真っ青な肌の巨人の死体の横を抜け、不死人は広場の奥に篝火を見つけると、そこで身体を休めてから改めて周囲の探索を開始する。
あの巨人の仕業か、周囲の建物は殆どが倒壊し、人が住む事はおろか、雨露を凌ぐことすらままならない有様の家屋ばかりであった。無事に形を残しており、且つ中へ入れそうなものとなると数える程しか無く、それらに視線を巡らせていくと、不死人のすぐ近くにある青い屋根の民家の扉が半ばまで開いているのを見付ける。
何とはなしにその建物へ足を向けると、扉の奥に小さな白い影が翻る。威嚇や警告の類ではないようだが、念のため不死人はなるべく足音を消し、静かに扉の奥へと入っていった。
「おや、おやおや」
妙齢の女性のような声であった。しかしその声の主が居るとすれば、方向的に目の前のテーブルの上で寛ぐ小さな猫なのだろうが、そうと決めつけるには聊か常識の縛りが強い。
「また一人、勘違いした不死が来たようだ」
やはりその猫が声を出しているかのようであった。嘲笑のような言葉と仕草が一致しており、よしんば詐術であったとて、仕掛ける側はそのような印象を抱くように見せかけている。
「もう随分と永い事在るんだろう? 多くの過去を失い、業を失い、目的を失い、そして心を失う。憐れだねぇ」
小さな白い猫は横になりながら、尻尾を気紛れに左右に揺らし、喉の奥だけで嗤う。
「忠告はされなかったのかい? いや、関係無いか。あんたみたいな不死は、誰に何を言われようと言われまいと、そうする他無かったんだろうさ。そして蛾のように集まり、火に包まれる。何度も、何度も」
小さな白い猫は大きく背伸びをし、やはり時折含み笑いを込めつつ話を続ける。
「だがこの地はもう滅びたのさ。ここには何も無い。英雄様も居なければ、ドラゴンだって居ない。まして伝説なんて生まれっこないんだよ」
彼女はブルーの瞳を一瞬不死人に向け、しかし次には窓の外、広場の遥か遠くに聳える城の尖塔を眺める。
「もしもそれを確かめたいのなら、王城の玉座に向かうといい」
話は終わり、とばかりに、喋り終えたあとの猫は尾を伏せ、寝息を立て始める。
その姿はあまりに余裕に満ちており、仮に不死人が強引に出たところで彼女はそれを軽々といなすことを思わせた。これ以上は何も聞き出せる様子ではないため、止むを得ず、不死人は扉を出て、他の場所へ移動する。
次の無事な家屋の中では、出入り口に背を向けたまま椅子に座った男性が、その前の机の上で何かを書き綴っているようであった。不死人は扉をノックし、男性の注意を向けてみるも、その人物は振り返ろうとしない。
「ああ、君だろう? 入るといい」
男性は背中越しに応える以上の動きは見せず、不死人がその背のすぐ後ろまで歩み寄ってから彼は振り返り、そこで始めて互いの顔を合わせる。
青の生地に黄色い刺繍の入った、明らかに質の良いコートを纏っており、顔つきにも理性の色が濃く、全体的に知性の高さを窺わせる雰囲気があった。
「あの巨人なのかゴーレムなのか分からない化け物のせいで難儀していたんだ。君がやっつけてくれて助かったよ」
つまりこの男性は、先程の戦いを見ていたということらしい。しかし、折角彼は少なくとも表面上は友好的な対応をしているのだ、何故加勢しなかったのか、などと問い詰めるような真似はするべきではない。
「私の名前は、コネリー。魔術師だ。君は、いや君も、王城を目指しているのか。君になら協力しよう。そう、魔術を教えよう。この地では出来るだけ魔術を習得する事を勧めたい」
彼はそこで一度黙り、思案するような、言葉を選ぶような様子を見せてから再び口を開く。
「この地は、なんというか、変なんだ。魔術の扱いが軽々しいというか。いや、敬意がどうのという話ではなく、魔術の道具や知識は手に入れるのが難しいと私は思うのだが、この地では扱える連中が多くいるようだし、それに魔法の技術の頂点が見えてこないんだ」
眉根を寄せていたのはだがそこまでで、コネリーは顔を上げると、何故か笑顔を不死人に向ける。
「だからきっと、珍しい魔術書もある。出来れば君にそれを持ってきて欲しい。勿論、内容は教える」
笑顔に合点はいったものの、リスクを冒すのがこちらだけ、という点において納得し難い部分があり、しかしどちらにせよこの先へ進んで行くならことのついでというもの。不死人は彼の言葉に頷いてみせた。
「よろしく。では早速、何か魔法を覚えていくかい? あ、いや、どうやら君は」
言い淀み、コネリーは曖昧な表情を浮かべる。
「すまない、どうやら君にはあまり魔術の素養が無い。今教えても扱う事は難しいだろう。いや、才能の有無の問題とは言え、その内に使えるようになるかもしれない。私と私の依頼のことは忘れないでおいてくれよ」
それきり会話は終わり、彼は不死人に構わず再び机に向かう。コネリーにとっての他者とはそのように扱うものであるらしい。不死人としても今のところ彼に用は無く、その場を去る事に決める。
次に訪れたのは広場の一番北、大きな石造のアーチの下である。このアーチの向こう側には水の満たされた堀が巡っており、反対側の岸には跳ね橋が上がったままになっていた。こちら側の岸には跳ね橋のスイッチらしきものは無く、だが城の防御を目的として稼動する橋を設置している以上、それは当然の設計だと言えるだろう。
代わりに、騎士らしき風貌の男がアーチ付近の壁に寄り掛かり、不死人を眺めていた。目が合うと彼は軽く手で合図したので、話をするべく近くまで寄る。
「貴公も、追い詰められた口か。だがあの戦いぶりを見るに、諦観には至っていないようだな。良いぞ」
低く笑いを込めながら、だが決して嘲笑うようなものではなく、皮肉も漂わせず、その男性は不死人を賞賛した。
彼の銀の甲冑は輝きを失っていた。また兜はしておらず、ガントレットと、革のブーツ、それと黒ずんだマントを身に着けていた。騎士、であるかどうかは装備として変則的であり、より実戦的に、そして自身の特性を生かしたスタイルなのだろう。己の実力に自信と実績が無ければこうはならない筈である。
「ああ、俺も同じさ。最早行く場所も無い。袋小路だ。だが、貴公のような勇士がいるなら、まだ希望は捨てるべきじゃないのかもな。ところで貴公もやはり、玉座を目指すのだろう?」
不死人は頷く、と、彼は懐から袋を取り出し、それを投げて寄越す。中身を検めると、そこにはいくつもの雫石が入っていた。
「俺の方が先にこの地へ来ていたからな。だからそれは、後輩である貴公への餞別だ。それと、王城への行き方を教えておいてやる。はじめに、この中央広場を西に行くと下へ降りる細い道が見付かる。そこを進むと溝の溜まり池とかいう名前の、毒池がある。それを端まで進み、アリーナへ上れ。アリーナに入ったら客席の一部に貴族街と直接繋がっている通路があるからそれを通って貴族街へ抜けろ。そして貴族街を通り抜けられさえすればそこは王城だ。しかし」
彼は首を巡らせ、上の石造のアーチ、それから向こう岸にある上がったままの跳ね橋を見やる。
「ここが開いていれば、直接王城に繋がっているのだがな。詮無い事だが。行き方については以上だ。分からなくなったらまた聞きにくればいい」
不死人は彼の言葉に首肯した後、そろそろ他の場所も探索する旨を伝える。
「健闘を祈る。ああ、それと青ざめた血を見つけたら教えてくれ。どういうものかは見れば分かるだろう」
その言葉に了解の意を示し、次の場所へ向かう。
実は先程からずっと気になっていたことがあった。それはいつからか耳に入ってくるようになっていた、一定のリズムで繰り返される、鉄と鉄を叩くような音であり、またどこか心地よく、人の手を感じさせるものであった。
不死人は音のしている建物を覗き、だが中に人の姿は皆無。そもそもその家屋の屋根は崩れ、家具はひっくり返され、人が居座る事が出来る状態では無い。しかし瓦礫の中を歩くうち、地下へ向かう階段を見付け、不死人はそれを降りて行く。
階段の下は明るく、だが灯りというよりも剥き出しの赤熱した光源が部屋中を照らしており、また熱気も充満しているようであった。
「仕事か? なんだ、初めて見る顔だな」
音の正体は金槌であった。それの持ち主はやや小柄で、しかし精悍な身体つきであり、頭を丸めた男性だった。
「ふむ、一応名乗ろうか。まだ俺は自分の名を忘れていないんでな。マサイアス、見ての通り鍛冶屋だ。ああ、少しなら武器や防具、その他の道具なんかも売ってやれるぞ」
彼の言った通り鍛冶仕事の道具の奥には、雫石、丸薬、装備品の類や刀剣が置かれており、中でも特に不死人の目を惹いたのは黒く、そして塔の紋章が描かれたカイトシールドであった。
丈夫な作りの割に、重さもあまり無く、不死人はこれの購入の意をマサイアスに伝え、亡者達から奪い取った硬貨を見せる。
「バカにしているのか? それは硬貨だぞ? そんなもので売ってやれるものかよ。この滅んだ土地で、貨幣に価値などある訳が無いのだろう」
彼は顔を膨れさせ、だが段々とそれが収まると今度は考え込み、少し間を開けてから質問を投げる。
「上の、なんだ、巨人? 化け物? か? あれはお前が始末したんだな?」
これに不死人が頷くとマサイアスはまた考え込み、そのまましばらくが経過すると、やがて一つ溜息を吐いた。
「仕方ない。売ってやれる品や数には限りを付けるが、今は硬貨で取引してやろう」
彼の気が変わらないうちに、と不死人は硬貨を差し出し、塔のカイトシールドを受け取り、すると金の硬貨を手にしたマサイアスは何故かそれを指で摘み、じっと眺めていた。
「それなりに価値の高い硬貨だったが、今は屑も同然か」
まるで目に哀愁が映っているかのように、マサイアスはどこか遠くを見詰めている。
「昔、この土地は豊かだった。産業も、資源も、そうしたものに支えられた経済も、なにもかもが豊かで、人々は貧困とは無縁で、だからこそ心も豊かだった。楽園だったさ、だがな」
マサイアスは硬貨をその辺りに置き、金槌を手にし、また仕事に取り掛かる。
「どこにでもある、下らない話だ。我々は争いで全てを台無しにしてしまったんだ」
掛ける言葉は見付からなかった。不死人は階段を登り、そこを立ち去ろうとするが、その途中、背中に声が掛かる。
「つまらない話をして悪かった。また来い」