第12章 牢獄都市 最奥部 9
アンゼリークが両手で握る、金色の大剣の柄。それは不死人が、斃れたルドウイークから回収したものであり、おそらく今の一瞬の内に奪われたのだろう。
「ふふ。そんなところに、あったのですね」
冷え切った岩の淵を通り抜けてきた風のような、透き通った声で愉しげに呟くと、彼女は両手で持った大剣の柄を胸の前に掲げる。またそれに伴って部屋の中に漂う緑の気体が勢い良く流れ始め、どこからか押し寄せて濃度を増し、アンゼリークの胸元に収束して内に暗黒を秘めた、昏い光となる。
「この地の全ての呪いに応える。それが私の、女王の義務」
狂気の月光が、青い大刃を作り出す。ここに継承が成され、エルミューロクの女王、アンゼリークが即位した。
彼女もまた、ルドウイークとは別の、ある意味で呪いの極致にあるのだろう。だからこそその呪いは磨き上げられ、昇華して宿した純粋な美しさは、無垢なる願いや祈りと全く同質のものであった。
やがてアンゼリークは疾走する。これまで遠距離攻撃を主体としてきた彼女のその行動は意外に過ぎるため不意を突かれた形となり、されるがままとなった不死人は瞬く間に近付かれ、月光の大剣が右から横に薙ぎ払われた。
回避するには時が不足しており、その刹那に塔のカイトシールドを構えるものの、青い大刃は盾越しに不死人の身体にダメージを与え、思い掛けず怯んだ所へもう一撃、左から横へ振り抜かれた剣によって負傷を被る。
この距離では敗北は必至である。敵の斬撃の衝撃から抜けた直後、不死人はその場から飛び下がり、そのまま距離を取りたいところではあるが相手から目を離すことも出来ず、身体の向きは変えずに後ろに向かって走り出したところ、案の定追撃の気配が俄かに漂う。
アンゼリークの剣尖は下に降ろされていた。その独特の構えと、そしてルドウイークとの戦闘経験から、それが特殊な技であることはすぐに理解の及ぶところとなった。だが。
「ふっ!」
大剣が纏う青い月の光は主の斬撃に従って光波と化し、敵を引き裂こうと飛び出す。それはまさに光速の疾さで迫り、黒い炎の柱のようなものを予期していたため直撃しかけるが、勘任せに横に引いたところ運良く回避に成功し、しかしそれ一つで終わることはなかった。
「はっ!」
続けて放たれた二発目の光波は、一発目をいなした気の緩みが認識の僅かな遅れに繋がり、躱せるものではなくなってしまっていた。塔のカイトシールドで受け止めるが、魔法による攻撃力を防御すること自体は出来てもダメージまでは防げずに負傷する。
最早満身創痍と言っても過言ではない程、負債が貯まり切ってしまっていた。早急な回復が必要であり、不死人はその場を脱しようと足を動かすも、アンゼリークの放ったソウルの結晶槍がそれを追う。
或いは、逃げ道を塞ぐ結晶の道に翻弄され、次々に振る結晶魔法をも回避し続け、やっと敵から十分に離れた場所にまで逃げてくると、エストを飲み身体を治癒し、一つ息をついて状況を見直す。
敵はこれまでと同様、豊富な遠距離攻撃を持っている。だが大剣を手にしている関係上、片手のみで発動するようになり、その理由から前よりは勢いに聊か落ち着きが見られ、この要素が逃げる不死人の助けとなったようだが、それでも魔法同士の立ち合いとなればまだ勝つ目は無い上、大剣の光波を遠距離攻撃に織り交ぜてくるようならむしろ脅威は増していると見るべきだろう。
しかしながら、真に畏れるべきは剣技である。月光の大剣は事実上防御不可能であり、尚且つ武器としての重量は軽めであるらしく、振りが速く回避が困難を極め、通常の剣術では対抗出来ない。
遠近両面において至強。ただ、どのように考えを巡らせようともアンゼリークは自ら剣の間合いを好むと予想されるため、ならば必要であるのは剣の戦いを制する要素である。では具体的にどういったものが挙げられるか。それを思案しなくてはならなったが、飛来するソウルの結晶槍を見てはそれどころではなくなる。
一撃必殺の威力と速度を持つそれは、だが女王にとっては数ある牽制の一つに過ぎず、不死人は避ける際に右方向へと走ったが、先には結晶の道が敷かれて行き詰まる。そうなれば当然足止めざるを得なくなり、そしてその瞬間に走り込んで来た白いドレスの姿が瞳に映る。
上段から打ち降ろされた月光の大剣を辛うじて後ろに躱し、続けて横に振り抜かれた一撃からも後方へと逃れるも、三つ目の斬撃は踏み込んだ足が深く入っていたため、避けきれずに塔のカイトシールドを翳す。
苦し紛れの盾はやはり無力であり、青い大剣によって身を裂かれるが、事はそれだけでは済まないだろう。このままでいれば続けて斬撃を浴びせられることは明白であり、しかしその場合回避も防御も適さず、であるなら第三の選択、聖職者のウォーハンマーを反撃として横に薙ぐが、それは虚しく空を切る。
いつの間にそうしていたのか、アンゼリークはその場から距離を取っており、そして攻撃が空振りになった不死人へと差し向けられた月光の大剣は、一際強く光り、昏い光波を迸らせる。
防ぐことすらままならずに光波の直撃を受け、しかし傷を追いながらも次の二つ目、三つ目の飛翔する月光の斬撃を回避し、敵から距離を取ろうと試みる。一方で女王は無慈悲にもソウルの結晶槍を放ち続けてきたため、極めて危険だが魔法で弄ばれている内に結晶の道で逃げ場を潰されるよりは、と相手に背を向け、音のみを頼りに追撃を躱し、それと並行して逃走も続ける。
そうしてやっとのことで魔法の届かない位置にまで来る頃には、五つものソウルの結晶槍の回避をやり遂げてみせていた。ただしこれは奇跡の間近にある出来事のため、次に同じことが起これば必ず失敗すると見て間違いはないだろう。
そのように内心で確認しながら、エスト瓶を飲み、心許ない残りを見詰める。
極めて劣勢であった。遠近に優れるならば何か弱点の一つでもあるのが道理、常識というものだろうが、女王の特殊な鎧は防御力と機動力を高い次元で両立させており、本人の剣術も相まって隙らしきものが見えてこない。それでなくとも火力の高さと速成は凄まじく、これに常人が匹敵することなど夢にも有り得ない。
では一体どこを突いて崩すべきであるのか。
不意に白いドレスが膨れる。それは彼女が腰を落としたことを意味していると理解した瞬間にはアンゼリークは疾駆し、一息で彼我の距離を詰めてきていた。その次には下からの斬り上げに襲われるが、何とか後方への回避には間に合い、しかし上から折り返してきた大剣が振り降ろされるとそれ自体の対応は成功するとも無理な回避行動の連続で身のこなしが怪しくなり、三つ目の斬撃はやはり長く踏み込まれ、間も無く回避不能の攻撃が訪れるだろう。
ある程度の負傷を差し出して防御をすれば致命傷には及ばず、だがそのようなことを繰り返せばエストの残りを削られるばかりか、いつまで経っても反撃出来ない。瞬間的にそうした考えが頭を巡った結果、不死人は危険を承知で踏み込み、アンゼリークの剣の間合いを強引に潰すと、密着した状態となって盾で大剣の柄そのものを押さえ込む。
するとどうか。アンゼリークの大剣は攻撃の半ばで止められていた。
直感的な行動であったため後付けの理由となるが、いくら攻撃力に優れ、また防御力に優れたとしても、それは所詮魔法の力を拠り所としている。即ち身体そのものを力で抑え込むのであれば、単純な筋力の勝負に持ち込める。
不死人はそのまま塔のカイトシールドでアンゼリークの腕ごと月光の大剣を押し返すと、伸び切った胴に向け、聖職者のウォーハンマーを打ち込んだ。
「ぐっ!」
これの直撃は効果が大きかったのか、アンゼリークは露骨に呻きを漏らすが、その割に姿勢はあまり崩れず、ウォーハンマーの追撃が来るよりも前に軽やかに引き下がると二つ光波を寄越した。
そして不死人がそれらを避け終えたときには、今回は彼女の方から距離を取ることになった。単に仕切り直しにしただけではあるが、あの気勢を削ぐことが出来たのは大きな成果であり、ここで得た時間を無為なものにはしないよう急ぎ右手の武器を持ち替えると詠唱を行い、塔のカイトシールドに闇の盾を付与する。