第13章 変態の祭祀場 4
テラスのあった箇所が既に廊下の中央にあたり、そこから更に進んでいたために、あまり時を掛けずに廊下の終わりに近付いていた。曲がり角等には異変は無く、だが一つの予感を抱きながら三つ目の廊下に踏み込む。
「真に惨憺たるは人の心だ。王をはじめ、侍従長殿らは憎悪を手放せずに自ら巨獣となったが、彼女の親類でもある公爵夫人などはそうならないことを選んだ。両者は苦しみとの向き合い方が違い、人々を導く方角もまた違ったのだ」
今一度耳にした男の声は、やはり告げるというよりは単に話しかけているような調子であり、あまつさえいくらかの親しみすら込められているような趣がある。だが弁が立つ者が話しているものであれば、内容に関してはあまり真に受けるべきではないだろう。能書染みていると言えばそれまででもある。
男の言葉をそのように飲み込みながら不死人は廊下を歩き続け、するとふと見た奥の方に、たむろしている肥大した頭部の亡者の一団を発見する。
彼等は一様に廊下の床に視線を落とし、未だ不死人の姿を見付けてはいないようだが、その数は五匹と多く、正面切って戦うのは例え奇跡、一時的平和の助けがあっても危険であり、またそれが万が一何らかの要因によって効果を発揮しなかった場合を考えるのであれば、術一つを恃みに挑むは間違いである。
であれば何かもう一つ、策を講じておくべきだが、その前に青白い軟体動物達を屠った際の経験からか、目に留まったのは近くに置かれていた本棚の上の段の書物を取るための、移動式の階段であった。肥大した頭部の亡者達は下ばかり見ているとは言え、身体の向きそのものはこちらの方を指しており、不用意に近付けば察知される可能性がある。しかしこの階段を使用して本棚の上を行き来すれば、死角になるためその心配はまず必要無いだろう。
方針が定まり、不死人は階段を登って本棚に乗ってみたところ、特に物音が立つことも無いため、実行する上での問題は特に見当たらなかった。よってその場で聖職者のウォーハンマーで詠唱を行い、術を付与すると、身を屈めて本棚の上をゆっくりと歩き始める。
地上であれば埃でも積もって然るべき場所柄であったが、青ざめた血の中では清浄が保たれているらしい部分が多く、しかしそこから見下ろした住人達を見るに、その清浄さは所詮、怪異の先触れでしかない。どの頭も左右に揺れており、赤く輝く瞳が残像を描く。
それは奇妙な仕草であったが、あまり見入るべきではないだろう。本棚から飛び降りながらも武器を振り被り、それで以て五匹の中心に着地しながら床を殴打する。
白い小さな文字たちは範囲内の全ての敵を捕らえ、動きを封じていたが、着地後すぐに武器を振り回し始めた不死人がわざわざそれを確認することはなかった。右へ左へと忙しく動く聖職者のウォーハンマーは順々に肥大した頭部の亡者達を斃し、前の遭遇の際にはあった躊躇が今は無いためか、五匹は一時的な平和の効果時間のうちに全て床に伏せることとなる。それは一方的な戦い、或いは狩猟に等しく、故に油断を呼び込んだか。
本棚の一つを突き破って現れた長い腕に肩を掴まれ、引きずり込まれる。被さる諸々の本が視界を塞ぎ、そうなることで現在置かれている状況の把握から遠ざかるが、やることは本質的に一つきりである。敵の腕の拘束から逃れようと身体を強く捻り、それ自体はあっさり成功し、だがその際、爪のような鋭い何かによって肌の一部を抉られていた。
その後見付け出した地面に足を落ち着かせ、敵と相対すると同時、微かな、または潜めるような嘲笑を差し向けられる。肥大した頭部は他の亡者と同じく、だが口からは蟲の足のような何かが何本か生えており、また纏う黒く爛れたようなローブは魔術師のものらしく、やはり魔術触媒らしきものも手にしていた。
先程不死人に傷を負わせたのはその魔術触媒だろう。木の枝を纏めたようなそれは先の方がそれぞれ黒くなっており、そして尖っている。そのような杖で撫でられればまさに爪を立てるが如く表皮は裂かれるが、あまり深いものではなく、ならば傷そのものではなく、別の狙いがあると見るべきか。
そう意識したときには、腹の底から激痛が昇っていた。そこを中心にしてこめかみから足の指の先まで、全身の血管を無理矢理に引っ張るような感覚は毒のそれであり、早急に荷物の中に仕舞い込んでいる毒消しの香草を口にしなければならないが、今聞いたばかりの嘲笑はこの成り行きを予見してのことであるのだろう。
敵は魔術師。つまり香草を口に入れるか、或いは逃げるような素振りを見せればその隙を突く用意があり、またそれを待つだけのつもりも無いようだ。闇魔法特有の、固く閉ざした唇から無理に息を噴き出すような破裂音を耳にした後、射出されたのはその種の術の中でも最もオーソドックスな闇の玉であったが、扱うのが専門家であれば、同じものでも他の者より優れているのが道理というもの。
絶えず、連続して放たれる闇の玉の回避に専念する。左右へそうしなくてはならないために敵への接近は困難を極め、同様に退がることも難しい状況であるが、この身体は今も毒に蝕まれており、時間制限が付いている。
それも、全く長いものではない。ならば確かな勝ち筋を見出せずにいようと覚悟を決めて踏み出す他無く、不死人はそこから一つ目の闇の玉を躱しつつも右斜め前に飛び、二つ目も左斜め前に避けることで接近を続け、そして三つ目、高く掲げられた杖から飛沫のように弾ける闇の玉の一斉発射を床の上を前転して潜り抜けると、四つ目の詠唱を行っている最中に突き出した剣身が木の枝のような魔法触媒に絡む。
次には下に向かって魔術師のロングソードは振り下ろされ、枝を割り、またそれを持つ魔術師の両腕をも両断し、だがそれでも尚、彼か彼女は一人愉しむような嗤い声を上げていた。腹を蹴って突き飛ばし、倒れたところを馬乗りになって首を刎ねる。
それから毒消しの香草を口に含み、減りきった体力をエストで戻しながら、また肥大した頭部の魔術師の躯から視点を上げ、周囲を見る。
そこは二つ目の廊下にもあったような、外壁の外に張り出たテラスであった。本棚によって隠されていたらしいが、思えば一つ目の廊下ですら中央にこういった空間があったことから、今回の奇襲は事前に警戒しておくことが可能であったのかもしれない。
とは言え過ぎたことである。不死人は馬乗りのままであった身体の腰を上げ、するとその時、魔術師の懐から何かの鍵が転がり出る。手に取ってよく見てみたところ、鍵には紋章が入っており、うねる水流を表したような形をしたこの模様は青ざめた血の中に没した直後にも目にした覚えがあり、使い所については予想がつく。今のところは使う予定も無いものだが、全くその機会が訪れないとも限らないだろうとそれを所持品の中に加え、それから改めて立ち上がり、廊下の奥に向けた足を一歩踏み出す。
「君よ、かの貴婦人に相見ると良い」
足元から声が湧き上がる。
見れば先程ウォーハンマーで斃した筈の肥大した頭部の亡者の幾匹かが僅かに身体を痙攣させており、また潰れかけた赤い目も仄かに輝きを見せ、不死人の方へと向けられている。
「君の瞳にこびり付く曇った膜は、彼女の智勇に触れることで取り除かれるであろう」
一応武器を構えてはいるものの、彼等が立ち上がる様子は無かった。速やかに止めを刺すべきか、と考えないでもないが、敵であれ貴重な証言となることも否めず、そのまま耳を傾ける。
「我等とて、それを経たものだ」
その言葉に篭もった追想には、歓びの色が滲んでいた。
そこで彼等は完全に動かなくなり、語りもまた終わる。どうやら繰り返し先入観や偏狭な考えを持たないよう求められているようだが、陶然とした様子を匂わせており、信用云々とは別の問題として、それは不可解であった。いずれにせよ、この先で不死人の到着を待っているのだろう。躯を跨ぎ、廊下を歩き始めた。
歩き続けるとやがて廊下も終わりが見え、そして一つ目の廊下との境界にある、柵と扉に再び巡り合う。それの内側から鍵を外して建物入り口との経路を確保すると、いよいよ中庭に降りる階段に向き直り、それを下りていく。