あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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彼女は意外とかわいい。

 天敵、とはどの世界にも存在する。

 

 自然界であればネズミの天敵はネコ、カエルの天敵はヘビだ。そしてネズミやカエルは捕食される運命にある。そして捕食の時、被食の時、そのネズミとネコの関係は終わる。

 しかし、人間界ではどうだろう。天敵がいるからといっておいそれと捕食されるわけにはいかない。人間にはルールがあり、なによりプライドがある。「捕食」「被食」という関係性の終わりはなく、そこにあるのは、終わることのない血で血を洗う戦いのみである。

 

 そんな心持で、俺は奉仕部の扉の前に立った。

 

 

「邪魔するし」

 バン。三浦優美子は奉仕部の扉を勢いよく開けた。

 

「…こんにちは、三浦優美子さん。何か御用かしら」

 読んでいた文庫本を閉じ、雪ノ下雪乃は冷たく言い放つ。

 

「あー、別に特に依頼があるってわけじゃなくてだな…」

 できるだけ争いの火種は消しておきたいと思い、俺は三浦の後ろから説明しようとする。しかし、彼女ら二人ににらまれる。

 

「あーしにきいてる――」「三浦さんにきいているのだけど」

 三浦の声に雪ノ下の声が重なる。仲いいですね、お二人。

 

 絶対零度と獄炎の目でにらまれた俺は、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れない。…俺は犠牲になったのだ。犠牲の犠牲にな。

 

 しかし声が重なった瞬間に二人は俺ではなく、お互いに視線を移す。

 

「別に、あーし依頼に来たわけじゃないんだけど」

 

「では何をしに来たのかしら?冷やかしに来たのなら速やかに帰っていただけるとありがたいのだけれど。あいにくごくつぶしは、そこのぬぼーっとした男だけで間に合っているの」

 

 即返ってくる雪ノ下からの弁舌に、三浦は一瞬言葉を詰まらせる。自らがここに来た理由をどう話せばよいのか迷っているのだろうか。ところで自然に俺をディスるのをやめろ。あまりの自然さにスルーしそうになっただろうが。

 

「そ、それは…」

 三浦はまだ言いよどむ。そんな普段では見られない彼女の様子に由比ヶ浜も疑問を覚えたのか、首をひねる。

 

「そういえばさっきは聞かなかったけど、優美子なんで急に奉仕部に来ようと思ったの?」

 

「別に来ようと思ったっていうか…暇だっただけだし」

 そっぽを向いて三浦はそう吐き捨てる。

 

「あら、さっきごくつぶしはそこの男だけで間に合っているといわなかったかしら。その顔についてる二つの耳はお飾りか何か?」

 

 …さすがに言いすぎではないか?俺は雪ノ下の強硬姿勢に違和感を覚える。もともと水と油だったのは知ってはいるが、ここまでけんか腰だっただろうか。

 

 三浦は何か言いかけるが、続く雪ノ下の言葉にさえぎられる。

 

「それとも、今日ここに来たのはその男と昨日二人で話していたのと、何か関係があるのかしら」

 

 な。

 

 雪ノ下は三浦に向けていた視線を、ちらりとこちらに向ける。俺の視線は自然と落ちる。ぐ、なぜこいつはそのことを。

 

 三浦は唇をかみ、下を向く。

 

「いや、それはだな…」

 

 こと葉山のこととなると、彼女は当てにできない。何を口走るかわかったものではない。俺に都合が悪いことを、彼女自身が知られたくないだろうことをうっかり漏らすかもしれない。

 

「だ、だから!」

 

 しかし俺の弁明は、その三浦に遮られる。

 

「あーし、ヒキオのこと気になってんの!だからここに来ただけだし、なんか問題ある!?」

 三浦は若干震えた声で胸をはる。

 

 …まじかこいつ。

 

 雪ノ下を見ると口をぽかんと開け、俺ら二人を見比べるばかり。由比ヶ浜に至っては手をばたつかせ、何やら騒がしく口を開いているが、何を言っているのかわからない。言葉はまとまってから口にしましょう。これ、幼稚園児に言うやつだからな。

 

 恐る恐る三浦を見るが、雪ノ下をやりこんだと思っているのか、呆然とする彼女を満足げに見下ろす。いや、ただ自爆してるだけですよあなた。…なんでこの女は頭の回転は悪くないしオカン属性なのに、肝心なところでポンコツなのか。

 

 雪ノ下は三浦の視線に気づき、咳払いをする。

 

「ゴ、ゴホン!そ、それはつまり…彼に特別な感情がある、ということかしら」

 彼女は自分で言って顔を背ける。…まともに目を見て話せないのかこの子たちは。

 

「は?」

 三浦は雪ノ下が何を言っているのか理解できないのか、目を丸くする。もしかしたら雪ノ下に言い返すことと、葉山のことで頭がいっぱいになり、自分が何を言ったのかもよく覚えていないのかもしれない。

 

「だ、だから、優美子はヒッキーのことが…その、好き、っていうか…」

 由比ヶ浜が頬を赤らめ、雪ノ下の言葉を引き取る。

 

 由比ヶ浜の言葉の意味をしばし考え、徐々に三浦の顔にも朱色が差し、ぶんぶんと両手を振る。

 

「ち、ちがうし!っていうかありえないし!なんであーしが、こんな男を好…と、とにかく、ありえないし!」

 

 言いかけ、一層頬を赤らめる。やはり。俺は思う。こいつ、少女趣味というより少女そのものである。

 

 彼女は俺を指さして続ける。

 

「大体、誰がこんな最低な奴…そ、そうだし!こいつこないだの昼休み、風が吹いたとか言い訳してあーしのパ……!?」

 

 おいいいいいいいいいいいいいいいいいいい。

 

 俺は彼女の口をふさぐ。ちょっとまて、それを言わない約束でここまで連れてきたんだろうが。さすがに手で触れるわけにはいかないので、彼女の持っていたカバンを彼女の口に押し当てる。

 

「な…――」「ちょ、ヒッキー!!!」

 雪ノ下由比ヶ浜の声が重なる。言いたいことはなんとなくわかるが、ここは彼女らにかまっている暇はない。

 

 俺は二人の声を交わし、三浦を教室の外に連れ出す。余裕がなかったので手首をつかむしかなかったが、制服の上からだからセーフということにしてもらおう。

 

「ヒ、ヒキオ!何するし!」

 

 俺は三浦を渡り廊下まで連れ出し、誰もいないことを確認する。

 

「あのな、それはこっちのセリフだ。…こういっちゃなんだが、お前が雪ノ下と渡り合うのは無理がある」

 

 迷ったが、言う。他にも色々と言いたいことはあるが、ここは今最も必要なことを言う。こいつがあそこにいるなら、ここでわからせておかねばならない。俺と部の平穏のためにも。

 

「はぁ?あーしのどこが雪ノ下さんに負けてるって?」

 

 彼女は俺をにらむ。その態度は先ほどのものとは違い、いつもの女王のものだった。つい土下座しそうになる自分を何とかこらえ、俺は口の端を持ち上げる。

 

「態度はいつものように高圧的なのに、心の中でお前は雪ノ下のことを自分と対等以上だと思っちまってるんだよ。だからあのままあそこにいても、雪ノ下と争いになって、結局負ける。…大体、お前が「さん」付けする人間って、同級生で雪ノ下の他にいるか?」

 

 彼女は「うっ」と顔をしかめる。

 

 俺は彼女のその様子を見て安心する。やはりただの馬鹿というわけではない。少なからず、雪ノ下を苦手としている、ひいては認めているという自覚はあるようだ。ここでまだ開き直られるようであれば、話にすらならない。ならば。

 

 俺は絶対に聞き入れられないだろうことを確信しながら、それでも言う。

 

「だからまあ…何とかその態度、柔らかくできないか?」

「は?」

 彼女はすごむ。ひぃぃぃぃ。だからその態度のことを言っているんですよ。

 

 はぁ。ため息が出る。

 

「どっちかが折れるしかない、って言ってんだよ。例えばお前は川…川なんとかさんのことも苦手だろう?」

 大志の姉ちゃん、名前なんだっけな。川内か川谷あたりだと思うんだが。

 

「川?…ああ、川崎のこと。」

 彼女はしばし考え、視線を落とす。どうでもいい、という風な態度をとっているがその目に一瞬炎がともった気がした。

 

「そう、川崎だ。お前は川崎のことも得意にはしていない。その二人の共通点は、どちらもお前の女王的振る舞いに付き合う気がないことだ。例えば俺はお前に上からものを言われても、どうでもいい。実際お前の方が上だしな。クラスのほとんどの人間もお前をそう認識している。俺は無駄な争いは望むところじゃないから逆らわないが、彼らは今後の人間関係、学校生活を気にして逆らわないのだろう」

 

 チラリと彼女を見る。横槍を入れてくるか殴られるかすると思ったが、何もしてこない。普段彼女もそんなことを感じていたのだろうか。何を考えているのか、うつむいた金髪からは推しはかれない。ところで殴られちゃうのかよ。

 

「しかし彼女ら二人は、そんなこと知ったことじゃないんだろう。二人とも壊れて困る人間関係をそもそも構築していない上、気性が荒い。だからお前の女王的振る舞いを疎ましく思い、歯に衣着せない。徹底的な言い合いになり、そして何より…お前は打たれ弱い」

 

 今度こそ彼女は俺をにらむ。おれはその視線を受け流し、続ける。

 

「そうだろう。お前は雪ノ下に泣かされたことがなかったか?」

 

 さすがに話していて、気が滅入る。今俺は三浦優美子に、「お前はこういう人間だ」と突き付けている。俺が見ているだけの、知っているだけの彼女と彼女の周りの情報で「三浦優美子」を定義づけ、それを本人に語っている。俺はそこまでえらい人間なのだろうか。

 しかし。俺はこぶしを握る。ここでやめたら徒労だし、なにより頑固な彼女に真実以外で納得してもらうことは難しい。雪ノ下に合わせてもらうことなど、より難しい。

 

 だから、俺は続けた。

 

「もう一度、はっきり言う。雪ノ下はお前のことを負かすことができる。だが、お前にはそれができない。だから折れるとしたらお前しかいない」

 

 さすがに怒気のこもった目で彼女は何か言いかける。ここで何か言わせてしまったら行きつく果ては殴り合いか、リンチか。彼女の目は俺が見たことがないほどにつりあがっていた。

 

 だから俺は彼女が口を開く前に、急いで続ける。

 

「そして俺は、そんな三浦優美子は嫌いじゃない」

 

「…は?」

 

 言いかけた言葉を飲み込み、彼女は目を丸くする。その声はいつもの有無を言わせないものではなく、純粋なクエスチョンだった。ここしかない。

 

 俺は彼女が虚をつかれた隙に、畳みかける。

 

「だから、俺はそんなお前はそこまで嫌いじゃない。

 お前は打たれ弱いが、それは優しさの裏返しでもある。自分で気づいているか知らないが、俺は女王としてのお前だけではなく、周りに世話を焼く、姉御肌のお前も知っている。海老名さんのいつもの発作みたいな鼻血の時も、お前は毎回毎回ティッシュを当てて、「黙っていればかわいい」と口にする。それは優しさといっていいものだろうし、おれならあれの相手はそう何回もできない。

 お前は折れることは弱みを見せることだと思ってるかもしれん。それは負けることだと思ってるかもしれん。だがまあその、なんだ。そんなお前も、周りから見ればそう悪いもんじゃないってことだ」

 

 頭をガシガシとかき、そう吐き捨てる。おれがリンチをくらわないために精一杯おだてるつもりが、最後はしっかりと言葉になっていただろうか。不安になる。なぜこんな方法しか思い浮かばなかったのか。まだ彼女の笑顔が脳裏に焼き付いていたのか。 いずれにせよ、俺らしくない。

 

 彼女を見る。目をつりあがらせているだろうか。

 

「……な、なにいってんだし!つ、つーか、ヒキオのくせに、なんでそんな上からなわけ?」

 

 彼女はそわそわと周りを見て、金髪をいじる。その顔に赤みがさしていたのは、夕陽のせいだろうか。

 

 やはり。彼女は「綺麗」「格好いい」といった、女王の自分を褒められることは日常茶飯事だろう。しかし自らのことを「優しい」と称された経験は少ないのだろう。しかも自らが恥としていた、ある種弱みだと思っていた部分がそう言い替えられたのだから、多少は効果はあったのではないか。

 

 彼女の彼女らしからぬ様子を見て、俺は思う。…俺の頬も、夕陽が染め上げてくれているだろうか。

 

「ん、んん!」

 彼女はそうせき込んで、また金髪をいじりながらこちらに上目遣いを送る。ちょ、ちょっと、そういう仕草やめてください。勘違いしちゃうじゃないですか。

 

「まあ、その、なんだし…ヒキオにしては、悪くない、っていうか、なんつーか…ありがと、ね」

 頬をかきながら、彼女は下を向く。

 

 ちがうちがうちがうちがう。動悸が激しい気がするのは女王の前で緊張しているだけだし、顏が熱い気がするのは夕陽を直接浴びているからで、体まで若干熱くなってきたのは張るカイロをしこたま張っているせいである。不純な気持ちではない。決してこれはあれなんかではない。勘違いするな勘違いするな。決して、決して、決して、

 

 三浦優美子がかわいく見えているわけではない。

 

 ふう。一通りいつもの儀式を終え、俺は彼女を見る。オッケー、俺の気持ちは処理完了。彼女は。

 

 あれ、一層顔が真っ赤…?

 

「なっ、か、か、かわ、いい?な、何言ってんだしヒキオのくせに、まじで何言ってんだし、別にそんなことあーしは言われ慣れてるし気にしないっていうかなんつーか…」

 

 耳まで顔を赤くし、彼女は何とか手を腰に当てる。しかしそれはほとんど言葉にはならない。いつも厳しい目は、左右に泳いでいる。

 

 ちょっとまてええええええええええ!!!!!!!!!!!!なにこれ、さっきの最後のが口に出ちゃってましたみたいな、そういうくっそご都合主義ラノベ展開いらないから。俺がやっても都合よくないから。みんなが俺のこと嫌いになってキモがるだけだから。都合悪いまであるからね。読者も臭いって思ってるよ!…あれ、なんかすごいデジャヴを感じる。

 

 まだいつもの様子を取り戻せない三浦に、俺は責任転嫁する。だいたい、こいつもこいつだ。こんなボッチの言うことくらいでいちいち動揺しててどうす…。

 おれはさっきの自分の考えを思い出す。「かわいい」という単語は基本的に自分よりも下、ないしは下にしてもよい状況でなければ出てきづらい。彼女はそんな言葉も言われ慣れてなかったのかもしれない。

 

 俺の後悔をよそに、彼女はようやくいつもの調子を取り戻す。

 

「わ、わかったし!弱みまで強みに変えられるって、やっぱあーしすごいってことだし。雪ノ下さんくらい楽勝っしょ!」

 今度こそ腰に手を当て、言い切る。なにこれ。なんでこの子はわざわざ二回目のフラグ立てちゃうの?

 

「いや、だからちょっとは態度を軟化してくれると助かる。…さっきはお前が負けるからお前が折れろといったが、逆にこっちから折れれば、雪ノ下はそんないつまでも態度を硬化させることはないだろう。由比ヶ浜のいる手前、彼女の友人のお前が歩み寄ってきているのに、それを無碍にするようなことはしないはずだ」

 と思う。心の中で付け足す。だろう、はずだ、と思う。まったく便利な言葉である。

 

「だ、だから」

 彼女は俺の心の声にも気づく様子はなく、横目で俺を見る。

 

「…たまにはあんたみたいな根暗ぼっちの言うこと聞いてみるのも、暇つぶしとしては悪くない、ってことだし。何事も経験、っしょ」

 

 

 彼女はそうはにかんだ。それは彼女の、三浦優美子の女子高生としての等身大の笑顔のように見えた。

 

 

 

 

 

 


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