あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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どうも彼女はらしくない。

 

波乱の修学旅行から1週間。

 

俺は今日も今日とてベストプレイスにて昼飯を食べる。空は快晴。頬を気持ちいい風がなでる。正直寒い。湿度は知らん。

 

 なかなか良いコンディションだ。

 

 本日の献立は、ホットドッグにおにぎり二つ。ちなみに具はツナマヨとエビマヨ。なんというか、すごい炭水化物とマヨネーズ。二つがコンビで俺のお腹を襲ってくるぅぅぅぅ。やばい、炭水化物と脂質超うまい。

 

 そして目の前には、ジャージの天使がいる。これを最高といわずしてなんというのか。

 

 …いや違う、天使じゃなかった戸塚だった。もう戸塚と天使の見分けがつかない。こないだはサイゼの天井の絵を見て「裸の戸塚がいっぱいだ」と無意識に思って、自分で引いた。何言ってるかわからないやつは、とりあえずサイゼに行け。ボッティチェリやらラファエロやらの作品がタダで見れるサイゼは、やっぱりコスパ異常。

 

 さて、その戸塚は現在、ラケット片手に必死に黄色い玉を追いかけている。その頬は上気し、玉は確実に彼のラケットに吸い込まれて、声からはいつしか甘い吐息が…やめよう。なんか腐った笑いが聞こえた気がした。

 

 そんなことを思っているうちに、気づけば昼飯を食べ終わる。

 

 クソ、やってしまった。ぼっちの特性の一つとして「飯を食うのが早い」というものが挙げられる。…なんでか?話す人間がいねえからだよ殺すぞ。

 普段であればスマホをいじったりしながら適当に時間をつぶすのだが、戸塚に見とれているうちにすべて食べてしまったらしい。いつもであれば戸塚の練習終わりに合わせて、いい感じで一緒に帰れるようにするのに。…いや別にやましい気持ちはない。これは断じて友情である。みんなも友情を大切にしような。ぼっちの八幡からのアドバイス。

 

 俺はため息とともに立ち上がる。しかたない。マッ缶でも買いに行くか。いつもなら戸塚と一緒に自販機まで行って、戸塚が冷たいスポドリを俺のほっぺたに当ててくるのに。それで「えへへ。…冷たいでしょ」とか笑ってくれるのに。なんなんだよ畜生。午後の活力が足りねえよこれじゃ。…戸塚で何行使うんだよ。いや何行って何だよ

 

 さて、マッ缶マッ缶…

 自販機の前で寂しい財布を広げていると、横からなげやりな声がかかる。

 

「ヒキオじゃん」

 

「さて、マッ缶マッ缶…」

 ん?今なんか聞こえたか?俺には聞こえなかったけどな。ほんとだよ?ハチマンウソツカナイ。

 

「…なに、あんたいつからあーしを無視できるほど偉くなったん?」

 恐る恐る横を見ると、そこには額に青筋を立てた三浦優美子がいた。

 

「ごめんなさい謝るから睨まないで」

 だってこいつの目と口調まじで怖いんだよ。殴られてからじゃ遅いんだよ。

 

「で…お前はなんでここにいんだよ」

 

「は?見てわかんないもんは聞いてもわかんないっしょ。今から紅茶のボタン押すけど、あーしが何しようとしてるかわかる?」

 ふふん、と心底見下した視線を俺に送る。言っていることは的を射ているのが、逆に腹立たしい。しかし。

 おれはジュースのボタンを押す三浦を見る。なにかおかしい。俺をバカにしたように見る彼女に、俺は違和感を覚える。どこがどう、とは言えないが…

 

「な、なにじろじろ見てんだし」

 

 気づけばぶしつけな視線を送ってしまっていたらしい。戸惑う彼女から俺は目をそらす。

「いや、今日も二本買ってんだな、と思ってな」

 

「ああ。これ」

 彼女は紅茶とオレンジジュースを掲げる。

 

「海老名とじゃんけんで負けたの。なに、なんか文句ある?」

 三浦はなぜか胸を張る。いや、別にいいんですけどね…。

 

「さすがにじゃんけん弱すぎでしょ、お前…」

 

 そう、「今日も」彼女はここに来た。

 以前の突然の女王のベストプレイス訪問から、俺は彼女の来訪を警戒していた。その観察の結果、この女はほぼ毎日自販機に来ていることがわかった。

 じゃんけん弱すぎませんかねこの子…おそらく今日は俺が早く昼飯食いすぎて時間がかみ合ってしまったのだろう。

 

「は、はぁ!?別にんなことあんたに関係ないっしょ」

 彼女は少し頬を染めて答える。弱みを見せたとでも思っているのだろうか。いや、いいと思いますよ。そのくらいのほうがあーしさんらしいっすよ!ポンコツ女王。これは流行る。

 

 咳ばらいを一つ。彼女は見下した視線を俺に送る。

「で、あんたはまたあのくっそ甘いコーヒー飲むん?」

「それこそ俺の勝手だろうが…」

 というか、これをうまそうに飲みほしてたのはどこの誰でしたかね。大体マックスコーヒー以外のコーヒーの選択肢は、千葉県民にはない。

 

 いや、そんなことよりも。

 

 俺はようやく違和感の正体に気が付く。確かに俺と彼女は修学旅行の前後、割と言葉を交わした。しかしそれはいつもそうする必要があったからだ。正確に言えば俺にはなかったが、少なくとも彼女は俺に話すことがあった。大抵は葉山関連だったわけだが。

 

 だが、今は。

 

 普段だったらこのように出会ったら、どうなるだろうか。今あるべき俺と彼女の姿をシミュレートしてみる。

 

「ヒキオじゃん」

「おう」

「ピッ…ガシャン」

「じゃあ」

「おう」

 終了である。まて、俺キョドって「おう」しか言えてない。

 

 ともかく、無駄話は俺と彼女に似合うものではない。何を企んでいる。

 ここ数週の彼女の行動を振り返り、俺は警戒する。無駄話と見せかけどんな爆弾が飛んでくるかわかったものではない。

 

 しかし彼女はそんな俺の警戒も素知らぬ顔で、ジュースのふたを開ける。

 

「相変わらず何言ってっかわかんないんだけど。…で、あんたはまたあんなとこでぼっち飯食ってるわけ?」

 

 吹き付ける風に震えながら、俺に問う。その問いには以前のような蔑みは感じられなかった。寒くないか心配してくれるあーしさん、まじおかん。いや、確かに寒いんですけどね。

 

「この季節は閉め切った教室の淀んだ空気で飯食いたくねえしな。…それに別にいつも一人で食ってるわけじゃない」

 戸塚とか戸塚とか戸塚とか。つい見栄を張って余計なことを言ってしまった。俺は戸塚を遠くで眺めているだけなんだけどな。

 

「あんた弁当一緒に食う相手とかいたん?男の友達と…いや、ないっしょ」

 彼女は即座に自分の言葉を否定する。おい、失礼だぞ。俺にだって男友達くらい…ごめんなさい、いませんでした。戸塚は性別を置き去りにしてるし。材木座?なにそれ土建屋?

 

「じゃ、もしかしてあんた」

 俺の返答も待たず、彼女は続ける。

 

「お、女と一緒に飯食ったりしてんの?」

 

 はぁ?何を言っているのだこいつは。

 

 自らの昼休みの現実と彼女の質問の乖離に、俺はまた口を開けない。あんな寒いところで一緒にご飯食ってくれる女子がいたら、即告白して振られてハブられるまでる。あっ、ハブにされてるのは元々でしたね。

 

 あまりの質問に何も言えない俺に、彼女はすぐに付け加える。

 

「だってあんた学校でも男といるより女といる方が多いでしょ?結衣とか雪ノ下さんとか。だからまだ女の方があると思っただけなんだけど…」

 下を向いたかと思ったらいつもの目で俺をにらむ。忙しい奴だ。

 

 これ以上話が面倒な方向に行くのは御免である。俺は両手をあげる。

「ちげえよ、いつも通り一人だ。昼休みはテニスの練習してる戸塚と少し話す程度だよ」

 

「そ、そーなん?別にどうでもいいけど。てか、そんなことくらいで一緒に飯食う相手がいるとか言ってたん?さみしい奴」

 

「うるせえな。俺はそれで充分なんだよ。戸塚は遠くで見てるだけで、いいんだよ」

 

 ニヤニヤと俺を見る彼女に、俺は真剣に答える。いつもは頼りない戸塚のりりしい姿。今やそれを見たいがためにあそこで飯を食っているまである。

 

「は?正直キモイんだけど。そーゆー海老名を暴走させること言うのやめてくんない?」

 彼女はゴミを見るような視線を俺に送る。いや、確かに今のは俺もきもかった。

 

 そうはいっても戸塚のかわいさは伝えておかねばならない。しかし俺が口を開く前に、昼休み終了の鐘がなる。

 

「あ、やば。もうこんな時間だし。あんたとくっちゃべって昼休みつぶすとかマジ最悪なんだけど。…てかあんた、なんで鐘なったのに微動だにしないし?やっぱ耳ついてないの?」

 

「別に…お前こそ早く行ったほうがいいんじゃないか。鐘なってんぞ」

 何度同じようなこと言わせる気なんだよ。頼むからさっさと行ってくれ。勘違いされるとか、あ、ありえないし。戸塚とも話せなかった。最悪である。

 

「はぁ?だからなんであーしがあんたに指図受けなきゃなんないわけ?ほら、さっさと行った行った」

 彼女は目を吊り上げ、俺を足蹴にする。なんでも思い通りにいかんと気が済まんのかこの女王様は。せかされ、仕方なく俺は彼女の前を歩く。

 

 しばし歩くが、無言の彼女が少し気になり振り向く。が、そこには誰もいない。

 

 廊下の端のトイレに金髪の女子が入っていくのが見えた。ああ、トイレ行くのを俺に見られたくなかったんですね。なんなのその女子力。あーしさんマジ乙女。

 

 教室につき、俺は速攻で腕に顔をうずめる。無駄なやり取りで無駄な体力を消費してしまった。いつもなら戸塚でエネルギーを補給するはずの昼休みに、まさかエネルギーの浪費をしてしまうとは。

 

 しかし俺の安眠は、乱暴に開けられたドアの音によって遮られる。

 

 そこには無言で、無表情で教室を見渡す三浦優美子がいた。彼女の瞳には獄炎が宿ってはいるが、その表情はいつもよりどこか頼りない。よくよく見てみると、彼女の目は特定の女子の集団をとらえているように見える。

 

 一通り女子らをねめつけ、自らの席に行き、座る。彼女のとった行為はそれだけだ。

 

 しかし彼女が教室に入ったことで、クラスの雰囲気がすこしだけ変わった気がした。恐らくほとんどのクラスメイトは気が付かない程度に。彼女の視線を追った俺は、三浦をいつもよりもいささか直接的に、軽んじてみている女子たちの視線に気が付いた。

 

 女王である三浦のらしくない表情。女子たちの彼女への視線。

 

 …なるほどな。

 

 まあ、自分で蒔いた種だ。仕方あるまい。

 

 だが、そう単純に割り切れたらどれほど楽だっただろうか。その後の授業はらしくない女王の表情、女子たちの視線が脳裏をよぎりまるで集中できなかった。まったく、俺もらしくない。

 

 集中できなかった現国終了後には、平塚先生から呼び出しをくらった。そこはかとなく、はっきり言ってものすごく嫌な予感がするが、廊下に出る。

 彼女は俺を見るなりため息を漏らす。おい、呼んだのはあんただろうが。

 

「どうだね。最近の調子は。少なくとも今日の授業は集中していなかったようだが。

…修学旅行の件と、何か関係があるのか?」

 

 気づいていたのか。今度は俺が心中ため息を吐く。流石にあの時は少し動きすぎた。

 

「べつに、俺の調子が悪いのは普段通りですよ。それに良い調子が必ずしも良い結果を生むとは限らないでしょう。むしろ調子がいい日なんて、調子づいちまってろくなことがない」

 調子に乗って告白して振られたり、調子に乗って学校に早く行って車に轢かれたり。あれ、俺の人生って…

 

 一生調子がいい日が来そうにない俺の人生を嘆いていると、彼女はいつも通りの苦笑を漏らす。

 

「相変わらずどうしようもないな、君は。…まあたまには軽い雑談でもどうだ。どうせ教室にいても暇なだけだろう」

 

「まあ別にいいですけど。先生も友達いなくて暇でしょうし」

 事実を言う彼女に、俺もつい言い返してしまう。やばい。彼女の眼光が鋭く光ったことを確認した俺は、殴られる前に話を逸らす。

 

「…時に、これは俺の友達の話なんですが」

 しまった。言ってから俺は渋面する。つい先ほどの授業までの思案がでてしまった。

 

「ほう。君がそんなわかりやすい前置きから入るとは。…いいぞ。友達の話、きいてやろう」

 彼女はにやにやと俺を見る。仕方ない。吐いてしまった唾は飲めない。

 

「俺の友達の周りに、最近どうも様子がおかしいクラスメイトがいるそうです。そしてそのクラスメイトの異変に、その友達も関係している。しかし彼は自分から動くわけにはいかない事情があり、気持ち悪さが残る。彼は彼女に対してどうすればいいか、そういう話なんですが」

 

 俺は何とか一息に言い切る。

 

 他人に話せば何かわかるかと思ったが、やはりよくわからない。自分の思考が自分で掌握できない。修学旅行の一件からの自らの気持ちに対する違和感が、どうしても残る。

 

 平塚先生は瞠目し、俺を数秒間見つめる。

 

 整った目鼻立ち。さすがに少し動揺しかけたところで、彼女は破顔する。

「なるほどなるほど。君も少し、成長したようだな」

 

「…別に俺は関係ないですよ。友人の話です。大体今の話に成長する要素がありましたか?」

 彼女とは反対に、俺の顔はゆがむ。

 

 成長だと?これを退化と言わずしてなんというのか。他人の心情どころか、自分の思考すらわからなくなってしまったというのに。

 

「おっと、そうだ友達の話だったな。

…ん、もうすぐ六限目だな。では比企谷、これだけはその友達に伝えておいてくれ」

 

 彼女は優しく俺を見る。

 

「君は今その気持ちに戸惑っていると思う。わかっていたと思っていたものが突然わからなくなったのだから、当然と言えよう。

 だが、それを私は成長だと思う。一度リスクリターン抜きに、今の君の思うままに動いてみるといい。悩みのヒント程度にはなるだろう」

 

 鐘が鳴り、次の授業の教師が教室に入る。

 

 ヒント?まったくわからない。まったく使えない。不敵に笑う彼女を前に、俺は結局それだけを思った。

 

 

 

 

 

「ヒキオ、早く行くし」

 放課後。鞄を肩に下げた三浦優美子が、鞄で俺の頭をたたく。たたくといっても「ポカッ☆」ではなく「ドガッッッ★」である。その後ろにはガタガタと帰り支度をする由比ヶ浜の姿が見える。

 

 修学旅行が終わってからも、三浦は放課後には奉仕部へ足を運んでいる。俺としては雪ノ下と何か問題が起きる前にやめてほしかったのだが、「暇なだけだけど、なに、あんたの許可がいんの?」女王にそうにらまれては、俺が逆らえるわけもなかった。

 

「…だから、先行けっつってんだろ」

 大体俺帰り支度俺より早いって、どういうことなんだよ。授業中教科書机に出してないんじゃないの?そういえばこの女が勉強しているところを見たことがない。

 

「うっさい。さっさとしな」

 彼女はケータイをいじりながら、そうせかす。だから別に先に行ってくれていいんですけど。むしろ行ってくれ。周りの視線が…

 

 そう。一度気になってしまうと違和感はぬぐえない。三浦もその視線を感じたのか、彼女の目はケータイではなく、教室で遠巻きに見ている女子たちをとらえている気がした。彼女は小さく舌打ちをする。

 

 ついに我慢できなくなったか。そう思い三浦の怒声に備えて腰を浮かす。

 

 しかし、彼女は何も言わずに速足で教室を出ていく。ドアが閉まる音だけが空しく響いた。

 

 気づけば俺の横には由比ヶ浜が立っていた。

 

 彼女は俺などよりよほど三浦のことがわかっているのだろう。俺を横目で見るが特に言葉はなく、三浦の後を追った。

 彼女たちが出て行ったのを確認し、俺も席を立つ。気は進まないが仕方ない。俺にも責任の一端がないとも言えない。

 

 

 

 奉仕部での三浦の機嫌は、はっきりとは悪くなかった。

 

 むしろ悪いほうがまだましだったと言えるかもしれない。普段の彼女であれば機嫌の悪い日ははっきりとしていて、その日は由比ヶ浜がなだめ、雪ノ下は衝突を避けるようになった。以前彼女を泣かせたことで、少しは反省しているのだろうか。

 

 しかし今日の彼女の様子は、少しおかしかった。今日の、というのは少しまちがっているかもしれない。昼休みにトイレから戻ってきてからの三浦優美子は、教室でも奉仕部でも負のオーラをまき散らしていた。文句を言うわけでも、突っかかるわけでもない。ケータイをパカパカと開けては閉め、時折何かに対して舌打ちをする。

 

 その三浦に由比ヶ浜はどうすれば良いかわからないのか、ケータイをいじりながらチラチラと俺と三浦に視線を送る。俺に頼られても困る。

 雪ノ下はいつも通り本を読んでいるが、様子のおかしい三浦にそろそろ苛立ちがたまってきているように見える。

 

 雪ノ下は本を閉じ、ため息をつく。

 

「三浦さん、先ほどから正直うっとうしいのだけれど、何かあったのかしら。陰鬱な空気を無駄にまき散らすのはやめてもらえるとありがたいわ」

 

 そろそろそう来ると思った。俺は目線を本に移す。三浦と雪ノ下の言い争いほど無駄なものはない。一生平行線である。下手に関わるよりも嵐が過ぎ去るのを待つのが無難だ。

 

無駄な努力が好きなエアマスター、由比ヶ浜は雪ノ下を全力でなだめている。まあ三浦がうっとうしかったのはまちがっていない。クラスの雰囲気を知らない雪ノ下に、理解を求めるのは不可能だろう。

 

その雪ノ下に対する三浦は。

 

「…別に、あーしなんも悪いことしてないじゃん」

 雪ノ下から目をそらし、ケータイをいじりながら投げやりに答える。

 

「私はあなたが悪いことをしたとは言っていないわ。ただ、空気を悪くされると読書に集中できないからやめてもらえるかしら、と言っているのよ。それが無理なら出て行ってもらってかまわないわ」

 

「ま、まあまあゆきのん。優美子だって悪気があるわけじゃないと思うよ。ただ…」

 仲裁に入った由比ヶ浜は、言いかけてやめる。それに直接触れること自体、今の三浦を刺激するだけだろう。

 

 部室に沈黙が下りる。教室内にピリピリとした空気が流れる。

 

 俺はいったい何度この女に平穏を乱されればよいのだろうか。

 

 雪ノ下と同じくため息を一つ吐き、文庫本を閉じる。この問題の解消は簡単である。悪者を一人作ればよい。女子3人に男子1人の空間。わかりやすいところで言えば。

 

「あー、まああれだ」

 突然口を開く俺に、三人の目線が刺さる。ああ、この目線が数秒後にはおそらく。

 

「誰にだって調子の悪い日くらいあるだろ。例えば女子なら」

 

 一呼吸開ける。

 

「おりものの日とか」

 

 その後の部室の空気は察していただきたい。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜はいつも通りドン引きした目で俺を見ていた。雪ノ下に至ってはどこかに電話をかけていたのが一層怖い。ちょっと、この年で前科もちはきつい。

 三浦は俺が本気でそう言ったと思ったのか、顔を真っ赤にして俺の頭を殴った。しかもグーで。痛い。

 

 その日は俺の献身的自己犠牲…犠牲などと言いたくないが、これは犠牲といっても差し支えないだろう。三浦と雪ノ下の衝突は避けられたが、結局はその場しのぎである。

 

 その後も日に日に三浦の機嫌は悪くなり、比例して部の空気も悪くなった。雪ノ下は何度か三浦に文句を言ったが、三浦は言い返すでもなく、投げやりに返す。その二人を由比ヶ浜が取り持つ。由比ヶ浜のおかげで一応何とかなってはいた。

 

 しかしそれにも限界がある。

 

 

 

 

 三浦の様子がおかしくなった日から一週間。部室でいつも通り本を読んでいた雪ノ下は、今日も不機嫌をあらわにする三浦を見て、こめかみに指をあてる。

 

「三浦さん、あなたいい加減にしてもらえるかしら。何か悩みがあるなら聞くと、そう言っているでしょう。ここは奉仕部なのだから、あなたが助けを求めるなら私たちはできる限りの力になるわ」

 彼女なりに踏みとどまったのだろう。奉仕部の部長としての言葉には、いつもの冷たさは感じられない。

 

 しかし今の三浦にその温かさは届くのだろうか。

 

 三浦は目を吊り上げ、雪ノ下をにらみつける。

「っっ!!なんであんたなんかに心配されて、上から物言われなきゃなんないわけ?あーしを助けようなんて、あんたなに様のつもり…」

 

「優美子!!」

 三浦の怒声を、由比ヶ浜が遮る。

 

「優美子が今どんな気持ちか、なんとなくわかる。どれだけつらいかも、なんとなくだけど、わかる。それでも…この場所を、ゆきのんのことを、そんな風に言わないで」

 由比ヶ浜は消え入りそうな声でつぶやいた。

 

 三浦は言葉を詰まらせ、黙って雪ノ下と俺を見る。

 

「…ごめん」

 

 三浦優美子はそれだけ言って、部室から出て行った。由比ヶ浜だけが彼女を追いかけ、俺は本に目を戻し、雪ノ下は開けられたドアを見つめていた。

 

 

 

 部室の鍵を返しに行った雪ノ下と由比ヶ浜より一足先に、俺は帰路につく。あの後、結局戻ってきたのは由比ヶ浜だけだった。由比ヶ浜は何も言わずに席に座り、雪ノ下も俺も何も聞かなかった。

 

 校門を出て自転車にまたがる。いざ、愛しの小町が待つ我が家へ!

 

 しかし、ペダルを踏んでも前に進まない。

 

 嫌な予感がするが、振り返る。

 

「…乗せてけし。あーし今日歩きたい気分じゃない」

 

 そこには荷台をつかんだ、いつもよりも数倍不遜な三浦優美子がいた。

 

 歩きたい気分じゃないってなんだよ。そんなこと言ったら俺は年中歩きたくないし、学校にも来たくないし、話したくない気分なんですけど。

 

「お前の気分が俺と何の関係があるんですかね…おい、勝手に乗ってんじゃねえよ」

 早くも荷台に乗る三浦に、俺はこれ以上ないくらいに顔をしかめる。

 

「あぁ?さっさと行きな。先生とか来る前に」

 

 俺はあたりを見渡す。問題は教師ではない。

 

 周りにはすでに物珍しく俺たちを見る学生がいた。そうだった、ここは校門だった。目立つのはぼっちの領分ではない。

 

 大きくため息をつく。まったく、この女と関わってからろくなことがない。

 

「…おい、鞄よこせ」

 俺は彼女の鞄を俺の鞄の上に乗せる。二人乗り中に落として「弁償しろ」とか言われたら萎える。

 

「あ、ありがと」

 彼女はしおらしい声を出して礼を言う。自転車をこいでいるから、後ろの彼女の表情までは分からない。

 

「ああ、それと」

 紳士らしく付け加えておかねば。

 

「スカート気を付けろよ。ただでさえ普段からちょいちょい見えてんだか…うっ!?」

 

「うっさい!さっさと行けし!…駅の方で」

 

「ちょ、それじゃおれんち遠くなるんだけど…」

 

「は?こないだから女子にセクハラ発言しまくっといて、何言ってんの?」

 

 彼女は声に怒気を込める。いや、だからそれは少しでも部の空気を過ごしやすいものにするためにですね…

 しかし、確かにセクハラだったのかもしれない。俺としては紳士のつもりだったんだけどなぁ。セクハラとか言われたら紳士的行為の大半ができない気がする。そういうことを許されるのはイケメン(笑)だけである。

 

 俺は大きなため息を一つ、駅へ向かう。

 

 こいつが何をする気かは知らんが、どうもろくなことにならない予感がする。

 

 


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