第13章 変態の祭祀場 6
これで次の触手がやって来るまでには時間が開いたと見て良いだろう。不死人は塔のカイトシールドを拾うと先刻眼前にまで光線を届かせた軟体動物が再度放ったそれを防ぎ、またソウルの矢で応戦して斃すと次にはほぼ真上に等しい角度で降りて来ようとしていた一匹を魔法で迎え撃ち、更には左右にそれぞれ一匹ずつ宙に浮く青白い軟体動物達の下へ自ら出向き、屠っていくと、遂にはジュリアス以外の敵がこの中庭から消え失せていた。
また眷属達の増援があるとすれば、そうなる前のこの機にジュリアスへ傷を負わせなくては、防戦一方を続けることになる。そのような考えに至った不死人は駆け出し、だが異変の起こった青白い巨体を前に、その足は止まっていた。
暗く、底の見えない口を彼女は拡げ始めていた。その大きさは現時点で既に自身の胴の直径と同等にまでなっているが、拡大は尚も続いており、しかしそうして生まれる暗い穴は敵対者に向けられることはなく、やがて青白い身体を反らして天を仰ぐ。
このまま放っておけば何かがやって来ることは明白であったが、かと言ってその訪れがいつになるのか不明であり、迂闊に手を出すことは躊躇われ、結果、棒立ちでそれを待っていると、間も無く紫に渦巻く空が震え始め、より色を濃く、黒くなっていく。
ともすればそれは目の錯覚、幻覚であったかもしれないが、ともあれ事実不死人は、空が段々と落ち、その距離が近くなることを実感していた。立ち込め、色の混ざる闇の雲海が近付いてくる様はその圧倒的な質量を思わせるが、突如としてそれを切り裂く一条の光が地上から放たれる。
ジュリアスの口から放たれたその光はそれまでに見た虹色のものではなく、光線ですらなく、燦然とした恒星であり、しかしそのようなものであると認識した次の瞬間には巨大な爆発を起こしていた。それはありとあらゆるものを真っ白に染めたが余波などはなく、すぐに視界は戻る。戻った筈であった。だがそれでも、今見ているものが夢か幻ではなく、本当にそこにあるものであるのか、否、この世のものであるのか、俄かには信じられなかった。
闇の中で無数に飛び散った恒星、その欠片はそのまま空に留まり、狂おしく光り輝く星群となって金や銀、赤、青、緑などの他にも鮮やかな色を放ち、見るに重苦しいだけの黒い空はそうした星界の導きを得ることで果ての無い世界を見せ、闇が本来持つ側面の一つを知らしめていた。
この輝きを見れば、万人が悟るのだろう。人とは、どうしようもなく光に心惹かれる存在であるのだと。まして道を亡くし、闇に佇み、凍える者の誰が、この満天の星空を希望以外の何かであると疑えようか。
やがて空は天体そのものが回転するかのように回りはじめ、星々もそれに呼応して残光を描きながら動き出すと、活気づいた空の下、ジュリアスの身体に何本もの虹色の線が浮ぶ。一連の現象の意味が分からず、身構えるのみで動き出そうにも軽率にそうすることが出来ない不死人であったが、不意に目を奪われた流星に、直感が警鐘を鳴らした。
そうして走り出した背を、天から降り始めた星の一群が追う。煌きながら矢のように飛ぶそれらはまるで間断というものを知らずに次から次へと殺到し、休む間も無く逃げ回ることを強要されていたが、どれだけ走ったとてその休む間というものが見えて来ない。なにしろ夜空の星に限りが無いように、この青ざめた血の空に広がる星群もまた尽きる気配は無く、流星は降り止まぬ。
金の星群が中庭の地面に突き刺さる様子を尻目にして走るも、その後には銀の星々が走り始め、更に後方ではマゼンタの一群が震えており、それが出立の支度であるのだろう。流石に獲物の移動先を狙うような術は持ち合わせていないのか、どうやら走り続けてさえいれば躱すことは出来るようだが、それでは反撃の機を作り出せずにどこかで行き詰り、つまりはこの事態に対する策を立てねばならず、不死人は深緑色の星群を横に避けながら脳の働きの一部をそちらに回す。
星に追われながら、最初に思い付いたのはどうにか盾を得る方針である。例えばジュリアスの口から体内に侵入してしまえば彼女のふくよかな身体が星々を阻むが、これは本当にそれが口に類する器官であった場合、単に噛み砕かれて終わる見込みが高く、現実的ではない。ただ、考えの取っ掛かりとしては決して悪いものではなかった。
ジュリアスの身体はそれなりに体高があり、また星を擁する空は今は低く、それらの角度の関係上、彼女の影に回り込むだけで流星を遮ることが可能となる。これに関して様々な懸念はあれど、ともかく一度試そうと青白い巨体に足を向け、するとその横腹から長い触手が伸び、近寄ろうとする不死人を迎え撃とうとしなりを効かせて薙ぎ払われる。
不死人はその一撃が下される前に距離を取り、そしてそこからの接近を断念する。彼女は自身の攻撃方法に対して相手がどのような反応を示すかは承知しているらしく、不用意に踏み込もうとすれば今そうしたように触手による牽制を行うのだろう。常であればこれの回避はとりたてて苦労することもないが、降り続ける星をもとなれば難易度は跳ね上がる上、行く手を阻まれて袋小路を作られれば回避不可の状況に陥ることも十分に在り得る。
降り注ぐコバルトブルーの星群から逃げつつ、思考は方針の転換に勤しむ。
似たような策としてジュリアスの背の上に登ることによって星の攻撃に躊躇いを生ませる、というものを一度は検討するが、尾の方から駆け上がることで触手の牽制を避けられたとして、彼女が星群を操っているのではなく、それらの動きが自律しているのであれば、軟体の不安定な足場によって足の動きに大きな支障が出ているところを星に貫かれるだろう。
それはとても実行に移せるようなものではないが、これ以上は思い付く案も無く、深みに嵌った考えは滞り、いつしか、到来する紫の色をした星の閃光を避けることだけに意識が向いていた。それは決して諦観ではないものの、考えても答えが得られないことを考え続けて足元に躓くようでは本末転倒であり、それならまずは今出来ることに全力を傾けようと、次にやってきた水色の星群から身を躱す。
その後ろに控えるは真鍮色の星。と、確認のためにふと夜空を見上げ、だがそこに明らかな物足りなさ、喪失を覚えた。
具対的に言えば、星の数が見るからに減少していた。否応無く見る者を圧巻させる光景であったため、星群は無尽蔵のものであると決め付けていたが、実際には限りがあり、であればここは危険を冒して状況を変える必要は無く、むしろ維持することこそ肝要である。
そうと決めた不死人は走りながらその進路をややジュリアスの居る方に向け、エメラルドグリーンの尾を引く星を躱しながらも触手による迎撃を引き出し、それもまた余裕を見て回避するような、付かず離れずの立ち回りを続けることで虹色の光線が放たれることのないように心掛ける。
そうして赤い星々が降り始めると、遂に空は元の重い煙が立ち込めるようなものへと戻り、またそれを知ったジュリアスは大きく口を開き、上体を反らしていた。
彼女は再び恒星を空に放ち、星界を作り出すつもりであるのだろう。しかしそれを終えるまでには無防備に隙を晒し続けることになり、ここが正念場であると捉えた不死人は赤い星群から逃げつつも青白い巨体に近付き、やがて追い縋る星が全て地面に突き刺さって終わった時、固く握ったロングソードの突きが放たれる。
ジュリアスの横腹の、まるで軟弱な肌に突き立てられた鋭い剣先は深く飲み込まれ、だが裂傷などは生まれなかった。どれだけ柄に力を込めようと、青白い皮膚はその分奥へ押し込まれるのみに留まっており、切っ先はまだほんの小指の先ほどしか刺さってはいない。それならやり方を変えるべき、ではあるものの、魔法や槌による打撃が効かないとなれば現状この刺突攻撃が持ち得る手段の中で最も威力が高い。腕と、なにより足腰に全力を注ぎ込んでまだ敵を貫かんとするも、彼女はそれを意に介さず、今にも恒星を吐き出そうとしていた。
この場合、無難な行動は一時離脱であり、また星々を凌いだあと機を窺い、挑むが適切である。だがそれを理解して尚、不死人はまだ引かなかった。まるで根拠の無い、しかし培ってきた直感に従ったその行動は何か確信めいたものに満ちており、全身に滾る力を剣の先へと集約させ、猛然として直剣を押し込み続ける。
そのしまいにはとうとうジュリアスは天空に向けて星々の母たる恒星を打ち上げ、と同時に不死人は突如として身体ごと大きく弾かれていた。
吹き飛ばされ、草の上を転がり、そして起き上がろうとした背の向こうで爆発が起こる。若い星々を湛えた天界は回り始め、流星の予兆たるそれを見た不死人は当然走り出そうとするも、それまで手に握られていたものがそこに無いことに気付く。