あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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そして彼女らは告白する。(前編)

 

 バレンタインイベントが終わった。

 

 細かいことを言えばいろんな問題があったが、概ね予定通りに進行した。依頼人である川崎の妹、川崎京華も雪ノ下に教わりチョコを作り、姉に写真を撮られ続けてご満悦のようだった。川崎姉が興奮しすぎてカメラの角度がローアングラーを彷彿とさせるものになっていたが、気のせいだろう。そういうことにしておこう。

 

 後片付けが終わると労いもそこそこに、それぞれ帰路に就いた。まだ早い時間だったこともあり、これからどこかに寄る人間も多かったのだろう。海浜総合の面々は打ち上げがあるらしく、カラオケへ向かった。戸部と葉山は用事があるのか駅へ向かい、一色はそれに付いていった。川崎は寝てしまった京華をおぶり、スーパーへ向かった。どこからどう見てもお母さんだった。三浦は海老名さんと話があるのか、二人でどこかに寄るらしい。今日は雪ノ下の家に泊まるらしい由比ヶ浜は、彼女らについていかなかった。

 

 結局、コミュニティセンター前には元奉仕部の三人が残された。

 

「あはは……皆行っちゃったね。打ち上げとかも考えてたんだけど」

 

「仕方ないわ、由比ヶ浜さん。元々比企谷君を筆頭に、協調性の欠片もない人間の集まりだもの」

 

「そうですね。俺とかお前とかを筆頭にな」

 

「比企谷君?誰と、誰が、同じだと言ったのかしら?」

 

「ゆ、ゆきのんはそんなことないよ!?ヒッキーはミジンコほどもきょうちょうせー無いけど」

 

「結局俺だけがディスられてるんだよなぁ……」

 

 ミジンコって何だよ。とうとう微生物になっちゃったよ。存在感はそれ並みだけども。

 

「これから二人はどうする?帰るにはちょっと早いけど、どっか寄ってく?」

 

 ね、ね。由比ヶ浜はなぜか縋るように雪ノ下を見る。ブンブンと振られる犬の尻尾が見える気がした。犬ガハマさんェ……

雪ノ下はそんな由比ヶ浜を見て軽くため息を吐き、しかし優しく微笑む。

 

「まあ、今日は由比ヶ浜さんも頑張っていたものね。どこか行きましょうか」

 

「やった!……ヒッキーも行くよね?ね?」

 

 犬ガハマさんは今度は俺に向かって前のめりになり、うるんだ瞳で上目遣いをこちらに送る。う……それは色んな意味で卑怯である。主にその大きなメロンとか双丘とか膨らみとかおっぱいとか。はっきり言っちゃったよ。せめてパイオツくらいにしておこう。あら余計卑猥。

 

「はぁ、まあ少しなら。駅集合でいいか?」

 

「やった!行こ行こ!」

 

 由比ヶ浜に返事をするとともに自転車にまたがり、俺は電車の二人と別れて駅へ向かった。

 

 

 

 

 駅で集合した俺たちは、一旦雪ノ下の手荷物を置きに彼女の家へ向かった。駅からは大して距離もない。大きな公園のわき道を抜けるとタワーマンションが見えてくる。

 

 横断歩道を渡りマンションの入り口に差し掛かった時、雪ノ下が足を止めた。

 

 彼女の視線の先を見ると、見覚えのある黒塗りの高級車が停まっていた。

 

 そしてそのドアが開き、一人の女性が下りてくる。

 

 艶やかな黒髪をまとめ、着物姿で真っすぐに歩く。その凛とした姿は彼女によく似ている。俺と由比ヶ浜も雪ノ下へのプレゼントを買いに行った後、葉山と晴乃さんと一緒にいた彼女を見たことがある。

 

 雪ノ下雪乃の母親だ。

 

「雪乃」

 

 雪ノ下はその冷たい声音にまた少し肩を震わせる。部外者はいないほうがいいかもしれない。由比ヶ浜に席を外すことを目線で促す。しかし。

 

 由比ヶ浜と、そして雪ノ下は、首を振ってそれを否定する。

 

 なぜだろうか。

 

「母さん、何の用かしら」

 

「何の用って、進路のことよ。もう決める時期でしょう。あなたの話をまだ聞かせてもらってないから、それを話してほしくて。……それより」

 

 雪ノ下母は俺と由比ヶ浜を見て、小さくため息を漏らす。

 

「学生の身でこんな時間から……雪乃、私はそんなことをさせるためにあなたに一人暮らしを許しているわけではないのよ」

 

 雪ノ下は何も返さない。黙って彼女の話を聞いている。

 

「あなたはそういうことをしないと思ったのに……」

 

 そのつぶやきに、彼女と雪ノ下の関係のすべてが込められている気がした。恐らく彼女は全てを諦めているのだろう。その伏せられた目は、失望とともに吐き出される嘆息は、責めるではなく嘆くような声色は、それをはっきりと感じさせる。そんな彼女をみて、雪ノ下にやはり似ていると俺は思った。

 

 しかし。瞬時に脳裏に浮かんだのは、選挙での彼女の演説。ディスティニーランドでの彼女の独白。彼女は言った。一人でもできる。自分も好きなように行動する。そしてしたたかに、彼女は言ったはずだ。

 

 人ごとこの世界を変える。

 

「母さん」

 

 やはりまだ雪ノ下の体は小刻みに震えている。しかし、一歩も引こうとはしない。目を伏せてはいない。その目はまっすぐに雪ノ下母へと向けられている。

 

「母さんの話は聞いたわ。母さんが私をどう思っているか、改めて理解した」

 

「なら――」「だから」

 

 雪ノ下は雪ノ下母の言葉を遮る。

 

「私のことなら、明日話す。必ず話しに行く。私の心は、もう決まってる。……だから、今は帰って」

 

 やはりまっすぐ、雪ノ下は彼女を見る。

 

「私今日はこの二人と、話さなければならないことがあるから」

 

 そんな彼女に、雪ノ下母は瞠目する。

 

 何を言っているか分からないのは俺も同じだ。言い訳に使われているのだろうか。

 

 しかし雪ノ下の瞳に、嘘も後ろめたさも感じはしない。

 

「なにを言っているのかわからないわね、雪乃。あなたは親との進路の話より、ただの同級生との会話の方が大切だとでも言うのかしら」

 

 正しい。雪ノ下母の言葉はどこまでも正しい。子の進路を親が心配するのは当然のことだ。そしてそれを子が親に話すことも当然のこと。雪ノ下の言葉には筋が通ってはいない。そして俺の知る雪ノ下は、それを誰よりも嫌う。

 

 誰にも間違っていると責められないために。周り己を認めさせるために。

 

「ええ、そうよ」

 

 しかし、当然のように雪ノ下は言ってのける。

 

 正しくないことを、彼女は平然と口にする。

 

「親が子供の色恋話に口を出す方が、よほど無粋だと思わない?」

 

 そして、雪ノ下母は凍り付いた。

 

 

 

 

 

 結局あの後、雪ノ下母は凍り付いたまま、雪ノ下と明日会う時間と場所を決めた。……いや、決めさせられた、と言った方が正確だろう。あの後は雪ノ下の言葉にコクコクと頷いていただけだった。どうやら雪ノ下と同じくアドリブには弱いらしい。というより、誰よりも知っていると思っていた娘の、予想だにしていなかった言葉を理解できなかったのかもしれない。

 

 家に荷物を置きに行った雪ノ下になぜか由比ヶ浜もついていき、俺は彼女の家の近くの公園で待っていた。

 

 そして戻ってきた雪ノ下は、大層満足気である。

 

「あんな母さん初めてみたわ……ぷぷ……あ、あの間抜けな顔……写真でも撮っておけばよかった……くっ……ふふ……」

 

「ゆ、ゆきのん、ずっとこんな感じだよ……ちょっと怖いかも……」

 

「いや、ちょっとじゃねえだろ」

 

 普通に怖えよ。ドン引きの俺と由比ヶ浜に気づいたのか、雪ノ下はわざとらしく咳ばらいをいくつか、ベンチに座る俺に向き直る。

 

「さて……比企谷君。邪魔者もいなくなったことだし、少しお話をしましょうか」

 

 その綺麗な笑顔に、なぜか背筋の震えが止まらなかった。

 

「ごめん、ゆきのん。あたしからいいかな」

 

「……いいわ。私も由比ヶ浜さんの話、聞きたいと思っていたから」

 

「急にごめんね。ヒッキーと別れてゆきのんと電車で駅までくる間にさ、話してたんだ……ううん、ていうか、これはただあたしが聞きたいだけのことなんだけど」

 

 由比ヶ浜は大きく息を吸い、問う。

 

「ヒッキー、優美子となんかあった?」

 

「別に何もねえよ」

 

「そっか」

 

 俺が即答すると、沈黙が降りる。由比ヶ浜には関係ないことだ、それは。言う気もなければ言うべき理由もない。

 

 由比ヶ浜はくるりと俺に背を向け、一人ごちるように口を開く。

 

「あたし優美子と仲良くなってから一年も経ってない。ヒッキーとゆきのんとの時間と、そんなに変わらない。

それでもゆきのんとヒッキーよりは、長く一緒にいたよ。

でも、あんな優美子、あたし初めてみた」

 

 由比ヶ浜は俺に向き直る。

 

「優美子は確かに隼人君にチョコを渡した。……付き合おうって言ってたね。

でも、違う。修学旅行の時に告白した優美子と、全然違うよ。あれは、あんな告白、あんなやり方、優美子っていうよりむしろ――」

 

 由比ヶ浜は、なぜか責めるように俺を見る。

 

「もう一回聞くね。ヒッキー。優美子となんかあった?」

 

 彼女は問う。愚直に繰り返す。何かしらの決着を見ない限り、彼女が納得することは無いのだろう。

 これはある程度認めてしまうことにはなる。だが、由比ヶ浜を諫めるには仕方ないだろう。その視線から目を逸らし、俺はため息とともに口を開く。

 

「知らんと言っている。どう聞かれても知らんもんは知らん。それに……たとえ何かあったとして、それがお前に関係あるか?」

 

「あるよ」

 

 思いもよらぬ即答に、俺は二の句を継げない。

 

 踏み込んでは来ないだろうと思った。こう言ってしまえば、彼女は他人の問題に首をつっこむことはない。優しい由比ヶ浜結衣は、他人の問題を、思いを、踏み荒らすようなことはしない。俺はそう思っていた。

 

 もう一度目の前に立つ女の子を見る。よく見ると街灯に照らされた彼女の脚は、先ほどの雪ノ下と同じく震えていた。しかし、彼女は退く気はない。諦める気はない。決して外されることのない視線から、俺はそれだけがわかった。

 

 由比ヶ浜結衣もまた、当然のように言ってのける。

 

「だってあたし、ヒッキーのこと好きだから」

 

 何も、言えるわけがなかった。

 

 由比ヶ浜は、彼女に似つかわしくない不敵な笑みで続ける。

 

「だから、あたしには関係ある。様子が変なヒッキーと優美子に何があったか、知りたいのは当たり前じゃないかな?」

 

 仮にそうだとして、やはり俺は由比ヶ浜に話す必要がない。そう、言おうとした。理屈ではそうだ。これは俺の問題で、それに彼女の気持ちは関係ない。

 

 だが気持ちを言葉にした由比ヶ浜に、その正論を振りかざすことができない。

 

 俺にできないことをやってのける由比ヶ浜に、そんな言葉を吐く気にならない。

 

「あたしね、いろいろ考えた。最近仲良くなった優美子とヒッキー見てて、本当に色々考えた。

でもやっぱりあたし、馬鹿だから、ヒッキーみたいに難しいこと考えられない。自分がこうしたら誰かが傷つくとか、迷惑かけるとか、ヒッキーほど深くは考えられない。だからもうそういうの考えるの、やめた。あたしはヒッキーが好き」

 

 由比ヶ浜は、問いを繰り返す。

 

「ヒッキーは今、何を、誰のこと考えてるの?」

 

 さすがに、ここまで来てはぐらかす気はしない。震える脚で、かすれる声で、揺れる瞳で、それでも真っ直ぐ俺に向き合う彼女に、適当なおためごかしをする気はしない。

 

 だからまずは、その気持ちには答えようと思った。

 

「俺はお前の気持ちに応えられない」

 

「理由、聞いてもいい?」

 

 その顔は、由比ヶ浜の顔はさっきまでと変わらない。まるでこうなることがわかっていたかのように。

 彼女を見て、やはり俺は思ってしまう。

 

「すげえな、お前は」

 

 気づけば、思っていたことが口に出た。俺はまっすぐに俺を見る由比ヶ浜を、羨ましいと思った。

 

 でも、俺にとっての正解はそうじゃない

 

 なぜなら俺もあいつも、それを言わないことを選んだから。これまでの彼への想いを、これまでの自分たちの時間を嘘にしないために、伝えないことを選んだ。

 

 きちんと言葉にできているのか、ただ思っているだけなのか。その境界があいまいになる。そんなひとりごととも言えない言葉を、俺は垂れ流す。

 

「伝えないことが誰にとっても良いことで、あいつにとって幸せなことなんだろう。あいつが今まで想っていたのは俺じゃない。一時の気の迷いで人の想いを捻じ曲げて良いほど、俺は偉くない。

そんな俺が、誰かに想いを向けることは、もうないと思う」

 

 彼女の顔を見ずに、俺は地面に吐き捨てる。

 

「だからお前の気持ちにも、誰の気持ちにも、俺が応えることは無い」

 

 夜の公園に沈黙が降りる。

 

 下がった視界には由比ヶ浜の顔は映らない。彼女はどんな顔をしているのだろうか。なにを思っているのだろうか。酷いことを、意味の分からないことを言っていると思う。でも、出てきたのはそんな言葉だけだった。

 

「あ、そっか」

 

 しかし目の前の少女から飛んできた声は、硬く、冷たい。

 

「ヒッキーは嘗めてるんだ。好きってこと」

 

 嘗めている。その言葉はなぜかストンと胸に落ちる。

 

「あたし、今いっぱいいっぱいなんだ。こうして向き合ってるだけで足が震えるし、声はかすれちゃうし、心臓がうるさくて壊れちゃいそう。目もまともに前を見てくれないし、ヒッキーの返答だって本当は怖くて聞きたくもなかった。あたしは、自信を持って言える。

あたしは、自分の全部をもってヒッキーに告白した。

それをヒッキーが頭の中で考えたことで、ヒッキーの独りよがりで、納得できると思う?」

 

「無理にお前に納得してもらいたいわけじゃないし、理解してもらいたくもない。ただ、それが俺の出した結論だ」

 

「じゃあ」

 

 由比ヶ浜は一歩前に出て、俺を睨む。

 

「ヒッキーはその人に、一度でも好きって言ったの?」

 

「それを言わないことが、俺とあいつの結論だといったはずだが。言葉にできないし、言葉にしても仕方ないことだ」

 

「ふざけないで」

 

 その言葉は静かだった。しかし、彼女が深く憤っていることがその低い声からわかる。

 

「まだヒッキーはその気持ちを、言葉にしてもない。……違うか、ヒッキーは自分の気持ちを認めてすらない。なのに言葉にしても仕方ないなんて、そんなの」

 

 由比ヶ浜は、ためらうように下を向く。しかし、それでも、彼女は泣きそうな顔で言う。

 

「そんなのただの卑怯者じゃん」

 

 卑怯者。その響きに、なぜか頭に血が上った。自然と声が荒くなる。また俺は卑怯な言葉を口にする。

 

「じゃあお前は気持ちを伝えて、それが正解だと、後悔しないと言えるのか?」

 

「そんなわけない」

 

 さも当然のように、彼女は答えられないはずの問いに答える。

 

「あたしは、絶対後悔する。告白したことも、振られたことも、こうやって偉そうなこといってヒッキーに嫌われたかもしれないことも。もしかしたら――ううん、きっとあたしは、泣く。そんなのが正解なわけない」

 

 彼女は俺だけを見つめ、続ける。

 

「でも、あたしは逃げてない。言いもしないうちからすべてを諦めてなんてない。誰かのためなんて言葉で自分の気持ちをごまかしてない。

ここにいるあたしが、ヒッキーのことが好き。止められなかった。言葉にならなくても、誤解されても、嫌われることが心の底から怖くても、勝手に言葉が出てくるんだ。

だからこれが正解とか、あれが誰かのためとか、そんなのじゃ納得できない。あたしはこの気持ちから動けない。

ヒッキー、言って」

 

 由比ヶ浜は大きく息を吸い、真っすぐに問いを投げかける。

 

「ヒッキーが今一番考えてるのは、誰?ヒッキーが好きなのは、誰?――ヒッキーがそれを伝えたいのは、誰?」

 

「俺は――」

 

 彼女の問いに思わず口は開くが、続きは出てこない。由比ヶ浜は今度こそ続きを催促することもなく、ただ黙って待っている。

 

 どのくらい時間が経っただろう。考えても考えても、問いに対する正解は出てこない。どうするべきか、どうあるべきか。それをいつも考えてきた。彼女はそれを訊いてはいない。それでは彼女は納得しない。誰を想っているか、誰にそれを伝えたいか。彼女はそう訊いている。

 

 俺はそれから目を背けてきた。だから俺が彼女に言える言葉は、なかった。

 

 


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