静けさが戻った。
一息つき、だが内臓が痛み出したために不死人はまた香草を口にし、体調を回復させてから亡者達が有用な道具を所持していないか検め、だが芳しくなく、今度はつい投げてしまった雫石を拾いに向かう。
紫の毒水の中にあって尚、雫石は幽かに光を見せ、それ以上水深があればどうかは分からないが、不死人が今居る場所なら探すのに然程苦労はしないようであった。一つずつ拾い上げ、そして壊れた檻の傍、投げた雫石の中で一番遠くに落ちた物に手を伸ばす。
毒の水がうねる。水面から伸びた細長い触手を目にし、だが手を引き戻すよりも早く胸の辺りに強い衝撃が走り、何が起こったのか判然としないまま水中に倒れ込んで思わず毒を飲み、慌てて顔を上げるとそれは高く跳ねた為理解に至る。
青白い軟体動物の仕業であった。常識的でない形をしたその生物は、身体の小ささからは考えつかないほど盛んに飛び跳ね、紫の飛沫を上げていた。
先程の衝撃はこれによるものなのだろう。それが狙ってやったことなのかどうかは分からないが、油断していたとは言えこちらの体勢が崩れるほどの勢いは脅威であり、不死人は飛び跳ねる軟体動物が着水する瞬間を狙い、ブロードソードで両断した。
幸いその一匹の対処はそれで済み、だがこれ以降溝の溜まり池を移動する際、同じような挙動をする個体が居る可能性を考慮しなければならなくなってしまった。
不死人は一度後ろを振り返り、異様に首の長い巨大な怪物が遠くに居ることを確認し、正面へ視線を戻して水面などに変化が無いかをよく見ながら、溝の溜まり池の南東に向かって歩き出す。
毒消しの香草の残りは少ない。気は逸り、だが窮地の呼び水となりかねないそれを抑えながら前へ歩き続けると、ようやく終点らしきものが見えるようになる。
溝の溜まり池の南東の方角に、見るからに頑丈な横に長い鉄の門が出現していた。それは洞窟の入り口の蓋でもあり、もう少し近付いて観察したいものだが、その前にまたしても障害があった。
黒と赤茶が混ざったような色をした、馬車の車輪ほどの大きさの円盤状の何かが大挙して水面に並んで浮び、鉄の門までの道を完全に塞いでしまっているのだ。
植物なのか動物なのかすら判別が出来ず、正体を捉えられなかったが、それの中心部分には一つ、生物の目玉のような物と、それを上下で覆う二枚の瞼のようなものがあった。
目玉そのものは色が濁っており、ものによっては瞼が開ききって天を見上げたままになっていたり、反対に閉じていたり、或いは微睡みの中にあるかのように半分だけ開いた状態になっているものもあった。
そういった物体が何百とこの一帯に集い、水の上にひしめいており、誰が言わずとも不気味な眺めであった。勿論警戒すべきだが、引く道は無く、長考もまた禁物。不死人はその円盤状の何かをいくつか剣で突き、動かないことを確かめてからそれを押しやり、水面に道を作って進んでいく。
動かせば時折瞼の薄皮を揺らし、おぞましさが増すそれの間をやっと十歩分程進み、だが気を抜いた一瞬に、眼前の円盤状の何かの目玉が自力で開く。
それは明らかに不死人を見詰めており、明らかな異変であったためすぐに飛び退こうとするが、しかしそれは遅かったのか、動かそうとした膝が言う事を聞かなかった。
円盤状の何かは、細長く、節を持った硬い脚を身体の縁一周からクラゲのように何十本も広げており、そのうちの一本が不死人の膝に深々と突き刺さっている。
「ぎゅあぅうっ!」
急ぎ振りかざした剣によって目玉を突き刺された大クラゲは叫び声を上げ、それが断末魔であったらしく、細長い脚は段々と降りていく。膝から大クラゲの脚を引き抜き、念の為本体を引き離すと、そのクラゲがそれ以上動き出すことはなかった。
どうやら大クラゲの耐久力は低く、だが動き出すものとそうでないものの判別が出来ず、この群れの中を通り抜ける際は一層の注意が必要であり、更に移動速度が損なわれるだろう。
不死人はもう一度背後の怪物の影を見据える。怪物は最初からずっと変わらず、身体を隅に寄せ、首だけを動かしてこちらを観察している。それを確認してから、また大クラゲの群れの中へと入っていく。
いくつかの大クラゲが動かないことを剣で確認しながら進み、しかし三つめで早速当たりを引いてしまい、こちらに襲い掛かろうとする大クラゲの足を数本切り落とし、悲鳴を上げたところで目玉を貫く。
それが動かなくなったのを見届けてから、次の大クラゲの身体を突き、動き出さないことを確認して一歩を踏み出した瞬間、大クラゲ達の下の水面から割って飛び出したそれに不死人は顔面を打たれ、仰向けに転倒してしまう。
毒水が口と鼻から入り込み、だが咽つつも起き上がり、再びこちらに襲おうと飛び掛る青白い軟体動物を、不死人はそれが宙にある瞬間にブロードソードの一閃を放ち、斬り落とした。
迅速に対応できた部類ではあるが、しかし体調の悪化は免れず、毒消しの香草を使うと、残ったのはひと房のみとなり、速やかに溝の溜まり池を脱出しなければ、やがて行き倒れるだろう。
仲間の死骸に紛れ潜む大クラゲを暴き、その目玉を突き刺して前へ。
飛び掛る青白い軟体動物を黒いカイトシールドで受け止め、足元に落としてから切断し前へ。
焦らなくては時間切れになり、しかし焦れば焦るほど敵に対する対処の確実性を失い、危険は増す。相反する危惧を抱え、それ以外のことは思考から排し、ひたすらに前へ進む。
そうしてやっとのことで溝の溜まり池の端となる、鉄の門の前に到着した。
まだ辺りは毒の水に浸かっているため、そこへ至ったからと言って安息がある訳でもなく、不死人は急いで鉄の門を調べ始める。
だが、そもそもが人が動かせるような大きさの門ではなく、更には施錠されているらしいため、正面から門を開けて中に入ることは不可能な様相であった。
しかし諦め悪く門を隈なく調べ、すると脇に馬車ではなく人が通行する為の、小さな門が備え付けてあるのを見付ける。
粗い鉄を材質としたその門には鍵が掛かっておらず、しかし扉の隙間に何か棒状の物が刺し込まれ、それによって開閉が阻害されていた。当然それを引き抜こうとするものの、鉄の棒は余りに深く入り込んでおり、僅かに隙間から飛び出た棒の頭を指で掴んで力を込めても、指は滑るばかりであった。
何度か試したところで結果は変わらず、手持ちの知恵と物ではどうあってもその棒を引き抜き、扉を開くことは出来ないようだ。ただ、棒の頭には螺旋状の溝が掘り込まれており、ねじの構造となっているため、これの形に合うものを嵌め込んだ状態で引けば、その際の力は十全に伝わり、棒を取り除く事が出来るのかもしれない。
ただそれも、合うものを見付けられればの話である。その粗い鉄の扉を含む、鉄の門を開くのは一度諦め、不死人は踵を返し他にどこか行く道が無いか探すべく周囲を見回すと、目に映った風景に不足を覚えた。