第11章 牢獄都市 拷問館 3
ロングソードから滴る血を拭い、息を整えていく。
この獄吏は扱う闇術もアリーナで出会ったものと同一であった。であれば何故、この牢獄都市とアリーナという、離れた場所に同じ役職の者が存在したのだろうか。推測の手掛かりになるものがあるとすればここへ踏み込んだ形跡のある剣闘士の男の存在であり、リングレイの剣闘士とはつまり、こうした牢獄から選出されたのかもしれない。
それ以上の事は考えが及ばず、また呼吸は既に落ち着いていた。不死人は先に進むべく、赤い煉瓦で造られた通路を再び歩き出す。
少し歩いただけでは早々周囲の景色は変わらず、狭くも暗くもないがどことなく閉塞感のある通路は続き、その至るところに拷問器具の類が設置され、または転がっていた。やはりこの区画は拷問をするためのものなのだろうか。だとしても、地上で得たこの地の情勢からは、このような大規模な拷問の先にある目的を測ることが出来ないが、或いは、それが目的そのものなのだろうか。
やがて道が突き当たり、右へと曲がっていた。曲がり角の向こうは見通せず、またそちらに向かおうとしたところ、多数の呻き声や何かを叩くような音が響いていたため、一度足が止まる。
不死人は重なり合う様々な音に意識を集中し、それぞれを解す。どうやらこちらに近付いている足音などの気配が無いことは確かなようだが、その上で更に慎重に曲がり角から身体を出し、奥の様子を観察する。
視線がまた通路を辿るのかと思えば、開けた部屋を一度彷徨い、そして中央に置かれた巨大な水車に捕らわれる。が、よく見ればそれもまた拷問器具の一種であった。
車輪のような形状のそれは表面部分に鉤爪の付いた鉄板が一周し、側面には車輪を回すための取っ手が付けられ、またその横には獄吏が一匹おり、何かの作業を行っている様子であった。
獄吏の太い腕は、何かを抱え込んでいた。持ち上げられ、そのまま運ばれようとすることで不死人の居る方角からも全体像が見えるようになったその何かは、縄らしきもので幾重にも木の板に巻き付けられたままもがく虜囚の騎士であり、よくよく周囲を見渡してみれば、そのような状態の者は他にも何体か付近の地面に置かれているようであった。
縛られた虜囚の騎士は、やがて巨大な車輪の下へと行き着く。鉤爪の付いた鉄板を接する状態で身体を縛る木の板ごと何かの装置嵌め込まれると、その場を離れた獄吏は次に車輪の側面へと回り込み、取っ手を持つ手に力を込める。
「か”き”ゃ”っ! あ”か”あ”っ! あか”か”か”か”か”か”か”っ!」
騎士の絶叫と、鉄が削られていく音が室内に反響し、そこに居合わせただけの不死人すらを責める。虜囚の彼は木の板や鎧ごと車輪の表面に付いた鉤爪によって足の先から喰われ、血と肉と骨と鎧の欠片とが周囲に撒き散らされていた。
虜囚の騎士は苦しみの絶頂にあり、翻って不死人は取っ手を回す獄吏の視界に入らないよう、部屋の隅の方で少しずつ移動を開始していた。拷問の被害者を今すぐ助け出せる可能性に目を瞑れば、ここは奇襲の好機。この場に居る者達の中で確実に敵対的な態度を取るだろう獄吏の背後に回り込み、徐々に忍び寄っていく。
「あき”ゃあ”あ”っ!」
突発的なその音声は、しかし獄吏のものでもなければ、車輪に削られていく拷問の被害者のものでもない。木の板に縛り付けられ、不死人の足元に置かれていた別の亡者による大声であり、それによって注意が向いた獄吏は振り返り、自身に危機が迫っていたことを悟る。
互いの視線がぶつかり合ったこの刹那、両者の間の距離は未だ半端なものであった。敵が闇術に優れる以上、その間合いは向こうにとって有利に働き、よって牽制しなくてはならず、不死人はすかさずロングソードで詠唱、闇の玉を飛ばし、命中したそれは獄吏を一度大きくよろけさせる。
続いてもう一度魔術師のロングソードで詠唱を始め、今度は闇の盾を展開しようと試みるも、獄吏の立て直しの早さは全く慮外であった。不死人が剣の腹で塔のカイトシールドの縁を叩き、完成させた闇の盾を携えて走り出すと同時、棍棒の聖鈴が鳴る。
深海を想起させる、獄吏の闇術。これによって身体全体に重さを掛けられた不死人は、物理攻撃にしか対応出来ない闇の盾を持ったまま、遠距離攻撃に晒される位置にて碌に身動きを取れない状況に陥る。
そうして響くのはやはり闇術の音であった。獄吏の先から長く尾を引く黒い影が飛び出し、成す術のない不死人の腹に直撃すると、形容し難い重さが圧し掛かり、吹き飛ばされては壁に向かって弾かれ、赤い煉瓦に打たれてその場に崩れ落ちる。
誰が見ようと甚大なダメージを負っていることは確かであり、立ち上がらず、その場に倒れ伏せていれば、やがて獄吏は悠然とした足取りで不死人に近寄る。そして棍棒は止めの一撃を呉れようと、地面に転がる後頭部目掛けて力一杯振り落とされた。
だがその瞬間、不死人の身体が翻る。うつ伏せから仰向けへ、一瞬にして入れ替わった直後に差し出された左手には闇の盾を張った塔のカイトシールドが掲げられており、これに触れてしまった獄吏の棍棒は強く弾き返される。敵の遠距離攻撃を受ける際、例え傷を負ってでも闇の盾を温存するか否かの選択の結果の逆転であり、また強引なパリィは、獄吏に致命的な隙を作り出していた。
傷を押して飛び跳ねるように起きた不死人はすぐに剣で獄吏の首を刺し、そのまま貫こうとするが、しがみ付くものを探すかのように惑う太い腕はやがてロングソードに力を込めるための肩を見付け出し、力強く掴んで押し返そうとする。
もつれ合う身体は最初の勢いの分、不死人の側がやや優勢であったか、獄吏が背中から倒れ込み、上から剣を押し込むが、それでもまだ敵の抵抗は激しい。獄吏の腕が不死人を必死に掴んで引き剥がそうとし、しかし咳が口からではなく、喉の裂傷から溢れる血を伴って吐き出されるようになり、そうして生まれた血溜まりが大きくなる頃には、抵抗の意志も何もかもが肥満した身体から抜け落ちていた。
エスト瓶の中身を飲んで身体の傷を癒しつつ、獄吏の背後に忍び寄る最中に騒ぎ出した亡者を見る。
仮にも拷問をしようとしている者を倒そうとしている様子を見れば、こちらに協力的な姿勢を取るものだろうと考えるのが普通だろうが、しかし観察するにこの亡者は亡者らしく既に正気を失っているようであるため、不死人と目が合ったところでまだ騒ぎ続けるばかりであった。
気の短い者であれば斬り捨てただろうが、そうではない不死人は身体の傷も癒えたため探索を再開しようと歩き出し、だが背後で木が割れるような音が鳴り、反射的に振り返る。見れば先程まで車輪の拷問器具によって身体を削られ、膝から下を失った虜囚の騎士が自身を戒めていた縄と木の板から抜け出し、腰の鞘から抜いたロングソードを手に何やら小さな声で呟き始めていた。
直感が働かなくとも、そのあからさまな詠唱を見れば間も無く危険が及ぶことは明白であり、不死人は車輪の陰に飛び込むと、一拍遅れて騎士の掲げたロングソードの先から白い塊が出現。光りながら宙に浮び、次の瞬間には炸裂して周囲に光の矢を乱発した。
言わずもがな魔法であったが、これは未だ目にした覚えのないものであり、浮遊する塊は継続的に矢を撃ち続け、そしてやけに強い輝きを放っていた。車輪の間から見るに、塊は結晶によって形作られており、それが余計に光を反射しているのだろう。
不死人は結晶の塊が攻撃を続ける間は車輪を盾に隠れて凌ぐことに決め、しかし魔法の矢が周囲に撒き散らされ、その際のガラスが砕けるような音が氾濫する室内のどこかで、また小さな呟きが紡がれているのを耳が捉える。
見ればまた、足を失くした虜囚の騎士がロングソードを構えていた。だが互いの間には巨大な車輪が横たわり、騎士から攻撃するにしても不死人からするにしてもこれが阻む事になる。敵が行おうとしているのは、魔法による何らかの付与か。
やがて詠唱が終わったのか、虜囚の騎士の持つロングソードが傾き、その先がこちらを差す。これこそは直感であり、次に不死人が取った行動は、まだ結晶の塊が矢を乱発しているにも関わらず、車輪の陰から飛び出すことであり、するとその直後に騎士の持つ剣から輝く結晶を内部に孕む巨大なソウルの矢のような魔法が放たれ、先程まで盾にしていた車輪を貫き、その向こうの煉瓦に大きな穴を穿つ。