リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第11章 6

第11章 牢獄都市 拷問館 6

 「ぎいっ!」

 走り出した拷問館の主に合わせ、不死人は横合いに飛び出す。半端に距離が近かったためか、動き出した直後で速度の乗っていない突進を避けるのは容易なことであったが、しかしその認識が根底から間違っていたことをすぐに思い知る。

 見送った拷問館の主の背はそのまま遠ざかり、やがて闇に紛れる。敵の最初の行動には攻撃の意図すら無く、その姿を見失う結果となり、こうなれば視力を頼りにして位置を探ることは叶わない。

 不死人の意識は耳により集まっていた。水飛沫か、或いは血飛沫か。地面の上に張る液体を木の根のような足が跳ね上げる音を聞きつけてはそちらの方に身体を向け、敵の出方を待つ。

 あのような形状の敵では如何なる手段にて攻撃を行うのか、全く見当も付かず、臨機応変且つ即座に対処しなければならないと決意すれば身体は凝り固まり、故に遥か後方から水の音がした時、不死人は勢い良く振り返る。

 迫り来る敵に目を瞠り、だがその先にあるのは闇のみであった。

 「ごあああああっ!」

 叫びは背後から轟いた。急ぎ振り返り、すれば視界を覆うのは細かな歯を一周並べた円形の巨大な口であり、それは棒立ちの好餌を飲み込もうと瞬く間に押し迫る。

 横に身を投げ出し、円形の口の中に入り込むことは免れ、しかし巨体のどこかが当たった衝撃は強く、不死人は遠くまで吹き飛ばされていた。受身も取れずに転がり、しかし地面の凹凸を何とか掴んで身体を止めると、起き上がってエスト瓶を飲み、身体を治しておく。

 回復は隙の多い動作であったが、拷問館の主は特に見向きもせず、多数の足を自在に動かしてまた闇の中へと去っていった。不死人は剣を構え直し、改めて警戒を強めつつも、思考は否応無く敵の不可解さに吸い込まれる。

 まさしく悪夢に見る生物が備えていそうなあの丸い口は、恐らく不定形に近い性質を持っていると予想され、そうでなければ胴の直径とほぼ同じ大きさのそれを隠す方法などありはしない。

 また複数個所で同時に音がした件については、どのような手段を用いてそれを行ったのかはともかく、単なる陽動と見て問題無いだろう。勿論、闇を削る者達のように、この場に複数の敵が存在している可能性は否定出来ないが、それにしては気配が感じられず、またあのような邪悪な意志を持つ者が多く居るとは考えにくい。

 どちらにせよ先程の回避は危ういものであったため、続けていれば巨大な口に飲み込まれる公算が強く、敵が陽動に用いた手段を急ぎ看破しなくてはならないが、しかし複数個所で跳ね上がる液体の音がそれどころではないと不死人に告げる。

 音は後方、そして左の方角を出所としていた。思わず飛び出しそうになる足を地に押し付け、そのまま僅かに機を先送りにすると、右方向の遠方より、群集が殺到するような乱雑な足音が響き、鼓膜を震わせる。

 敢えて振り向くまでも無く、不死人は身体の向きを正面にしたまま前方に飛ぶ事で猛進する拷問館の主を躱し、だが遠ざかっていく筈の巨体はすぐそこで静止していた。

 袋のような胴の細まった口の中から伸びる、白く乾いた一本の長い腕。これを地面に突き刺さして支えとした拷問館の主は突進の慣性を殺し、不死人との距離を近いものにしたまま急停止していた。

 「ぎえぇえぇぇええぃっ!」

 次の瞬間には拷問館の主は叫びながら横方向に身体を振り抜き、その動きに連動した腕は地面と激しく摩擦しながら薙ぎ払われる。長い腕は当然攻撃範囲をも長大なものにしているため回避は間に合わず、咄嗟に盾を翳すも両者の体重差や膂力の差は大きく、防ぎ切れずに不死人は吹き飛ばされていた。

 白い手の先に伸びる、白濁とした色の爪は鋭く、せめて塔のカイトシールドの守りがそれを阻んだ事は幸いであった。腹を裂かれて臓物を掻き出される可能性があったことに比べれば地面を激しく横転して被る打撲など軽症の部類だと言えるかもしれないが、脚などの部位の怪我は広く、身体の動きに直接的な影響を及ぼすものであり、次に跳躍して追撃を仕掛けてきた巨体を回避出来たのはまさに瀬戸際のことであった。群がる木の根のような足に串刺しにされる直前に地面を転がってその場から脱し、起き上がって距離を取る。

 「ぎぃっっひひひひ!」

 拷問館の主はまた闇の中へと走っていくが、その際嗤い声を一つ寄越し、醜悪な感触を耳朶に残す。その悪意の漲る性や、人外の膂力も然ることながら、脅威の根幹はその正体がまるで掴めないことであった。

 リングレイで跋扈する怪異の多くは人の世に見られるような生物とは掛け離れた特性、攻撃手段などを持っており、しばしば実態の把握に難儀してきたものだが、その中でもこの拷問館の主は身体構造からして奇形に過ぎるため、特に攻撃は不規則で読み辛く、対処を難しいものにしている。あの白い腕にしても、指の形などから人間の右手のようにも見受けられるが、本体の全長に対してあまりに長い点以外に際立った特徴は無く、敵の性質を掴む手掛かりとはならない。

 ただ一点、敵はまだ魔法を使用していないため、一応の備えということならば闇の盾を用意しても危険を招くような結果にまではならないだろう。不死人はエスト瓶で身体を治癒した後詠唱を行い、術の付与を完了させ、敵を待ち構える。

 「ぎっ、いぃぃいっ!」

 黒く塗り潰された空間から起伏に乏しい顔が一瞬垣間見えたかと思えば、拷問館の主はこちらに向かって高く跳躍する。反射的に不死人は着地点と予測される場所から飛び退き、念の為盾を前面にして身体を固めた。

 だが、拷問館の主が落下してくることはなかった。広間のどこかで水滴が一つ落ち、二つ落ちたとて、耳に届くのはそのような慎ましやかな音ばかりであり、しかしそれらが平穏な気配をも連れて来ることはない。塔のカイトシールドを構えながら全包囲に警戒の糸を強く張り巡らせ、するとそのうち鉄の部品が干渉し合って出るような細やかな音が上から降り始める。

 視線をそちらに向けたところで、目に映るのはやはり黒一色のみであった。この場において視覚は無力であり、繰り返し揺れ動く鎖のような音に耳を傾けていると、突如として上から何かの塊が飛来する。

 思わず構えた盾の表面に張られた闇の盾が反応し、弾かれたその塊は一度宙に打ち上げられた。そして不死人の足元に落ちて露になったそれは、手も脚も内臓も首も無い、肋骨や背骨を剥き出しにした人体であった。

 鎖の揺れるような音は一層激しくなり、広間の至る所で血をふんだんに含んだ人体が地面に落ちる音が鳴る。

 不死人は走り出した。敵はつまり、肉塊などを投げるにあたって天井から吊り下がったような姿勢を取っており、また振り子のように動くことで勢いを増すことや、狙いを付けることは容易く、加えて言えばその状態からの落下攻撃の速度は地面から跳躍する工程を一つ省く分、それまでの突進等とは比較にならないほど高速の攻撃となる。

 「ぎぇあぁぁああああああっっ!」

 捩れるように凄烈な回転運動を加えながら拷問館の主が落ちる。土気色の肌が巻き上げる空気は暴風と化し、威力の凄惨さを窺わせたが、直前に走り出した判断が功を奏したか、直撃を避けた不死人は風に煽られるだけで済む。もしも誤った行動を取っていれば、高速で回る木の根のような足に掻き混ぜられながら巨体の重みで潰され、躯とすら分からない姿に成り果てていただろう。

 そのまま走って距離を空けると、拷問館の主は運良く命脈を繋いだ獲物を一瞥して闇の中へと走り、この隙にと不死人の手は闇の盾を用意するべく詠唱の構えを取り、他方、脳は敵への対抗策を編み出すべくその働きを活発化し始めていた。

 予測だが、敵の隠す種は到底出し尽くしたとは言えない。だが屍肉を用いたものも含み、現状においては物理的な攻撃を主体としていることはほぼ確実であり、であればやはり闇の盾が高い効果を発揮しそうなものだが、問題はその使い所である。

 いくら物理的な衝撃を自然の摂理を曲げるかのような反発力で迎え撃つとは言え、拷問館の主のような巨体の重量を利用した突進を押し留めるのは難しく、あまり成功の見込みは無い。しかし、それ以外の部位であれば或いは。

 左右両方の方角にて、屍肉が地面を叩く。その際の音を聞きつけても動じずにいると、忙しい足音は正面から近付きつつあり、間も無く暗がりから突き抜けて現れる巨体を認めたため、不死人はその進路から外れるべく横へ大きく飛ぶ。

 両者がすれ違う筈の刹那、拷問館の主は腕を地面に打ち込み、自身の巨体を急停止させる。そして口の中から腕を伸ばしたまま身体を横に振り抜き、突き立てられた爪が地面を深く抉りながら不死人に襲い掛かる。

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