リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第12章 4

 第12章 牢獄都市 最奥部 4

 ともあれ幻影そのものは無害であると予測を立てれば、あとは視線が通らないという課題だけが残り、それならいっそ強行突破を試みるべきか。

 僅かに洞窟を漂う光を水滴が絡め取るように内側に含みながら坂道を滑り、その様子を見て人心地ついた不死人も漸く重くなっていた足を抜き、歩き出した。

 牢が多いため坂を下れば耳に入る虜囚らの嘆きなどは増える一方になり、それは当然の成り行きの筈であったが、それにしても声は多く、その内雑談の趣をしているものまでもが加わっていた。

 声を潜め、或いは低く呟くような言葉の数々はどこか現実から剥離したような印象を持ち、虜囚のものとは異なる。そして不死人の身体が白い幻影の群集に分け入って行くと、その声が牢の中からのものではなく、耳の傍で彼等が発したものであることを理解するに至った。

 途切れがちで、不明瞭であり、決して言葉の形を悟らせないような声は、確かにどこか懐かしさを感じるものであった。ただ、やはり古い記憶を喚び醒ます契機とまではならず、完全なものとなって心に描かれることは二度と無いのだろう。それが不死の呪いであり、未来も過去も奪うと云われる所以である。

 そういったあまり考え甲斐の無い諸々が、後頭部を襲った強い衝撃によってどこかへと吹き飛んで行った。それは危うく意識をも連れ去ってしまうところであったが、これに堪えた不死人はいつの間にか地面に転倒していた身体を跳ねるようにして起こし、馬乗りになろうとする敵に向けてロングソードを一閃する。それが打撃を被ったばかりの脳が無意識に作り出した幻影とも知らずに。

 空振った剣は白い人影だけを裂き、直後に背面より二度目となる物理攻撃の直撃を受け、身体は吹き飛ばされて地面に転がり、また飛び起きる。そうしてやっと対面した顔は、やはり右側面にのみ二つの目玉を付けていた。

 両者の間で白い人影が行き交う。痩せぎすの亡者が追撃をしなければ間合いは離れたままであり、それは魔法の距離である。不死人はソウルの矢を放とうと魔術師のロングソードを構え、しかし詠唱する前に眼前まで滑り込んできた黒い影に腹部を殴られ、次いで下から顎を打ち抜かれる。

 速度に優れる相手であるとは理解していたが、予想よりも素早い身のこなしに対応し損なっていた。痩せぎすの亡者による拳打は頭蓋の内の脳を揺らし、おそらく昏倒を狙ったものであったものの、ソウルの業によって強化された体幹はどうにかそれを抑え、不死人は反り返っていた背を瞬時に引き戻してロングソードを右から左へ振り抜く。

 だが懐にまで潜り込んでいた敵は、この時既にその場から離脱していた。こちらとしても今のは牽制の剣であったため、これ自体が大きな隙になることはないが、状況が一つ前に戻るだけならより不利になったことになる。

 魔術師のロングソードを手元に戻した後は迂闊に動き出さず、身構えるのみに留め、するとまた絶妙な間合いで痩せぎすの亡者は不死人を見据えていた。魔法にしろ回復にしろ、少しでも動きを見せれば敵は即座に飛び出し、その行動ごと制圧されるだろう。

 ならばこの時間が勝利への道筋を見付け出す最後の機会となる。

 敵は地面を武器とする投げ技にしろ、単純な格闘にしろ、いずれの攻撃も無手にて行っている。従って速度はあれど運用しているエネルギーの桁は低く、本体の体重の軽さも相まって正面衝突には弱いと思われる。また、最初に遭遇した痩せぎすの亡者がそうであったように、軽さ故に攻勢に熱中せざるを得ず、それが意外性のある状況への即応の遅さを招いていると予想される。

 以上の二つを要点と絞り、不死人は負傷の残る身体で詠唱の構えを取り、すると即座に懐に潜り込もうとする黒い影に詠唱を捨てた剣を向け、だが上から打ち降ろされたその一撃は空振りに終わっていた。

 残影が、目にも留まらぬ速さで右側面に回り込んだ。そして打ち込まれる、頬を狙った敵の拳は寸分違わず命中し、同時に左下から右上へ走った鈍い閃光が、痩せぎすの亡者の胸に大きな裂傷を作り出していた。

 この時点までに負傷を重ねていた側が相打ちを仕掛けるなど、無謀以外の何者でもないが、結果としてこの企図が存外上手く運んだのも事実である。不死人はそのまま止めに移行しようと、衝撃で手から落ち掛かっていた剣を取り直し、しかし思いがけずに伸びてきた敵の手にこれを掴まれていた。

 剣を持つ右手と、首とを掴まれ、壁に強く押し付けられる。そのまま窒息させるつもりか、特に体重をかけられた首への圧力が急激に増しており、極めて危険な状況下にあると言えるが、痩せぎすの亡者のこの一手は所詮悪あがきでしかなく、相応に穴がある。

 不死人が落とした塔のカイトシールドがけたたましく音を鳴らした直後、自由を得た左手は指先を揃えて先を尖らせ、刃と化したそれが痩せぎすの亡者の胸に既にあった亀裂を深く貫く。そして左手は温かい感触の中でそれを探し当て、掴んでは一息に引き抜いた。

 「おっ! ごぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ!」

 血と臓物が溢れ返り、また左手に掴まれた太い管のような何かが体外に引き出され、代わりに亡者の顔から垂れ下っていた蠕虫がその口の中へと引き込まれていくと、辺りに惨たらしい声が響き渡った。

 「みぃいいいっ!」

 痩せぎすの亡者が倒れ、一方で太い管のような蠕虫はまだ生きているようだ。不死人は鳴き喚くそれを左手で掴んだまま横に翳し、自身の胴から遠ざけるようにして先にエスト瓶で身体の治癒を行い、その後に腕ごと何度か壁に叩き付けることで弱らせ、その場に放り捨てると足で踏み、躙り潰した。

 左手を端として全身に被った相手の体液を拭っていく。

 やや危ない局面はあったものの、敵が不得手とするところを見抜いたこの勝利には価値があり、その経験は再び痩せぎすの亡者が出てきた場合に役立つことだろう。戦いそのものはついてはそれで終わる話だが、他方彼等の性質に関する謎は深まるばかりである。

 胸から刺し込んだ手が蠕虫の身体を掴んだということは、痩せぎすの亡者は体内深くにまでそれを受け入れていたということになる。その事実は、最初に遭遇した者の蠕虫が襲いかかって来なかった理由を明らかにするものであり、つまりその時の斬撃は内臓にまで達していたため、体内に居た方をも一纏めに斃していたということになる。

 だが生物の寄生として、あの形はよくあるものなのだろうか。これについては納得し難かった。

 身形を整えた後、塔のカイトシールドを拾い上げ、不死人は洞窟の奥に向かってまた歩き出す。白い雑踏はまだ視界を埋め尽くす程に進路の上を横断しており、まるで気ままに歩き回る彼等を掻き分けて進むとも、絶える様子は無かったが、下り坂が終わり、俄かに現れた上り坂を進んで行くと少しずつ数が減り始め、道が平坦に戻る頃には一つ残らず消え失せていた。

 虜囚の女性が言った通り、甘い香りとやらがあの幻覚を誘発するのであれば、それを構成する粒子の類は窪んだ場所に体積し易く、より症状を頻発させるか、強くするのだろう。それがあの白い人影の密集地帯を作り出した仕組みと思われるが、それを知ったとして窪んだ場所を避けて通るには洞窟には分岐路の気配が無く、その知識はあまり活かせそうに無かった。

 頭の中ではそうした考えが忙しなく回り続け、それとは対照的に足は常に動き続けてはいてもなだらかな地面を退屈がっていた。無論、無意味に体力を消費するよりは良いが、どちらかと言えばその感覚は倦怠感ではなく、そろそろ何かあるだろうという予感の下に去来したものであり、そうした矢先、道の先にまた坂道が現れていた。

 今度のものは上り坂の、それも随分な急勾配である。先程の予想が正しければこの地形では幻影によって視界が塞がれる恐れはないが、行く先では一旦両側の壁が無くなっており、元々の足場の不安定さから落下の危険が高い地点と言える。

 そうなれば慎重に振舞おうとするのが自然であり、まず不死人は周囲の闇に棲んでいる者が居ないか周囲をよく観察し始め、すると亡者などでは無いが妙な物を発見することとなった。

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