リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第4章 溝の溜まり池 3

 不死人は怪物の影に背を向け、毒の池を歩き始める。

 可能な限り迅速に、出来るだけ待ち伏せなどを警戒しつつ、そして定期的に背後の怪物の影に変化が無いかも確認しながら両足を動かす。また、膝より下までの浅さしかないとは言え移動の際は毒水に浸かる必要があり、体調の悪化も懸念事項だが単純に歩く速度が落ちてしまうため、水に入っている時間を極力減らすべく、土くれで出来た島と島とを繋ぐ経路を計算して行かなくてはならなかった。

 目立った敵が居ないにも関わらず、意識しなければならないことが複数あったため、既に精神的な疲労を覚えはじめていたが、現実は容赦なくこの上新たな問題を不死人に突き付ける。

 毒の水という、生物に対して好ましくない環境の中で、だが自生する鮮やかな黄色の植物がそこかしこに伸びていた。葉にあたる部分は無く、枯れたような茎は人間の腕に浮ぶ血管のようであり、そして触れるとそれは丈夫且つ適度な柔性があるため、剣を用いなければ除することは難しい。

 踏み倒して進もうとすれば根が足に絡み、転倒でもして全身が水に浸かれば目も当てられないため、不死人は道を妨げる黄色い植物を斬りながら、同時に待ち伏せと背後の怪物を警戒しつつ先へ進み、しかし体調が悪化したために一度足を止めて毒消しの香草を口に含む。

 それを飲み込み、再び歩き始めて数歩、右手に過ぎていった転がる檻の馬車の陰から唸り声が上がる。亡者のものだ。

 それは一匹しかおらず、武器の類も持っていないようであった。不死人は剣を構え、余裕を持って迎え撃とうとし、いざ亡者がこちらに向かって走り出すと、右足に違和感を覚える。

 飛沫が大きく上がり、水面が至近となる。

 亡者が走り寄るよりも早く、不死人は毒の水の中に落ち、だが何かに足を絡められている、という程度ではなく、何かに足を強く引っ張りこまれていると認識を改める。

 体勢を戻すこともままならず、またすぐには右足に取り付いた何かを振り払うことも出来ずに、不死人は半ば転げた格好で亡者との距離を間近にすることになり、だがブロードソードを両手で強く握り締めると、それを腰の右に落し、そして敵が迫ると同時、身体の上半身を右から左へ勢い良く回しながら、腕も右下から左上へ全力で振り抜く。

 上半身のみの力を用いた急場凌ぎの技法は功を奏し、胸元を斜めに深く切り裂かれた亡者は力を失い水の中に斃れ、それを見届けた不死人は右足以外の四肢で身体を固定すると、剣で右足の付近を斬り払う。

 剣の先に感触があり、間も無く右足を引き込む力は消え、不気味な死骸が浮き上がる。

 それは紫の水によく映える、青白い生物らしき何かであった。成人男性の膝から下と同じくらいの大きさであり、ごく柔らかな胴に口や目は無く、脚と呼んでいいのかさえ分からないような本体から分化した細い器官が、左右非対称の長さで数本伸びていた。

 分類としてはナメクジなどの軟体動物のように見受けられるが、その身体はやはり理解し難い形状であり、生態についてまで想像を及ばせるとなると如何ほどの知見が必要になるのか。果たして淘汰の末に自然に生まれた生物かどうか、やや疑問が残った。

 結局何も分からなかったが、検分し終えたその生物の不気味な死体を押し退け、不意に気になったために後ろを振り返り怪物の影を見ると、それはまだ遠くから不死人を見詰め、首を揺らしていた。

 それを確認してから再び歩き出そうと身体の向きを変え、だが不死人は立ち止まる。

 目の前の水面が僅かに震え、小さな水面がいくつか生まれていた。目を凝らしたところ、紫の水は下の方で秘かにうねり、青白い内臓のような滑らかな身体を孕んでいるようであった。

 勘が告げ、不死人は顔を上げてもう少し広い範囲を観察すると、他に何箇所か同じように水面に波紋を作りだしている場所があり、そこではいずれも青白い軟体動物が待ち構えているのだろう。

 あまり慎重を重ねて時間を掛け過ぎれば、香草が不足するような事態になりかねず、だからと言って無視出来るようなものでもない。障害があまりに多く、あるいは自ら死地へ赴いているだけかもしれない、という疑いがあることを認めがならも、不死人は水紋が生まれている箇所の水を避け、木の根を取り除き、土くれの島を渡り、溝の溜まり池を進んで行く。

 時折振り返っては背後の怪物がそこに居ることを確認し、また踏み出そうとした際、ふと目に入った檻付きの馬車の一つの中で、泥に塗れた人骨が何人分も重なり合っていた。腐り落ちた皮膚や肉は、この不潔な水に溶けてしまったか。

 その馬車へ近付き遺体を調べると、彼らが身に着けていたであろう服の懐などには香草や雫石が入っており、それは有り難く貰い受けてさらに奥へ進み、すぐにまた檻付きの馬車が不死人の行く手に現れる。

 数は三つ。いずれも半壊しており、檻の扉は開いたまま、だが毒の水には浸かり切っていない状態で放置されている。そしてそれら檻の中には先程のように人骨は入っておらず、だが人骨が動き出しているかと見紛うような枯れた亡者達がそれぞれ二匹ずつ座り込んでおり、つまり合計六匹がこちらに気付き、徐に動き始める。

 「ぎひィお”ーっ!」

 唾液を散らしながら、叫びとも雄たけびとも知れぬ声を上げて亡者達は駆け出し、それを見た不死人は懐から最後の一つであった火炎壺を取り出すと、惜しまず亡者達に向かって投擲する。

 山なりに飛んだ火炎壺は先頭の一匹に直撃し炸裂、その隣に居たもう一匹の亡者を巻きこみ計二匹を大きく怯ませ、次に不死人は懐を探り、だが適切な道具が無かったため止むを得ず雫石を数個手にとって亡者達に投げつけ、それぞれが顔面に命中し、僅かだが足止めとなった。

 言ってしまえば手当たり次第乱暴に物を投げ付けただけだが、戦いにおける美意識について語る口はこの場に無く、ともあれ亡者達の気勢を削ぎ、次こそ剣技の出番となる。

 両腕を広げて襲い掛かろうとする一匹目の亡者を肩から腰へ斜めに斬り、それによって力を失った敵の身体をすぐに脚で退けると、その後ろに続いていた次の亡者に狙いを定め、胸の辺りを右から左へ真一文字にブロードソードが斬り裂く。

 三匹目の亡者は足が早く、こちらが予想していたよりも近い位置にまで来ていたため、不死人は二匹目を斃した際に振り抜いた直後の剣を翻し、今度は左から右へ剣が走ると相手の首が宙を舞う。

 休む間も無く首を失くした亡者の後ろから伸びた四匹目の敵の腕に不死人は右腕を掴まれ、だがこれに対して引かず、むしろ相手の力に乗るようにして前に出て押し込み、敵の力が緩んだ拍子に腕を捻り上げる。

 あっけなく自由になった右腕は高く上がり、剣を握った腕をそのまま亡者の脳天に振り落とすと、頭蓋を叩き割られた亡者は脳漿を撒き散らして水中に没する。

 更なる後続の敵に対して構えを取り、だが慌しく水が掻き回される様な音が届くばかりで、少なくとも攻撃は訪れなかった。

 見れば残り二匹の亡者は足に黄色の植物が絡まったのか、身動きが取れなくなっている様子であった。不死人は彼らと同じ失敗をしないよう気を付けながら近付くと、必死で木の根が絡んだ足を掻き毟っている亡者の首を刎ね、似たような状態の亡者を背から斬って毒水に沈める。

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