女子はなぜスカートを履くのだろうか。
本当にその下に隠された布切れを守りたいのであれば、スカートという選択肢はいささか防御力に欠けるといわざるを得ない。にもかかわらず、義務教育である中学生から、彼女らはそれを履くことを当たり前とし、ただでさえ防御力の低いスカートをさらに短くする。それに宿った防御力はもはや葉っぱや貝殻といったものとさほど違いはなく、そこには見せようとする思惑は感じても、隠そうとする意志はみじんも感じない。
よってこれは冤罪である。
「こ、殺す!絶対あんた殺す!」
三浦優美子は口を開けない俺にそう繰り返した。よくよく見てみれば体を抱きかかえ、若干涙目になっている。いや、俺何回死ねばいいんですか。パンツ見られたくらいで大げさな…。
「いや、別にこっちだって、んなもん見たくて見たわけじゃねえしな…」
頬をかく。これ以上騒がれては俺がいわれのない痴漢冤罪で捕まりかねない。興味ありませんでしたよ、という姿勢を貫く。
「は、はぁ!?ヒキオのくせに何言ってんの?まじありえないんだけど」
彼女はいつもの調子に戻って俺をにらむ。逆効果だったのか、効果あったというべきか。
「な、なんか言うことあんじゃないの?」
彼女はふんぞり返って俺にそう続ける。言うこと、ねぇ…
俺は顎に手を当て、しばし考える。
「…お前、やっぱ少女趣味だな。」
「さっさと死ね!!!!」
昼休み終了の鐘がなる。とりあえずこの一件は俺が武力的制裁を受けることで片が付いた。…冤罪だ。
最後の授業が終わり、放課後。俺はさっさと支度をし、奉仕部へと足を運ぼうとする。
が、
「ヒキオ、ちょっと顔かせし」
三浦優美子はそう俺をにらみ、顎で廊下を指す。
突然ぼっちに話しかける女王に、クラスが一瞬ざわつく。由比ヶ浜に至っては「あわわ…」と口を手で覆っている。現実世界でそんなわかりやすい奴、おる?
「いや、俺これから部活なんだけど…」
三浦は平然としているが、こっちは周りの視線を集めるのに慣れていない。短く答えるが、声はしぼむ。
「はぁ?」
彼女の額に青筋が浮かぶ。こ、こわいよぅ…。
ふう、と彼女は大きく息を吸う。
「あんた結局あーしの質問に答えてないし。それに」
彼女は由比ヶ浜を横目で見て、俺にサディスティックな笑みを浮かべる。
「付き合えないっていうなら、結衣にさっきの昼休みのこと話してもいいんだけど」
俺の脳裏にピンクの逆三角形がフラッシュバックする。…あれに関しては制裁も受けたし、そもそも不可抗力だろう。だが、それを由比ヶ浜に知られるのはさすがにまずい。由比ヶ浜に知られるということは、自動的に雪ノ下の耳にも入るということだ。そしてそうなったら…有罪も免れない。
遠目になった俺に彼女は何を思ったのか、俺の頭を鞄でたたく。
「な、なに思い出してんだし!」
「いってえな…そもそも、」
さすがに俺が反論しようとすると、横から声がかかる。
「ど、どしたの優美子。ヒッキーと話してるとか、なんか珍しくない?」
爪をいじって視線を泳がせながら、由比ヶ浜は問う。流石に挙動不審過ぎるだろ。普段の俺かよ。いや、俺のデフォルトキョドりすぎだろ。
「あー、ちょっとヒキオに聞きたいことあんの。だから部活の時間ちょっとこいつ借りるけど、いい?」
彼女は有無を言わせない口調で由比ヶ浜に問う。それは問いというより、彼女の中では既に確定している事項のようだったが。
「え?う、うん、別にいいけど…」
由比ヶ浜は俺の方をチラチラとみながら、何とかそう口にする。いいのかよ。
「ほらヒキオ、さっさと廊下出な」
三浦優美子はまた鞄で俺の背中をぶつ。…あの、俺の行動に俺の意思は反映されないんですかね。
三浦は堂に入った体で廊下をねり歩き、俺はその三浦の半歩うしろ、どころか2馬身ほどうしろを歩く。彼女は歩くのが早いうえ、俺がすぐ後ろを歩くとどう見ても手下か従者にしか見えない。よってこのポジションをとった。…今度はストーカーに見えてないよね?
「…どこ行くんだ?」
流石に自分の死地くらい知りたい俺は、必要最低限のことだけを問う。
だが彼女はこちらに振り向く素振りすらなく、歩みを止める気配もない。あの、俺の声聞こえてますか?
結局俺の質問に彼女が答えることはなく、ようやく足を止めたのは少し歩いた体育館裏だった。
「で、ヒキオ」
彼女は振り向く。よかった、俺の存在ごと抹消されたのかと思った。
「あんたが文化祭でしたことの理由、あーしがきいたげる」
彼女はそう言い放つ。どんだけ高みから見下ろしてんだよ。
俺はため息とともに吐き出す。
「…別に話すようなことじゃない。単純に相模に対して嫌味を言いたくなって言っただけだ」
「だったら」
彼女は俺に声をかぶせる。
「だったら、隼人はあんな風にあんたを見ない」
彼女の視線が俺に刺さる。…だめだ。彼女はどこまでも信頼している。話をしている俺ではなく、葉山隼人を。自らの想いを、彼女は信じている。
俺はそれをとても硬く、とても強く、そしてとても脆いと感じた。
「…俺は文実の委員だった。相模は文実委員長だった。しかしあいつは文実よりクラスのことを優先していた。そして俺たちに仕事を押し付け、委員会の仕事を著しく滞らせた。俺はそれにひどく腹を立てていた。
だからろくに仕事をしていなかった相模に、最後につい一言いいたくなってな。わかるだろ?俺は手を抜きつつもやってたんだから、そのくらいは当然だよな。言葉が多少汚くなったのも仕方ないことだ。俺だしな。その結果あいつが閉会式で恥をかいたのも仕方ないことで、自業自得だ。俺のせいじゃない。理由はそれだけだ」
一息に言い切る。
必要なのは真実ではない。彼女が納得する理由だ。とはいえ、これは一部真実を含んでいる。今の彼女をやりこむために、真実を混ぜる以外の方法を俺は思いつかなかった。そしてこの真実は、相模の汚名は、俺がわざわざ悪名を高めてまで隠していたことでもあったが、彼女ならばそれを吹聴して回ることはないだろうと思い、話した。
彼女はそもそも、相模に対して一切の興味がない。興味がない相手に対する彼女の態度は、一貫して無関心。それは朝のこと、これまでの彼女の言動からわかっている。相模は三浦に対してたまに敵意をこめた、あるいは卑屈な視線を送るが、三浦がそれに応じたところは見たことがない。
そして、彼女が葉山のことを見ているのなら、葉山があの時文実に出入りしていることも知っているだろう。葉山はそこで相模の無能ぶりを見ていた。「そういう意味」での事情を知っていた。彼女が彼を信じるなら、葉山の俺への憐みの視線にも納得がいくはずだ。
加えて三浦は文化祭の時はクラスにいたはず。文実に行かず、クラスで威張り散らす相模の姿は目にしているだろう。
そして彼女は思い当たる。林間学校の時に俺がした小学生への仕打ちに。そこから自然と行きつくのは、俺のこれまで通りの最低さ。
どうだ。
俺は彼女を見る。
「…わかった」
俺を見ていた目は地面に落ち、彼女はうなずく。
よし。内心ほっとする。決していい気分ではないが、とりあえずパンツの詫び程度にはなっただろう。
「わかった。ヒキオ」
彼女はもう一度繰り返し、顔をあげる。
彼女が俺に笑顔を向けたのは、初めてだった。
「あんたがほんとのこと言うつもりないっていうことは、あーし、よーく分かった」
…少し彼女を甘く見ていたかもしれない。
「なに、あんたあーしのこと舐めてんの?そんなんであーしが騙されると思った?
隼人はあんたのことを、うらやましそうに見ることあるって、あーしいわなかったっけ?誰にでも、どんな最低な奴にも優しい隼人は、あんたに対してだけはそうじゃなくて、一人の男子みたいに接してる。そんなあんたがただの最低な奴じゃないことはわかりきってんの。
別にあーしはあんたなんかにこれっぽっちも興味ない。ただ隼人のことが知りたい。そして今あーしが隼人のことをもっと知るためには、なんであんただけには優しくないのか、あんな目で見るのか知るのが早いと思った。だから柄にもなくあんたなんかに話しかけたんだけど」
彼女は言葉を切る。厳しい目を俺に向ける。
「もういいし。元々教えてもらうなんて、あーしらしくなかった。ここまでして言わないなら、たぶんあんたは本当のこと言う気もないんでしょ。それならそれでいい。あーしはあーしで、あんたのこと見て、勝手に判断する」
彼女は俺の反応など、まるで気にせずにそう言った。彼女の中で俺の放った言葉は虚構だと既に確定されていて、その目はどこまでも俺とその先の人物に向けられていた。
「だから、ヒキオ」
彼女はにやりと笑う。
「これから、覚悟しな」
不敵な彼女の笑みは、俺のこれからの高校生活が暗礁に乗り上げることを告げていた。
…終わった。俺の高校生活はここで終わった。
翌日。
終業を告げるチャイムが鳴り、俺は帰り支度をする。
昨日の呼び出しから、嫌な予感とともに授業を受けていたが、今日は葉山がいるためか、彼女が俺に近づくことはなかった。当たり前といえば当たり前ともいえる。葉山のことを知りたい、と彼女は言った。それなのに彼を置いて俺に近づくのは、本末転倒以外の何物でもない。
チラリと三浦を見る。まったく、どこまでいっても俺は自意識高い系である。
ぼっちゆえの自意識を嘆いていると。後ろから鞄でたたかれる。
「あんた何ぼーっと座ってるし。ほら、行くよ」
三浦優美子はくだらないものを見る目で、決定事項のように言い放った。
「…は?」
状況が理解できない。今日、なにもなく平穏に終わったじゃないですか。
「は?じゃなくて。覚悟しな、ってあーし言わなかったっけ?」
「いや、だって今日は葉山いるだr…」
言いかけて彼の席を見る。しかしそこに彼の姿はない。
「はぁ?あんた何言ってんの?隼人もうとっくに部活行ったし」
…しまった。
そうか。葉山はサッカー部のエース。ただでさえ普段から忙しいだろう。ましてやこの時期に、意図的に時間を作りでもしなければ、放課後まで三浦の機嫌を取ることはできない。
まったく、こんなことにも気が付かないとはどうかしている。彼女のらしくない笑顔で調子が狂ったのかもしれない。
「あー…俺も部活あるから無理だな」
俺は今日も同じ言い訳を繰り返す。奉仕部に入ってよかったと思える数少ない瞬間である。友達の無理な誘いも、この一言で後腐れなく断ることができるのだ!…あ、そもそも友達がいませんでした。てへっ☆
「…結衣」
彼女は昨日と同じように由比ヶ浜に呼びかける。これまた昨日と同じようにちらちらとこちらを見ていた由比ヶ浜は、びくっ、と肩を震わせる。
「う、うん。なに?優美子」
三浦優美子は大きく息を吸い、宣言する。
「今日、あーしもあんたたちの部室行くから」
「「は?」」
俺と由比ヶ浜の声が重なる。何を言っているのか、こいつは。
「で、でもゆきのんもいるし…」
その先を言うのははばかられるのか、由比ヶ浜は三浦に上目遣いを送る。そう、部室には当然雪ノ下がいる。俺もわざわざ自ら部室を戦場にしたくはない。
「別にあーし、気にしないから」
いや、その論おかしいだろ。
「何言ってんだお前。お前が気にしなくてもこっちが気にするって…」
彼女の女王理論に口をはさむ。そんな暴論が通ってたまるか。
「あ?」
暴論万歳。女王万歳。絶対王政に栄光あれ。
三浦の一にらみで俺は何も言えなくなる。
ため息をついたかと思うと、彼女は俺との距離を縮める。ご、ごめんなさい殴らないで。
「だから、雪ノ下さんにもあのこといってもいいんだけどね、あーしは」
俺に耳打ちをする。彼女の金髪が俺の耳をくすぐる。ちょ、くすぐったいくすぐったい近い近い。
その一言に俺は閉口する。由比ヶ浜が目を丸くしているが、それにかまっている場合ではない。
彼女はあのラッキースケ…ゴホンゴホン!あの不慮の事故のことについて言っている。昨日は突然の呼び出しに動揺し、ついていってしまったが、冷静に考えれば何の証拠があるわけでもない。そもそもあれはスカートを短く着ている彼女に非はあっても、決して俺のせいではない。俺に責任はない。理屈の上では。
しかし。俺の脳裏にあのときの三浦優美子の、女王の涙目が、小動物のように体を抱える様が思い浮かぶ。
はぁ。ため息が出る。パンツの詫びくらいはしたと思ったが、あの彼女を見たツケはまだ払えていないらしい。それにさすがにあんな彼女を見せられ、事故だから、証拠がないから、などとはさすがの俺も胸を張って言えそうにない。
「…面倒ごとは、勘弁してくれ」
俺は一言、そう口にしていた。
「は?あーしを誰だと思ってるし。雪ノ下さんくらい、ちょろいっしょ」
彼女はそう言って豊かな胸を張る。
…その威勢が、いつまで持つか見ものだな。
俺は彼女と雪ノ下が横に並ぶ光景を思い浮かべる。
戦場ならまだしも、一方的な処刑場だけは勘弁してもらいたい。