リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第11章 8

 第11章 牢獄都市 拷問館 8

 重厚な物体が噛み合う。おそらく不死人が居る広間よりも地下で起こったその出来事は振動を発し、それが徐々に円滑に駆動して小さなものになっていくと、辺りの空気が変化し始める。

 血の雨が次第に落ち着き、暗闇に相応しい無言が沈殿し、この場を満たそうとしていた。

 だがどこからか漂ってきた仄かな歌が、闇の沈黙の上に降りる。

 あの侍従長の美しい歌声ではない。男女様々に幾人か重なった昏い歌声は天井から不死人の頭上へと注がれ、そして伝播するようにその発する範囲と人数を次第に増し、渦巻くように流れを深めていく。

 「そう、まさに呪いと海に底は無く、こうまでしてさえ、遂に消えなかった」

 丈夫な喉が発した、雄偉な印象すら持たせるその言葉は、暗闇に棲む破裂した怪異が伝えたものであった。

 袋のようであった表皮は細かく裂けて数百にも及ぶ触手になり、それが花のように咲くと、それまで中に収まっていた巨大な人影が露になった。触手に囲まれ、上半身のみで座すそれは、屍肉に塗れて黒ずんだ、しかし亡者特有の干乾びた肌をした長髪の男であった。服などは纏わず、首から下げた金色をした十字のペンダントが一つ輝き、それを唯一の装飾としている。

 異様に長い右手に比べ、身体の比率に準じた大きさの左手には黒い大剣らしきものを持ち、長髪の亡者はそれを軽く払うと、剣が描いた宙の亀裂から割って出るようにして真っ黒な炎が生じ、上に昇っていく。

 天上から吊り下がっていた巨大なシャンデリア。蝋など存在せず、そこに無数に突き刺された亡者の身体が炎に捕まって燃え上がり、そうして生まれた光が彼の業を暴く。

 鉄の管を身体中に刺され、或いは貫かれた亡者。不死故に未だに蠢きながらも、管から送り込まれた高温の蒸気によって歌う楽器となり、数百、数千を越して万の数にも上る彼等は天井や壁に夥しく犇き合うかのように埋め込まれていた。

 昏い歌声は、段々と狂ったような調子のものへと変わっていく。そしてそれに包まれた彼は黒曜の大剣を胸の前で構えながら、それぞれ波打っていた腰の回りに広がる触手を静め、先を立たせて王冠のような形を取らせる。

 「ならば皆苦しみ続けるが良い! 永遠に!」

 炎によって形作られた巨大な十字の瞳。夕暮れの逆光のような鮮烈な色で揺らめくそれを背の後ろに浮ばせ、リングレイの王、ルドウイークが嘆きを大喝に込める。それこそが、この地の人々が時折見せた悲哀の感情の奥に秘められたものを剥き出しにした姿であり、凄絶な憎悪の化身である。

 灯りによって所在が判明した塔のカイトシールドを拾い上げ、不死人は巍然たる風格で歩み出す王と対峙する。そこには先程までの獣のような様相が無く、突然飛び付かれるような雰囲気は感じられないが、姿勢を起こしたルドウイークの身長は増しており、体格の差は更に開いている。また剣を扱うのであれば側面へ近付いた際の反撃が素早いものになっていると予測されるため、あまり距離を詰められれば不利になる見込みが高い。よって不死人は魔術師のロングソードを構え、詠唱して闇の玉を飛ばし、敵の牽制を試みる。

 何故その術を選んだのか、と問うのなら、この魔法が前の形態の時であれば大きな効果を発揮していたからだ、という回答になるのだろう。だがルドウイークが自身の顔前に翳した異様に巨大な右手の甲は、呆気なく闇の玉を受け止め、掻き消していた。

 衝撃に対する耐性が高い可能性が脳裏を掠め、素早くソウルの矢を放つも、王の右手は甘い考えごとそれを霧散させる。前の形態の時から既に厄介なものであったが、ルドウイークの太く長い右腕は今や盾としての役目も果たしており、中途半端な攻撃では破れないどころか、牽制にすらなっていなかった。

 歩みを止められなければ敵は近付く一方であり、やがて木の根のような足が俄かに騒ぎ出すと、次の対抗策を打ち出す前の不死人の上に巨大な影が重なる。

 「イヤアッ!」

 上から振り下された黒曜の大剣を真横に抜けて躱す。空振りになって地面を叩いた斬撃の速度は並みの程度であり、殊の外回避に苦労するものではなかったが、言い方を変えればそれは単に力任せの一撃とは違い、変化の余地を残している。

 それこそが脅威であった。不死人が回避行動を取った直後、ルドウイークは既に左手を振り被っており、鏡面ばかりの黒い大剣は翻ることで炎からの灯りを鈍く乱反射させる。

 「セアッ! ラアッ!」

 呼気と共に連続して繰り出された攻撃は、紛うことなき剣技であった。右に飛び、左に飛び、回避直後の身体に無理を聞かせて大剣を潜り抜けるが、それは直撃こそしなくとも次に取れる選択肢を確実に削ぎ落とし、磨かれた剣理によって不死人を追い詰めつつあった。

 「ヤアアッ!」

 連撃の四つ目。横に大きく薙ぎ払われたルドウイークの剣を後退して逃れ、そのまま距離を取ろうと走り出す。しかしこれは悪手であり、この距離で背を見せては何らかの追い打ちが予測されたが、とは言え近距離に居たままでは戦いが終わるまで敵の独壇場が続く可能性が濃厚であるため、ならば強引な離脱を図った代償を支払う方が安く済む。

 そのような覚悟を胸にしたまま不死人は走り、そして走り終えて振り向く。

 決して追撃の手段が無かった訳ではない。彼は王者だけが纏う粛然とした佇まいでその場に残り、不死人を静かに見据えていた。

 先の一幕は小手調べか、或いは戯れの類であったか。事実、ルドウイークの右手が盾として活きている以上、押すも引くも向こうの思いのままであり、勝負を急ぐ必要が無い。であればあの防御をどうにか無力化したいものだが、不意に持ち上がった黒曜の刀身の上で黒い炎が踊り、滑っていく様子に目が奪われる。

 「ラアッ! ヤアッ!」

 未だ両者の位置は隔絶しており、にも関わらず放たれたルドウイークの二つの斬撃は下から掬い上げるような軌道を描き、そこに取り残された黒い炎は形を残したまま不死人に向かって地面の上を走る。

 「イヤアアッ!」

 迫る二つの炎の柱をどのようにして避けるか判断するよりも前に、ルドウイークの大剣はもう一つ黒い炎の柱を走らせ、だがそれは不死人に向けられたものではなく、横の壁の方へと放たれていた。

 それは明らかに何らかの搦め手の前兆であると予想されるため、このタイミングでは敵から目を離してはならないが、しかし先行して走る二つの炎の勢いは凄まじい。已む無く不死人は一度眼前の状況に集中して迫り来る炎の柱を左右へ飛んで躱し、すると間髪入れずに視界外から空気を燃やす熱と音とが近付きつつあることを感知する。

 現時点でごく至近のため回避は不可。従って塔のカイトシールドを前にしながら体の前後を反転させ、覆い被さろうとする炎の柱に対抗する。

 だがそう出来たのはたった一瞬の間のみであった。闇術と同一の特性を持っているのか、黒い炎はまず重く、力で迎え撃つなど無謀の極みであり、結果不死人は盾ごと押し流されながら高熱に晒されることとなった。

 身を焦がしながら認識を改める。黒い炎は、炎であって炎ではない。分類が難しいが、重さを伴う点も含め、自ら標的を追尾するという特徴も闇術に見られるものであり、そうでなければ意志の無い炎が壁を走って迂回して来る、などという芸当を成し遂げられる由もない。

 予見可能なものでもないが、何かあると理解していたのならもう少し上手くいなせなかったものか。それが出来なかったために、炎が過ぎた後、そこに残った不死人の身体は、酷い熱傷を負ってしまっていた。

 何時にも増して感覚の乏しい指でエスト瓶を掴み、中身を飲んで身体を治癒する。それは途轍もない効果を発揮して不死人を瞬時にして癒すが、回数は無限ではなく、そして今回費やしたエストの量は多い。余裕を見積もって戦うのであれば、これ以上の傷を負うようなことがあってはならない。

 立て直しを終えた不死人はルドウイークが何かしようとする前に、急ぎ魔術師のロングソードを構え、詠唱し始める。ここで行うべきことは盾への付与だろう。黒い炎を防ぐのであれば用意するべきは歪曲の盾であり、しかし魔術媒体たるロングソードで付与出来る術は物理攻撃に対してのみ効果を発揮する闇の盾となる。

 そしてその完了と機をほぼ同じくして、ルドウイークの持つ大剣から黒い炎が滲み出していた。

 

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