あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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それぞれのバレンタイン。

「あ、先輩、そこに置いてあるチラシ外に貼ってきちゃってください」

 

「比企谷君、ぼーっと突っ立ってるだけなら草でもできるわよ。働きなさい。いえ、酸素を吸って二酸化炭素を吐くだけなら草の方がよほどましね。草に失礼だったわ」

 

「ヒッキー、この材料なんだけど、これだけじゃつまんないからちょっと隠し味にカレーのルゥスーパーで買ってきてくんない?」

 

 猫の手も借りたいとはこのことか。

 

 来るバレンタインイベント当日。今日はクリスマスイベントで使った施設を借りて、海浜総合高校と合同でチョコレート試食会をする予定となっている。明日が高校受験の日となっていることもあり、海浜総合高校の連中も早い時間ではあるが既に揃っていた。俺たちの横には海老名さん、戸部、葉山の姿もある。戸部は憐れなことに、いつも通り一色にこき使われている。いや、後輩にこき使われてるのは俺も同じだが。

 

「あのな、あいにくだが身一つしかねえんだよ、俺は。働き手も男手も俺以外にいくらでもあんだろ」

 

「えー、でも葉山先輩を、その手の雑用でこき使うの申し訳ないじゃないですかー」

 

「俺ならいいわけね……」

 

「はい♪先輩と戸部先輩なら心も痛みません。ただで使えるものは全部使わないと」

 

 こっわ。いろはすこっわ。抜け目ないし全然可愛くない。先輩に当たり前のように指図するところとかほんとに可愛げの欠片もない。雪ノ下も額を抑え、ため息を吐く。

 

「はぁ。まあ実際これだけ人数がいると、そんなにそれぞれに振れる仕事も多くないわ。あなたにもできることといえば、一色さんの言う通りポスターを貼ることくらいかしらね」

 

「人数云々関係なく、お前にはポスター貼るくらいしかできないと遠回しに言われたのは気のせいですかね?」

 

「あら、さっきみたいに直接的に役に立たないと言ったほうがいいかしら」

 

「やめて。八幡のライフはもう0だから。おとなしくポスター貼るから」

 

 シクシク。わざとらしく泣いてみせるが、雪ノ下は動じる様子もない。まあ実際俺の料理の腕は小学生レベルで言えばトップクラスだが、高校生としては落第もいいとこだろう。比べる相手が雪ノ下では相手が悪い。

 

「そっ、そんなことないよ、ヒッキー!ほら、あたしカレールゥ買ってきてって頼んだじゃん。買ってきてくれると助かるよ。あっ、あと隠し味っていうか昨日ネットで見たんだけど、ワームチョコレートとかいうのも面白かった!帰りに虫いたらそれも捕まえてきて!」

 

「……雪ノ下、やはり先に救急車を手配しておいた方がいいだろうか。由比ヶ浜が食中毒で人を殺すところを、俺は見たくない」

 

「あなたにしては仕事ができるじゃない。でも安心しなさい。由比ヶ浜さんには私が指示した以外のことはさせないわ。絶対に。この命にかえてでも」

 

「なんかひどいこと言われてる!?うぅ、わかったよ、ちゃんとゆきのんの言うとおりに作るよぅ……」

 

 虫は冗談でもカレーはいいと思ったんだけどなぁ。不穏な由比ヶ浜のつぶやきを俺と雪ノ下は意図的に無視する。一番怖いのは一色でも雪ノ下でもなく、由比ヶ浜であった。証明終了。

 

 一人でいじける由比ヶ浜に、横から声がかかる。

 

「結衣、そこに置いてある材料取ってもらえる?」

 

 三浦は先ほどから、材料と調理器具の仕分けと各テーブルへの振り分けをしていた。今も材料を計量し、ボウルに移す作業をしている。雪ノ下からの文句が入らない所を見ると、ミスはないのだろう。作業をしながら俺の横にある材料を指さす。

 

「えっと、それならヒッキーの方が近いからヒッキーに取ってもらえば――」「結衣」

 

 三浦は柔らかく笑い、もう一度由比ヶ浜に言う。

 

「あーし、結衣に頼んでるから。取ってくれる?」

 

「……うん」

 

「ありがと」

 

 なぜか渋々、由比ヶ浜は三浦に材料を手渡す。雪ノ下も訝し気に三浦を見る。まあ、三浦が進んでこんな雑用をするのは珍しい。下っ端の仕事が減るから、上の人間は椅子にふんぞり返ってるくらいでちょうどいいと思うのだが。社畜精神も下っ端精神も随分板についてきた。板についちゃダメだろ。

 

 

 

 

 

 各テーブルでチョコ作りが始まった。川なんとかさんと川崎京華も既に来ており、雪ノ下から作り方を教わっている。……よく見たら姉は妹を写真におさめることに必死でチョコなど作ってなかった。必死過ぎる。シスコンの俺ですらちょっと引いちゃうそのシスコンっぷり、まじぱねえっす。

 

 本格的にやることがなく手持無沙汰にそれぞれのチョコ作りを眺め、由比ヶ浜の監視をしていると、一色から呼び止められた。

 

「あっ、先輩」

 

「なんだ」

 

 一色の手元を見ると、スタートしてからそう時間もたっていないのに、既に湯煎まで終わり、机の上には洋酒やフルーツ、デコレーション用の食材が綺麗に並んでいる。お菓子作りが得意だという申告に嘘はなかったようだ。まあこいつの場合、料理の腕以外に甚だ問題アリなわけだが。

 

「えーっと、ちょっと聞きたいことあるんですけどいいですか?」

 

「内容によるな」

 

 一色は少し聞きにくいことなのか、指を顎に当て思案し、頭を抱え、かと思えば髪を掻きむしってこちらを向く。

 

「三浦先輩と、なんかあったんですか?」

 

「別に何もねえけど」

 

 即答する俺に、一色は首を横に振る。

 

「いやいやいや、どう考えてもおかしいでしょ、三浦先輩も先輩も。お互いあからさまに避けてるじゃないですか。なんですか、ついに童貞拗らせすぎて襲っちゃったんですか」

 

「人のこと即犯罪者認定するのやめてもらえますかね。……べつにいつものあれだろ、なんとなく三浦の虫の居所がわりいんだろ。あいつには珍しいことでもねえ。俺は面倒に巻き込まれたくないし、触らぬ神に祟りなしだ」

 

 というか、こいつは童貞を見境のない獣だとでも思っているのだろうか。いまだに少年の心を忘れていないだけだぞ。魂の穢れを知らないだけだぞ。純真無垢なんだぞ。

 

「まあ、三浦先輩がなんとなく機嫌悪いだけならいつものことなんですけど。むしろ機嫌いいから問題なんですよ。ここに来る前も、自販機で私にジュースおごってくれましたし。毒でも入ってるのかと思いました」

 

先輩いろはすの今までの人生の方が心配だよ。どういう生き方してたら、奢ってもらったジュースに毒が入ってると思えるんだよ。なに、キルアなの?暗殺一家なの?拷問の訓練は一通り受けてるの?

 

「それなら余計、何が問題なんだよ」

 

「機嫌よくて雪ノ下先輩とか私にも優しいのに、先輩とは目も合わせようとしないじゃないですか。最近ちょっとおかしいと思ってましたけど、いよいよ今日は変です」

 

 どう見てもおかしいです。一色は三浦を眺め、ブツブツと何かつぶやき、俺に向き直る。

 

「なにがあったんです」

 

「だとしても、お前には関係ねえな」

 

 妙なところで鋭い後輩である。一色は俺の目をのぞき込むようにじっと見つめ、何を読み取ったのか、ため息を吐く。

 

「はぁ。そうですか。ならこれ以上は聞かないですけど」

 

「そうしてくれると助かる」

 

「はいはい、私はできた後輩ですからね。――あっ、先輩、あーん」

 

「ん?」

 

 反射的に一色の方を向くと、作りかけのチョコレートをねじ込まれる。

 

「に、にっが。お前苦すぎだぞこれ。こんなもん出されたら100年の恋も冷める」

 

「めんどくさい先輩方が悪いんですー。ベー。――って、ひぃ!?」

 

「ん?どした」

 

 一色は俺の後ろを見て顔を青ざめ、自らの体を抱く。な、なに?なんか憑いてる?

 

「せ、先輩、私死にたくないので、さっさとどっか行ってください」

 

「いきなりひでえななんだお前」

 

 え、やっぱりなんか憑いてるの?

 

 

 

 

 

「比企谷君」

 

 今度は雪ノ下に呼び止められる。ここではお菓子作りをしたことがない人間が雪ノ下に習うことになっていた。川崎姉妹、由比ヶ浜、三浦、その他の人間にも色々とアドバイスを求められたらしい。彼女の顔からは疲労の色が見て取れる。

 

「おう、お疲れさん。流石にこの人数の相手はしんどそうだな」

 

「いえ、そんなに難しいことはしてないし、一回助言してやって見せれば大概大丈夫だったのだけれど、由比が――いえ、個人を取り上げて大変だったとかいうつもりはないのよ。それでも由比――失礼、誰がどうとかいうわけではなくてね、由比ヶ浜さんの物覚えの壊滅的悪さのせいで本当に疲れたわ」

 

「結局全部言っちゃったし!?」

 

「ははは。冗談よ。上手にデキテタトオモウワ」

 

 由比ヶ浜は雪ノ下のフォローに胸をなでおろす。雪ノ下の笑顔がいつに増して硬く乾いていたのは気のせいであろう。

 

 雪ノ下はトレイに乗せられたチョコを差し出してくる。

 

「で、あらかた出来上がったから、試食してもらえるかしら」

 

「あっ、ヒッキー、あたしのも結構うまくできたから食べてもらえる?」

 

「……………………………………わかった、食う」

 

「何その異常に長い間は!?」

 

「別にそんな無駄に覚悟を決めなくても平気よ。さっきはああ言ったけど、彼女には私が言った以外のことはさせてないし、もちろんカレーも虫も毒物も混入させてはいないわ」

 

「なんだよそれを先に言えよ。いただきまーす」

 

「どっちもひどい!?」

 

 今までの信用の問題だろう。由比ヶ浜が作ったであろう少し不格好なチョコ食べ、その後に売り物でも通りそうな見た目の雪ノ下のチョコを食べる。流石に雪ノ下には劣るが、由比ヶ浜のチョコレートもまずいというわけではなかった。

 

「まあ、普通にうめえな」

 

「そう、よかった。……由比ヶ浜さん、本当に頑張ってたもの」

 

「え、えへへ、そうかな。ゆきのんには迷惑かけちゃったけど」

 

「そんなことあ――ないわよ、由比ヶ浜さん」

 

「まじの言い直しだし……」

 

 雪ノ下にジト目を送りつつ、由比ヶ浜は自らのチョコを味見し、自ら舌鼓を打つ。雪ノ下はそんな由比ヶ浜を眺めつつ、思い出したように言う。

 

「ああ、三浦さんのチョコづくりも私が見ていたから、彼女のチョコも試食してもらえるかしら」

 

「いや、俺は」

 

「安心しなさい。私が教えたし、彼女自身そこまで不器用というわけではなかったし」

 

 つい否定から入る俺に、雪ノ下は多少強引に勧めて、三浦のチョコに手を伸ばす。

 

 しかし、そこには何もなく、三浦もいない。

 

「あら、三浦さんどこに――」「一色、あんたお菓子作り好きなんでしょ?チョコやるから食え。そして感想を言え」

 

 三浦は一色のテーブルにチョコレートを持って行っていた。一色は心底苦い表情で、いやいやと首を振る。

 

「げ、三浦先輩。なんで私がライバルのチョコに感想言わないといけないんですか。嫌ですよ他の人に頼んでくださいよ」

 

「いいから食えし。あんたならまずかったらまずいって言うでしょ?」

 

「なら雪ノ下先輩でもいいじゃないですか」

 

「……いいから食えし」

 

「……雪ノ下先輩にボロクソに言われるの怖いんですね」

 

「う、うっさい!グダグダ言うな!会長命令だし!」

 

三浦と一色はギャーギャーとやり合い、それを見て由比ヶ浜が苦笑を浮かべ、雪ノ下が額を抑える。

 

「味見させることすら拒むとは……はぁ。これは重症ね」

 

「あはは……そーだね」

 

「まったく、あいつらの不仲には困ったもんだな」

 

『え』

 

 由比ヶ浜と雪ノ下は同じように疑問符を発し、俺を見る。なんかおかしいこと言ったか?

 

「……比企谷君も重症ね。何もわかっていない」

 

「ゆきのん、ヒッキーが何にもわかってないのは、今に始まったことじゃないよ」

 

「それもそうね」

 

「ねえ、なんか俺酷いこと言われてない?」

 

 

 

 

 

 

 由比ヶ浜と雪ノ下から白い目を向けられ逃げるように立ち去ると、

 

「おー、比企谷もきてたんだ。あ、そういえば比企谷も生徒会だっけ?ウケる」

 

「いや、ウケねえから・・・」

 

 いつものように軽く、誰相手にも浮かべる笑みとともに、折本は話しかけてきた。

 

「えー、普通にウケるよ。あの比企谷が、女の子だらけの生徒会に入ってるとか、もう中学の連中に話したらニュースになるレベル。しかも皆ウチとか比べ物にならないくらい、美少女だし!」

 

卑屈さをかけらも感じさせない笑顔とともに、折本は生徒会一同を眺める。

 

「比企谷があんなかわいい女の子たちに囲まれてるなんてね」

 

「囲われてるっつってもあれだぞ、包囲されて逃げ場ないだけだぞ。男子の中に女子一人が放り込まれればオタサーの姫となれるが、女子の中の男子一人は肩身が狭いだけだ。女系の家族の中のお父さんみたいなもんだ。狭すぎてもはや家にも職場にも居場所がないまである」

 

「ぶ、あはは、な、なにそれ!きっしょ」

 

 ちょっと、きっしょのところで真顔にならないでくれます?そういう所だから。男子が女子怖がるのそういう所だから。

 

「やっぱウケるわ、比企谷」

 

「いやだからウケねえよ」

 

 折本は一通り笑い転げて満足したのか、息を整え自分のテーブルに向かう。

 

「ま、いいや。そろそろ戻るね……あ、そういえば」

 

 そして戻る瞬間、思い出したようにつぶやく。

 

「あたし、比企谷にチョコあげたことあったっけ?よかったらあげよっか?本命かもよ~」

 

「はぁ。お前冗談でもそういうことを――」

 

 ガシャーン!!

 

 その瞬間、何かが落ちる音がした。

 

 音の主は三浦だった。床には調理器具がぶちまけられ、一色が呆れた様子で拾い集めている。三浦は一色に「ごめんごめん」と軽く謝る。

 

 そして最後に包丁を拾い上げ、なぜかこちらを向き、とても良い顔で笑う。

 

「ごめん、ちょっと手元狂っちゃったし」

 

 嫌な沈黙が降りる。三浦が背中を見せると、ようやく折本が口を開く。

 

「……ひ、比企谷、ごめん、やっぱりチョコはまた今度で」

 

 その青ざめた折本の顔が、なぜか先ほどの一色と重なった。

 

 

 

 

 

 一通り味見は終わり、今は各テーブルで最後のデコレーションや箱詰め袋詰めの時間に入っている。ちなみに散々チョコを期待していた戸部も、しっかり海老名さんからチョコを貰えていたらしい。『BL』とホワイトチョコレートで大きく描かれたチョコを、引きながらも喜んで受け取った戸部、お前は、強い。

 

流石にデコレーションや箱詰めに味見係は必要ない。またやることも無くなり教室の隅の椅子に腰かけていると、葉山が隣に座る。ちょっと、海老名さんに誤解されるからそういうことはやめてください。

 

 俺がどこうかと思ったが、コーヒーを渡され仕方なくそれを受け取り、座りなおす。味見のし過ぎで流石に口が甘ったるくなってきたところだ。

 

「皆楽しそうだね」

 

 コーヒーに口をつけ、葉山は嘆息する。

 

「そりゃよかった。クレーム付くと面倒だからな」

 

「はは、すっかり生徒会として社畜が板についてきてるな。……君は、どうだった」

 

「どうっつわれてもな」

 

 漠然とし過ぎて答えようがない。どうだったかと言われると、甘かったとしか言いようがない。

 

 彼がチョコの感想だけを求めているのであれば。

 

 しかし葉山は俺の返答を待つでもなく、こちらを一瞥して小さく笑う。

 

「何か吹っ切れたような顔をしているけど、随分窮屈そうにも見える。何かあったのは俺でもわかるよ。――君も、優美子も」

 

「それはお互い様だろ。お前ほど窮屈な生き方してる人間も知らねえよ、俺は」

 

「ははは。これは一本取られたかな。……その通りだ」

 

 カラン。空になった缶コーヒーを指で弾き、葉山は視線を前に戻す。

 

「でも、だからこそ、俺にはわかる気がするんだよ。君が考えていることが」

 

「勝手にわかった気になってんじゃねえよ」

 

「ふ、そうだな。君と俺を一緒にしちゃ悪いか。俺は君ほど優しくないからな」

 

「俺が優しいなら、俺以外の人類は全員聖人か何かだろうな」

 

「そうやってすぐ論点をずらそうとする。――まあいい」

 

 彼は、必死にチョコの仕上げをする三浦を顎で指す。つい俺の視線もそちらに向く。

 

 彼が何を話しに来たのかくらいは、俺にもなんとなくわかる。

 

「俺から見れば、窮屈じゃない彼女の生き方は、とても眩しく見えるよ。好きなことを言って、好きに振舞って、隠したつもりの本音は他人にまるわかりだ。あんな風に生きられたら、俺の人生は随分違うものになったと思う」

 

「さあな」

 

 彼は短く相槌を打つ俺に厳しい目を向ける。思わず缶コーヒーを握る手に力が入る。

 

「君も、そうじゃないのか」

 

「……人はそう簡単に変わるもんじゃない。お前がどう思ってるかは知らんが、俺もお前もあいつも、そう簡単に変わらん。もし、だったら、なんて仮定の話をしても意味がない。それに」

 

 口が止まる。喋り過ぎた。いつものように知ったようなことを言う彼に、ついむきになってしまったのだろうか。

 

 しかし、続く言葉を止めることはできない。

 

 俺はそれを選んで、彼女もそうあることを望んだ。それが答えで、結論だ。

 

「俺はもう、関係しないことにしたんだよ」

 

「関係『しないことにした』、か。今更誰に関係しないのか、なんて無粋なことを聞くつもりはないけど」

 

 ククク。葉山は彼らしくなく、低い声で笑う。

 

「関係『ない』とは言わないんだな」

 

「お前と言葉遊びをするつもりはない。ただそう決めただけだし、そういうことになってる」

 

「そうか。じゃあこれ以上は言わないよ。でも」

 

 葉山は今度は暮れ始めた窓の外を眺め、誰にでもなくつぶやいた。

 

「後悔はしないほうを選んだほうがいい」

 

 そのつぶやきに、説得力はまるでなかった。

 

 

「隼人」

 

 

 

 不意に彼の名前が呼ばれる。彼をそう呼ぶ人間と言えば、それは。

 

「……優美子」

 

 彼女はハート型の箱を両手で持っていた。それはどういう意図で作られ、どういう意味を持つのか。誰にでも理解できてしまう。

 

「悪い、邪魔した」

 

 ここに、いたくなかった。聞きたくなかった。

 

「隼人、チョコ、受け取って。――あーしと、付き合って」

 

 その一言は、俺の胸に澱のように深く沈んだ。

 




いい加減走り切ります

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