だが詠唱後、それらしい魔法が飛んでくるというようなことは無く、数瞬そのままの姿勢でいると、唐突に廊下に突き出した手摺の先が弾け飛ぶ。それを見て急ぎ後退すると、不可視の破壊は手摺の先の方から順に食い潰すかのように広がり、階段の半ばにまで及んだ後にやっと止まる。
遅行性の魔法だが、範囲が広く、威力の作用の仕方が異様であった。周辺に残る破壊の痕は大したものではないが、人間がそれを受けた場合、おそらく防御が出来ず、盾や鎧の内側を壊すのだろう。
一度目の今は運良く躱すことが出来たが、狭い室内では立ち回り次第で逃げられなくなることも十分に考えられる。二度目をやらせてはならなかった。
不死人は荒れた階段を登りながら塔のカイトシールドを両手に持ち替え、そして登りきって老人貴族の亡者の姿を見付けると、一も二も無く駆け出し、身体の前面に盾を構えての突撃を行う。
腕に衝撃が伝わった直後、小さく軽い身体はよく吹き飛んだ。そうしてそれが壁に打ち付けられたところを見るや、不死人は老人貴族の身体が床に落ちる前にその頭を左手で抑え、今度は手際良く、右手で握ったブロードソードを首に刺し込み、縦に押し広げてこの部分の肉を分割する。
「おぉぅうぅ」
別の者の声であった。廊下の奥に目を向けると、そこに居たもう一匹の老人貴族の亡者は既にレイピアを翳しており、短く破裂音が響くと同時、その足元から黒い波紋が広がっていく。
身構えるが遅く、次の瞬間理解しかねる方向からの衝撃が起こる。勢い良く浮き上がった身体はそのまま垂直方向へ吹き飛ばされ、不死人は天井へ強かに背を打ち付けていた。
その威力も然ることながら、何がどうなってその方角から攻撃されたのか不明であり、だが明らかにする時間は無く、悠々と近付いてくる老人貴族の足音を聞きつける。
起き上がるも負傷は甚大、既に死に体であり、だが、或いはだからこそ、亡者から繰り出されたレイピアの突きは、不死人の左手の盾が正確なタイミングで弾き返していた。
そうなれば敵は隙を晒し、間髪入れず不死人はブロードソードを上段に構え、老人貴族を斬り伏せる。
絨毯に倒れたまま喀血し、それきり老人貴族は動かなくなる。
窮地ではあったが、それ故に刺激されたものがあったか。それは良いとして、そもそもこちらを窮地に追いやった魔法の事が未だ理解の外にあった。
床から上へ突き抜ける力は、どのような規則の元で発動されたのだろうか。考えたところで分かることではなく、その件を保留にし、不死人は雫石で傷を癒したあと、斃した老人貴族達の懐を漁ろうとする。
しかし付近にて見付かったのは、一匹分の老人貴族の躯のみであった。首を切り取った筈のもう一匹の姿はどこにも無く、その状態で動き回る筈も無かろうが、しかしそれらしい衣装とレイピアのみが抜け殻のように絨毯の上に転がっている。上に突き抜ける魔法でどこかに吹き飛ばされたにしては、不自然極まりない。
その一方で、斬り伏せられた老人貴族の亡者の懐からは、いくつかの雫石と小さな何かの器具が転がり出る。器具は先が丸くなったものであり、まさかこれで目玉でも刳り貫くつもりであったのだろうか。貴族街入り口に居た男性の忠告が蘇る。
亡者か狂人でもなければ使い道の無いその器具を捨て、不死人は探索を再開する。
暗い廊下を進み、閉ざされた扉や窓を一つ一つ確かめるも、いずれも固く閉ざされており、闇を生み出す助けとなっている。彼らは光を嫌ったのだろうか、それとも闇を好んだのだろうか。
またしても進める場所は上の階段しかなくなり、先に登ったものと同じ、草の蔓の模様が描かれた手摺の上で掌を滑らせ、館の三階へと至る。
その階は特段変わったものは無く、だが少しだけ明るいような気配があった。どうやら廊下の一番奥の窓が開いている様子で、そして見た限りでは光の届く範囲に亡者達の姿は無い。
とは言え、待ち伏せや騙しは彼らの得意とするところ。壁の死角に気を払い、閉ざされた扉の奥に耳を澄ませながら、不死人は窓に近寄る。
室内に向かって白いカーテンが緩く揺れていた。この向こうに顔を突き出すと、そこには瓦で出来た屋根が広がっており、少し斜めにはなっているが足場として進めないこともない。
窓と屋根の境を跨ぎ、瓦の上に足を乗せる。あまり踏み締めれば瓦が抜け落ち、そのまま足を滑らせて屋根の下にまで落下する恐れがあるため、不死人はなるべく手も瓦に着け、伏せるようにして屋根の上に出る。
「うぉぉぉぉぅ」
突然にして偶然の出会いにより、両者は半端な距離で目を合わせてしまっていた。否、待ち伏せであったのか、屋根の起伏の影に居た老人貴族の亡者は、不死人を見付けるとレイピアを持ち、魔法を詠唱する素振りを見せる。
それを中断させるには駆け寄って攻撃を加えるか、もしくはその場から遠距離の攻撃にて牽制しなければならないが、足場が不安定であるので前者は選べず、かと言ってこのように傾斜があり、しかも屋外で投げナイフを飛ばせば確実に回収不可能になる。
逡巡が僅かな時間の空白を生み出していた。一瞬遅れで不死人は投げナイフを投擲し、それは老人貴族の顔に当たったものの、既に魔法は発動していた。
黒い霧のようなものが敵のレイピアを薄く覆い、破裂音を小さくしたものを絶えず響かせ、老人貴族はこの状態のレイピアを構えると、やがて不死人に向かって走り出した。
回避か防御をしなければならないが、明らかに禍々しい有り様のレイピアを防ぐのは得策ではないだろう。回避するべく不死人は腰を屈め、いつでも動けるような姿勢を取る。
そのまま敵の攻撃を待ち、だが急に身体の向きが崩れる。どうやらその時に踏んでいた瓦が抜け落ちたらしく、屋根の上で転げてしまい、落下しないよう他の瓦を掴むのが精一杯であった。
すぐには起き上がれる状態ではなくなったが、敵はその事情を汲まずに既に至近にまで迫っていた。やがて虫の羽音のような響きを聞かせるレイピアの突きが繰り出され、だが諦めずに屋根の上を転がり、上手く老人貴族の攻撃を回避する。
そして背筋の凍るような光景を目にすることとなった。レイピアは的を外れ、屋根の上に突き刺さるが、その部分の周囲は円を描くようにうずまきながら中心に向かって引き込まれていき、屋根と瓦を滅茶苦茶に破壊してしまっていた。
現象として階段の手摺を喰い潰した魔法と似通ったものがあるが、あれよりも渦巻く際の力の加わり方が段違いに強く、もしも人体に使ったのであれば、肉も骨も内側に巻き込まれて裏返り、訳の分からぬまま肉塊と化していただろう。
レイピアに何か適当な物を喰わせて封じることが出来るだろうが、そもそも詠唱させること自体が間違いである。不死人は飛び起きると、即座に老人貴族に投げナイフを浴びせ、怯んだ隙に塔のカイトシールドにて屋根の上から叩き落した。
脅威を排除し、気を静めてから周囲の景色を眺める。
現在地は大通りの左に並ぶ館の屋根の上であり、西には海が見え、北の方には王城の姿がある。もう少し付近に目を向けると、屋根の端の方には手作りの短い橋が架かっており、それは隣の館の屋根の上に繋がっているようであった。
何の目的で作られた橋なのかは分からないが、それが進むべき道なのだろう。安全に渡ることが出来るか、少し揺らして確かめた後、不死人は軋む木の橋を渡って隣の建物の屋根に移動する。
遠くからでは分からなかったが、近付けば瓦の色や、屋根の形そのものに違いがあることが見て取れた。ここは先程まで居た館のおおよそ北の方角に隣接している建物であり、やはりこれも貴族達の住まいであったのだろう。
屋根の上を探索すると、すぐに開いたままになっている窓が一つ見付かる。人が通れるだけの十分な大きさがあったため、不死人は耳を澄ませながら、その中へと侵入する。暗闇に浸かる瞬間は、そうするのが常であった。
「おぉぉぅうぅぅう」
室内に入って間も無く、部屋の奥から亡者の呻きのようなものが響く。こちらに向かって来ているような気配はせず、不死人はしばらくの間そのまま敵の攻撃に備えるが、何事も起こらぬまま主張の曖昧な音声がずっと続いていた。
そのまま時が過ぎるのに任せていると、しかし状況に変化は無い。埒が明かず、だが目に入った光景に僅かに違和感を覚えたため、前進を躊躇い、その場から室内をよく観察する。
まず床には、向こうの館にはあった絨毯が敷かれておらず、剥き出しの木の板が並んでいる。それは最初から無かっただけかと思えば、しかし剥がすだけの理由があったらしい現場がそこにあった。