第16章 中央広場Ⅲ 5
この後にまた、敵は好きな場所から好きな方法によって攻撃を仕掛け、それはこれまで通り一方的なものになる。
「むっ!?」
そのルールを壊したのはたった一つの鈴の音であった。体内に腐った魚を溜め込み、それを遠距離攻撃として一気に吐き出したクリスティアンであったが、その標的となったジークドルフは直前に走り出しており、それも魚の群れに対してほぼ直角の方向であるため、直撃を躱せているようであった。
鈴の音がまた鳴り続けている。それは聖職者のウォーハンマーによって出ているものだが、その拍子は人の手を介したものであり、つまりは先程これを受け取った哀れなクリスティアンの、人としての意志がまだ残っているらしい人間の形に留まっている手が握り、振ることで鳴っているものであった。
戦いの流れがはっきりと変わっていた。だが魚の知能がどれ程のものであるかなど分からず、時間を掛け過ぎれば種が割れてしまう可能性もあり、よってここからは一気に片を付けるべきだろう。
同じ事を考えたのか、腐った魚の砲が止み、追い立てられることが無くなったジークドルフは鈴の音がする方へと向き、また特大剣を構える。不死人はその後方に立つと、魔術師のロングソードをいつでも詠唱出来るように構え、すると二人の間で打ち合わせする間も無く、乱れる鈴の音が近付いていた。
これ、という機は無い。頃合を見て詠唱を始め、音を頼りに敵の突進に先んじて闇の玉を放ち、直撃。その衝撃によって迫る巨体の速度が減じることはなくとも、芯が揺れ動く。
「うおおおおおおおおおおっ!」
正面から、しかし敵の頭部の側面を捉えたツヴァイヘンダーの一撃は巨体の勢いを完全に狂わせていた。クリスティアンは一度僅かに浮き上がったかと思うと不死人の後方にて地面の中に潜り込もうとするかの如く転倒し、家屋や石塊を押し流しながら徐々に勢いを失くしていく。
その一方、剣を介して衝突の際の衝撃の全てを受けたジークドルフは大いに吹き飛ばされ、瓦礫の山にでも消えたか、その姿はどこにも見当たらず、また探している場合ではない。不死人は駆け出し、まだ横たわったままのクリスティアンに近付くと、その半透明で如何にも柔らかな腹に向け、直剣の突きを見舞った。
銀色の刀身が埋もれていく程、それを押し出そうとする透明な血や筋の動きなどが活発になり、しかしこの千載一遇の好機にて全力を発揮しない理由など無い。力ずくでロングソードを限界まで突き刺すと、今度はそれを横方向へと長く動かし、半透明な腹を斬り破った。
色の定まっていない内臓が溢れ出し、またそれに反応してか、クリスティアンが身を捩らせる。その動きは強く、死の際に反射的な動きを見せたにしては勢いが余っており、その内巨躯が起き上がると、また泳ぎだそうという意志を見せる。
ここで行かせれば、進退窮まったこの敵に捨て身の攻撃の準備を整えさせることになる。そのような考えは、しかし焦りばかりを生んで具体的にどのような行動に出るべきかの解答を導き出せず、やがて半透明の胴が宙を浮き、黒い頭部が歪曲する光の方を指す。
それと時を同じくして、指の上に、蛇が這うかのような感触があった。すぐさま下を見たところ、地面に置いた左手の上を這っていたのは蛇ではなく半透明な紐状の内臓の一部であり、それはクリスティアンの腹から垂れ下がったものである。
文字通り、それが手掛かりであった。不死人はその紐状の内臓を左手で掴み上げ、剣を握ったままの右手を振り被ると半透明の内臓とその下にある地面を深く貫き、また両手で柄の頭を持ちながら、上から体重を掛けて押さえ込む。
やがて哀れなクリスティアンは勢いをつけて泳ぎ出したが、内臓の端には楔が打ち込まれており、そこから中身が引き出されていく。剣を抑える両手に振動が伝わり、その度に次々に内臓が零れ落ちて半透明の胴がみるみる痩せ細り、そして最後には碌に抵抗も見せず、力を失った巨体は羽根が沈むようにゆっくりと地面の上に横たわった。
敢えて止めを呉れる必要は無かった。クリスティアンの下の両目は虚ろに濁り、上の両目は険の取れていく太い眉に伴い、穏やかに閉ざされていった。ただ一時と言えど、彼は死に抱かれ、不死人はその身体へと近付くと、再び彼の手から聖職者のウォーハンマーを受け取る。
それから少し経つと周囲で狂ったように踊っていた光たちも落ち着きを見せ始め、異次元から徐々に元の中央広場の景色が戻りつつあったが、凄惨な戦いの爪痕は深く、到る所の家屋が見るも無残に粉砕され、石畳については無事と呼べるものがほぼ見当たらなかった。
「見事だった」
身を整えたジークドルフが隣に並び、クリスティアンの横顔を眺める。
「私は、この地の者達がどのような因果にあるのか、詳しくは知らん。ただ、この者がどんなに大きな咎を背負っていたとして、死ねずに永遠にこのままでいるが罰なら、それはおかしい。釣り合わないだろうと思う」
クリスティアンはリングレイの者であり、これが罰の類であるのかは不明であったが、本質的にジークドルフの言は正論であると言えるだろう。尤も、世界が変わってしまった現在では「人としての」という注釈を付けなくてはならない。「人としての」価値観にそぐわないという者達が大勢を占めるのだから。
「なんであれ、解放出来たようで良かった。だが、ああ、流石に疲れたな」
肩や首を回し、骨を鳴らしながらジークドリフは瓦礫に寄り掛かり、座り込む。
「すまんが、先に行ってくれんか? なぁに、少しすれば」
そこで唐突に言葉が途切れ、騎士は深く項垂れた。まさか事切れたか、と様子を窺うと、彼は大きな鼾を掻き、船を漕ぎ始めた。
何か脳の障害を疑うほどの速度で寝入ったため、念の為出血の跡が無いかどうかだけ確認したが、一応無事であるらしい。この後のことやら、礼やらを伝えるべきではあるものの、少し揺すった程度では彼は起きる気配は無く、また他の脅威が近くにある訳でもなかったため、不死人は騎士を放置して歩き始めた。
この中央広場に来れば、尋ねるべき者達は最低でも三人居る。
その内の一人目、魔術師コネリーが使っていた家屋へと足を運ぶと、相変わらず机に向かい続ける背を見付ける。開いたままのドアをノックしつつ彼のすぐ後ろまでやって来ると、その背を越して机の上に、牢獄都市の最奥部にて虜囚の女から受け取った手書きの魔術書を置く。
位置の関係上、コネリーの表情は見えず、だが深く息を吸い込む音ははっきりと耳に残る。
「やはり、だから彼等は狂ったのか」
結晶の魔術。エルミューロクが奉じ、追求したもののようだが、何故それが狂気を喚ぶのか、具体的なところは不死人には分からず、しかしこの魔術師には何か思い当たるものがあるのだろう。
「勿論、必要だろうから教えるさ。でももう、私はこれまでだな」
今度は、長く息を吐き出す音が埃だらけの部屋に置かれた。溜息だろう。
「これで、良かったのかもしれない。追い続け、先ばかりを見てきた私だったけれど、これからはもう少し、周りのことも見てみるよ。うん、この土地の呪いに触れてしまっては、ね」
ましてや、その果てがこの惨状である。恐れを抱くのは当然だろう。不死人は彼の選択を是とも非とも言わず、ただいくつかの結晶魔術をソウルと引き換えに修めた。
去り際。一度振り返ってみたところ、魔術師コネリーはまだ机に向かったまま、だが背凭れに身を預け、天井を眺めていた。