あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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そして彼女らは告白する。(後編)

「はぁ」

 

 深いため息によって沈黙が破られる。黙る俺にため息を吐いたのは、雪ノ下だった。

 

「由比ヶ浜さん、彼いくら考えても答えが出そうにないから、先に私の話をしてもいいかしら」

 

「うん、別にいいよ。ていうかごめんね、待たせちゃって」

 

 由比ヶ浜と雪ノ下が俺に白い目を向ける。いやだって、急にあんなこと言われたら無理じゃん。焦るじゃん。

 

 心の中で言い訳を並べる俺に、雪ノ下はまたため息を吐き、俺を見る。

 

「さて、比企谷くん。私もこの機会にちゃんと告白しておこうかしら」

 

 止める間もなく、彼女は言った。

 

「私は、あなたのことが、嫌いよ」

 

 瞬時に決めた覚悟。それは一瞬で水泡に帰す。

 

「は?」

 

 言葉が出てこない俺に、雪ノ下は滔々と続ける。

 

「その腐った目も、背骨がへし折られたような猫背も、ぱっぱらぱーな髪型と頭の中身も、全部嫌い」

 

「ねえ、唐突に人の外見的特徴を取り上げてディスるのやめてくんない?」

 

「外見にこそ性格がにじみ出るものよ。あなたのそのどうしようもない性格はもう治らないのかしら」

 

「ほっとけ」

 

 まったく何が言いたいのだろう。一通りのやり取りに雪ノ下は少し頬を緩め、懐かしむように夜の空を見る。

 

「ところで比企谷君。ディスティニーランドで私が言ったこと、覚えてるかしら」

 

「……ああ」

 

 彼女は言った。姉のようはなれない、あんなふうに強く生きることはできない。弱みを見せようとしなかった女の子は、自分にはできないと言いきった。

 

 そして、彼女には目的がある。

 

「人ごとこの世界を変える」

 

 雪ノ下と初めて会った時も、彼女はそう言った。

 

「今思えばずいぶん傲慢な考え方ね。何も知らない一人ぼっちの人間が、他者と関わらないための言い訳にさえ聞こえるわ」

 

 彼女は自嘲気味に言う。しかしそこに蔑んだ色は薄い。

 

「でも、その信念はまちがっていなかったと、今なら言える」

 

 だって。雪ノ下は穏やかに微笑む。

 

「変わったもの。私も、あなたも、由比ヶ浜さんも」

 

 人は簡単には変わらない。俺はそう思っていたはずだ。

 

「奉仕部にあなたと由比ヶ浜さんが入って、三浦さんが来て、一色さんの依頼を受けて、生徒会が発足した。思えば結構いろんなことがあった一年だったわ。特にここ数ヶ月は」

 

「……まあ、そうだな」

 

「三浦さんには随分振り回された。修学旅行の時も、その後も、生徒会のことも。好き勝手にやられたわ。……まったく」

 

「でも存外、そんなのも悪くなかった。

私は自分が本当は弱いと知って、でも信念が正しいとわかった。最初はあんなに周りのことばかり考えていた由比ヶ浜さんが、こんなにはっきりと思いを口にできるということを知った。あなたは否定するでしょうけど、そんな中であなたも確かに変わった。あの選挙の演説は、正直驚かされた。

彼女との学校生活で、私たちは少しずつ変わった。私と由比ヶ浜さんはその自分を認めてるし、実際私はそう悪くないと思ってる」

 

 雪ノ下は俺の目を見て、彼女と、由比ヶ浜のようなことを言う。

 

「足踏みしてるのはあなただけ……いえ、あなたたちだけよ。向き合えないことを相手のせいにしているのは、あなたたちだけ」

 

「逃げることはそんなに悪いことか?」

 

「逃げる?目をそむけて見ない振りをしてることを、逃げていると言うの?」

 

 雪ノ下は、俺は逃げてすらいないと、それも否定する。

 

「あなたは逃げてさえいない。逃げたいならさっさと逃げればいい。

私はあなたが由比ヶ浜さんの告白を断る理由にも納得してない。彼女の告白にきちんと答えることができないのなら、今すぐにでも由比ヶ浜さんの想いに応えてあげればいい。その想いに逃避すればいい。逃げるってそういうことじゃないの?

あなたは傷つきたくなくて、傷つけたくないから、目を閉じてるだけよ」

 

 雪ノ下は俺の目だけを見て、言い放つ。

 

「その腐った目、いい加減開きなさい」

 

「……はぁ。お前は変わってなんかねえよ。最初から冷たすぎて、厳しすぎる」

 

「あら、それは褒め言葉かしら」

 

 クスリと雪ノ下は口に手を当てて笑う。

 

「私はあなたのことが嫌い。この期に及んでどうしようもなく情けないあなたが、大嫌いよ」

 

「もういいから。もう八幡のライフはゼロだから」

 

「でも」

 

 柔らかく微笑み、彼女もそれを口にする。俺があいつに言えなかった言葉を口にする。

 

「友達になら、なってあげてもいいわ……その程度には、好きだから」

 

「あ、あたしは友達で終わる気ないからね!……いや、今は友達だけど!」

 

 焦るように言う由比ヶ浜に、思わず笑みが漏れる。

 

 俺には勿体ない友人たちだろう。

 

 

 

 

 

「さて、比企谷君」

 

 雪ノ下は咳払いをひとつ、俺に向き直る。

 

「ただでさえ不幸が服を着て歩いているような矮小な存在のくせに、自分から不幸になろうとするなんて、あなたいったい何様なのかしら」

 

「人の幸不幸を勝手に決め付けないでもらえますかね……」

 

「不幸じゃないというなら、いい加減その辛気臭い面どうにかしなさい」

 

「この面はデフォルトなんだよ」

 

 だから外見的特徴を内面と結び付けるんじゃない。雪ノ下は肩にかかる髪を振り払い、俺を見据える。

 

「あなたの友人として、忠告しておくわ。私の友人が自分から不幸になることを、私は絶対に許さない。せいぜい必死に、みっともなく、あなたは幸せを望みなさい。

私はそうすると決めたから」

 

「忠告、痛み入る」

 

 俺は素直に、雪ノ下に頭を下げる。

 

 由比ヶ浜は優しいだけではなくなった。周りに流されるだけではなくなった。自分の気持ちを伝えるために、他人の心に踏み入れるほど強い。彼女は正解のない問いに、自らの気持ちに従い、それでも間違えることは無い。自分の気持ちに嘘を吐くことは無い。

 

 雪ノ下は強いだけではなくなった。完璧故に脆く、誰かに依存するだけではなくなった。自分の行く末を見据え、他者を、自分を赦せるようになった。彼女は迷い、立ち止まり、一人でも、誰かとでも歩いていける。そんなしなやかな女の子になった。

 

 なら、俺はどうだろう。気持ちよりも義務を、全体にとっての正解を求めるだけだった比企谷八幡は。

 

 変わってもいいのだろうか。

 

 

「由比ヶ浜」

 

「うん」

 

 迷って出なかった言葉。横にいる一人の友人を見る。彼女からは笑みが返ってきた。そして目の前の、もう一人の友人を見る。俺なんかにそれを伝えた、もう一人の大切な友人を見る。

 

 彼女には、言いたい。優しく正直な彼女に、俺の口は今度こそ自然と開く。

 

「俺には、好きなやつがいる」

 

「うん」

 

「くそわがままで、傲慢極まりなく、いつでも自分が一番じゃないと気がすまない。そのくせおかしなところで他人のことばかり考えて、それを必死で隠して、でも周りには筒抜けだ。世話焼きの癖に自分のことになると抜けてて」

 

 そう。そんな奴だった。そんなのといる時間も悪くないと、俺は思っていた。気づいてしまえば、閉じた目を開けば簡単にわかる。

 

「なにがあっても自分を曲げない。どうしようもねえ頑固者だ」

 

「うん、知ってる」

 

「由比ヶ浜」

 

「うん」

 

 だから、俺は。

 

「俺は、三浦優美子が好きだ」

 

「あたしより、優美子の方が好き?」

 

「誰よりも、好きだ」

 

「うっ……」

 

 はっきりと言うと、由比ヶ浜は頬を朱に染め、顔を背ける。

 

「そんな顔で言われたら、納得しちゃうよ」

 

「まあそのために言ったからな」

 

「ひっど、そんなはっきり言わなくてもいいじゃん!」

 

 憤慨する由比ヶ浜に、慌てて付け足す。

 

「はっきり言わないと、雪ノ下に生涯恨まれそうだからな」

 

「比企谷くん?何か言ったかしら?」

 

「いえ、何も」

 

 ひとしきり笑い合い、穏やかに時間が流れる。

 

 友人というのも、存外悪くない。

 

 ふと公園の時計を見ると、まだ遅すぎるという時間でもなかった。

 

 まだ帰るには、少し早い。

 

「やりのこした仕事あるから、さき帰っててくれ」

 

「あら、進んで残業とは珍しいこともあるものね。明日は槍でも降るのかしら」

 

「専業主夫しぼーのヒッキーらしくないね」

 

「ほっとけ。……まあ、いってくるわ」

 

 笑う二人に、俺も笑って返す。自転車にまたがると、後ろから声がかかる。

 

『いってらっしゃい』

 

 重なった言葉とともに、俺は思いきりペダルを踏んだ。

 

 


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