リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第6章 貴族街 8

 その鈍い光たちの正体は、床に置かれた大量の皿であった。上の階にあったものと同じく、底の深い銀の皿ではあるが、先の物とはまるで状態が異なり、同時に、やはり雨漏りの雫を受け止めるために置かれた訳ではないことを知る。

 床の上に並べられている銀の皿は全て、乾いた血を乗せていた。一見するとまるで医療行為の痕跡だが、あのように凄惨な器具を扱う者達が、治療などと生温いことをするだろうか。なにより、ここは病院ではない。

 そして上の階に置かれた皿は、おそらく血の汚れを水で落した後、風通しの良い場所で手早く乾かす意味で窓の付近に並べられていたのだろう。

 探索をするのなら銀の皿を踏まないように移動する必要があり、しかしそれを実行するとなると、完璧にそうすることは不可能であった。

 細心の注意を払いながら足を動かし、だがそうする度、どこかしらが皿に触れる。金属と金属が当たって小さな音が鳴り、廊下の暗闇の奥にまで響くと、それが亡者達にとっての呼び水にはならないかと身構える。

 それでも先へ進まなければならず、些細な物音にすら敏感になりながら廊下を歩いていくと、時折、乾いた血のこびり付いた、先の丸まった小さな器具を乗せた銀の皿が目に入る。組み合わせて使っていたのだろうか。

 「ひぇっ、ぃひひひ」

 嗤い声。そして足を掴まれる。

 廊下に置かれたクローゼットの横を通った瞬間、その中から伸びた腕は不死人の足を掴み、そしてそのまま引き倒そうと、体重を掛けてくる。こちらを転倒させ、あの器具で目玉を抉り取るつもりなのだろう。そうなる前にブロードソードを抜き、クローゼットの板に向かって突き出した。

 「ぎゃひっ」

 手応えがあり、クローゼットが短く悲鳴を上げながら血を漏らし、不死人はそこから剣を引き抜くと、間も無く老人貴族が力なく崩れ落ちた。

 彼もまた、理性を残す者であったと思しく、しかし亡者ではなくとも、それに近しい存在であった。何を以て正気とするべきか。

 その身体を放って先へ進むと、やがて乾いた軽い木が打ち合って鳴るような音が耳に届き始める。どうやら下の階から響いているその音は、絶えず続いており、またその音を他の場所で聞く事があれば、どことなく懐かしい風情があったかもしれない。そのような雰囲気を持っていた。

 二階には他に調べる場所も無くなり、不死人は下の階へ続く階段を見付け、それを降りて音のする方へと向かう。階段をひとつ降りる度、音は少しずつ近付き、そして全ての段を降りると、その音の正体を確かめるのなら、この階の廊下の一番奥へ行く必要があるらしいと知る。

 絶対に見なければならないことではないかもしれないが、そこに何らかの脅威があった場合、放置すれば後々後悔することも考えられる。寄せ餌であることも有り得るが。

 木の鳴る音のする方へ身体を向け、絨毯の上を歩いていく。廊下の奥まったその場所はどうやら窓辺であるらしく、貴族街では稀な事に窓は開いており、室内にか細い光が差し込んでいた。

 その光は長く届き、不死人の足元までを照らしていた。足の周りに銀の皿は無く、だが今度はその代わりとばかりに、大量の白い糸、それから黒い布がこちらを囲むように積まれているのが目に入る。おぞましさを覚えるようなものではないが、量が多いため異様ではあった。

 「瞳は捧げたのかい?」

 声の主は、窓辺の椅子に腰掛け、糸車に触れる老婆であった。楽しげにこちらに笑いかけ、だがその目には、血が乾き、黒ずんだ包帯が巻き付けられている。

 「それがここの決まりだからね。それに、この先では必要無くなるさ」

 老婆は自らの目玉を取り除き、何かに捧げたのだろうか。彼女は話をしながら糸車を回し続け、そこで乾いた木が触れ合い、音を発していた。

 「惜しむのなら、せめてもっといいものを持って生まれてくるべきだったんじゃないのかい? ふはははっ、いっ、はははははっ」

 昏い情念を込めた笑い声を上げ、老婆は白い糸を紡ぎ続ける。放っておけば、その糸車はずっと回り続けるのだろう。

 不死人は剣を抜き、一撃にて老婆を斬り伏せる。悲鳴すら上げずに彼女は椅子に倒れ込み、返り血を浴びた糸車は程無くして回転を止めていた。

 これに関しての言い分はあり、老婆はこちらに害意を持った者達と同類であったため、放置するには危険であったが故の凶行だった。今やこの老人は血溜まりに沈み、だが、だとしても、悪夢からの解放には至らなかっただろう。それが不死の呪いというものである。

 不死人はその老婆の懐を漁り、するとそこから二冊の本が出る。中のページを何枚かめくるが、辛うじて魔法の事が書かれているらしいこと以外、内容の殆どは理解出来なかった。

 これが魔術書なのだろうか。中央広場に居るであろう魔術師コネリーに渡すため、これらの本を大事に仕舞う。

 それにしても、この老婆の様子なども含め、貴族街は常軌を逸した人や物ばかりである。壺に納められた人骨、目玉を取り出す器具とその受け皿や、丁寧に掃除されたリビングルームなどがそれに当たるが、中でも特に不可解であったのは目玉の無い被害者達である。

 あのように大勢の人間を、一体どこから調達したのか。仮に社会的地位の低い者達がそのような目に遭うとして、だがこの土地柄とは合致せず、大通りの南西方向の道を塞いでいる、放棄された大量の馬車こそ関係していると見るべきだろう。

 しかしながら現時点では得られている情報も乏しく、考えを巡らせたところで明確になるものがある訳でもないため、立ち止まっている意味は無いだろう。不死人は別の場所の探索を行うべく、老婆の躯の側を後にする。

 その階には特に目を引く物はないが、一階である為階段は無く、他に行く事が出来る場所を探してみると、木の板で塞がれていない、通行可能と思しい扉が二つのみ見付かる。

 まず正面の扉を開こうとすると、それは施錠されていたため開かず、だが幸いにもドアノブの上には小さい金属の出っ張りが付いており、これを回すと鍵の外れる音が鳴る。

 扉を押し、屋外に出ると、そこは薔薇模様の門の付近の、しかし一度外側から調べた扉であったようだ。そこからでは王城方面に行く事が出来ないため、不死人は室内に戻り、もう一方の扉を調べることにする。

 これも今調べたばかりのものと同様、内側から鍵が掛かっており、解除して扉を開くと、隣の館との間にある細い路地に出る。それを道なりに進むと柵の扉に突き当たるが、それは手で押すと簡単に開き、そこより先は今度こそ、薔薇模様の門の向こう側の大通りであった。

 遂に二つの門を迂回し、王城方面へ出ることに成功したのだった。

 「あぁぁあぅ、う」

 その呻き声はまだ遠く、早急な対応を求められている訳ではない様子であった。

 薔薇模様の門のすぐ側で、老人貴族の亡者達が膝を折り、白黒の何かの塊に向かって頭を垂れ、まるで祈りを捧げているかのようであった。その頭数は十を越えており、まともに相手をして助かる見込みは万に一つも無い。

 不死人は彼らに気配を気取られないよう、音を殺して王城方面に向かって歩き出そうとし、しかし何の合図も無く老人貴族達は一斉にこちらを見詰める。如何なる理由でそうなったのか、思い当たるものは皆無であり、しかし異常はそれだけに留まらなかった。

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