リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第5章 アリーナ 3

 「ひんっ!」

 犬の情けない悲鳴が二つ重なる。

 それらの姿は無く、不死人は屋根の上に開いた穴を覗くと、二匹は恨めしそうに上を眺めていた。そして散々に吼え猛り、だが犬の身体では上に登ることが叶わず、自分達が落下した天井の穴の下で時折吼えてはぐるぐると歩き回っていた。

 企図は成就し、だが存外に上手く事が運んだため、ここは驚くところだろうか。なんにせよ二匹は捨て置き、隣の牢舎の坂道のある地点まで戻ると、不死人は犬をけしかけてきた亡者の前に出る。

 獣を従えていた猛獣使いの亡者は逃げもせず、まるで昂然と不死人を待ち構え、そして戻ってきたところを見るや、腰の辺りから黒い縄の束を取り出す。それを片手で振ると、鋭い風切り音が鳴り、縄の束は外れてしなり、びっしりと棘の付いた長い鞭と化す。

 それを見た不死人は、だが相手の悠々とした態度ごと踏み潰すつもりで前に出る。

 鞭を使った戦い方では、その最適な距離を維持する為に足を常に動かすのが定石だが、戦闘は室内であり閉所で行われるため、接近して先に逃げ場を潰せば不死人が有利になる。また、中途半端な距離でいれば、鞭は盾を潜るようにしてこちらに傷を与え、それに怯みまた前に出るのを躊躇っていると一方的に負傷を重ねる。あのように出血を伴うような形状をしているのなら尚更、この敵に対しては一度の致命傷よりも数回の裂傷を恐れるべきである。

 猛獣使いの亡者は強気に詰め寄る不死人に対して鞭を振り抜き、だが縦にしなるそれを右斜め前に踏み込んで躱すと、そこから一気に駆け、猛獣使いの腹に目掛けてブロードソードを走らせる。

 強い衝撃が顔面を襲った。猛獣使いの左拳による払いが直撃し、だが不死人はよろけつつもすぐに構えを直すと、その間に敵は鞭を捨て、背の辺りから曲剣、ファルシオンを引き抜いて構える。

 そこからの攻勢にあったのは猛獣使いであった。上から下へと繰り出されたファルシオンの斬撃を盾で受け止め、しかしそれを弾き返すには至らず、猛獣使いは同じ方向からの攻撃を二度、三度と繰り返す。

 狙いは盾ごと防御を崩すことか。不死人はファルシオンによる四度目の打撃を下がって避け、だがこちらが呼吸を整える間も無く猛獣使いの亡者は空振りに終わったことで地面まで下がった剣先を、踏み込みつつ強烈な勢いで切り上げる。

 思わず大きく後ろに飛び退きそうになるも、だがそれを堪えて不死人はその場にて留まりつつ塔のカイトシールドで曲剣を受け止める。

 後退を是としなかったのは理由があり、それは先ほどまで猛獣使いが鞭を持っていた時と今の状況はそれほど変わっていないと判断したためであった。今この時も相手の攻撃は苛烈さを増しつつあり、だが猛獣使いは盾を持っておらず、また板金鎧も身に着けていない。同じだけの威力で打ち合い、血塗れの削り合いを演じれば、有利なのは不死人である見込みが高い。

 そこまでしなくとも、攻勢の裏を返せば、攻撃することで自身の隙を無くそうと躍起になっているということでもある。飲まれてはならない。ファルシオンにこちらの塔のカイトシールドを存分に打たせ、或いは避けながら凌ぐ。

 果たして正気を失った者が苛立ちを覚えるようなことはあるのか。それは不明だが、事実として猛獣使いの攻撃は徐々に大雑把になり、そして今度こそは盾ごと地面に押し倒そうと、全力を込めたファルシオンの攻撃はしかし空振りに終わり、その一撃を避けていた不死人は既に猛獣使いの脇腹を深く斬り裂いていた。

 亡者の血は黒く乾いてばかりであまり出ず、しかし致命傷であり、不死人はたたらを踏んだ猛獣使いの後ろに回り込むと、その背をブロードソードで貫き止めを刺した。

 獣らを含めるとかなりの難敵であった。不死人は動かなくなった猛獣使いの亡者の懐を漁り、そこから大量の硬貨が収まった革袋を見付ける。まだ正気を保っていた頃、彼は剣闘士ではなくまともな地位を持った人物であったのだろうか。

 硬貨を奪い、先へ進む。

 屋根が崩れて出来た坂は長く、しかしそこを降りて牢舎の中に入るとその先はすぐに突き当たりになっており、その左右には鉄格子の扉があった。

 右の鉄格子の扉はこちら側から鍵が掛かっていたため、念の為解錠しておくが、その向こう側は牢舎の間の路地があり、そのすぐ近くには隣の牢舎に入るための扉が見え、更にその向こう側には天井から落下した二匹の犬が居るため、決して迂闊に近付くべきではない。

 振り返り、反対側の扉を調べると、そこには特に鍵が掛かっておらず、問題なく開く。扉の奥には階段があり、踊り場も無く真っ直ぐ下へ続くそれを、緩やかに十段ほど降りると地下の十字路に出た。

 地下、と言っても暗闇ではない。そこから左右にずっと伸びている通路の各所には、壁の上の方に開いた窓からの光が差し込んでおり、石を敷き詰めて出来た空間を照らしている。

 なにより、階段を降りてすぐの正面には大きな鉄格子の門があり、その向こう側に屋外の円形闘技場を見る事が出来たため、少なくとも現在地の周囲にはよく日が当たる。夜間ならいざ知らず、日中であればこれで闇が生まれる道理が無い。

 その場から一通り地下道の構造を観察した後、不死人はまず円形闘技場に繋がる大きな鉄格子の門を調べるも、そこは閉ざされていたままであった。鍵穴が付いているため、開ける事は不可能ではないだろうが、そうしたいのならまず鍵を見付ける必要がある。

 次にこの地下道で進むことが出来そうな場所は、右か左の通路であった。見たところ牢舎よりも全長はあるが、同じように藁や拘束具の類が散見されるため、同様の用途の区画であったと思しく、印象もまた似通っている。

 左右どちらを先に調べるか、根拠らしきものを持たず、どちらでも構わないだろう、まずは右から調べる事に決める。

 通路は人が並んで四人分程の幅があるため、普通に歩く分には余裕がある造りの筈が、そこかしこに藁や大きな木箱が並んでいるため、実際に通行する際の幅は本来の半分にも満たない箇所が殆どであった。それら障害物の陰に亡者などが隠れていないか用心しながら、不死人は通路を直進していく。

 仮にも地下だからか、風の通り抜ける音は不気味なものに変化し、そして自身の足音が嫌に響く。なるべく音を出さないよう心掛けながら歩き、そうすれば自然と聴覚に意識が集まり、物陰の向こう、通路の右にある壁を区切っただけの部屋の方から何かの音がしているのに気付く。

 「ぃあ”あ”っお”ぅ”っ!」

 唸りつつ、妨げとなる木箱を破壊して出現したのは剣闘士の亡者であった。手にしたグラディウスを振り上げ、歩いて不死人に接近し始めるが、この一連の音に反応してか、この亡者が出てきた場所よりも更に奥の部屋から剣闘士の亡者が二匹現れ、そしてもう一つ、今度は後方にて何かを壊すような音が耳に届く。

 惑いは刹那、開幕に近付いてきた亡者は駆けつつグラディウスを突き出し、だが不死人はそれを左に躱しながら、右手の剣を振り抜いてこの敵の腹を斬って破る。

 深手に至ったか、すぐにその亡者はグラディウスを落し、やがて崩れようと身体を倒し始めたところで不死人はこれの首を掴み、一度引き起こしてから次に蹴り飛ばすことで奥から並んで走ってきていた二匹の亡者にぶつける。

 三つの痩せ枯れた身体が絡み、その内二つはそのまま地面に倒れ込むが、残り一匹は肩同士が打ち合う程度に留まり、すぐに減じた速度を取り戻して不死人の目の前に迫る。

 だが構えるだけの猶予は十分にあった。眼前の亡者がグラディウスを振るうより先にブロードソードがその胸に届いて刺さり、そしてそのまま斬り飛ばそうと力を込め、だがそうする前に足音が背後にまで来ていた。

 己の剣を目の前の亡者の胸に刺したままに振り返り、それと同時に横薙ぎに繰り出されたメイスの一撃を、間一髪で塔のカイトシールドが遮る。

 攻撃を弾かれたためメイスを手にした亡者は隙を生み、その直後不死人は盾で相手の鼻の辺りを殴打、これにより大きく怯ませてから半身に構えると、一方の亡者の胸元から剣を引き抜く勢いのままもう一方の亡者を斬り付ける。

 得物をメイスとする亡者は胸元を横一文字に斬られて大きく怯み、その間に不死人は反対側を向いて胸から黒ずんだ血を流すグラディウス持ちの亡者に直り、これを右肩から左脇へ斜めに斬り捨て、もう一度身体の向きを反転させて崩れ落ちかかっていた敵の脳天に剣を叩き込んで割る。

 そして最後に、起き上がって走り寄る最後の一匹となった亡者が振るうグラディウスを、タイミングを合わせた塔のカイトシールドが打ち払い、棒立ちになった敵の首をブロードソードが刎ね飛ばした。

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