あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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いつの間にか彼女は居座っている。

 

 俺は奉仕部の扉の前で、一人深呼吸をする。

 

 あの説得の後、三浦から「先に行ってな。後で行くから。」という指示を受けたので、先に奉仕部室前まで来た。それについて何の説明もないところが、やはり女王である。…お花摘みかもしれないので、俺も何も言わなかったが。

 

 俺は意を決して、部室の扉を開ける。

 

「悪いな。時間とら、せ…」

 

 

 部室には珍しく来客がいた。金髪のイケメン、葉山隼人と、騒がしい茶髪カチューシャ、戸部。あとついでに大岡と大和。…何しに来たんでしょうか。

 

「あー、ヒキタニくんかー…」

 

 戸部は俺を見て顔をしかめる。だが先日の三浦の教室での注意、というか一声を思い出したのか、葉山を横目で見て、俺から視線を外す。大岡と大和の二人も顔をしかめつつ、黙る。うむ。さすが女王効果である。

 三浦に注意された手前、彼らは大っぴらに俺をネタにしづらいのだろう。別に奉仕部だけならまだしも、ここには葉山もいる。葉山がそんなことを三浦に言うわけはないが、戸部がそんなことまで考えてしまうほど、三浦の言葉は彼らのグループにとって重みがあるのではないか。

 

「あ、ヒッキー、今戸部っちから依頼があってね。実はさ…」

 

 すでに話を聞いている由比ヶ浜が俺に依頼の内容を説明する。どうも要領を得なかったので雪ノ下と葉山の補足は入ったが。…なんでこの子は告白が成功する前提で話を進めちゃうの。

 

 結論。彼の依頼をまとめると、戸部は海老名さんに好意があり、何とか奉仕部に戸部が海老名さんに思いを伝えるサポートをしてほしい、というのが依頼の内容だった。そして結局、由比ヶ浜はノリノリで、雪ノ下はしぶしぶ、俺は嫌々、奉仕部として戸部の依頼を受けることになった。…雪ノ下さん、あなた最近由比ヶ浜さんに甘すぎますよ。

 

 部活がある、といって葉山と大岡、大和の三人は教室を後にした。しかし。俺は少しの違和感を覚えた。最後の葉山の表情は、どこか痛ましさを感じさせる、いつもの彼らしくない微笑みだった。

 

 戸部はその後一人思いの丈を語り、部室を後にした。思いの丈しかわからなかったが、戸部が海老名さんに本気で好意を寄せているということは伝わった。

 

 その後少しの話し合いにより、「京都散策してるうちにいい感じになる。」という由比ヶ浜案が採用された。こう、なんつーかフワッとしてるが、現実的なラインだろう。俺は戸塚と一緒の班が決定したので、文句は全くない。

 

 だが。俺は心中安堵していた。三浦がいなくてよかった、と。

 

 由比ヶ浜が三浦に協力を求めようとしていたが、それはリスキーだろう。もし戸部の告白がうまくいかなかった時。海老名さんは協力した三浦、由比ヶ浜にいい感情はもつまい。由比ヶ浜だけならまだ「奉仕部」としての体裁があるが、三浦にはそれがない。そしてもし三浦がこの場にいたら、葉山がここに来た時点で、彼女はこの教室を出て行かない恐れもあった。そうなると俺の思う危険が回避できないものになる。三浦優美子が、その友人に嫌われる。

 

 彼女の笑顔を、弱さを、実直さを、聡明さを、ほんの少し知った今。そうなることをほんの少しだけ、嫌う俺がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待たせたし」

 三浦は奉仕部のドアをまた勢いよく開ける。そこの不遜さは変わらないのか。

 

 雪ノ下はその声にビクッと肩を震わせ、読んでいた文庫本を閉じる。

 

「あら、ずいぶん遅かったわね。…そういえば、比企谷君。さっきのはどういうことだったのか、教えてもらえるかしら」

 雪ノ下は三浦に目を合わせず、俺に問う。一層態度が硬化、というか冷化した気がするのは気のせいだろうか。

 

「いや、別に大したことではなくてだな…」

 一瞬、俺と三浦がここから出て行っていたことを忘れていた。どう話すか俺が迷っていると、横から遮られる。

 

「こないだあーしが自販機で間違えて飲物買った時、たまたま近くにいたヒキオに押し付けたんだけど、こいつその礼がしたかったんだって」

 

 どうでもいい、という風に三浦は言い、鞄に入れていたジュースを掲げる。

 

「ほら、ついでに結衣と雪ノ下さんの分もあるし。依頼人でもないのに邪魔すんのはこっちだから、飲みな」

 三浦は雪ノ下に紅茶、由比ヶ浜にミックスオレを手渡す。

 

「あ、ありがとう」

 

 雪ノ下は目を丸くしてそれを受け取る。由比ヶ浜は「わ、ありがとう、優美子!」と礼を言い、すでに嬉しそうにジュースを飲んでいる。

 

 なるほど。先に行っていろ、と言ったのはこれを買うためか。

 

 悪くない、と俺は思う。ものを渡す。原始的だしそれ自体は大した物でもないが、それは一つの貸しという事実として残る。雪ノ下も普段だったら受け取らなかっただろうが、慣れない人物からの予期せぬ行動に不意をつかれたのだろうか。

 

 雪ノ下は一口紅茶に口をつけ、息を吐く。

「だから先日の昼休みは、そこの男と一緒にいたのかしら?」

 

 …あれを見られていたのか。

 俺の脳裏にまたピンク色のそれがフラッシュバックする。いかん。首を振ってそれを追いやる。これでは訴えられても仕方がない。

 

「そ。海老名とのじゃんけんで負けて、ジュース買いに行ったの。ボタン押し間違えたんだけど、出てきたのがくっそ甘い缶コーヒーでね。あんなとこにいるのこいつしかいなかったし、こいつなら飲めるでしょ。…あーしは飲めたもんじゃないけど」

 

 うげ、と三浦は顔をしかめる。おい、一つ断っておくが、あれは缶コーヒーではない。缶コーヒーだと思うから飲めないのだ。あれは「マックスコーヒー」だ。原材料に加糖練乳が最初に来て、そのあとが砂糖で、そのあとにようやくコーヒーが来るんだぞ。コーラと同じ糖分量なんだぞ。

 

 にしても。俺は少し感心する。一応の筋は通っている。雪ノ下が俺たちを見たのが昼休みのベストプレイスか、放課後の体育館裏かは分からなかったわけだが、前者の方が場所的にみられる確率は高い。雪ノ下が体育館裏に用事があるとは思えない。

 そして昼休みに彼女と会った時には、確かに飲み物は二つあった。彼女は両手にオレンジジュースとウーロン茶を持っていた。昼休み、あそこにいたのはじゃんけんで負けたから、というのは真実だろう。さすがの雪ノ下でも、どんな飲み物を飲んでいたかは覚えていなかったのか、見ていなかったのか。

 

 だが。俺は少し不思議に思う。こいつ、俺だったらマッ缶飲むって知っていたのか?

 

「そう…。まあそういうことにしておいてあげるわ」

 雪ノ下は俺を一にらみし、三浦にそう告げる。まだ腑に落ちない点はあるのだろうが、とりあえず納得したようだ。三浦がけんか腰ではないからだろう。

 

 由比ヶ浜を見ると、うん、うん、とうなずきながら、三浦と雪ノ下を嬉しそうに眺めている。…この子、頭の中お花畑ですね。

 

「じゃあ、あーしここ座る」

 

 三浦は鞄を机の上に置き、余っている椅子を俺の椅子の横に置く。ちょ、ちょっと、だから近いんだってこの子は。

 

「ちょっと、三浦さん――」「な、何してんの優美子!」

 雪ノ下と由比ヶ浜が声を荒げる。いや、君たちいつも、これよりもっと近い状態で、ゆるゆり空間を繰り広げていますけどね。

 

「別にあーしがどこに座ってもよくない?それとも、ここに座っちゃいけない理由でもあんの?」

 三浦は廊下に出る前までとは違い、余裕の表情で雪ノ下と由比ヶ浜に微笑む。

 

「だ、だから、そもそもここにいてもいいなんて私は一言も…」

 雪ノ下はそこで言葉を切る。しばし無言になり、額に手を当てため息をつく。三浦の笑みが少し深くなった気がする。

 

 俺も少し考え、思い当たる。彼女はすでに紅茶を受け取っているのだ。「依頼人でもないのに邪魔すんのはこっちだから。」という三浦の紅茶を、受け取ってしまっている。それを受け取った時点で、とりあえずここにいることの理は、三浦にある。

 

「じゃ、あーしここ座るし。」

 ドカ、という効果音とともに、三浦は俺の横、正確には斜め前に腰掛ける。

 

 その様子を由比ヶ浜は頬を膨らませて、雪ノ下は冷たい目で見る。

 

 …前途多難って、これのことですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒキオ、お腹すいたし」

 あれから約30分。ケータイをいじりながら、三浦はそう口にする。このアマ…

 

 10分刻みほどの間隔で、この女王様は俺にそんなことを要望する。

「ヒキオ、暇」、「ヒキオ、なんか面白い話しな」、「ヒキオ、あんたちょっと目だけ隠して…ぷ、あっはっは!だ、誰だし、あんた!」

 

 …俺で一通り遊んでいただけたようで何よりです。

 

 はぁ。俺はため息をつく。

「知らん。食い物はあいにくだが持ち合わせてない」

 

「は?なら買ってきてー」

 三浦はまだぶーたれる。

 

「そもそも購買が開いてねえよ、もう」

 

「えー、でもあーしもうお腹すいて我慢できないんだけど」

 三浦は俺をにらむ。その目だけはやめてください何でもしますから。

 

 さすがにそんな彼女の騒がしさに耐えかねたのか、本を読んでいた雪ノ下がため息とともに鞄から何かを取り出す。

 

「…これ、姉さんからもらった茶菓子なのだけれど」

 そう言って机の上にクッキーなどのお菓子を広げる。ケータイをいじりながら、こちらにちらちらと視線を送っていた由比ヶ浜の目が光る。

 

「おー、おいしそう!」

 ダダダ、と音を立て、立ち上がった雪ノ下のもとへ詰め寄る。ぶんぶん振られる尻尾が、揺れる耳が俺には見える。犬ガハマさんェ…

 

「あ、ほんとだ。…雪ノ下さん、あ、あーしももらっていい?」

 三浦はまだ雪ノ下に対して引け目があるのか、横目で彼女を見て、問う。

 

「え、ええ。そのために出したんだもの。別に、かまわないわ」

 雪ノ下も三浦から何かお願いされることになれていないからか、声が少ししぼみ、下を向く。なんですか、この距離とるべきかどうか迷ってる感じ…ここでもゆるゆりで、まさかの三角関係とか勘弁してくれよ。

 

「ほ、ほら、ヒキオも食べるし!」

 雪ノ下からクッキーを受け取った三浦は、これまた慣れないことを慣れない相手に言ったためか、その一つを俺の口に押し込もうとする。ちょっと三浦さん、落ち着いてください。

 

「ちょ、自分で食えるっての…」

 俺は三浦のクッキーを押し返す。だから、なんでこいつは焦るとポンコツなんだよ。

 

「はぁ!?ヒキオのくせにあーしのクッキーも食えないっての?」

 三浦は少し赤くした顔で、俺をにらむ。言ってることが酔っ払いのそれなんだが。

 

 冷静ではない三浦と押し問答を繰り返しつつ、無言の彼女らが気になり、二人を見る。

由比ヶ浜は三浦を珍しく批判するようににらんでいる。では、雪ノ下は。

雪ノ下は下を向き、肩を震わせている。騒がしさについに堪忍袋の緒が切れたか。そう思った。しかし、彼女は。

 

 笑っていた。

 

「ぷ…くっ、くくく…み、三浦さん。あなたそんなに、いえ、思った以上に…メッキがはがれると、大したことないわね」

 そう雪ノ下は三浦に微笑んだ。その微笑みには、いくらか温かみを感じた。

 

「だ、誰が大したことないって!?」

 三浦はさらに顔を赤くし、雪ノ下に怒声を浴びせる。しかしその声はいつもの獄炎ではなく、頬に当たる夕陽ほどの温度しかなかった。

 

「ま、まあまあ、二人とも落ち着いて落ち着いて」

 由比ヶ浜が仲裁に入る。二人は互いに目を合わせづらいのか、三浦は一心不乱にクッキーをかじり、雪ノ下は紅茶から口を離さない。…あほくさ。

 

 俺はクッキーを自らの口に放り投げ、読んでいた文庫本に視線を移す。勝手に新たなゆるゆり空間を繰り広げていてくれ。どこに需要があるかは知らんが。…べ、別にさみしいわけじゃないんだからねっ。

 

 その時、教室にノックが響いた。

 

 雪ノ下が三浦を一瞥する。三浦はふん、と鼻を鳴らし、ケータイを鞄にしまう。

 

「…どうぞ」

 雪ノ下が来客に入室を促すと、扉が開く。そこには。

 

「はろはろー…って、優美子?」

 同じクラスの海老名姫菜が立っていた。

 

「…海老名」

 三浦は少し神妙な面持ちで彼女を見る。が、その先の言葉が出てこない。

 

「三浦さん、依頼人が来たので席を外してもらえるかしら」

 雪ノ下が沈黙を破る。それはそうだろう。彼女は部員ではない。あくまで部外者として、ここに「お邪魔」しているだけだ。三浦もそれがわかっているからか、ケータイをしまった。

 

 だが。俺は少し不安を覚える。そんな言い方では、彼女を刺激しかねないのではないか。

 

「わかったし」

 彼女は俺の予想に反し、すぐに鞄を持ち、席を立つ。海老名さんとすれ違う瞬間だけ彼女を一瞥し、部室を出る。

 

 雪ノ下もその彼女の様子に一瞬違和感を覚えたのか、少し戸惑ったように扉を見つめるが、すぐに海老名さんに目を向ける。

 

「では…どういったご用件かしら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論。彼女の依頼をまとめると…まとめようがないのだが。まあいつものように、ぐ腐腐な空間をまき散らしながらも、「今まで通り仲良くしたい」ということが言いたかったらしい。なんのこっちゃ。

 

 彼女の自然な微笑みに、俺はまた裏を読もうとしてしまったが、止めることにする。そこまで彼女を知っているわけではない。言葉の裏を読もうとしてしまうのは、悪い癖だ。

 

 だが、彼女が去り際に俺に放った、「ヒキタニ君、よろしくね」という声だけが俺の耳に残った。

 

 結局あの後、三浦優美子は奉仕部室に戻ってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしていつものように雪ノ下が部活の終わりをつげ、解散となる。さて、ここからがお楽しみである。

 

 偶然下駄箱か校門で部活終わりの戸塚に会おうものならば、俺は一日を気分よく終えることができる。戸塚ぁ、戸塚ぁ。今日は修学旅行の話で戸塚とお風呂とかお風呂とかお風呂とか、いろいろ考えてしまったので、恋しくなってしまったのかもしれない。

 

 戸塚、いてくれ、と願った下駄箱には…

 

「ヒキオ、おっそい」

 金髪をなびかせた三浦優美子がいた。

 

「…何やってんだよ」

 俺は短く問いかける。くそ、なんで戸塚じゃなくてこいつなんだ。まったく癒されない。

 

「雪ノ下さんが出てけ、っていうから出てっただけだし。なに、話聞いてなかったの、あんた」

 

 三浦は心底俺に見下した視線を送る。そういうことではなくてだな。

 

「なんで俺の下駄箱の前に居んのか、って聞いてんだよ。なに、俺のこと好きなの?」

 ため息とともに自分の靴を下駄箱から出す。

 

「はぁ?何言ってんのあんた。寝言は寝て言いな」

 ゴミを見るような目で俺を見る三浦に、俺は安心する。この程度の距離感が適切だ。

 

「じゃあな」

 短く挨拶をし、駐輪場に向かう。ふ。ぼっちはクールに去るぜ。

 

「待ちな」

 しかし、三浦は俺を呼びとめる。その目は、まっすぐに俺を見ていた。

 

「…海老名、なんて言ってた?」

 

 短く、俺に問う。

 

 俺は少し迷う。あれを依頼と捉えるのであれば、クライアントの情報は話すわけにはいかない。しかし同級生との世間話と捉えるのであれば、ここで話すことは問題ないだろう。

 

 結局、俺は口を開く。あれは奉仕部として、依頼としては処理されなかった。…まあ大した話ができるわけではないが。

 

「なんて、と言われてもな…いつもの腐った空間をくりひろげて、何が言いたかったのかはよくわからなかった。…『みんな仲良くしたい』とか言っていたが」

 俺は自分で言っていて、鼻で笑いたくなる。自分でも何を言っているのかよくわからん。仕方ない、彼女が何を言いたいのか、わからなかったのだから。

 

「そっか…」

 三浦は俺の穴だらけの報告から何を感じ取ったのか、短くつぶやく。

 

「やっぱ…よくわかんないやつだね、海老名は」

 

 彼女はそう笑った。俺はマフラーをまき直し、思う。

 

 その感想には大いに共感できる。

 

 

 


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