壁が質素であれば、屋根もまた安普請であり、木で出来た屋根の上には土が盛られ、そこに雑草が生い茂ってしまっていた。また、所々崩れて大小様々な穴が開き、中には先程亡者が落下してきたものもあるだろう。
歩き出そうかという時、思いがけずそこからすぐ近くの左の隅に梯子の先を見付け、しかし外から牢舎のこの面を見た時には梯子の類を見た覚えは無く、近付いて見てみると、それは折り畳むことが可能な形状であったことが判明する。
先を収納している部分を蹴落とし、梯子を伸ばすことで、アリーナ近辺に到着してすぐに休んだ篝火と、現在地である牢舎屋上とがすぐに移動出来るようにしておく。
それから不死人は牢舎の屋根上を探索すべく、盛り土と雑草の上を歩き始めた。
上から見ると改めて分かることだが、この牢舎にはほぼ同じ作りの牢舎がもう一つと隣に並んでおり、双方の屋根は少し離れているため、そちらに飛び移るのは難しいようであった。
だが屋根の上を進んだ先に、牢舎の屋根同士を繋ぐ木の板で出来た橋があり、これを渡ることで向こうの牢舎に行くことが出来るだろう。目指す場所が決まり、そこへ向かって屋根の上を歩く。
屋根の上は平坦で見通しが良く、それ故に亡者の潜む箇所も無いようにも見えた。
「う”っ、ぐぅっ」
しかし呻き声と共に影が二つ、茂る雑草の合間から起き上がる。どうやらそこに身を隠していたらしい。剣闘士の亡者達は順に武器を構え、やがて駆け出す。
「ぐお”うっ!」
まだ闘志は健在なのか、怒声を上げながら迫る一匹は足が早く、グラディウスを振り上げたまま急接近し、しかし不死人はその間合いを潰す形に踏み込むと、急激に縮まり過ぎた距離で無理に剣は振らず、塔のカイトシールドでその亡者を押し返す。
仰向けに転倒する一匹目の亡者を尻目に、もう一方の敵が両手で掻き払うメイスを不死人は盾で受け止め、武器を弾き返してその持ち手に隙を生ませ、これを逃さずブロードソードで胸元を袈裟斬りにする。
そして今更起き上がろうとした亡者の胸に剣の切っ先を落とし、両手で深々と食い込ませたあと抉りつつ引き抜いた。
「ほう。う、うぅぅうぅう」
その声は、倒れた亡者からではなく、少し離れた場所から発せられたものであった。そちらに目を向けると、どうやら今のやり取りを観察していたらしい者の姿を見付ける。
他よりも一回り体格が大きいその剣闘士の亡者は、隣の牢舎に移るための橋のすぐ側で、虚ろな目で以て不死人を見据え、道具を構えていた。
道具である。一見して武器には見えないだろう。布か縄の束のようにも見えるが、より注視するとそれは網であり、亡者はこれを畳んだ状態で持ち、構えているようであった。背には三叉の槍を背負い、また自分からは動こうとしない。見るからに癖のある手合いである。
仮にこの亡者に迂闊に近寄れば、投げた網に捕らわれ、そこを槍で突かれるだろう。よってこの敵に対しては投げられた網にどう対処するのかが最も重要だが、足場は不安定な上、狭く、走りまわろうものなら足を踏み外すのは目に見えており、もしも屋根に開いた穴に脚を引っ掛ければ、網すら使わずに槍で貫かれる。
しかし防御しようにも言うまでも無く網に対しての盾は無意味であり、だが遠距離の攻撃手段を持っていない以上、牽制も出来ない。
回避、防御、牽制が使えず、しかしそのどれかの内再考する価値があるとすれば回避だろうが、何度見ても屋根の上には網から逃れるだけの空間が無い。
何かこの睨み合いの状況を変えられる要素は無いか、周囲に首を巡らし、ふとそれが目に入ると思考の糸が解れていく。
唐突な気付きは牢舎の下、少し影になった場所を眺めていたときに訪れた。不死人は武器を構え、網闘士ににじり寄り、相手もそれに合わせて網を構え、互いに自分の目的に適った距離を測りながら敵対者の出方を窺う。
一歩、二歩と動いた程度では亡者は動かず、五歩目くらいで見るからに網を持った手に力が篭り、覚悟を決めてそこから三歩を一気に踏み出す。
すると対敵を絡め取るべく網は大きく舞い上がって不死人の視界を埋め尽くし、例え今から後ろに下がったとて回避は間に合わず、よって屋根を外れて右横に飛び、牢舎から落ちる。
横幅が無いのならいっそ落ちれば良いだけのことであった。牢舎は低く、落下による怪我は負いようもない。そして亡者から投げられた網は落下する身体を追いかけてはいたものの、前後左右の距離のみならず、屋根とその下の高低差の関係上、網は上下の長さまでも必要とされてしまい、それでは標的を捉えようにも流石に全長が不足していた。
牢舎の間の路地に着地する頃には網は勢いを失い、力なく垂れ下ったそれを不死人はすかさず掴み上げると、牢舎の土壁に片足を掛け、力一杯引っ張る。
予想になかったためか、網闘士の亡者はつんのめり、そのまま屋根を転がって頭から路地に落下する。
その隙は逃せない。不死人は倒れたばかりの亡者の元に駆け寄ると、剣を大きく振りかぶり、そのまま網闘士の頭部を砕いた。
頭をほぼ失った亡者は動かなくなり、不死人はその懐を調べ、何も入っていないことを確認してからざっと周囲を見渡す。
上から見た時には陰になっている部分があったため、万が一路地に潜む者が居ないかとも留意していたが、実際に降りてみるといくら暗かろうが路地は直線一つであり、身を隠す場所は無い。何かあるとすれば道の奥、手製の橋の真下に遺体が一つあるきりであった。
この遺体の傍に寄り、荷物やらを探ると雫石がいくつか出てきたためそれを貰い受ける。それから引き返し、路地を戻ってから真っ直ぐ歩くと、左右それぞれに鉄格子の扉を見付ける。
左の扉は閉ざされており、だが右側の扉はこちら側から鍵が掛けられていたため、それを解除すると開くようになった。おそらく左の鉄格子の扉も同じような仕組みになっており、違いは牢舎の内側から鍵が掛かっている点だろう。
不死人は右の扉の向こう、牢舎の中に入ると、近くには上に登る梯子があり、そこはやはり先程一度通った場所であった。少し前に調べた際に開かなかった扉を、回り込んで外から開けたことになる。
梯子を登り、網闘士と睨み合った場所まで復帰。そこから牢舎と牢舎の間に掛かる、雫石を持っていた遺体の真上を通る橋を渡ると、隣の牢舎の屋根の上に到達する。
同じような見てくれの屋根の上を歩き、だがしばらくも経たない内に目の前の屋根は大きく崩れ、屋根の板が下へ向かって斜めに下がり、坂となって牢舎の中へと続いていた。
「ぼうっ!」「があっ!」
二匹の咆哮が坂の下より響く。
不死人は直ちに構えを取り、しかし犬達がやって来ることは無く、吼え続けるのみであった。坂の先の牢舎の中をよく見ると、二匹の犬は並んで威嚇し、その首からは鎖のようなものが伸びている。
「うへ、へ」
嘲笑か呻きか、曖昧な声を発したのは、犬達から伸びた鎖を手にしたまま呆然と立っている亡者であった。剣闘士の装いとはやや違いがあり、全身を革の鎧で包んだ上、赤茶けたマントを羽織り、フェイスガードが無く頭頂部に赤い飾りをした兜を被っている。
亡者はまだ犬の鎖を握ってはいるが、犬らは既に興奮状態に達しており、彼等との戦闘を覚悟するべきである。
だが獣と人とが戦ったとき、勝つのは獣である。犬の襲い掛かる速度は人間では反応が難しく、四肢を噛まれて地面に引き倒されるか、或いは直接首などに飛び付くか、どちらにせよ最終的に急所を食い破る。
先ほど一匹の犬に勝てたのは運の要素が強く、相手が上手く盾に噛み付いたからこそ攻撃を加えられたのであって、向こうがもう一度同じ事をする保障は全く無い上、今度の相手は二匹である。
勝機は無く、不死人は犬と亡者に背を向け、全力で走る。
「う、えあぅっ」
しかし亡者は合図の掛け声と共に、容赦なく二匹の犬を放った。
来た道を駆け抜け、その背中を二匹の犬が追う。橋を飛ぶように渡って隣の牢舎に移り、投網の剣闘士と戦った場所を越え、二匹の亡者が起き上がった辺りを通り越し、しかしついに犬らは不死人の背に届きつつあり、それぞれが脚や腕に食らい付こうと、顎を開ききったまま飛び掛る。