真っ青な肌の怪物に勝利したのち、巨大な鉄の門の横に坂になっている細い脇道を見付けた不死人は、そこを上がり、やっとのことで溝の溜まり池と、その毒水から抜け出すことに成功する。
付近にあった篝火で身体を休め、特に毒が完全に抜けたのを確かめると、それから周囲の景色をよく観察する。
この周辺は溝の溜まり池と違い、髄が腐っているかのような陰鬱な木々が無く、空を遮るものがないため、存分に太陽の光が降り注いでいた。そしてやや空気が乾燥している気配があり、風が舞うとそこへ砂が混ざっていた。
並ぶ家屋はどれも低く、おそらく材質は安価な土を固めたものであり、中央広場に見られたような住居よりも質が悪い。
しかしその黄土色の屋舎が並ぶ一角の反対側には、それらとは全く雰囲気の異なる大きな木造の家屋があった。柵の遥か向こうでそれはどこか厳かな風情を以て佇み、ただし騎士らしき風貌の男の話によれば、王城へ行くにあたり向かうべきは低い屋舎の奥に見えるアリーナであり、その木造の何かではない。
それはともかくとして、別の場所にも目を引く物があった。現在地のすぐ近く、道の端に上がったままの跳ね橋と、その根元にレバーを見付ける。
不死人はそのレバーの元へ行き、これを握って力を込めると、どこからか重い音が響き、土埃が舞って徐に跳ね橋は下がり始め、程無くしてそれは溝の溜まり池を大きく跨ぐ。
あまり丈夫なものには見えず、しかし人が通る程度であれば問題なく使用出来るだろう。これで中央広場と、このアリーナ周辺との往来が直接出来るようになった。
この近くにそれ以上見るべきものは特に無く、いよいよ不死人はアリーナ方面への探索を開始する。
まずは背の低い土壁の屋舎の並びに沿って歩き、だがそれほど経たずして直進を断念せざるを得なくなる。石畳のその道は真っ直ぐ行くと大きく隆起して崩れており、近付いて調べるも、それ以上進むのはどうあっても無理な様相であった。
だが幸いにも、道の倒壊は隣り合う屋舎の一部にまで及んでおり、そこで生まれた穴は大きく、身体を滑りこませることが出来る。不死人は薄暗くなった屋内の先を警戒しながら、その土壁の穴の中に足を踏み入れる。
内部の壁は外のそれと同じ黄土色をしており、そして塵が多く舞っていた。どうやら屋内には藁が多数積まれて山となっており、それが塵を生み出しているらしい。家畜の飼育に使われでもしていたのか、見れば藁の側には鎖や首輪が放置されたままになっている。
一通り観察を終え、敵の気配が無いことを見るや、まるで牛舎のように縦に長いこの建物の奥へと不死人は歩き始める。
この土壁の屋舎は、アリーナで戦いに駆り出される動物達が、傷付き疲れた身体を休めていた場所であったのだろうか。歩きながらそのような想像が浮び、しかし少し進むとそれが根拠の無い憶測に過ぎなかったと知ることになる。
地面に肉厚で短めの剣グラディウスや、殴打用の武器であるメイスなど、剣闘士が使うような武器がそこかしこに落ち、さらにその奥にはツヴァイヘンダーやシミターやショーテルなども点在していた。
つまりここは動物だけではなく、剣闘士達が休息に使用した場所であった可能性があり、或いはあの鎖や首輪も、動物はおろか人間にも繋げ、それを誰かが好き勝手に振り回していたのだろうか。
居たかどうかも分からない隷属の被害者に思いを馳せ、しかし屋舎の奥の暗がりから短く繰り返す空気の音が耳に届き、それどころではないのだと意識を切り替える。まるで呼吸音のようであった。
「ぼうっ!」
吼えながら大型の獣はしなやかに飛び掛り、危うく首に噛み付かれるところを不死人は塔のカイトシールドで防ぎ、しかし圧しかかる重さは相当のものであったため、転びこそしないものの反撃する余地など無い。
そのままでいると獣は一瞬だけ身体を引き、次には大きく開いた顎で盾の端を噛む。そして猛烈な力で下方向へ引っ張りはじめ、或いは左右に激しく頭を振るい、しかしそこへ静かに狙い定めた剣を振るう。
切っ先は丁度獣の眉間の辺りに入り、灰色の身体は一度痙攣すると、それきり動かなくなった。
斃れた貌を見ると、それは毛並みが所々剥げた、灰に汚れた犬であった。首輪が付いており、昔か今か、人に従っていたのだろう。
念の為首輪に文字の一つでも刻まれていないか確認し、だがそれらしいものは見付からず、不死人は犬の死体を跨いで奥へと進む。
土壁に開いた窓から日が差し込み、しかしよく見ればそれは格子が嵌っていることに気が付き、地面に散らばった拘束具といい、この屋舎はアリーナで戦う者達を押し込める場所でもあったのだろう。
しかし牢獄という程厳重な造りではなく、また別の用途の跡も見られることから、この建物を分類するのであれば仮に牢舎といったところであろうか。
不死人はこの牢舎を歩き続け、先程斃した犬の死体を跨いで三つめの窓格子を通り過ぎた頃、天井からぱらぱらと塵が落ちるという現象に遭遇する。それは奥から手前へ順に舞い落ち、そして丁度真上に至るとその現状は止まり、一拍置いて室内の奥に明瞭にない者の気配を認める。
「う”っ、ぐっ、え”っ、え”え”ぇ”ー」
正気を失った亡者の呻き声に間違いなかった。構えを取り、声の主を待ち受ける。
「ふっぎゃあお”う”ッ!!」
気迫の込められた一撃は、しかし直上から齎された。
天井を砕きながら出現した亡者は手にしたグラディウスを振り下ろし、だがこの敵が移動する際に落下した塵を目撃していたため、奇襲に驚くところはなく、不死人は余裕を持って回避する。
容赦の無い、良い一撃であったからこそ、それが空振りとなれば大きな隙を晒す。グラディウスを地面に突き立てた亡者を、不死人は斬り捨てた。
斃れた亡者には目も呉れず、次の敵に対する構えを取り、すると予期していた通り室内の奥から新たな亡者が現れ、こちらに向かって走り出す。その数は二。いずれも肩と頭部に独特の形状をした防具を身に着けており、それは彼らがかつて剣闘士であった証なのだろう。
二匹の亡者の内、奥の一匹はグラディウスを持ち、その手前を走る一匹は大きな楕円の盾を構えており、これが見た目の素朴さに反し、大きな脅威であった。
即ち、横幅が少ない牢舎内では盾の突進は避けようがなく、或いは単純な力に優れる亡者とかち合っても押し負ける可能性があり、回避も防御も得策ではないが、かと言ってあれが盾である以上、牽制の攻撃程度では防がれるため突進は止められない。加えて言えば、そもそも遠距離攻撃の手段が無い。
他にやりようも無く、不死人は楕円の大盾の突撃を塔のカイトシールドで迎え撃ち、そして成す術もなく力負けして吹き飛ばされる。
だが、もしも背中を見せてから吹き飛ばされていれば、不死人の身体は壁に打ち付けられ、趨勢は極まるが、実際には正面衝突し、その上むしろ出来るだけ前に踏み込んでから激突の瞬間を迎えていたため、後方の空間を確保することに成功していた。
想定通りに吹き飛ばされ、地を転がり、直ちに前転してからの起き上がりざまに剣を構えると、グラディウスを持って迫っていた剣闘士の亡者の腹にブロードソードの一撃を浴びせ、その敵を斃す。
残ったのは、走るための空間を失い、すぐそこで大盾を構えるに留まる元剣闘士であった。不死人は大盾を掴んで手前に引き倒し、その向こう側に居た亡者を肩口から斬り裂く。
周辺が安全になったことを確認した後、剣闘士の亡者の懐を探るが、何も所持していなかったためそれを放り、それから室内の奥へ向かって歩き出すと、間も無く行き止まりの壁に当たった。
その場所には上に行く梯子と、左手に牢舎の外へ出る鉄格子の扉があり、まずは鉄格子の扉を調べてはみるが、向こう側から鍵が掛けられているらしく、閉まったまま動くことはなかった。
どうやらその扉は、隣に並んで作られた牢舎との間にある路地へ出るためのものであり、これを開けたいのならその路地へ回り込む必要がある。
一方、梯子の方は特に遮る物が無く、これに手を掛けると、牢舎自体が低いのですぐに登り終えることになり、不死人は屋根の上に這い出る。