がった気がする。答えを間違えれば、死ぬ。俺は慎重に言葉を選ぶ。

 

「あ、ああ。一色が執拗に『荷物重いです』アピールするから仕方なくな。荷物もつかどうか押し問答するより早いと判断した」

 

「…ふん。あ、そう。別にどうでもいーけど。さっさとはいれし」

 三浦は興味なさげな半目を送り、踵を返す。一色の文句が後ろから聞こえるが、俺も無視して中に入った。寒かったし。またもや二つの意味で。

 

 

 

 

 

 三浦の後について会議室へ着く。彼女の見慣れない黒髪の背中が何やら圧力を発していて、俺はまともに話すこともできなかった。ふええ…黒髪あーしさん超怖いよう…いや、まじで。

 黒髪の上こいつは今化粧もほぼしていない。その顔は年相応の幼さを演出してはいるが、そこに以前のようなどこか「振りをした」女王らしさはない。金髪だった時よりも彼女は素であった。だから等身大でリアルな彼女は超怖い。

 しかし由比ヶ浜によると、化粧がはげ黒髪になった三浦に告白…まではいかずとも、ちょっかいを出そうとする男子が増えたらしい。確かに一見の親しみやすさは以前とは比較にならないが、だまされるなかれ男子諸君。外見が多少男子好みになろうと、中身は依然として女王のままなのだ。俺は心の中で無謀な男子どもに合掌する。南無。

 

「邪魔するし」

 三浦がノックも無しにドア開けると、見慣れない制服の集団が目につく。海浜総合高校の連中だろう。

 

「あ、優美子戻ってきた。ヒッキーたちも来たんだね」

 

「どーも、おつかれさまです由比ヶ浜先輩。…あっ、お菓子買ってきたんで皆さんでどうぞ」

 

 笑顔で駆け寄ってくる由比ヶ浜は一色の言葉にえっ、ほんと―!?と喜色満面の笑みを浮かべ、俺の手にある袋を奪う。そして楽しそうに一つずつ袋から出し、机の中央に並べ始めた。…あの、ガハマさん。その食欲を抑えてもらわないと無意識のセクハラが終わることはないと思うので、僕が捕まる前にダイエットしてもらっていいですか?

 

「遅かったわね」

 斜め前の椅子に腰かけたままの雪ノ下から声がかかる。

 

「すまん。一色が会議用の菓子を買っててな。手伝ってたら遅れた」

 

「…そ、そう。気が利くのね一色さん」

 雪ノ下も一色の思わぬ面に驚いたのだろうか。少し声を震わせる。まあ驚くわな。褒められた一色はえー、そんなことないですよー、と雪ノ下にすり寄る。当の雪ノ下は、近い…と顔をしかめながらも本格的に嫌がっている様子はない。まったく、世渡り上手が過ぎる。末恐ろしい後輩と同級生のゆるゆりを眺めていると、横から声がかかる。

 

「あれー、比企谷じゃん」

 

「はい?」

 

 めったに呼ばれることのない名前を呼ばれ、無意識に意識はそちらに向く。そして向いた瞬間、後悔の念が俺を襲う。記憶から消去したはずの中学時代。しかし彼女の名前は口をついて出てきてしまった。

 

「…折本」

 

「うわー、超久しぶりじゃない?比企谷中学の同窓会でも全然見ないし。え、何?生徒会なの?てか総武高校?えー、比企谷頭よかったんだー。あんま話さなかったから全然知らなかったー。まじウケる」

 

「お、おう」

 中学の同級生、折本かおりは相変わらず相手の事情を特に考慮せず、息を吐くように話しまくる。やはり彼女は覚えていない。俺は無意識にそう思ってしまった自らの自意識をまた恥じる。

 俺と彼女は一時期学校で言葉を交わすことがあり、メールもしていた。しかし今思えば話かけられたのはいつでも事務的な事柄で、メールはいつでも俺からだった。俺は一人で盛り上がり、告白し、そして振られた。思い出すことすら恥ずべき勘違い。自意識。折本かおりはそういう女の子だったのだ。誰にでも同じように接し、「サバサバ」していることが周知であるような。だからそれが、俺の告白が翌日にはクラス中に広まっていたことも、当然告白の際に俺が考慮しておくべきリスクの一つだった。自らの告白という選択についてまわるリスクマネジメントを俺が怠った。すでに過去の話で、それだけの話だ。

 

「…あんた、ヒキオの知り合いなん?」

 

「う、うん。そうだけど…比企谷、この人は?」

 

 三浦から思わぬ横槍が入った折本は一転、すがるように俺を見る。うんうん、わかるわかる。黒髪薄化粧とはいえ目付き悪いもんなぁ、こいつ。俺は自分の腐った目を棚に上げて折本に同情する。

 

「うちの生徒会長、三浦優美子だ」

 

「か、会長!?この人が!?」

 

「…ああ?なんか文句あんの?」

 もっともな反応をする折本に三浦は声を低くして尋ねる。い、いや、と珍しくどもりながら折本はから笑いを浮かべる。

 

「い、いやー、こんな美人な生徒会長だとは思わなかったからねー」

 ねー、と三浦の機嫌をうかがいつつ俺に助け船を求める折本。いや待て、俺を巻き込むんじゃない。とはいえそこは紳士比企谷君。女の子の必死な視線を断れるはずもなく。というか無駄に血を見て俺に飛び火するのが非常に怖く。

 

「はぁ。まあ見た目こそ今はかわいいかもしれんが、こいつこないだまで金髪縦ロールのギャルだったし、素行だってまともなもんじゃ…げふっ!?」

 

「ひ、ヒキオのくせになに上から目線であーしのこと語ってんだし!か、かわいいって…つーか誰の素行が不良だってぇ???」

 

 だから暴走しそうなお前の機嫌取ってんだよ。俺はたたかれた背中をさすりながら一人悪態をつく。いや、冷静に考えて後半は機嫌損ねてるまであるな。やだ八幡ったら嘘つけないんだから!自分の正直さを嘆いていると、折本は目を丸くさせつぶやく。

 

「…へー。比企谷がまともに話せる女の子、いたんだ」

 

「おい、なんだその男に対する最大級の罵倒は」

 あの、いい加減泣いていいですか?俺は久しぶりに再会する元同級生の女子の言葉に涙目になる。そこに一切の悪意はなく、ただ驚きだけがあったのが俺の傷心に一層の拍車をかけていた。折本は慌てて付け足す。

 

「あ、やー、そういうことじゃなくて、なんかうちと話してる時とかクラスの女子と話してる時の比企谷…いっつもこっちの顔色うかがっててきもかった、ていうか」

 

「…ぐすん」

 まさかの追いうちに俺の心はズタズタとなる。やめて!八幡のライフはもう0よ!

 …た、確かにあの時は女子を意識してたから多少きもい反応になってたかもしれないけど。でも意識しないようにしてる今だってきもいって毎日のように言われてるぞ!過去の俺がきもかったわけじゃなくて現在過去未来すべての俺がきもいんだぞ!中学生の無垢な比企谷少年を守るため、俺は心中叫ぶ。やべ、傷口広げただけだった。やっぱり勝手にきもく在ってくれ、過去の俺。

 

「でも今は、なんて言うか…普通じゃん。普通に面白そうだし、三浦さんとあんたが話してんのまじウケる」

 

「いや別にウケねえから…」

 ため息を吐く俺を折本はまたさも楽しそうに笑う。三浦は何やらブツブツとつぶやいているが、害はなさそうなので放っておく。折本は満足したのか、三浦の追及から逃れたいのか、じゃ、と軽く行い残して自らの学校のグループの元へ戻った。しかし、ここで俺は初めて違和感を覚えた。足りていない。

 

「おい、三浦。確かもう一校参加するんじゃなかったか?」

 

「…ああ、それなら」

 俺の疑問に三浦は軽く顎を動かして答える。俺がそちらを見ようとする直前。

 

「八幡、なに、気づいてなかったの?…ほんとバカ」

 

 そこには天使がおわした。

 

「る、ルミルミ!?なんでここに…」

 

「はぁ?何ルミルミって…超きもい」

 

 突然俺の前に現れたルミルミ…もとい鶴見留美は、心の底から侮蔑の表情を浮かべ短く俺をなじる。ちょ、そんな顔されたら八幡癖になっちゃうから。本格的に気持ち悪いことを考え始めた俺は、それを隠すために咳ばらいをいくつかする。

 生徒会室で俺が本を読みながらなんとなく聞いた話では、もう一校「学校」が参加するとだけ言っていた。それが小学校か中学校か高校かは明言されていなかった。話をしっかり聞いていなかった俺が悪い、か。

 

「あー、なんだ、お前もこのイベントに参加するのか」

 

「うん。呼ばれたから…それと私は『お前』じゃない。…留美」

 

「お、おお…」

 なぜか不貞腐れる留美相手に、俺は何も言えない。彼女は俺の過去のやり方の犠牲者、と言っては少々自意識過剰だが、それに巻き込んでしまった一人だ。俺は彼女の林間学校の際、彼女の周りの人間関係を破壊した。その俺が今更何を言えばいいのだろうか。特に言葉を続けられない俺を尻目に、横から三浦が口をはさむ。

 

「お、あんたあの時の林間学校の子?元気してんの?」

 

「…っ!」

 俺の後ろにいた三浦は留美からは見えなかったのか、黒髪薄化粧となり気づいていなかったのか。三浦に気づいた留美はとっさに俺の後ろに隠れる。瞬間、俺はその行動の意味を理解した。

 

 あの林間学校の夜、俺は三浦たちに「悪役」を押し付けた。三浦たちが留美たち小学生グループを脅す役に仕立て上げた。留美はあの時勇気ある行動を示したが、依然として三浦は留美の中では恐怖の象徴のような存在なのだろう。無理もない。小学生が高校生に恫喝されるなど、そうあることではないのだ。俺は今一度自らが犯した、しでかした、押し付けてしまった罪の重さを知る。恐怖に理屈など関係ない。理屈で片が付くなら人はホラーを怖がらないし、高校球児は落球をしない。俺はその程度のことも理解せず、独りの彼女に自らを重ね、安直に行動を起こした。…自分が責任をとるわけでもないのに。

 

 三浦は身を隠した彼女の様子を見て、差し出しかけた手を引っ込める。俺は三浦にも何も言えない。当然だ。当たり前にすぎる。たぶん俺だけは、なにも言うことができない。

 三浦はあの時、あそこにいる人間として、奉仕部という肩書抜きに確かに鶴見留美の身を案じた。でなければ留美を案じる提案は出てこないし、わざわざ苦手とする雪ノ下とぶつかることもない。ましてやあの時彼女は泣くほど雪ノ下と口論した。留美の問題は「インケンなこと」を嫌う三浦にとって、そう軽いことではなかったのだ。

 

 そんな彼女に汚れ役を押し付けた俺が、なにを言えばいいのだろう。

 

 そして俺はまた己の罪を誰にも責められないように、自分だけは自分を断罪しているとでも言いたげに、自らに言い聞かせている。自らを責めている。まったく反吐が出る。心底そう思う。終わったこと、自分で責任を負うべきこと。それでもまだ俺は誰かに、自分に許しを請うことを止めていない。

 

 だが三浦優美子は。

 

「なんだ、あん時より全然元気そうじゃん。心配して損したし」

 

 痛々しさを隠すように、それがみじんも感じられないように、ただ笑った。

 

 ちっとは強くなった?笑って続ける三浦を前に、留美も俺の後ろから段々と三浦に身を寄せる。うん、うん。声にはしなくとも、ぶっきらぼうにその小さな背中は必死にうなずいている気がした。

 

 小さな自分を守る自分。小さな彼女を思う彼女。

 

 適う気が、しなかった。

 

 

 

 


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