リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第10章 4

第10章 牢獄都市 潮打ち 4

 確かにそれは速い攻撃であったため、相手は回避出来ず、しかし防御を崩すには至らないばかりか、塔のカイトシールドで不死人の攻撃を受け止めた牙猪の戦士には、まだどこか余裕が見えた。

 脇腹に鋭い衝撃が走る。それは予告なく訪れたものであり、見れば相手のモーニングスターが突き刺さり、肉を抉ってしまっていた。牙猪の戦士は左手の盾でこちらのウォーハンマーを防いだ上、右手のモーニングスターを打ち込んできたらしいが、普通の人間では到底及ばないような持久力である。

 衝撃に負け、不死人の身体がよろける。敵対者にしてみれば絶好の追撃の機会だが、そうさせまいと向こうから駆けてきた剣闘士がグラディウスで斬りかかり、その攻撃を牙猪の戦士は身体の向きを反転させながら塔のカイトシールドで受け止める。

 この隙に不死人は地を踏み締め、なんとか態勢を立て直すと手から落ちかかっていたウォーハンマーを取り直し、こちらに右側面を向けたままである牙猪の戦士目掛けて振り抜く。

 すると水中の魚がそうするくらいの軽やかさで牙猪の戦士は翻り、身体の向きを入れ替えながらその際の回転エネルギーを乗せた左手の盾で不死人の槌を大きく弾き返し、逆の手に持ったモーニングスターで剣闘士の肩の肉を抉り取る。

 瞬間的に牙猪の戦士によって二人とも身体の動きを止められ、まず剣闘士が追撃として蹴りを入れられて吹き飛び、地面を転がっていくと、次に敵対者は不死人に向き、振りかざしたモーニングスターを頭目掛けて打ち降ろす。

 盾でウォーハンマーを弾かれた直後は反動から身体が硬直していた。しかし相手が剣闘士に追撃した際の僅かな時間の内に余韻が消えていったため、瀬戸際で身体の制御を取り戻し、不死人は塔のカイトシールドで頭部を覆う。

 だが左手に持った盾には何ら衝撃が来ることはなかった。何が起き、何をするべきなのかを理解するよりも前に牙猪の戦士のモーニングスターはカイトシールドの守りを潜ってこちらの腹を打ち、続けて下から掬いあげるように同じ箇所へ打撃が打ち込まれ、出血しながら吹き飛ばされる。単純な陽動であったようだ。

 その攻撃の威力に任せるまま遠くまで飛び、不死人は地面に身体を打ち付けて止まる。無防備を晒した状態となるが剣闘士が駆けていく音を耳にし、彼が入れ替わりに牙猪の戦士へ立ち向かうらしいため直ちに追撃される心配は無いと知る。

 地に伏せ、エスト瓶で回復しながら思う。追い詰められている、と。

 敵対者は比類なき技により、こちらを分散し、合流するまでの僅かな時間の内に傷を負わせ、助けに来た者と一時的に引く者とを代わる代わる一対一で相手取っている。現状、不死人と剣闘士は数の有利を生かせておらず、この調子が続けば負債は膨らみ続けるため、敗北か撤退を認めないのであれば戦術の転換が必要だろう。

 地下空間に鈴の音が一つ鳴る。やや気位のある聖鈴の音色は聖職者のウォーハンマーから発せられたものであり、まだ完全に傷の癒えていない不死人は片膝立ちで祈るような姿勢のままこれを構えて詠唱を始めるも、その頃剣闘士がモーニングスターで打たれ、吹き飛ばされていく様子を視界の端で捉える。更に彼は地面を転げ回り、そしてグラディウスが手元を離れ、金属の甲高い音を立ててどこかへと飛んでいく。

 惨たらしく傷付いた剣闘士の身体は、最早戦闘に堪えるものではない。阻む者の居なくなった牙猪の戦士は駆け出し、あっという間にこちらの眼前にまで迫り、手にしたモーニングスターを振り上げようとしていた。

 その瞬間、詠唱が完全なものとなる。不死人の足元から黒い水溜りのようなものが広がり、そこから黒い柱がいくつも吹き上がると術者の周囲で炎のように揺れていた。

 それは周壁内部に篭もる、牢の中の男より学んだ、奇跡の媒体を通して発動する闇術の一つ、生命の残滓と呼ばれるものであった。詠唱の動作が奇跡による回復のそれと酷似しており、つまりこれは王城の騎士が用いた詐術の再現となる。

 しかしこの地で使われる魔法の一通りは把握しているのだろうか、自らの傷を晒した不死人の罠を牙猪の戦士はまるで見透かしていたように攻撃する直前で足を止め、生命の残滓が生み出す黒い霧の柱に打たれることのないよう、そこから十分な距離を取っていた。どうやら時間経過によってこの術が終わるのをそのまま待つつもりであるらしい。

 黒い霧の柱は未だ枯れず、不死人の周囲で踊っているがそれは長く続くものではない。これが消える前に次の策を講じなくてはならず、急ぎ聖職者のウォーハンマーを構えて詠唱を始めると、やがて生命の残滓が完全に失われると同時、それは完了した。

 こちらに向かって歩き出そうとしていた牙猪の戦士の前で、力を纏った聖職者のウォーハンマーを地面に向かって振り下ろす。

 地面を叩いた槌頭は鈍い音を発すると共に光を漏らし、それは小さな白い文字となって散りながら足元を駆け巡り、牙猪の戦士の身体を這い上がって動きを縛りつけていた。

 一時的な平和。これもまた聖鈴で発動する術ではあるが、闇術には分類されず、牢の中の男が元々知っていた奇跡の一つである。自身を中心として五歩分程の半径の中の敵の動きを一瞬だけ止めることが可能であり、それは非常に強力な効果ではあるものの、難点が二つある。

 一つは詠唱に時間を要することであり、もう一つは試していないため真偽の程は定かではないが、味方である剣闘士が近くに居る場合、彼の動きをも拘束してしまう可能性が存在したことであった。このため、一時的な平和はこれまで使うことが出来ず、同じ理由で生命の残滓もまた使用を控えていた。

 だが牙猪の戦士はこれもまた見抜いていたのか、動きを止められる直前に大きく飛び下がり、それによって生じた距離は想定外に長く、不死人は一息で攻撃を届かせることが叶わず、また今から詰め寄り斬りかかったとして間に合わないだろう。

 初めて行使したその術を上手く扱えず、無為な結末しか引き寄せなかったようにも見えたが、第三者にとってはそうでもない。身体中を負傷していながらも全力で走る剣闘士は武器すら持たずに牙猪の戦士に飛び込み、まだ拘束の効果が残る相手の身体を両腕で抱え込むと、その後も勢いを衰えさせることなく走り続け、やがて両者は通路の横に外れて空中に放り出され、そのまま下の階へと落下していった。

 彼等を追って不死人は下の階層が見える通路の端にまで駆け寄り、降りずに上からそこを覗くと、姿があったのは牙猪の戦士のみであった。剣闘士はおらず、敵対者によって更に下の階にでも突き落とされでもしたのだろうか。満身創痍の彼では抵抗しようもない。

 一対一、上と下とで睨み合い、しかしそれは、鈍い大きな音で中断された。

 巨大な鐘を叩くような音が牢獄都市全体に響き渡っていた。それに伴って、鐘の音にまるで共鳴するかのように、牢獄都市の至る場所で凄まじい数の亡者達の呻き声や泣き声、或いは悲痛な叫びらしきものが上がり、更にはこの巨大な地下空間のどこかから滝のように、豪快に水が流れ落ちるような音が鳴り始めると、亡者達の声は一層強まっていく。

 どうやら水は牢獄都市の底の方の階から溜まりつつあり、程無くして水位は更に上昇し、やがて牙猪の戦士が居る階にまで及ぼうとしていた。彼が不意打ちを繰り返す戦法は取らず、牢獄都市入り口での戦闘に拘ったのは、これが理由であったのだろうか。そうだとするなら不死人の今居る場所は安全だが、敵対者の居る階は違う。

 銀の兜の昏い二つの孔がこちらを見詰めていた。恨みがましいか、苛立たしげか、そのような態度を取ることもなく、彼は自然な動作で懐から黒い水晶を取り出す。そして片膝を折って祈るような姿勢で水晶に力を込めると、牙猪の戦士の身体は透明になり始め、水が上がって来る前には完全に消えていた。

 恐ろしい敵であったが、これで完全に決別出来たのだろうか。この先でまた出会わないという確証は無く、だが備えるのは難しいだろう。二度とは見ないことを祈るのみである。

 しばらくそのまま水位の上昇を観察していると、水は不死人が居る階のすぐ下にまで上がったところで流れが止まり、淀み始めた。また先程まで騒がしかったこの地下空間は、今は妙に落ち着いた空気になっており、その原因は亡者達の声が全て途絶えているからなのだろう。彼等は皆、水の中に沈んでいるのだ。

 このままでは牢獄都市を探索するにあたり、入り口と同じ階層しか立ち入ることしか出来ず、それより下の水で満たされた階へ行くのであれば、どうにかして水を抜くしかない。だがその手段を考えていた矢先、淀んでいた水は少しずつ動きを再開し、徐々に水位が下がり始めた。

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