リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第7章 王城 6

 「もういやぁああああああああああ”お”あ”あ”あ”あ”あ”あ”く”け”か”あ”あ”あ”あ”あ”っ!!」

 それはきっと、誰かを慰めてばかりであった彼女の、心が折れた瞬間だったのだろう。ヒステリックに叫び声を上げ、だがそこへ血が混ざるかのような不潔さが加わり、そして絶叫と化した頃、王城の侍従長は仰向けに倒れていく。

 否、そう見えたのは一瞬のことで、実際に倒れたのは黒いドレスだけであった。彼女は服を置き去りに、首の上から鮮血のように大量の海綿動物を噴出させ、それは一瞬で巨大な塊となってなお膨らみ続けながら、同時に激流のような凄まじい勢いで大量の瘴気を真上に向かって吐き出し続ける。

 そのような現象が数秒間続くと、巨大な塊は唐突に全体が平らになるほど凹むと同時、それが深呼吸であったかのように周囲の空気ごと上に昇った瘴気やこちらの身体までをも自らの方へ引き寄せ、だが次の瞬間には一気に膨れ上がり、不死人の身体を弾き飛ばす。

 その衝撃によって負傷するようなことは無かったものの、大分床を滑ってしまっていたため、相手との距離は広がったようであった。起き上がり、前を見ると、海綿動物の群れによる巨大な塊は小康状態に入ったのか、あまり大きな変化を見せずにいた。

 その一方で、高く吹き上がった瘴気は天井に当たって一度は勢いを無くし、ゆっくりと室内の壁を伝いながら落ちていくが、それが床の上で静かに停滞するようなことはなく、巨大な塊の周辺で巻き起こっているらしい風圧によって煽られ、広間の中で吹き荒ぶ。

 舞い上がっては不死人の周りを荒れ狂う瘴気は、窓の光りを遮り、蝋燭の光りも隠し、そうして生まれた闇の中、海綿動物の塊が一度、胎動するかのように強く波打つ。

 事実それは、何かの卵であったのかもしれない。紫の塊は内側から表面を突き破るようにして四肢を突き出すと、その部分の海綿動物が筋肉を作るように引き締まり、群れの間から黒い硬質な何かが覗き、それが爪のように生え揃う。

 身体の姿勢はまるで犬のように変化し、だが犬よりも胴が長く、そして首が下に向かって垂れ下る。その形姿であれば、自分より小さな者をさぞ屠り易いことだろう。

 「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「皆死ね」「全員死ね」「呪われろ」

 おぞましい呪詛の囁きが耳に届く。見れば海綿動物達の表面の口が動き、各々が勝手に言葉を発しているようであった。

 そして血が撒かれるような音が鳴り、巨体の顔に当たる部分の中央に縦に亀裂が入ると、左右へ開き、薔薇のような鮮烈な赤を見せる。その部分の周りには等間隔で八本、牙のようなものが生えており、ということは、赤い部分は縦に裂けた口なのだろうか。

 「死ね」「死ね」「死ね」「殺す」「皆殺し」「死ね」「死ね」「苦しめ」

 海綿動物達は塊でありながら個体それぞれが囁き、変化の最後に口の横に一対の目のようなものを作ると、その目玉は二重に赤と黒の瞳を宿して不死人を見据える。

 「死ね」「殺す」「皆殺し」「許さない」「聞こえてるでしょう」「もうすぐよ」「もう終わり」

 「ひ、あぁあぁおぉあぁあぉっ、ああぁあぁぁああああああああっ!!」

 おそらくは変化する上で、己の姿を決める際には自由な選択肢を持っており、その中で彼女は、無意識に獣であることを選んだのだろう。全身の体表にある海綿動物の唇から怨嗟を呟きながら、王城の侍従長であり、獣と化したエスメラルダは吼え猛っていた。

 俄かに黒い瘴気が舞い上がり、王城の侍従長の巨体を覆い隠していく。

 「煮えたぎる釜」「腐ったのこぎり」「罹患者に使ったナイフ」

 姿を隠した王城の侍従長は、しかし止めることなく囁きを不死人に聞かせ続け、それ故に大まかな位置の把握が可能となっていた。塔のカイトシールドを構え、瘴気を割って出て来るであろう相手を待つ。

 だが異変は、前方ではなく遥か後方で起こった。遠く、広間の端にて、腐り落ちた果実が地面に叩き付けられるような音が同時に三つ、次いで四つ目、五つ目と連なる。

 「釣り針はどう?」「火にくべた鉄」「あなたの友の亡骸を煎じて」

 「死ね」「殺す」「皆殺し」

 「呪ってやる」「死ね」「全員死ね」

 囁き声の数が増えている気配があった。元々、海綿動物が多数織り重なって王城の侍従長と化しているため、それに伴って声の出所が複数個所あるのは何ら不自然ではないが、しかし先刻こちらの背後で妙な物音がした後、囁きが発せられる場所が前方、後方、左右と大きく分散し、次第に不死人を囲むような位置取りになっていく。

 「死ね」「殺してやる」「死ね」

 「火薬と導火線」「やすりと塩で」「血の水槽に」

 急激に声が近付きつつあった直後、人影が二つ瘴気から抜け出し、不死人の前に姿を露にする。

 「呪われろ」「死ね」「死ね」「死ね」「皆死ね」

 それは召使の亡者ではあった。しかし全身の四肢は捻じ曲がり、首や胴すら折れたまま、皮膚には数匹の海綿動物を張り付け、黒く腐った血を流しながらこちらに向かって歩いている。

 いくら亡者であろうと、それは尋常な姿ではない。どう対応するべきか判断に迷い、だがそうして対処するまでに時間を掛けることこそが敵の狙いであることも有り得る。ともあれその召使を分析するだけの要素は碌に存在せず、所詮は賭けであると断定すると、のろのろとこちらに近寄ろうとする亡者達へむしろ不死人から接近し、どちらもブロードソードで叩き斬る。

 「二頭の牛と縄」「火の檻」「割れたガラスを混ぜ込むの!」

 その声は、今斬ったばかりの召使亡者達が発していたものではなく、それよりも力強く響いた。すぐに声のした方へ向き直ると、直後その辺りの瘴気の中から獣と化した王城の侍従長が飛び出し、床の上を滑らせるように前足を振るう。

 今更両者の体格差について考慮する必要は無く、その攻撃の防御が不可能であることは明白。不死人は後ろに飛び下がって敵の攻撃を回避し、するとこちらの肌の表面をなぞるかどうかの瀬戸際で王城の侍従長の前足が通り過ぎていく。

 自身の攻撃が空振りに終わると、王城の侍従長はすぐさま瘴気の中に身を紛らせようとし、一方の不死人はその後ろ姿を敢えて見逃して様子を見る。本来であればここは王城の侍従長へ追い縋り、斬撃の一つでも与えようとして然るべき機であり、だからこそ敵が瘴気の奥から魔法の類でも使って迎え撃とうとしないか警戒してみたものの、遠距離の攻撃手段を持ってはいないのか、それらしい様子は見られず、そしてそれとはまた別にどこか遠くで肉を打ち付けるような音が響く。

 それはおそらく、召使の亡者達が身投げし、大理石の床に叩き付けられる音なのだろう。この広間は吹き抜けの三階、四階から見降ろすことが可能であり、そこから落下することで不死人が居る場所にまでやって来ることが出来る。

 エスメラルダが獣と化し、城内の至る場所に設置されたステンドグラスにまで異変が生じた為に、召使達がこの広間へと引き寄せられているのだろうか。だとすれば、彼女らは誰もこのようなことを望んではいなかった筈である。今この空間は悪夢なのだ。

 「死ね」「殺す」「許せない」

 両足の骨が折れ、歪な歩みで瘴気を抜ける二匹の召使の亡者を、接近から間も無く斬り伏せる。そして耳を澄まし、囁き声の、特に量の多いものに注意を払い、それらしい方向へ身体を向けると、その瞬間紫の巨体が高く飛びあがり、不死人の真上を通過する。

 まるでしなやかな王城の侍従長の動きであったが、それに反して上を通った際に撒き散らされた黄緑の液体は不潔そのものであった。床を溶かすそれを、危うく頭から被りそうになるところを横に避ける。

 王城の侍従長は殆ど音も無く着地し、そのまま黒い瘴気の中へ進もうとするが、それこそは事前に危険性を測った機である。不死人は走って侍従長に近付くと、その右後ろ足、腿の辺りをブロードソードで斬り付ける。

 傷は浅いが、一応の効果はあったのか、海綿動物が数匹、巨体から零れ落ち、だが王城の侍従長はそれを気に留めるような素振りを見せず、そのまま瘴気の中へと入り、姿を消した。

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