第9章 礼拝堂 3
「ふわあああああああああああああぁぁぁぁあっ!」
その大声は不死人の側で発せられたものであった。浮ぶ内臓が叫びか悲鳴か、形容し難い大きな声を響かせ、青い臓器を左右上下にくねらせている。あまりに大きい音であるため、これは早急に黙らせるべきであり、だが何かを実行するよりも前に不死人は腹部に強烈な一撃を受け、軽く吹き飛ばされて廊下に投げ出される。
攻撃はこちらの目には留まらなかった。単に相手の機敏な動きがそのような印象を持たせたのかもしれないが、しかしそれとは別の可能性を示唆する現象が不死人の目の前で起きている。
廊下の床、壁、天井、近くにあった椅子などが打ち付けられ、拳ほどの大きさの穴をいくつも穿たれていた。その範囲は広く、単に浮ぶ内臓に透明な腕があり、それが暴れ回ったとしても到底及ぶような距離ではない上、破壊現象は複数の箇所で同時に起き、飛び散った木片などは忙しく宙を踊り、地に落ちる暇も無い。
つまり敵は、透明な長い触手のようなものを数本持ち、それで攻撃、というよりは振り回して暴れているのだろう。
立ち上がり、魔術師のロングソードを構え、しかしその時どこか遠くで扉を乱暴に開くような音が鳴るのを不死人の耳が捉える。浮ぶ内臓が今尚叫び、また手当たり次第周囲を破壊して大きな音を出しているため、それに反応した何かがこちらに迫っていると見るべきか。
敵の合流を避けるべく、不死人はまず浮ぶ内臓に早急な対処をしようと、魔術師のロングソードの先を青い臓器に向け、詠唱してソウルの矢を放つ。
迸る青い光は浮ぶ内臓に命中し、だが魔法が効きにくいのか、敵が倒れるようなことは無く、そして廊下に反響する何者かの足音が段々と大きくなりつつあった。
急ぎ別のやり方での対応を要求される状況であり、不死人は魔術師のロングソードで詠唱を行うと、次に剣の腹で左手に持った盾を軽く叩き、魔力を付与する。塔のカイトシールドは一時的に特別な力を宿し、不死人はそれを前面に構え、浮ぶ内臓に強引に詰め寄った。
荒れ狂う不可視の攻撃は、しかし盾によって阻まれ、何ら衝撃を齎さず、不死人はそのまま浮ぶ内臓に迫ると、塔のカイトシールドの側面を滑らせるようにしてロングソードの突きを繰り出す。
「あっ」
銀の切っ先は浮ぶ内臓の中心を捉え、突き抜けると、呆けたような声を残して叫び声は止まり、暴れていた透明な触手も力を失ったのか、周囲への破壊が収まった。
闇の盾。貴族街入り口を守護していた異形の騎士、それが揮った術と同一のものである。魔術触媒によって発動し、通常の物理作用を無視しているかのような反発力を盾に付与する効果があるため、殆どの物理攻撃は防ぐ事が可能と思しく、また相手にぶつけることで姿勢を崩すような使い方も出来るが、物が触れてから発動する反発作用は効果時間がごく短いことに加え、詠唱と付与の手間もあるため、連続での使用は困難である。
実際の戦いにおいてこれを使用するのは初となり、存外に上手く効果を発揮したが、しかし安堵する暇は無い。不死人は倒れた青い内臓から剣を引き抜くと、身体の後ろで巻く鋭い風切り音に向けて塔のカイトシールドを掲げる。
しかし振り向き様の姿勢では無理があったか、それとも姿勢以前に敵の攻撃の威力が高かったのか、背後からの一撃は防ぐことさえ出来たものの、不死人は手にした盾ごと壁に向かって吹き飛ばされ、背を強かに打ち付ける。
負傷は大きく、だが幸いにも足の機能に支障は無いため、すぐに起き上がってそこから離れ、エスト瓶で体力を回復させつつ、相手の姿を見定める。
太った身体。だが欲望に任せてただ肥えたのではなく、白い服の横から伸びる腕は筋肉質であり、その風体はアリーナの地下道に居た獄吏と近しい。頭には白い帽子を被り、そして垂直に枝分かれした形の柄の警棒を手にしていた。
亡者特有の何も映さない虚ろな瞳で不死人を見据え、警棒を構える彼は医療に従事する者、より具体的にその役職を言うのであれば看護師なのだろうか。それらしい服装ではあるが、それにしては暴力的な佇まいである。
看護師の亡者は苛立たしげに床を踏み鳴らしながらこちらに近付きつつあり、しかし体格で負けているため、備えも無しにこの成り行きのまま正面から打ち合うは無謀である。不死人は牽制にソウルの矢を放とうと魔術師のロングソードを構えると、それと時を同じくして看護師の亡者は立ち止まり、聖鈴を取り出してそれを鳴らす。
透明感のある音色は何らかの術の前触れだが、それすら潰すつもりでロングソードの先を相手に向け、不死人は詠唱を行うが、放たれる筈の青い光は生まれず、手にした剣には紫色の光輪が纏わり付いていた。
魔法の発動を阻害すると思しき術によって逆に先を取られる形となり、一瞬だけ呆気に取られているとその瞬間に看護師の亡者はこちらとの距離を詰め、警棒を横に振るう。
脇腹を狙った打撃は、危うく直撃するところを塔のカイトシールドによって阻むも、防ぎきれずに押し負けそうになり、しかし急に盾に掛かった力が消えると、警棒を引き戻していた看護師の亡者はもう一度同じ角度からそれを横に振り抜く。
次に同じように盾で防げば弾かれるのは目に見えていた。不死人は警棒のその一撃は防がずに下がって躱し、その直後に避けるために下がった足で床を踏み締め、一気に踏み込んで魔術師のロングソードによる突きを放つ。
剣は敵に突き刺さり、だが当たり所が悪く、肩の肉によって止められると、空振りの状態から戻されてきた警棒にこちらの胴を強打される。
肋骨どころか背骨すら砕きかねない衝撃に襲われ、大きく吹き飛ばされて廊下を転がり、敵から少し離れた場所で止まる。今度こそ終わりかという程の威力が直撃し、だが辛うじて身体は動いたため、よろけながらも立ち上がり、エスト瓶の中身を飲んで体力を回復させる。