第11章 牢獄都市 拷問館 2
「ん”か”あ”っ! か”あ”っ! く”き”ゃっ”あ”あ”あ”あ”ーっ!」
歩き始めて間も無くのことであった。通路の奥から激痛に悶えるような叫びが木霊し、それはしばらく続いたが、しかし徐々に弱くなり、最後には途切れる。明らかに単なる亡者の声ではなく、一体何があればあのような声が出るのか、奥へ進めば分かることだが、躊躇わずにそうする者がいるとすれば、それこそ正気を失っていることを疑うべきだろう。
とは言っても視界はほぼ赤い煉瓦が占めており、先の叫び以外、目で見て分かる異変も無く、それが向こうからやってくることも無い。少しの間その場に釘付けになっていた脚を動かし、通路を奥へと進む。
室内は灯りがそこかしこに置かれており、暗い場所などはあまり見かけない。また通路の左には赤い煉瓦で作られた壁による仕切りが並んでいるため、それぞれが個室のような形状となっており、それはアリーナの地下通路の構造と趣を同じくしていたが、しかし通路を進む度に嫌でも目に飛び込む個室の中の様子は、アリーナのそれとは全く別世界であった。
まず一つ目の部屋には、人間の頭部を砕く為の拷問器具が置かれていた。
これは被害者の頭を上下二枚の鉄の台の上に挟んで固定し、その状態で上下の台の間にあるネジを締め、頭蓋を圧迫して砕く仕組みであるのだろう。部屋の中にはその道具がいくつか乱雑に放置されており、実際の被害者は居なかったが、血の跡は散見された。
このような器具を用いた責苦は決して一般的ではなく、宗教的な熱気の後押しでもない限りは大抵が違法である。存在が許されない器具であり、実際に使用するなど狂気の沙汰でしかないが、しかし現実の業の凄惨さはそのような観点を超越していた。
歪んだフェイスガードの小さな隙間から、目玉、脳みそ、歯や舌などの肉が溢れ出ていた。
仕切りで作られた二つ目の部屋。そこには件の器具を使われ、力尽きた被害者が椅子に縛りつけられたままの状態で捨て置かれていた。彼は騎士であったのか、濃紺のマントとフルプレートアーマーを着用しているが、他に兜をも被ったまま拷問器具によって頭部を潰されたらしい。
まるでおぞましい姿であり、だが目を逸らさずにいると、この騎士の鎧がリングレイのものではないことに気付く。王城で出会った異形の騎士とは形状からして全く別の物であり、同じくマントの色も差異があるが、様々な拷問を受けた鎧は至る所が損壊しているため、模様の判別などは難しく、辛うじてそれと分かるのは右胸の上辺りに白い塗料で描かれた竜のみであった。
他に何か知る手掛かりになるようなものが無いか一通り調べ、それを終えると不死人は騎士の元を離れ、通路を先へと進み、次の部屋の様子が目に入る。
三つ目の部屋にもまた、拷問器具らしきものがあった。それは先のものと同じような仕組みの、ネジを締めることで間隔を狭くすることが可能な、二枚の厚い木の板が組み合わさった器具であったが、頭部よりも大きな部位への使用を想定しているのか、木の板は広く、そして大きな棘が付いており、おそらく身体を潰しながら穴を穿つためのものであるのだろう。
四つ目の部屋には人間を寝かせ、拘束する台が中央に置かれているだけだが、その横には大小様々な道具が散乱していた。それは例えばのこぎり、或いはやすりや太い針などであり、他の拷問器具に比べればいくらか穏やかではあるが、しかし部屋の隅に置かれた桶に目が留まる。
その桶は水で満たされており、だが水にしては表面が泡だったまま、一向に消えようとしない。その特徴から、おそらくこの水は海水であり、被害者の身体を道具で散々に切り刻んだ後に掛けて苦しめるためのものであるのだろう。
五つ目、六つ目、と、そのような壮絶な拷問の名残が通路を進む度、仕切りで作られた部屋の中に見付かり、また被害者の多くは騎士であったのか、通路や部屋には血と臓物の他に、鎧の欠片らしきものも多く転がっていた。
「でぇうっ!」
丁度七つ目の部屋の前を通り過ぎたとき、その声は耳に届く。声の主は通路の先に現れた虜囚の騎士であり、脚を失った彼は、しかし腕だけを用いた匍匐とは思えないような素早さで通路を走り、一方で不死人の対応は遅れる。
急いで武器を手にして騎士を待ち構え、だがその後ろから恰幅の良い男が現れると同時に鈴の音を鳴らし、おそらく逃げていた騎士は唐突に身体の動きを止める。
それは不死人にも覚えのある闇術であり、拘束の効果を持つものであった。その男はアリーナの地下通路に現れた、獄吏と同じ装いをしており、それそのものであるのだろう。獄吏は動き出せない虜囚の騎士に背後から近付き、両手で持った聖鈴付きの棍棒で彼の頭を叩くと、それは弾けて肉と兜の欠片が周囲に飛び散り、騎士は動かなくなる。そして獄吏は叩き付けた棍棒を、絡みつく肉の感触を愉しむかのようにゆっくり虜囚の騎士の頭から引き剥がし、顔を上げ、不死人の方を見やる。
互いの姿を認めた一瞬、両者は動きを止めた。
だが次には弾かれたように駆け出し、不死人は赤い煉瓦で出来た仕切りの壁に身を隠す。相手が遠距離魔法に秀でていることは既に承知していたため、視線を遮る必要があり、この行動によって獄吏は一時的にこちらを攻撃出来なくなる。
ただし敵は接近した際の攻撃力が非常に高く、また拘束の闇術は壁越しにも効果を発揮する可能性があるため、この場で獄吏が近付いてくるのを待つだけにしてはならない。
それと不死人は一つ、実戦にて試しておきたいことがあった。右手の得物を魔術師のロングソードから聖職者のウォーハンマーに持ち替え、聖鈴を鳴らして詠唱。それが完了次第ウォーハンマーで塔のカイトシールドの縁を軽く叩き、魔力を武器から盾へと流し込む。
そして壁から飛び出し、敵に姿を晒すと、こちらに向かって歩きつつあった獄吏は立ち止まり、まだ両者の距離が開いている状態で棍棒を振って詠唱、それの先をこちらに向けると途端に不死人の全身に重さが掛かった。
貴族街で拾った魔術書には記述の無い、未だ知らぬ闇術であったそれは、対象となる者に闇術特有の重さを乗せ、身体の動きを大きく制限する効果があった。発動が早く、距離の離れた相手にも使用出来るようだが、反面効果時間はごく短いものであるのだろう。
故に現在の獄吏と不死人のように互いの距離が中途半端に開いた状態で行使したとして、走って棍棒で殴りに来るには時が不足しており、従って獄吏はこの状況においては遠距離攻撃たる闇術以外、追撃の選択肢が無い。
固く閉じた唇から出る破裂音を大きくしたような音が通路に響く。これも闇術の特徴の一つであり、また前触れであるため、この直後に獄吏が回避行動の取れない不死人に対し棍棒の先から長く尾を引く黒い影を放ったのはごく当然の流れであった。
回避出来ないのであれば防ぐしかないが、ただでさえ敵の闇術によって身体の動きを殆ど拘束されている上、それを差し引いても人の筋力では盾に掛かる闇術の重さを支えきれないだろう。
やがて高速で迫る敵の闇術を前に辛うじて不死人は盾を翳し、いよいよ衝突する瞬間を迎えると、だが長く尾を引く黒い影の方こそが軽々と弾かれていた。
実戦にて試しておきたいこと、とは、かつて魔術触媒によって詠唱された看守の闇術を弾いた、不死人の持ち札の一つ、歪曲の盾が、奇跡の触媒で詠唱されたものも同様に制することが出来るか否か、であった。
結果、この問題は不死人にとって最良の形で決着し、また時間経過により拘束の闇術の効果も切れたため即座に駆け出し、獄吏との間合いを一気に詰める。本来防御不可能な闇術を軽くあしらわれ戸惑っていたのか、獄吏の反応は鈍く、上から振り落とされる聖職者のウォーハンマーに対し何も出来ずにいた。
鉄と鉄とが打ち合う。剣であればともかく、打撃武器の直撃を受けてはいくら兜があろうと脳震盪は免れず、しかし持ち前の気力で堪えたのか、獄吏は転倒はせずにその場に踏み止まり、至近にある不死人を引き剥がすべく棍棒をがむしゃらに振り回した。
重い木で作られた棍棒をまともに受ければ甚大な負傷となるだろうが、しかしいい加減な攻撃方法では不死人としても当たってやることは出来ず、引き下がって暴れる獄吏から逃れると、この間に武器を魔術師のロングソードに持ち替え、詠唱を始める。
それを終え、剣で盾の縁を叩いたタイミングで相手もようやく落ち着いたのか、獄吏は身体の正面を不死人に向けると、振り上げた棍棒で襲い掛かるが、これを迎え撃つのは闇の盾であった。棍棒は弾き返され、その衝撃により獄吏は致命的に無防備な姿を眼前の敵に晒す。
魔術師のロングソードが美しい銀の直線を宙に描き、しかし間も無くその煌きは腐敗したような醜い肉の中に飲み込まれていく。身体の芯を深々と貫かれた獄吏は一度強く痙攣して倒れたきり、動き出すことはなかった。