リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第1章 壁外 1

 霧に濡れた身体で歩いていく。

 薄暗く、悄然として葉の垂れ下った木々ばかりの森を行くのは、どこからかやってきた不死人であった。既に途方も無い旅をしており、だが目指した地はこの森を抜けた先にあると知っている。

 その土地の名はリングレイ。亡者達で溢れ、滅び、それきりになった場所。

 踏む度に悉く粘着質の音を出す枯葉は、下に潤沢な泥濘を隠しており、油断すれば足を搦めるか、滑らせるかのどちらかであったため、頭は自然と俯きがちになる。故に森の中に素朴な佇まいの小屋が現れたことに気付いたのは、そこにまでかなり近付いてからのことであった。

 不死人はこれまでの旅で常にそうしてきたように、屋内に何か使えるものは無いか物色をしようと、正面の扉を開くべくそこへ近付いていく。

 「うがあっー!」

 瞬きの間の出来事であった。こちら側から開こうとした扉はそうなる直前に向こうから強引に開け放たれ、咆哮と共に現れた騎士が剣を振りかぶる。唐突な出来事に対応が遅れるばかりか尻餅を着き、最早どうにもならなくなったことを悟ると同時、衝撃を覚悟して目を固く閉じる。

 頭蓋を割られるか、肩口から胴を両断されるか。

 だが斬撃は一向に訪れず、両者の間でしばらく降りた沈黙の中、どこか森の奥で小鳥がか細く鳴き声を上げる。

 「ガ、ガハハハハハハ、すまない。手違いだったようだ」

 その男性、丸みを帯びた甲冑を着込んだ騎士は、倒れ込んだままの不死人に手を差し伸べ、そして恥ずかしげに笑い声を上げていた。手を取り合い、不死人を助け起こしたあと騎士は小屋の中に戻り、不死人もまたその後ろに続いて小屋の扉を潜る。

 「ああ、丁度食事を用意していたのだ。多めに作って正解だったな。いや、味には期待しないでくれ」

 騎士は丸い椅子に腰掛け、目の前の鍋からスープを掬って器に入れる動作を二度行い、それの片方を適当な場所に座り込んだ不死人に手渡す。

 「ところで貴公は、やはり、なんというか。この地を目指し、外からやってきたのだな? うむ、そうか。どこからやってきたか、覚えているか? うむ、まぁこのような時代ではそれも仕方あるまい。さて、勿体付けずに喋るとしよう」

 騎士は食べ終えたスープの器を置き、窓の外を見やる。

 「私もあの地へ入り、それなりに調べてきたよ。だが、何も無かった。私の求めるものは何も。引き返せ、とまでは言わないが、期待のし過ぎは良くないだろう」

 不死人の方へ向き直り、その全身を騎士は隈なく眺める。

 「武器はあるのだな? その腰に下げているものは使えるのだろう?」

 不死人は自分の腰に下がっていた剣を鞘から抜き、騎士に見せる。ブロードソードは刃がやや厚め、そして広めの直剣であり、突く様な真似は不得意であるものの、力を込めて斬り付けるような攻撃であれば頼りになる一品である。

 「ふむ、得物はそれで良いだろう。これは持っているか?」

 騎士が腰の袋から取り出して見せたのは、いくつもの仄かに発光する石であった。

 「知らんのか? これは雫石と言い、中に身体の傷を癒す力を蓄えているのだ。使い方は自分の胸元で砕くだけでいい。持っていないのなら別けよう」

 不死人は貰った雫石を自分の懐に仕舞い、それが終わると騎士は立ち上がり、小屋の外へと歩いていく。

 「私はもう行く。貴公の旅の幸運を祈る」

 森へと消えて行く騎士を見送った後、不死人もまた立ち上がる。そして小屋の外へと出ると、騎士が去って行った向きとは逆の方角に身体を向け、足を踏み出した。

 霧の湿気と、曇り空と、影落す枝葉が陰鬱な森を作り、だがしばらく歩くと徐々に森は開け、空もまた雲の切れ間が見え始めた。そこから更に歩いて海の見渡せる丘にまで上がると、ついに霧と森は終わり、不死人はそこで一度立ち止まる。

 霧の残り香を漂わせる、湿った冷たい空気の中に優しげな光りが注ぐ。そこから覗く青空もまた美しく、深々とした青さはどこまでも透き通り、空の限りの無さを想わせ、そしてその中を通ってきた橙の光は、浮ぶ雲に黄金の縁取りを与えていた。

 もしもあの空の中を泳ぎ、或いは溶け込めたのなら、どれほど気持ちの良いことか。不死の身では決して叶わぬ願いが胸に寂寞を喚び、だがそうして心動かされることが未だ人らしさを残す証でもあった。

 美しい景色をしばらく眺めたあと、不死人は暗い森を背に、丘を降り、海岸とその傍にある城下街を目指して歩く。

 リングレイという地は高い周壁と、その後ろに広がる海と、周囲の険しい森によって守られており、容易には攻め落とせない場所であると窺い知れる。もしもそうするために軍勢が集結したなら、攻撃前に彼らが息をつける場所は、不死人が今居るこの広大な農村地帯くらいのものだろう。

 背の高い黄金の草が遠く茂る、長閑であるようにも見える農村の風景。だがそれはあくまでそこかしこに居る亡者達にとっての平穏であり、正気を残す者にとってはそうではない。

 不死人は道の左右に広がる草の影に隠れ、亡者達の目から逃れながら直進し続けると、やがて道の横に篝火を見付ける。

 その篝火には先客らしき者の姿があった。痩せた甲冑を着たその騎士の兜はフェイスガードが開いたままになっており、そこから線の細い横顔を覗かせている。

 その顔が不死人の方へ向く。一目見て亡者ではないと理解したのか、痩せた甲冑の騎士は不死人を見付けると軽く頭を下げ、会釈をしてみせた。

 「こんにちは、あなたも旅の方ですか」

 細い、というよりも女性そのものの声であった。女性騎士は爽やかな笑みを見せ、一先ず敵意が無い事を示している。それを見た不死人は篝火の前に腰を降ろし、身体を休めることにした。

 「私も遠くからこの地へとやってきました。ですがどうしても、周壁を越える方法が見付からず、ここで立ち往生してしまっています。ここまで来るだけでそれなりに大変だったのですが」

 女性の細い身体で剣を振ったとして、いくら亡者でも容易く倒せないことは明らかである。女性騎士がこれまで辿ってきた道のりが如何に険しいものであったか。

 「それに、出入り口を探そうと周壁に近付くと、上から降ってくるんです。とても大きな矢が」

 この篝火は既に周壁に近い。即ち女性騎士がこの場所に留まっているのであれば、遠からず実際にその矢が降る所を見ることになるのだろう。

 話しの折りも良く、不死人は十分に身体を休めたため、腰を上げて周壁に向かって歩き出す。

 「行くのですね。貴方に炎の導きのあらんことを」

 歩きながら片腕を上げ、その身振りのみで背後の女性騎士に応えた。

 篝火から少し歩くと、いよいよ周壁は眼前に高く聳え立ち、白い威容を見せ付ける。その位置から観察する限りでは、入り口らしきものは正面の門一つしか存在せず、しかしそれは巨大であり、人力で動かせる類のものではない。勿論レバーなどの開閉装置が付近に在る様子も見受けられず、周壁の向こうへ入るにはどこか別の出入り口を探さなければならなかった。

 どうしたものかとそこで立ち尽くしていると、近くで不揃いに高く伸びた黄金の草が揺れ動く。直後、草の側から道に転がり出てきた人影は、しかし何かする前にその首根を不死人は左手で掴み上げ、右手のブロードソードで斬り落とす。

 亡者。彼等もまた不死であり、そして永く不死であり続けてしまった為に心を失い、人を襲う者達である。動きは緩慢な者が多く、だが膂力は人よりも優れている場合もあり、また剣技などを揮う事もある為、油断ならない相手である。

 首から流れる血は黒ずんでほぼ枯れており、そして断末魔を上げることも無い。だがその亡者が首を斬り落とされたことで何かを感じ取ったのか、野草の奥から他の亡者達が三匹。順に這い出て自らの敵を見やる。

 おそらく元は農民達であったのだろう。痩せて干乾びた身体の彼らはそれぞれが鉈や鎌、長い鋤などを手にこちらに近寄ろうとしているが、幸いにも彼等の挙動はまるで芯が無く、弱々しいものであった。

 三匹のうち、先頭で近寄ってきた亡者が振り下ろした鉈を不死人は右に回避し、それと同時にブロードソードで敵の脇腹を両断、間髪入れずに鋭く横から突き出された別の亡者の鋤の一撃を、直撃の寸前で身を翻して躱すと、攻撃が空振りになったため隙を晒したその亡者に踏み込みつつ、上に掲げたブロードソードを振り下ろして斬り伏せる。

 ほんの数手のやり取りで三匹中二匹を斃し、次の相手に向き直るが、そのタイミングに襲い掛かって来る筈の残り一匹の亡者は居ない。その姿を探し、もう少し遠くまで視線を巡らせると、どうやら最後の亡者は不死人に手向かおうとせず、走ってどこかへ逃げ出していくようであった。

 いくら理性が失われつつあるとは言え、形勢があまりに明確であったために亡者はそのような選択をしたのだろう。敵が知る由もない事ではあるが、不死人は弓や魔法を使うことが出来ないため、逃げる背に追撃を行う術は無く、その点で言えば亡者の逃走は正解であったのかもしれない。ただ、逃げる方向さえ間違えていなければ。

 

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