第11章 牢獄都市 拷問館 7
「ぎっ!」
だが衝突すれば、闇の盾によって腕の一撃を大きく弾き返され、拷問館の主は姿勢を崩した。
上手く作り出せた隙で不死人が的と定めたのは膨れ上がった胴の側面であった。首などの区分が不明瞭な以上、狙いが大雑把なものとなるのは止むを得ないことと切り捨て、魔術師のロングソードを掲げたまま強く踏み込み、垂直に斬り付ける。
銀の剣が土気色の肌に食い込み、衝撃で丸い腫瘍を多く含んだような濃厚な血が吹き零れた。手傷を負ったということはこの攻撃が有効であったと、そう理解したのも束の間、その認識と眼前で起きた現象との間に看過出来ない齟齬が生じていた。
垂直に斬り付けた筈が、水平方向に伸びた裂傷がそこには生まれていた。それも、一度しか斬りかかっていないにも関わらず、横方向に描かれた赤い傷口は幾条ともなり、並んだそれはまた僅かな時間の内に柔らかな動きで互いに吸い付き、元に戻っていく。そもそもが傷ですならいと見るべきか。
「ぎいっ!」
やがて姿勢を取り戻した拷問館の主はこちらに一度視線らしきものを寄越すも、仕切り直しを選んだのかその場から駆け出し、闇の方へと逃れる。
今しがたこちらから攻撃した際の感触等は理解し難く、今になって思い返したところでそれは同じであった。効いているのかどうかは疑わしく、ただ闇の盾による防御が有効であることを確かめることが出来たのは収穫だと言えるだろう。
得物の選択は塔のカイトシールドと魔術師のロングソードにほぼ固定され、またこのように相手が潜んでいる間に闇の盾を用意するのも定石となり、実際に付与を行っていると拷問館の主が遠くから顔の先だけを不死人に見せる。
走り出そうとするような、急激な動きを見せる素振りも無くその場に留まる姿は却って警戒心を煽るものであり、下手にこちらから動けず、間に長い距離を有したまま睨み合っていると、唐突に巨体が膨らみ始めた。
その際、土気色の胴には一直線の細い筋が何百本と生まれ、向きを同じくして腰から走っていくそれらは細く窄められた口へと収束し、やがてその向きが獲物へと差す。
横方向へ回避行動を取り始めた不死人を、矢の如き勢いで噴き出された屍肉の激流が追う。出始めこそ躱すことには成功するものの、相手が液体に近い性質を持ったものでは避けようがなく、直撃すると理解した瞬間に已む無く闇の盾を翳し、身を固めた。
塔のカイトシールドの表面を覆っていた黒い半球体は屍肉の穢れを弾き、だがやがて効力を失っていくと盾は激しい圧力に揉まれて吹き飛ばされ、不死人もまた赤黒い血肉を浴び、成す術なく地面に打ち倒される。
その隙をさもしくも見逃さなかった拷問館の主の動きは特に素早いものであった。木の根のような足で地を踏み締めて飛び上がり、暗い天上から吊り下がる何かを一度腕で掴んで経由することで跳躍の距離を稼ぎ、見苦しくもまるで芋虫のように跳ねて逃れようとする餌に向かって落下しながら、固めた拳を勢い良く振り下ろした。
破砕音に広間が鳴動し、長く尾を引く。地面に長大な亀裂が生まれる程の威力の拳打は、しかし標的をあと少しの所で捉え損なっていた。不死人は拳の傍から這い出し、距離を取って態勢の立て直しを試みる。
自身の身体が負傷していないことを確かめ、次に取り落とした塔のカイトシールドを求めて周囲に視線を巡らせるも、どこにもその姿は無かった。恐らく暗がりに呑まれたと思しく、そうであるならすぐさま見付け出すというのは現実性の欠いた要求である。
攻勢に出て守りの脆さを有耶無耶にする他無い。魔術師のロングソードを構えると詠唱し、まだ先の攻撃の余韻にあった巨体の腹に闇の玉を直撃させる。
「ぎぇいぃいいぃぃっ!」
押し込められ、圧迫されて広がる腹の表皮にはやはりいくつもの筋が生まれ、そこから血が溢れていたが、出血とはならないのだろう。固形物混じりのそれは液状化した屍肉であり、同時に拷問館の主が体内に溜め込んでいる砲弾と予想されるため、これを失ったとて直接的なダメージとはならないが、しかし奪うことに成功すれば敵は遠距離攻撃を行うことが出来なくなる可能性があり、そうなれば状況は大きく変わる。
暫定的なものでしかないが、一応の戦闘の方針を固めた不死人は更に闇の玉を放とうとロングソードを構えるも、拷問館の主はそこから離脱しようと走り出していた。あの特徴的な形状をした足は安定性等が高いようだが、小回りが必要とされる動きを不得手とし、よって攻撃に転じる場合は一度相手から距離を離すことを理想とするのだろう。
そして盾を失った今、それをただ見送るのは後手に過ぎる。不死人は離れていく土気色の背を追って走り出し、だが早くも足の速度の違いによって引き離されつつあった。段々と闇に溶けていく拷問館の主の姿を目にしては一層足に活力を注いで駆けるしかなく、故に前方への注意が僅かに疎かになり、唐突に闇の先から現れた物への反応が遅れる。
それは地面から生える、極大の棒であった。あわや正面衝突するというところで身を捻って躱し、絡まりそうになる両足を落ち着けさせて通り過ぎる際、棒の根元に埋め込まれた機械部品が目に入る。レバーなのだろうか。
人の手では作動しそうにないその大きさも然ることながら、このような広間の中央に設置されている点も不自然極まりないが、ここは急場であるためかかずらっている余裕など無く、不死人はそのまま走り続け、やがては減速し始めていた拷問館の主に追い縋ることに成功する。
巨体の足は忙しく蠢いてはいるがまだ方向転換を終えていないらしく、無警戒な背を前に魔術師のロングソードにて詠唱を行い、闇の玉を放った。
防ぐ術が無ければ、避けようともしなかった拷問館の主は闇術の重さに背面から打たれ、やや姿勢を傾けながらまだ液体になり切っていない、便のような血肉を吐き散らす。
その様子はそれまでの覇気を欠いており、また未だに旋回する気配も見られないためこのまま追い討ちを掛けようかと、魔術師のロングソードを構えた時、袋のような身体が上に向かって高く伸び、そして次の瞬間には頂点にあった口の部分が後ろに向かって垂れ下る。拷問館の主は瞬時にして前後の位置を入れ替えて地面を蹴り、一方で急激な動きに追従し損ねた不死人は巨体に刎ね飛ばされる。
幸いにして駆け出したばかりで威力が乗っていない段階での衝突であったからか、弾かれた際の衝撃はそれほど強いものではなく、エストで回復すればたちどころに身体機能の問題は解決したが、しかし拷問館の主は既に走り去り、今はもう闇の中に紛れてしまっているのだろう。
「きっっひぃっひひひひっ!」
勝利を確信したつもりなのか、遠くから差し向けられた声は残響し、宙を漂っては空になった不死人の左手を嘲笑う。相手の出方を待つしか無いこの状況において、塔のカイトシールドを失くし、闇の盾を展開出来ない状態は致命的な隙を生む可能性が高い。拷問館の主はそれをよく理解しているのだろう。
この不利を覆すためにと気を静め、潜考するも、もう間も無く敵の攻撃がやって来るという予感がある以上、あまり時間を割くことは出来ず、都合良く閃きが降りることもない。
ならば不死人が恃みにするのは地力、そして勘であり、虚ろな空間に耳を澄ませて巨体の気配を探りながら魔術師のロングソードを構え、詠唱を始める。
分の悪い賭けに挑む者は、勝負の瞬間まで心臓の音を高鳴らせ、落ち着かない心地でいたとして不思議ではなく、手の先が震えるのもままある光景だろう。
だが心を失った不死にとってそれは無関係の要素であり、ごく正確な機と狙いで魔法は放たれた。闇の向こう、先程のレバーの横から僅かに姿を見せた拷問館の主に向かって闇の玉は真っ直ぐに飛翔し、そして巨体が膨れ上がり、自在に伸縮する円形の口が小さく窄められた瞬間に着弾する。
それは屍肉の激流を放つ直前であったのだろう。闇の玉によって口を塞がれ、飛び出す筈であった奔流は体内を駆け巡り、やがて行き場を失い暴れ回る屍肉に耐えられず、拷問館の主は盛大に破裂した。
固形物混じりの血が降り注ぎ、木の根のような足はよろけながら数歩後ろに歩いて倒れていく。また白く長い腕は掴むものを探そうと宙を虚しく迷い、やがてその付近にあったレバーを見付け出し、巨大な棒は爪の長い掌の中に収まると倒れていく体重の支えとなる。しかし力が入りすぎたのか、レバーは徐々に倒れ、最後には地面の中に収まってしまっていた。