リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第12章 5

 第12章 牢獄都市 最奥部 5

 黒い岩肌、黒い地面の中に見付けたのは、道から外れた場所から頭だけを覗かせている、二つの黒い突起物であった。更に近付いて観察したところ、それは梯子の先であったらしく、またそれが伸びている先には色とりどりの輝きが置かれていた。

 正気を残した者が示した、何らかのメッセージ。気軽に向かうには梯子が長く、降りている最中に攻撃された場合の危険度が高い上、それでなくとも罠を疑えばきりがない。いっそ放置して先へ進むべきかと、結論が消極的な方向へと傾き、それに対して浮ぶ反論が順々に削除されていったが、最後に残った一つは黙殺するには大き過ぎるものであった。

 ここはリングレイの深部である。道中の険しさから、このような場所にまで来る者は尋常の存在ではなく、握っている情報もそれに相応しく重要であると見込める。仮に敵対する者であったとしてもそれは同じ事。襲撃を迎え撃つことになれば死闘に斃れることも有り得るが、打ち破れば拾えるものは大きいだろう。

 少々楽観的かもしれないがそれを最終的な決定とし、不死人は梯子に乗り、一つずつそれを降りていった。

 材質の不明な梯子は体重のかかり具合によっては歪む割に、あまり音を発しなかった。だとしても聞き耳を立てる者にまで隠し通すのは無理があるため、少し降りては周辺に異変が無いか目を凝らし、その度、足の遥か下、まるでどこからか響く虜囚らの叫びを飲んで蠢くような闇に全ての知覚が奪われていた。

 それは錯覚に近しいものだったが、解釈次第では限りなく真実の至近にあり、大抵の者はこの光景に足を竦ませるものであるのだろう。流石にそうまではならないものの、不死人とて動作は遅々としたものとなり、やっと下にまで到着した頃には、随分な時間が経ってしまっていた。

 この狭い穴の底には一つ二つの幻影が通り過ぎる他、目に付くものと言えば光を放つ七色石と牢くらいのものである。よって潜む場所などなく、その人物は鉄格子の中で堂々と姿を晒し、だがまるで悄然と休んでいた。

 「見付けてくれたか」

 牢の中で倒れるように体重の殆どを壁に預け、座り込んでいたのは一人きりの戦士であった。革鎧や鉄の鎧、或いは鎖帷子などを複合的に着込み、その上に所々裂かれた赤いマントを纏うという、独特の風体をしている。

 「私はもう、進めそうにない。だからこれを貴公に」

 彼が差し出した手は牢の外まで伸びきらず、途中で開かれた掌から小さな何かが落ち、転がってきたそれを不死人が拾う。指が摘んでいたのは、表面の紋章が霞んだ、鈍色の指輪であった。輪の部分に鎖が通っており、ペンダントのように身に着けることが出来るらしい。

 「私達は全く理解していなかった。不死にあることの恐ろしさは、記憶や心を失うことだけじゃない。その先には、もっと、想像も及ばないような昏いものたちが待っている。それを、この地に来て始めて知ったよ」

 戦士は力無く天井を見上げていた。おそらく彼もまた、自ら牢に篭もる者である。彷徨える亡者となる前に。

 「分かっているな? 我々の使命を」

 落ちてきた戦士の視線が不死人の両目を射抜く。それは彼が始めて見せた威圧感であり、また最後のものでもあったのだろう。

 「青ざめた血の先に求めるんだ。その見かけは黒い泥のようだが、指などで薄く伸ばすと青白くなることからそういった名で呼ばれるらしい。特徴がそれであれば、すぐに分かる筈だ」

 まるで血のような色の含み方をしている液体。即ち体液ではなく、それはあくまで呼び名でしかないのだろう。

 他に何か知っていることがあれば聞き出したいところではあったが、戦士はまた力の支えを失い、壁に凭れた。すぐそこにあるのなら、あとは実際に見てみれば済む話でもある。ならば彼はもう休ませるべきか。

 「済まないが、頼んだぞ」

 そうして、彼の息は穏和なものへと変わっていく。その様を見届けた不死人は、受け取った指輪を首から下げた後、梯子に手を掛ける。互いの為にも、もう二度とここには来ることはないだろう。上に向かって登り始めた。

 一度通ったからと言って上に着くまでに潜むものが居ないと決め付けることは危険だが、それでも降りの時よりは数段軽快な挙動で梯子を登り続け、休憩も挟まなかったからか、元の場所にまでは比較的早くに戻ることが出来た。

 角度の急な坂道を前に、一度足を止める。その場から観察し、痩せぎすの亡者などが本当に潜んで居ないかを確認した後、不死人は一歩ずつ前進を始めた。

 仮に上から物を転がし、侵入者を撃破しようとするならば、彼らは何を持ち出そうとするだろうか。先程の大岩などがあれば確実だが、この坂であれば空の木の樽でも大きさによっては充分危険であり、実際にそのようなことがあればこの場所では抵抗が難しく、実はいくら警戒しようと無意味であったのかもしれない。敵が出現しないことを祈るばかりである。

 歩き続ける内、やがてその懸念は一度不発となり、坂道は両側の壁と水平を取り戻していた。ただ、それは激しく起伏した地形同士の間に生まれたごく僅かな緩衝の場に過ぎず、二手に別れた先の道には一方に下に向かう急な下りの通路があり、もう一方には急激な上り坂があった。

 先に回避した罠のことを顧みれば、選ぶべきはやはり後者となる。不死人は右の上り坂の方を向き、真っ直ぐ伸びるそれを登り始めた。

 先程と同様、上から何かが転がり落ちてくるという可能性は危惧として未だに強くあったが、対応出来ないことについて繰り返し考察して足が遅くなるのであれば、敵にその好機を作らせ易くなるばかりであり、あまりに愚鈍に過ぎる。ならばいっそ多少足音が立つことについては止むを得ないこととし、歩く速度を早めると、道は忽然と消え、天井からの岩肌が壁と繋がり、また壁が地面と繋がり、不死人を覆っていた。

 袋小路である。だがその場に何ら変わったものが無い、ということも無く、右の壁の方に一つ、低い位置に穴が掘られていた。

 穴の先を覗き、そこから見えたのは野外のような、岩に塗られた黒い塗料が奥行きや広さを曖昧にしている空間であった。また、穴の真下には折り畳まれた梯子が設置されており、これを外して伸ばすと、先にあるのは見覚えのある地形、女性の虜囚と会話した場所であるように見受けられる。

 今にして思えば、崖を登り降りした辺りから洞窟は右へと曲がり続けており、高低差はあれど、おそらく戦士の居た穴の周りを大きく迂回するようにして同じ場所にまで戻ってきたのだろう。

 結果、この牢獄の入り口と直通する道を確保し、そうなればこの場には他に用が無い。不死人は坂を降り、道が枝分かれしていた場所にまで戻る。

 そうして足を差し向けたのは、未だ踏み込んでいない、下に向かって降りる細い通路であった。閉所かつ通路は螺旋状になっているため見通しが悪く、また幻影の姿もあり、敵と遭遇する際には例え相手が道の只中でぼうっと立っているままでも唐突なものになるだろう。

 それを防ぐ要素があるとすれば、通路の狭さ故に音が反響し易く、即ち伝わり易い点か。不死人は耳に意識を凝らしながら、少しずつ下りの通路を降りていった。

 実際に入ってみると、その通路は螺旋状と言って間違ってはいないが、整然とした設計の下に造り込まれたものと比較するとまるで歪みが酷く、曲がる角度などは気紛れであった。巨大生物の、のた打ち回る腸の中を進むことがあれば、似たような感覚を得るかもしれない。

 程無くして通路の出口まで到着すると、空間は急激に拓かれる。天井は高く、幅や奥行きは広大で、そしてなにより目を引くものは、全く波を立てずに静まり返ってそこに在る、巨大な水溜りであった。

 幻影が徘徊するその水辺に寄り、しゃがみ込んで掬い上げると、掌の上で薄く伸ばされていくそれは深い藍色から血を抜かれた生首のような青白さへと移り変わり、この変化の様子を見るに、ここにある池こそが青ざめた血であると見て間違いないだろう。

 追い求めていたこの液体は、しかし触れただけではまだ正体を現さなかった。直ちに害を撒き散らすようなものではないらしく、その点は検分する上で助けとなるが、何を以てリングレイの秘密とするのか、ここからまた探求しなければならないのだろうか。

 まだ情報が不足していると判断し、ひとまず不死人は立ち上がり、周囲をよく見回す。青ざめた血の池はこの空間の殆どを占めており、他に足場は無く、奥に行くなら水に浸かりながら歩く必要があった。また、空間の中央では水底と天井の両方から岩肌がせり出して繋がっており、太い柱となったそれは内部に牢を抱えて池の中州として屹立している。

 何かあるとすればこの中洲の牢だろう。不死人はこれを目指し、青ざめた血の池の中へと足を入れて歩き始め、すると一歩目から大きな違和感を覚えることとなった。

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