リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第17章 2

 第17章 アリーナⅡ 2

 亡者達ばかりが虹色の光によって両断され、吹き飛ばされ、だがそうして飛び散る肉片は何故か沈まず、青ざめた血に漂う。やがて光線が収まりを見せ始めた頃には円形闘技場の上には膨大な数の赤黒い骨肉、内臓が浮き、それでも尚残った者達は決して歌声を止めようとはしなかった。

 旧時代の者にとってはあまりに倒錯的なその光景を、だが切り裂こうとソウルの結晶槍が飛び、怪虫の上に居るドレスの女を襲う。が、聊か苦し紛れに過ぎたろうか。彼女は何ということも無い風に必殺の魔法を片手で掻き消し、次には両手を胸の前で結ぶ。

 そして紡がれる詠唱は、女の口から発せられたものとは思えないほどに低い音声であった。或いは亡者達の一部が詠唱を被せているのか、まるで呪詛を溜め込もうとするそれは長く、不死人はその発動を阻止しようとソウルの矢からソウルの結晶槍、闇の玉などを次々にドレスの女に差し向けるも、それに応じて上体を起こした怪虫の鎧が全ての攻撃を防いでみせていた。

 「お、おおーっ!」

 枯れた喉を、棘の混入した吐瀉物が逆流する。そのような想像を働かせる声がドレスの女から噴き出すと同時、天に向かって掲げられた両手からは黒い波紋が広がり、それがアリーナの上を薄く覆うと辺りを浮いていた肉片が降り、炸裂し始めていた。

 黒く空間を歪ませるような爆発に次々に見舞われ、これを塔のカイトシールドで防ぎ、走り抜けながらも思い返すのは老人貴族の亡者が用いた術である。味方の躯を利用する点や作用が同質であり、だがこちらの方が効果範囲の規模が大きい。完全に回避するのは至難であり、不意に背で爆発が起こったかと思えば、押し出された先でも肉片が待ち受けている。胴の右前面を突き抜けるような衝撃によって身体全体が回転し、そこへ足元でまた肉が弾け、不死人は軽く宙に浮く。

 そうまで打ちのめされてもまだ、容赦はされなかった。腹の上で起こった爆発によってくの字に折れた身体は速度を持ち、地面の上に強く叩き付けられる。

 ドレスの女は今、笑みを浮かべていることだろう。それは無論のこと、卑猥に彩られており、またそうさせたのは不死人の無力である。一つに怪虫への接近、二つに紺碧の甲殻を破って怪虫そのものへの攻撃、三つに遠距離攻撃にて怪虫の上に乗る女へ直接攻撃と、挑戦した全てには不可の結果が出ており、となれば他に手の出しようがない。

 エストを飲み、治癒した身体を引き起こす。武器を構え、しかしこの先の見通しが立たない。先の三つの内、目があるとすればそれは二つ目、怪虫を何とか黙らせることだが、肝心の甲殻を剥がす手段というものの持ち合わせが無い。物理攻撃はあれがアリーナの王であった頃からはじき返し、貫通性の魔法すら耐え、とすれば他に思い当たるものとして文明の徒たる人が扱う基礎的な属性、火が挙げられるが、それは青ざめた血に浸かったこの世界で攻撃に使えるほどの威力を保ったままでいるのだろうか。

 思案の成果を出せぬまま、ドレスの女がまた片手を翳すのを目にする。そして回避を繰り返すうちに、いつかは怪光線か、闇術か、或いは炸裂する屍肉に捕まり、不死人は果てるのだろう。

 「せっ! やぁぁぁーっ!」

 赫々とした割に、どこか凛とした印象の残る声は、しかし空に轟き渡る雷鳴と共にやってきたものであった。直後、怪虫の横腹が落雷を受け、巨大な身体が波打つ。

 その一撃を術的に言い表すなら、雷の大槍だろうか。橙の光は長い槍となって煌々と輝き、そしてその使い手は、痩せた甲冑を着込んだ女性騎士であった。アトラングのルシンダ。フェイスガードの開いた兜から見える横顔は、やはりまだ穏やかさを残しており、戦士として成熟し切っていないようにも見える。

 だがそれは見てくれのみの問題である。ルシンダの放った雷の大槍に怪虫は強く反応しており、その痙攣は今尚収まってはいない。そこから思うに、かつて牙猪の戦士が闇を削る者達との戦いで用いたように、雷の力は水を棲家とする彼等には弱点に当たる属性であるのかもしれない。

 「やぁぁーっ! せぁぁーっ!」

 女性騎士は攻撃の手を緩めなかった。二発目、三発目と雷の大槍を怪虫に振る舞い、そうなればドレスの女にとって面白くない状況が生まれるが、不死人とて呆けるのみに留まる理由は無い。赤黒いドレスの裾から伸びる手がルシンダの方へと向けられた直後、その手は闇の玉を打ち消すのに用いられた。

 雷が円形闘技場の中央で太陽が落ちたかのような光を作り出す一方、不死人は彼女に向けられる悪意を牽制すべく、構えた魔術師のロングソードの先から闇の玉を飛ばし続ける。一方的な形勢はここに逆転し、程無くして怪虫は痙攣すら起こさなくなり、巨躯は息絶えたように動かなくなった。

 「お久しぶりです。お元気でいらっしゃるようで良かったです。あ、私のことは覚えてますか?」

 すぐ隣にまでやってきた彼女には一度視線を投げながら頷いて見せ、そして間を置かずに正面へと向き直る。戦いはまだ終わっておらず、隙を見せてはならない。それを理解してか、ルシンダもまた怪虫の上の方へと意識を向け、そこから自分達を眺め降ろす者の眼差しに気付く。

 「貴女、自分が何を足蹴にしているのか、理解しているの?」

 純粋な敵意のみではない。憤りを含めた言葉には、しかし微笑しか返されなかった。

 「下種め」

 ドレスの女はそれも聞き流しながら自身の足元たる怪虫の肌に手を置き、直後、巨大なその身体が破裂したように盛大に血飛沫を上げた。青ざめた血が赤く濁り、だがその女はなぜか返り血を浴びず、手は剣の柄らしきものを掴んでいた。

 「ふぅっ」

 艶のある声と共に一息に怪虫の体内から剣身が引き抜かれ、しかしその有り様に一度目を疑う。全長はドレスの女の身の丈を越し、重さは体重の数倍はありそうなものだが、彼女はそれを軽々と持ち、大方闇術による助けを得てのことであろう。また折れて砕け散ったものを無理矢理繋ぎ止めたかのような剣身は歪な形状をしており、輝きの色合いも妙であった。

 やがてドレスの女は遂に怪虫の上から離れると、水に沈むかの如くゆっくりと地面に降り立つ。かつて虜囚であった頃のみずぼらしい姿など面影も無く、整った顔立ちに引いた藍の紅は歪み、艶やかな笑みの美女は金の髪を揺らし、だがその手にある剣はおぞましい。親指ほどの大きさの、刃のような鋭さを持つ貝が群生する剣身は、砕けたそれぞれが赤味の筋繊維のようなもので繋がれており、それもまた生物である。深海の大剣は、彼女によってその場でゆっくりと振られ、すると剣身の貝達から白い霧のようなものが零れ始めた。

 その白い霧、微小な生物たちは素早い動きで宙を泳ぎ、しかし不死人やルシンダには目もくれない。その辺りに散らばる亡者達の肉片を見付け、内部へと潜り込んでいった。

 「失敗しても、生まれ変わればいいの」

 呟きと同時に、足元から様々に声が湧き立つ。男の太い嗚咽と、女の甲高い絶叫と、老人の啜り泣きとが混じり合い、だがそれらはいずれも段々と笑い声へと変わり、そして肉片そのものにも変化が起きる。細かく泡立ち、膨張と破裂を繰り返しては裏返り、膨れ上がった真っ白な目玉が周囲をぐるりと見渡す。

 亡者達は再誕を遂げ、体積の半分以上を紐状の生物に貪られているかのような姿となり、宙に浮いて寄り添い、塊となるか、地上にて群れを成していた。

 「この地の全ての呪いを祝福する」

 赤黒いドレスが舞い上がる。

 「それが私の、王妃の望みよ!」

 卑しき后、アリーアヌの高らかな宣言の下、生まれ変わったばかりの亡者達が不死人とルシンダに向けて前進を始めた。

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