第10章 牢獄都市 潮打ち 1
透明な巨大巻貝へと変貌した礼拝堂の神官長は、鉄で出来た楕円形の飾りを残し、半ば溶けるように形状が崩れ、最早その面影は大きな殻にしか見られなかった。
彼が何故あのような異形と化したのか、その理由を知る手掛かりがあるとすれば不死人の手元にある青い泥で汚れた飾りと、それによって開く溝の溜まり池の扉に封じられたものなのだろう。
しかしこの飾りで本当に扉が開くかどうかはまだ定かではなく、これについては出来れば詳しい人物に確かめた方が良いだろう。不死人はそこにあった篝火から身体を起こし、周囲を眺める。
中庭には出入り口が二つ存在する。一つは周壁と境を接するように走っている病院通路の横腹にある、大きめの両扉であり、調べてみるとこれは開いているようだ。だがそこへ向かうのは後回しにするとして、不死人はもう一つの出入り口である、中庭へ降りて来る際に使用した梯子まで戻り、それを登っていく。
そして病院二階の窓から室内に入ると、かつて喋る浮ぶ内臓が居た部屋を通り過ぎ、廊下に出て階段を下に降り、そこから少し歩けば病院受付の中には変わらずに騎士クリスティアンの姿があった。
彼の方へ近付き、手にしたばかりである、泥に汚れた飾りを見せる。
「恐れ入った。本当に手に入れるとは。ならもう、それは持って行ってくれ。そしてどうかこの地の呪いを解いて欲しい。頼む、私では到底力が及ばないんだ」
クリスティアンはまた、あまり顔色を変えず、だが眼差しにはどこか悲哀の色のようなものがあった。詳しい事情は分からずとも、幾ばくか心が残っていれば、それを見て想起するものはある。
不死人は静かに頷き、手の中にある泥に汚れた飾りを握り締めると、それを引き戻して大事に仕舞う。
「礼を言う。であれば私の代わりという訳ではないが、貴公にこれを渡しておこう」
受付の台の上に彼が置いたのは、一本の武器であった。ロングソードよりやや長く、細身の柄の先には槌頭とその反対に鉤爪が付き、打撃を主な攻撃方法とするようだがあまり重くなく、持ち運びには便利である。また、柄の半ばに聖鈴らしきものが一つ取り付けられており、この部分にだけは小さな装飾が施されていた。
「これは聖職者のウォーハンマー。見ての通り打撃系の武器だが、同時に奇跡の触媒でもある。邪魔でなければ是非使ってやってくれ」
一見して高価であることが分かり、だが高貴に肥えた者達が弄ぶような部類ではなく、希少な素材と、秘された業によって生み出された品であった。これからの道中に連れて行くに不足は無く、不死人はその武器を手に取ると、背負うように背中のベルトで固定する。これであればいつでも武器を取り出し、持ち替えることが可能だろう。
「それと一つ、助言をしておこう」
クリスティアンは言葉の間隔を開ける。その間が置かれることにより、彼がどこか緊張しているような様子にあることが不死人へ伝わっていた。
「リングレイ王に気を付けろ。即位したばかりの頃は市井の者を娶るほど温厚で暢気な人物だったが、しかし始まりの戦争の後、連中にあの剣を贈られてからは、憎む全てを焼き尽くさんと、まるで災厄の如き力を振るうようになった」
その光景を目の当たりにしたことがあるのだろうか。一気に滑り出てきた言葉は、実感の篭もったものでもあった。
「彼はひたすらに強い。生半可なことでは勝てん。きっと、この先で出会うことになるだろう」
クリスティアンはそれ以上、言葉を重ねることはしなかった。
軽く挨拶を交わして彼と別れた後、不死人は今来たばかりの道を通って中庭の篝火近くまで戻り、これの脇を抜けて未踏の病院通路へと続く大きめの両扉を開く。
中は今まで目にしたものと変わらない廊下であった。だが構造は一癖あり、両扉を開くとその真正面にはまた一枚扉が見付かり、それも施錠はされていないため開くと、その先は木造から石を固めたものへと変化し、そしてすぐ側にはリフトがあった。
リフトの上に乗り、スイッチを起動する。最初は緩やかに、だが次第に速度を増しながらリフトは上昇し続け、程無くして終点に到着して止まると、目の前に内側から鍵が掛けられている扉が現れる。
鍵を外し、扉を開け、するとそこは、見覚えのある場所だった。そもそもリフトによって上昇した高さに鑑みれば、匹敵する全高を持つ構造物は周壁の他に無いが、更に具体的に現在地の座標を言うのであれば、ここは牢に閉じ篭もる男が居る場所の付近となる。
そこから少し歩き、牢の中を覗くと、男はまだ健在のままで居るらしく、不死人は牢の柵を軽く叩いて彼の意識を向けると、手前に一冊の本を差し出した。それは貴族街で見付けた魔術書であり、コネリー曰く奇跡の触媒で発動する術が記されたものである。
牢の中の男はそれを見付けると、余計な口は開かずにまず本を取り、その内容に目を通し始める。そしてしばらくが経つと顔を上げ、まるで何も映していないかのような瞳を不死人に見せる。
「かつての私であれば、激怒したであろうな。こんなふざけたものがあって良いのか、と。しかし今ならば分かる、奇跡も、この闇術も同じなのだ。ただ、人間性に縋ってその力を引き出そうとする術でしかない」
彼は語りながらも放心したような有様であったが、しかしすぐに心を取り戻し、今度は真っ直ぐに不死人を見据える。
「分かった。これを教えよう。やはり神は信じないが、だがこれがきっと我々の縁とさだめなのだ」
そうして、彼は奇跡と闇の物語を語り始め、不死人はこれまでに得たいくらかのソウルと引き換えに、奇跡触媒で使用できる術をいくつか修めることに成功した。
その後牢の中の男の前を去り、不死人はリフトの一つに乗ってスイッチを起動すると、周壁の下へ降り、中央広場へと至る。ここは礼拝堂に行く前に寄ったばかりであるため、特に用のある人物は居ないが、そういえばアトラングのルシンダの姿が見えないことに気付く。彼女は今も王城の玉座を目指しているのだろうか。
中央広場を横断し、不死人は溝の溜まり池へ下るための細い坂道へと入る。もしこの場所からまた溝の溜まり池を渡ろうとすれば、また長く毒の水の中を移動しなければならず、そしてそうしなければならない理由は無い。この場所にまでやってきた目的は全く別のところにあった。
坂道の横にある狭い空間。老婆はやはりそこに座り、不死人を見ると少しだけ目を細める。
「何か、入用なのかい? 悪いけど、硬貨じゃもうなにも売ってやれんよ」
最初出会った時にはもう少し穏和な顔であったが、それが今はやや白けている理由は彼女が言った通りなのだろう。不死人は鍛冶師のマサイアスにしてみせたように、掌にソウルを少し乗せ、それを老婆の手前に差し向ける。
「そう、どれだけ私がお人好しだったか、分かったんだね」
聞こえは悪いが、灰色の頭巾を被った老婆の言い分は全面的に正しい。硬貨など渡されても彼女が得るものはなく、しかし同情してか、香草だけは売ってくれたのだから感謝しなければならない。勿論それはマサイアスにも言えることである。
「なら、前に硬貨で買った香草の分のソウルを払っておくれ。そうしたらまた物を売ってやろうじゃないか」
不死人は言われた通り、老婆が提示した量のソウルを渡し、引き換えに以前差し出した硬貨を返される。それから彼女の足元に敷いてある布の上に置かれたいくつかの七色石と毒消しの香草を数枚取り、代わりにソウルを支払った。
わざわざこの場所にまで買いに来た品の中で、一番重要なものは毒消しの香草であった。この先で確実に必要になるかは分からないが、これから向かう先が溝の溜まり池の終わりにある門を出発地点としており、内部にまで毒が及んでいることも考えられるため、ある程度備えておくべきだろう。