リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第12章 7

 第12章 牢獄都市 最奥部 7

 思いの外、心に僅かに残されたものが甘い香りの夢に疼いたらしいが、それ以上は思い出そうとしても無為である。不死人は痩せぎすの亡者の身体に背を向け、洞窟の探索を再開した。

 白い幻影も、夢見る亡者達も、奥を目指すにつれ増える一方であった。特に幻影の方はあまりに多数が重なるため、最早濃厚な霧と化しており、そうなれば時折亡者達とぶつかることがあったが、反応を返す者はおらず、不死人の足が止まることは殆ど無かった。

 その内、ひときわ天井の高い区域にまで出ると、いよいよ幻影達は人の形を失くすほど重なり合い、濃霧に覆われた視線は半歩先の様子も見ることが出来ない有様となり、その結果自ずと両目は幻影の無い上の方へと逃れる。

 目に飛び込んできたのは怪しげなうねりと、その滑らかな動きがよく引き立つ黄金の肌であった。

 巨大な蛸。天井に張り付いたその怪生物は不死人を見下ろしながら、岩肌を舐め回すように触手を動かし、また丸い筒のような部位から黒い霧を散布していた。これが甘い香りの元凶かつ、洞窟内の岩肌を黒く塗っているものの正体なのだろうが、それは巨大な生物の前に餌のように身を差し出してしまっている時に云々すべき事柄ではない。急ぎ剣を構え、帯のような形の瞳を見据える。

 後退か、牽制か。いずれにせよ発見が遅れた不死人は後手であり、その刹那は蛸の方こそ主導権を有していた筈であった。だがそれを、巨大な怪生物は行使せず、過ぎていく刻を蠕動だけで消費する。

 敵意は無いのだろうか。この金色の蛸が洞窟内の幻影の核であるなら、仮に斃せたとしても、夢の中から引きずり出された者達が一斉に襲い掛かってくる可能性があるため、素通り出来るというのであればそれに越したことはない。

 試しに一歩二歩とその場から歩き、蛸に異変が起こらないことを確認した後、天井の形状などから推察して首尾良く洞窟の奥へと逃れる。危うく先入観というものに操られ、余計な真似をするところであった。

 とにかく蛸の近くから立ち去り、濃霧の中を突っ切るようにして奥へと進むと、段差と、それを登るための梯子が架かっている場所が見付かる。段差の方には上の方に岩で造られた返しが付いており、それは何かの生物、乃至は蛸から放出されている甘い香りの侵入を防ぐ為の処置であると思われる。

 不死人はこの梯子に手を乗せ、登っていくと、その先にはやはり幻影の姿があまり無く、更に奥へと進むと完全に途切れていた。

 そして通路の先で、また別の者と目が合う。今度は蛸ではなく痩せぎすの亡者との邂逅であり、それは戦いの始まりを意味しているが、彼は椅子に腰掛けたままの状態で右手を突き出し、不死人に対してまるで制止を呼びかけるかのような振る舞いを見せる。

 出し抜けのその行動を前に身体の動きが自然と止まり、静観していると、また亡者は左手で顔から垂れ下る蠕虫を掴み、それを引っ張ることで粘膜同士の摩擦が起こって粘り気のある水音が口から零れ、分離された。

 右側面に寄った両目が爛々として不死人を捉える。

 「彼を害さなかった貴公の判断は礼謝に値する。が、口先のみではそら寒い。ああ、待て、そこから近付くな。ここは混雑している」

 発せられたばかりでは言葉の意味が不明であったが、立ち止まったままでいると、耳の中に細やかに蠢く何かの音が入り込み、その出所を探ったところ、亡者の全身に目が向く。

 それは数千にも及ぶような数の蠕虫の、身体の小ささからして幼体の群れであった。見かけの上では痩せぎすの亡者が貪られているかのような光景だが、共生のような関係であることと、彼の発言に鑑みれば、少なくともそれは無いと言える。

 その姿も、生態も知らぬ者には酷くおぞましく見えるかもしれないがそれは偏見というものだろう。先程もそういった誤解で軽率な行動に出ようとしてしまったことを自省したばかりであり、ここでも惑わされてはならない。

 亡者はやがて胸元から取り出した何かを投げ、こちらに寄越した。拾い上げたそれは鍵の形状をしており、おそらくは虜囚の女性が言っていたものではないだろうか。

 「貴公らの企てを邪魔立てしようとは思わん。持って行け。それと、帰りはこちらの通路を使え。今は大人しい彼等でも、何らかの諍いに発展する可能性はあるからな。無意味に彼等を傷付けて欲しくない」

 痩せぎすの亡者が示した方向を見ると、そこの岩肌には穴が開いており、先にはいくつか岩の段が続き、下にある腸のような螺旋階段の入り口付近に向かって降りていた。一つ一つの大きさがそれなりにあるため、降りることは容易いが、その逆、登るのは難しく、これは上からの一方通行の道である。

 確かに、それを使えば夢に耽る亡者達の傍を通らずに済むが、彼がこうまで気を回すのは何か理由があるのだろうか。それとなく横目で痩せぎすの亡者の表情を探り、するとそれが勘に触ったのか、彼は苛立ちを込めたような視線を返す。

 「なんだ、まだ何かあるのか? まさか、この現状に意見でもしようと? 幸福な夢に耽溺することの、一体何が悪い。例えそれが破滅を呼んだとしても、妄執に駆られた者に比べれば、他者を巻き込まずに済むのだぞ」

 怒りを買った、という程ではないが、彼は明らかに気分を害した様子であった。あまり長居すべきではないだろう。不死人は痩せぎすの亡者の方から顔を背けるようにして歩き出し、穴を通り抜けて岩の段を降りて行った。

 次に螺旋状の階段を登り、急な坂道を上がり、梯子を一つ降りると、虜囚の女性が居る牢の前にまで戻る。中を覗き込んだところ、紙の束を抱えた彼女は壁に寄り掛かって座っていたが、すぐにこちらの気配に気付いて勢い良く立ち上がり、鉄格子の前にやって来る際にも小走りになっていた。

 「あれは、あれは見付かったの?」

 気の急く彼女の前に、勿体付けずに鍵を差し出す。

 「ああっ、きっとこれだわ! すごいのねあなた!」

 その感激ぶりは大袈裟で、あまり騒ぐことを良しとしない側からすれば迷惑なものだったが、他者のためにこうも喜んでいると思えば、多少大目に見るのが人情というものなのだろうか? あまり自信は無い。

 「あっ、そうそう、ちゃんとお礼を用意しておいたわ」

 鉄格子の隙間から差し出されたそれを受け取る。その紙の束は、手書きで何か記されているが内容が魔術に関するものであるらしく、有効活用するならコネリーの助けが必要となるだろう。失くさないよう、大事に仕舞い込んだ。

 「それじゃ、その鍵を使って、あの方をこの場所から連れ出して貰える? どうか、お願いよ」

 面倒事は避けたくもある反面、その人物が重要な何かを知っている可能性もあるため、無視することは出来なかった。不死人は彼女の言葉に頷くと、牢の隣にある扉に鍵を差し込み、解錠されたそれを押し開いていく。

 中の階段を下り、踊り場で一度左に曲がって尚先に進んでいくと、間も無く辿り着いた部屋では緑色の気体のようなものが漂い、それが発光することで内部を仄かに照らし出していた。

 その一助を得て見回したところ、洞窟を利用しただけのこの部屋は他の牢よりも格段に広いが、主はたった一人しか居ない。

 白いドレスを身に纏うその女は、室内の中央にて鎖の戒めを受け、座り込んでいた。これこそが虜囚らの愁いを集める姿であり、救出を懇願された人物であると見て間違いないだろう。

 不死人は早速そこへ近付こうと一歩を踏み出し、だがその瞬間、鎖が引き千切られて周囲に激しく飛び散った。他ならぬ、その人物自身の手によって。

 裾に垣間見えるは手甲、足甲。そして胸元には鎧。ごく薄く、華奢な部類ではあるが、氷水に沈んだような色の戦装束をドレスの下に着込んでいたその貴人は、金にたなびく髪をしなやかに翻して振り向く。

 長く繊細な睫は瞬かず、その奥にある冷厳な色をした瞳は確と敵を捉え、虜囚の姫、アンゼリークは歩き出す。

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