第11章 牢獄都市 拷問館 1
牙猪の戦士が去ったあと、不死人は付近の篝火の前で腰を降ろし、身体を休めていた。
揺れる炎を見詰める瞳の奥には消えかけた心しか無く、何も思い煩うこともない筈だったが、しかし捉えようのない懐かしさに襲われ、知らず、火に魅入られていた。
しばらくの間、意識と外界は隔絶していたが、やがてどこか遠くから投げかけられる声によって引き戻される。立ち上がり、声のする方へ歩いていくと、その牢の中に居たのは他の者と変わらない姿をした虜囚の一人であった。
「良かった、気付いてくれたんだな」
男の語り口調は明瞭としていた。外見こそ亡者と同じではあるが、意思疎通の正確性では他の者達よりも大いに期待出来るのだろう。或いは、それによって齎される情報の確度においても。
「私はテオドール、見ての通り今はただの囚人だが、ああ、いや、それはどうでもいいな。どうしても礼が言いたかったんだ。あんた、レバーを壊してくれたんだろう? ありがとう、これで私達は溺れて苦しまずに済む」
感謝の言葉に対し、不死人は黙って頷きを返す。
「それで、なんだが。あんた、善人みたいだし、この先に行くなら、一つ頼みたいことがあるんだ。もちろん、あくまでついででいい。どうかな?」
内容を聞いていない状態では何も約束は出来ないが、それは相手も理解しているのだろう。あくまで聞く気があるかどうかの確認である。不死人は顎をしゃくり、彼に話を続けるよう促す。
「ありがとう。実は直接見たのでもないんだが、この先に、姫様が囚われてる筈なんだ。私達はともかくとして、争いに関与していないどころか、王家で唯一反対の立場を取られていたあの方までずっとこの地に囚われたままでいるのはあまりにも不憫だ。出来れば、あんたの手で救い出してやって欲しい」
自分とて今の境遇に得心尽くではないだろうに、他者を案じるテオドールの目は真剣そのものであった。だが囚われの姫を助ける、という言葉の並びは薄ら寒く、第一に姫という立場の者がどのような人格であるかなどと、王家に名を連ねる者の責務を前にして意味を成すのだろうか。
姫とやら自身がどのような判断を下すのか確証も無く、ともすればテオドールの心遣いは筋違いである可能性がある上、まして商人の老婆の警告のこともある。
不死人は返事を曖昧にしていると、しかしその様子に気付いていないのか、テオドールは話を続ける。
「正直、私達だって、なんであんな無茶な侵攻をしたのか。いや、今更だよな。ああ、それよりもう一つ頼みがあって。もしこの地で青い大剣を見付けたら姫様に渡して欲しい。それは王家の剣なんだ」
要約すると、伝説の剣を探し、それを使って囚われの姫を救えということになるのだろうか。この調子では、もしそれらを達成出来たなら王位を約束する、とまで言い出しかねない。
「当たり前だが、あくまでついででいい。出来ない事だってあるだろうし、でも出来そうだったら頼む。なっ? それくらいの、軽い気持ちでいてくれていいからさ」
テオドールは自身の頼みを押し付けるように捲くし立て、しかしそれはこちらが明確な返事をせずに済む態度でもあったため、不死人は特に何も返さずにその場を去った。
そのまま牢獄都市の底の中心部分まで探索の足を伸ばすと、床の表面に、削りだした岩とは異なる素材で造られた一画を発見する。
黒い鉄のそれは円形であり、中央には大きなハンドルのようなものが取り付けられていた。酷く硬いものであったが、しかし力を込めれば辛うじて動く気配があり、時間を掛けてハンドルを回していくと、やがて黒い鉄は蓋のように開く。
奥に現れたのは、赤い灯りに照らされた長い階段であった。それまでここは牢獄都市の底であると認識していたが、どうやらまだ下に階層が存在しているらしい。不死人は鉄の蓋を潜ると、ゆっくり階段を降りていく。
この赤い階段は横幅が広く、しかし途中何か物が置かれている訳でも無く、敵も隠れようが無い。よって長い割に階段はすぐに終わり、その先には少し開いたままの状態にある大きな鉄格子の扉があった。
扉を通り抜け、通路に足を踏み入れる。この区画は上の階のように削り出された岩が剥き出しになっているのではなく、煉瓦で壁が整えられているようだが、安物なのか、それらは赤を基調として時折白が混ざってまだらになっている部分を見せている。杜撰な施工だったのだろうか。
そしてその壁により掛かるようにして、亡者が一匹、すぐ近くで座り込んでいた。あまり敵として見做すことが出来るような佇まいではなく、だが一応念のため剣と盾とを構えてその亡者に近付くと、砂利を踏む音でこちらに気付いたのか、枯れた顔が不死人に向き、憔悴したような笑みを見せる。
「正気の者のようだな。私は、ああ、あぁ」
その亡者は話が出来るものの意識は朦朧としているらしく、呻きながら徐々に視線が下がっていくが、不死人が待っているとやがて弱った喉から言葉をひり出し始めた。
「上から上手く逃げたつもりだったが、ここはもっと地獄だったよ。なぁ、不死の戦士よ、この先の闇へ浸かるのか? それなら、光に気を付けるんだ。我々を害し、狂わせたのは光だった。そして、闇の中で求める光こそ、最も危険でおぞましい」
具体性に欠ける言葉ではあるが、これまでリングレイで出会った人々の言葉に鑑みれば、こういった心構えはよほどこの地では重要なのだろう。そしてそれを語って以降、亡者はまるで事切れたように全身の力の支えを失い、動かなくなった。
意識を切り替え、通路の奥に向き直る。少し歩いた先の正面には壁があり、その左右には互いが正面を向くようにして扉が取り付けられているが、順番にそれぞれに触れてみたところ、開くのは左の扉のみであった。右の扉は開かず、向こう側から鍵が掛かっているのだろう。
不死人は左の扉の向こうへと歩き出し、赤い通路の中を進んでいく。