あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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やはり彼女と彼はお似合いである。

 小町の受験が滞りなく終わり、少しばかり経った、朝の学校の昇降口前。

 

 俺は朝から、危機的状況に立たされていた。

 

「なあ、三浦よ」

「なんだし、ヒキオ」

「いや、なんだしじゃなくてだな」

「……あ?言いたいことあるならはっきり言いな。あーし、煮え切らないの嫌い」

「だから、その」

 

 俺は横でスマホを弄る三浦を一瞥し、目を逸らす。

 三浦の話によると、今日も『偶然』俺の家の前を通りかかり(この偶然は三日目になる)、『気まぐれ』で登校をご一緒してくれたらしい(この気まぐれも三日目になる)。もちろん俺が彼女をチャリの後ろに乗せて。正直こいつ重いから、朝から割と疲れたのは胸の内に秘めておくことにする。

 

「ヒキオ。今なんかうざいこと考えなかった?」

「いえ、滅相もないです女王様」

 

 怖い。あーしさん怖い。心読まないで。

 

「ったく、ぐずぐずすんなし。……早く教室行こ」

 

 昇降口で突っ立っている俺を、三浦は急かす。その手は俺の制服の袖をつまんでいる。葉山にしていたように腕を絡めるのではない。チョコンと、軽くつまみやがっている。

 その常にない控えめな彼女の仕草に、グッとくるものがないと言えば嘘になる。しかしそんな彼女との距離も三日目ともなれば、それなりの問題も生まれてくる。

 

 例えば、後ろで話す女子二人組の会話。

 

「あれ、生徒会長じゃん」

「隣にいる冴えないの誰?」

「なんか最近一緒に居るとこ見る気がするけど……誰だろ」

「ていうかなんか近いよね」

「きゃっ、見てあれ。あの怖い生徒会長が制服の端つまんでるよ」

「うわー、あの人もあんなことするんだね。普通の女の子みたいじゃん」

 

 恐らく、三浦にも彼女たちの声は聞こえているだろう。しかし三浦は気にする様子もなく、右手でスマホを弄り、左手で俺の裾をつまんでいる。

 

 全く色んな意味で、心臓に良くない。

 

「あの、三浦さん?……そろそろ適切な距離に戻りませんか?」

 

 昇降口で上履きに履き替え、未だに距離の近い彼女に一応の提案をする。三浦はちらりと目線を横に流し、またスマホの画面へと視線を落とす。

 

「これが適切な距離っしょ……つ、付き合ってんだから。あーしら」

「……周りにとってはそうじゃねえだろ」

 

 ほんの少し言いよどむ彼女に、俺は当然の反論をする。彼女は少し口を尖らせる。

 

「別にあーし、周りにどう思われても気にしないけど」

「お前がよくても俺が気になる」

「……ヘタレ」

 

 否定できないのが情けない。俺は大仰に肩をすくめる。

 

「美人生徒会長と付き合ってるとかバレたら、男子から殺されかねんからな」

「まーた調子のいいこと言ってるし……」

 

 三浦はため息を吐きつつ、ガシガシと頭をかく。その仕草とともに赤いバレッタが揺れ、黒髪に映える。

 

 それを見て、自然と言葉が口をつく。

 

「やっぱ似合ってんな、それ」

 

 彼女の黒髪に映える赤いバレッタ。それは俺が誕生日に贈ったものだ。つい漏れ出た感想に、今度こそ三浦は顔を背け、先に行ってしまう。

 

「ほんっと、調子だけはいいんだから」

 

 その耳はバレッタと同じ色に染まっている気がした。

 

 

 

 

 

 昼休み。多くの生徒にとって安らぎの時間となり、友人とともに空腹を満たす時間。俺にとってはベストプレイスで時間を消費する時間にしかならない。

 

 しかし、今日は少し違った。

 

 いつも通り席を立とうとすると、一つの変化が目につく。

 

「あれ、優美子今日はここで食べない感じ?」

 

 三浦は昼休みになるやいなや席を立つ。戸部の問いに彼女は何も答えることは無く、教室の中央に位置する席の女子に断りを入れ、その席に座る。

 

 三浦を怪訝な視線で見る戸部、大岡、大和に海老名さんが笑いかける。

 

「なんか優美子今日調子悪いらしくて。皆に風邪移したくないんだってさ」

「……あー、確かに今日ちょっと静かだったべー。了解」

 

 三浦は前だけを見て、弁当箱を開く。由比ヶ浜も葉山も、そんな彼女に何も言わない。海老名さんの説明に戸部も幾度か頷き、葉山とバカ話を始める。

彼らが三浦に触れないならば、大岡と大和も何も触れることはできないのだろう。いくらか訝し気な視線を三浦に送りつつも、弁当を広げて談笑を始める。

 

 そして三浦は教室の中央、一人で弁当を広げた。

 

 恐らく、それは彼女にとって未知の体験のはずだ。同時に我慢ならない状況でもあるだろう。それは常に他人の世話を焼き、他人と関わって生きてきた彼女らしくない。

 

 周りの人間――特に女子生徒――は、三浦に好奇の視線、嘲りの視線、怪訝な視線を向ける。しかしそれでも彼女は周りを気にする様子はなく、黙々と弁当を食す。

 

 では、比企谷八幡は。

 

 どうすればいいか、どうすべきか。頭では当然わかっていた。だからこそ俺はいまだにベストプレイスに行けず、ここにいる。立ち上がることもできず、昼食を広げることもできない。

 

 15分。恐らくそのくらいは経ったと思う。三浦はその間やはり俺を見ず、前だけを見ていた。

 

 俺はまだ、何もアクションを起こすことが出来なかった。それについて三浦も他の人間も、何か言うことは無い。

 

 今まで誰かと談笑しながら飯を食べていた人間が、いきなり独りを貫く。その心境は、恐らく俺の計り知れる所ではない。

 

 しかし。情けなくも、俺は吹っ切れることができない。どうしても最後の一歩が踏み出せない。

 

 生徒会長で、スクールカーストの頂点で、女王。彼女は本来俺などが関わっていい人間ではない……いや、もっと言えば。俺は自らのそれを補足する。

 

 クラスメイトの衆人環視の下、大っぴらに俺が干渉していい人間ではない。

 

 そんな言い訳だけが、ひたすら頭の中を舞い踊った。

 

「ご、ごめんね三浦さん。ちょっと横いい?」

「ん、だいじょぶだし。こっちこそごめん」

 

 言い訳をする俺を、誰が知るわけでもない。三浦の座る席の主の女子が遠慮がちに右側に掛けたリュックを持ち上げ、三浦はその女子に鷹揚に頷く。

 

 そして俺は初めて机の左側の、三浦のブランケットに覆われたそれを見た。

 

 それを見た瞬間。あれだけ動かなかった脚は、自然と彼女へ向かっていた。

 

 俺が座ったのは、三浦の前の席。よって彼女の表情を推し量ることはできない。

 

 しかし、そんなことはどうでもよかった。俺は後ろに座る三浦に、前を見たまま頭を下げた。

 

「……すまんかった」

「謝んなし」

 

 漏れた俺の謝罪に、三浦は間髪入れずに返す。

 

「あーしは、あんたとは違うから」

 

 続く否定に、俺の返答は続かない。前を見るしかない俺に、三浦は静かに続ける。

 

「あーしにはあんたが言う……その、なに。ぼっち?の気持ちがよくわかんない――わざわざ教室から出て、独りで別のとこで飯食う気持ちもわかんない」

 

 もっと言えば。続く彼女の声は、少し震えている気がした。

 

「独りってどういう気分か、あーしにはよくわかんない」

 

 それは、真実だったと思う。珍しく震える彼女の声に、俺はそう確信する。彼女は俺とは違う。彼女には俺の気持ちがわからない。今まで交わる場所にいなかった俺たちにとって、それは当然のことだ。

 

 そして多分。俺は薄々勘付いていた。それが俺と彼女の一番の違いで、溝なのだ。

 

 三浦は常になく、淡々と声を紡ぐ。

 

「ヒキオはさ、なんだかんだあーしに合わせてくれるじゃん。リア充とか色々文句言っても、あーしが生徒会長になるとか言っても、結局はあーしの土俵に立ってくれる」

 

 それは違う。すぐに否定の言葉を重ねようとした。ぼっちは土俵なんて持たない。合わせるのを強制され、いつだって無理やりでも愛想笑いをし、合わせるしかない。

 

 しかし、その言葉は流石に出てこなかった。当然だ。俺は三浦優美子の隣にいるのが、嫌ではなかった――いや。俺は自ら否定する。それすらまだ正しくない。

 

 誰でもない比企谷八幡が、彼女の隣にいたかった。だから仕方なく彼女の横にいたなど、言えるはずもなかった。

 

 思えるはずもなかった。

 

「だからあーしも、ちょっとはあんたに合わせてみたくなったつーか……飯くらい一人で食ってみるのもいいかなって、思っただけ」

 

 それに。三浦は少し口を尖らせる。

 

「ヒキオ、誘っても絶対一緒に食べてくれないから。……『俺なんかと一緒に居たら』って、あんたは絶対に言うから。あんたから来てくれるなら、そんなことないじゃん?」

 

 痛いところを突かれた。思わず視線が下がる。このようなことが無ければ俺は彼女と教室内で近づくことは無かっただろう。俺は彼女を好ましく思っていて、だからこそ彼女に近づけない。

 

 『俺なんか』。その言葉にすべては集約されていた。

 

 だが。

 

「ほんとに、それだけか?」

 

 問いは自然と口をついて出た。見透かされているのが悔しかったわけでも、恥ずかしかったわけでもない。

 

 だが多分、彼女がここにいる理由はそれだけではない。俺はそれも確信していた。ほんの少し、続く三浦の声がつっかえる。

 

「それだけって、どーゆーこと?」

「文字通りだ。俺を敢えて昼飯に誘わず、一人でここに座っていた。それには他の理由もありそうだと、そう思っただけだ」

 

 ここで初めて、俺は彼女の方に振り向く。突然のことに三浦は珍しくその視線を地に落とす。

 

 その隙に俺は、三浦の座る席の左側を覆うブランケットをそっとどかした。

 

「え」

 

 俺の行動を上目遣いで視認し、三浦はその顔を手で覆う。

 

「……言ってくれりゃ」

 

 思わず、声が漏れた。

 

 ブランケットをどかした俺の手にあったのは、二段の黒色の無骨な弁当箱。どう見ても、パステルカラーの弁当箱を持ち込む三浦の趣味ではない。

 

 その弁当は誰のためにあるのか。今となっては明白だった。

 

「……べ、別にあんたのために作ってきたわけじゃ」

「……そうか。俺のためじゃないか」

 

 彼女の言葉に殊更声を落として答えると、三浦は慌てて返答する。

 

「い、いや、そーゆーわけでもなくて。……一応あーしなりに頑張って……作ってみたんだけど……」

 

 指をもじもじと合わせる彼女に、つい苦笑が漏れる。

 

「弁当作ってきたのにそれすら恥ずかしくて言えないって、お前……」

「……う、うっさいうっさいうっさい!あーしだって碌に料理なんてしたことないし、弁当なんてもっと自信ないし、味も保証できないし、それに……それに」

 

 三浦はこちらに上目遣いをよこし、もごもごむにゃむにゃと口を動かす。

 

「付き合ってすぐ弁当とか、浮かれすぎって思われそうだし……」

 

 その情けない声を聞き、潤む目を見た瞬間。俺の心は容易く決まった。

 

「気遣わせて悪かった。食う」

 

 そう。そもそもその弁当を見た時から。女生徒がどかしたリュックの向こうに掛けられた弁当を見た時から、俺の心は決まっていた。

 

「ちょ、ちょっとまって!!!」

 

 弁当を広げようとすると、三浦は俺の前に手を広げて制止する。

 

「や、やっぱだめ!食ってもらうにしても、もうちょい上手くなってから……人に食べてもらっても恥ずかしくないくらいになってから、だし」

 

 やはり彼女は上目遣いで、大きな瞳を滲ませて俺を見る。

 

 しかし、そんな目をされても俺の心は変わらない。

 

「いい。たまには不味い料理も食いたい気分だし――」「あ?」

 

 一転、刺すような視線が今は嬉しかった。それでこそ三浦優美子だ。俺は勢いに任せて本心を吐き出す。

 

「俺のためにこれから料理が上手くなるなら、その方がずっと美味いし……その、嬉しい」

 

 数秒、三浦はフリーズした。

 

 いくらか経ってその言葉の意味を理解したのか、あわあわと慌てた様子で手を振り、咳ばらいをいくつか、何とか口を開く。

 

「胃袋、つかまれないように気を付けな」

「とっくに惚れてるから意味ないな」

 

 ボン。間髪入れずに答えると、途端に彼女の顔は茹で上がる。

 

「あ、あんたは、すぐ、しょ、そ、そういうくだらないことを――」

 

 休み時間も残り少ない。三浦は真っ赤な顔でパクパクと口を開きながらも、その動きに合わせて弁当の中身を次々と口に放り込む。俺も今度こそ前を向いたまま、三浦の作った弁当を広げる。

 

 前を向いたまま、前後でそれぞれ弁当を食す男女が一組。

 

 とても、周りの級友の様子を窺う暇はなかった。

 


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