第13章 変態の祭祀場 2
あまり当てにならない推論を捏ねることをそれまでとし、腰を上げ、建造物の方角を目指して歩き出す。やはり砂を踏む度にそこから小さな空気が出るが、相手も同じ条件であることが判明した今、必要以上に一方的な奇襲を警戒する意味は無く、歩みは幾らか軽くなる。そして実際に亡者達の襲撃が無ければ、不死人が建造物の前に立つまでにそれほどの時間は掛からなかった。
青みがかった灰色をした、無数の窓を持つ建造物。その外見の持つ雰囲気の異様さも然ることながら、しかし近付いて観察すると、外壁に際立って奇妙な点があることを発見する。
木の蔓だろうか。建造物を形作る壁の全てにはそのような模様が細かく巡っているようだが、仮にそれを人の手で造ったとして、気の遠くなるようなその作業がどれだけ必要とされるのか。それに建築物への彫刻などには意味や祈りなどが込められている場合が多いが、この木の蔓か触手のような模様をひたすらに掘ることに誰が意味を見出せるのか。
早い話が、この建造物は人の手によるものではない、という疑いがあった。例えば本当に蔓か何かにこの建造物の形を取らせ、それから石化させたと言われた方がまだ納得は出来る。それは人の世界では一笑に付されるような想像だろうが、リングレイでは違う。
ともあれ探索をするなら内部へ侵入することが望ましいが、建造物の周りには深く幅の広い堀が巡っており、その場から見た限りでは堀を渡る橋は一つきりであった。罠などに注意しながら少しずつ、上に反って曲線を描いた美しい木製の橋を渡っていった。
青ざめた血に浸かった当初からだが、やはり光源が少なくとも視線はよく通った。内部に入った不死人が目にしたのは、広く壁一面に並ぶ素朴ながら上質な本棚と、そこに敷き詰った書籍の類であった。
天井は無く、また建造物の中には碌に仕切りも無く、広大な室内を見通すことが可能であるため全体の構造を把握するのは極めて容易なことであり、ならばそう努めるために立ち止まって首を動かす。
まず建造物を上から見下ろすとすれば、正三角形に近い形をしているらしく、その壁の内側には視線が届く限り全てに本棚が並べられているように見える。そして室内の中央には庭木が整えられた中庭のような広大な三角形の区画があるが、これと不死人の居る本棚付近の廊下との間にはまた深い堀のような溝があるため、そちらへ行く事は出来ない。
しかし左を見ると廊下を遮る柵の向こう側に中庭へ降りる橋が架かっているのを見付けたため、その柵にある扉に触れてみたところ、やはりそう簡単に開くことはなく、どうやら向こう側から施錠されているようだ。
遠目から見るに、中庭には石で出来た大きな机や、本棚付近の廊下には無い様々な棚、その上に乗る用途不明の器具などが置かれている。つまり探索の足はそこまで伸ばす必要があり、またそうするには大まかに別けて廊下三つを進み、三角形の建造物を一周しなくてはならないようだ。
移動距離は少々長くなるが、あまり敵が大量に潜む場所も無いことを思えばそれほどの苦労も無いだろう。不死人は身体をその場から見て右に向け、本棚の前の廊下を歩き始めた。
建物の内部は下が砂でなくなったため、いくら歩こうとも気泡が上がる事は無くなっていた。では今踏んでいるそれは何なのか、という話になると、壁と同じ蔓の模様の石のような何か、と曖昧にしか回答は出来ない。そして本棚は真っ直ぐに伸びた廊下の先にどこまでも続いており、それが抱え込んでいる書物の数ともなれば、凡庸な頭では見当すら付けられないのだろう。
まどろみの夢の中のような景色を進み、真実ここが夢の中であるのではないのか、という錯覚に陥り、或いは疑念に繋がれかけながら、歩き続けていた不死人はいつしか廊下の半分の辺りまで来ていた。
「ようこそ、不死の勇者よ」
唐突に、まるでこの建物内部の壁で反響し合う、位置の特定が難しいその声は、芯が通ったような、思慮の深さを窺わせる歳のいった男性のものであった。
「一つ、誤解しないで欲しいのは、我々はあくまで提供しただけであって、争いを起こしたのではない、ということだ。彼等は我々から不穏なものを感じ取っていたようだが、それでも憎悪が勝ったのだ」
内容は弁明でしかないが、全く気後れしている雰囲気を見せない、淀みの無い口調は、また説明そのものにもよく慣れたような印象があった。男の言葉はそこで終わり、不死人は周囲を見回すも、それを発した人影らしきものは見付からない。
一方的に観察されているのであればそれは警戒に値するが、一本道の廊下の上で取れる行動は先に進むか後に戻るかの二つに一つである。止むを得ず、ある程度の危険を呑み、不死人はまた廊下を歩き始めた。
先の声の主はどのような人物であったのか。向こうから話し掛けてきたということはその内正体を見せるのかもしれないが、話の内容から察するに、単純に味方になるということはまず有り得ないと考えておくべきだろう。ならばある程度の彼の性質を推し量っておくことはいざ対面した際の事を考えれば決して無駄ではない。
そのような考えをあまり凝り固めず、広く可能性を模索するようにして巡らせ、だが唐突に視界いっぱいに白い幻影が現れたことで霧散する。
身構え、武器を握り締め、しかし幻影は遠ざかっていく。大方、実体の無いそれが不死人を後ろから走って追い越した形になったためにそのような登場の仕方になったのだろうが、幻影は廊下をいくらか進んだあと止まり、身体を右に向け、何を思ったのか、本棚の一つを足で蹴る。
といっても彼は所詮実体の無い身である。背の高いその本棚は微動だにせず、そこで立ったままであったが、しかし幻影はその本棚の方へと歩くと、吸い込まれるかのように消えていった。
白い幻影と言えば一つ上の階層での出来事が思い返されるが、今見たそれはより意志のようなものが明確に根付いているように見受けられた。そのため、無意味に影が踊っただけ、と捨て置くにはどうにも気掛かりとなり、不死人は白い幻影が蹴っていた本棚の前まで来ると、そこで一度立ち止まる。
一見して他のものと差が無い、何の変哲も無い本棚であった。しかしながら幻影と同じように蹴りを入れたところ、木製のそれは霧のように掻き消え、奥には人が一人入り込める程度の狭い空間が現れる。
そこでは一冊の本が壁に掘り込まれた棚の中に置かれていた。他の書物と違い秘匿されていたらしく、また黒い皮で装丁が作られており、ごく上質な素材であるのか、手触りも良い。だが例によって中に書かれている内容の理解には及ばず、辛うじて分かるものがあるとすれば、奇跡の触媒を使用する人の絵図程度であった。
これを渡すべき人物が居るとすれば、周壁内部の牢の中の男だろう。虜囚の女に渡された紙の束同様、これも荷物の奥の方へと仕舞い込んだ。
それから探索を再開するべく足を動かし始めたが、その地点から少し歩けばすぐに一つ目の廊下の終点に辿り着くこととなった。詳細な数字までは不明だが、少なくとも直角よりも鋭い角度のその曲がり角では視線を遮るものはなく、続く廊下の先に異変は無い。
「初期の青ざめた血は、今のように人が呼吸出来るものではなかった。水圧も強く、この時期は苦労が多かったものだ」
二つの目の廊下に踏み込んだ矢先、男の言葉がまた届く。重要な伝達事項、というような趣旨ではなく、それはどこか雑談めいており、そしてそれだけを残したきり、声はまた止んでいた。
不死人はやや強めに足を踏み出し、男の言葉を半ば無視しているかのような素振りを見せつけて廊下を歩き出してはみるが、実際の所、それが自身の腹の中に何も残さない、ということはまず有り得ない。リングレイの人々が異形に生まれ変わった理由がそれであるなら、この男は生物の特性を人に混ぜ込む術を持っていることになるが、おそらく目的は別にある。果てにあるもの、真実を知ったとき、理解は及ぶのだろうか。
程無くして廊下の中央に当たる部分にまでやって来ると、壁の一部分で本棚が取り払われている箇所がそこにあった。その一画は建物の外、堀の上に長く突き出したテラスのようになっており、屋外を一望出来るようだ。
どこまでも続く穏やかな丘陵だけを見れば長閑だが、所々の地面から木のように生えた巨大な錨や、暗く渦巻く空はやはり異様であり、まして宙に浮く岩まであれば決定的にその景色は異界である。元より癒す心などの持ち合わせも無いが、特にこの光景を見続けようという意志は起こらず、テラスから廊下側に戻ろうと踵を返すと、外壁に梯子が架けられているのを発見する。
見た所その梯子は上に向かって外壁を這っているようだが、あまり長くないそれは先の方で折れて破損していた。また仮に上に行く道があったとして、この建造物の内部で目指すべき場所には見当が付いており、そして行き方も廊下を真っ直ぐに進むだけで良い、ということを把握しているため、梯子に固執する意味も無いだろう。不死人はその場を離れ、また廊下を歩き始めた。
これも水中故だろうか。澱のようなものが時折宙で踊り、突き進む不死人からの水流に押されてより瞬く。それを見るに、流石に人が泳げはしないようだが、いくらか軽い物であれば風に浮ぶように、ここでも浮かんでいるのだろう。ならば他にも浮ぶもの、それこそ本などがそうなってしまったとしてもあまり不思議ではないが、しかし水中に存在する、という時点で本そのものに何らかの対処を施していると見るべきか。