強敵との戦いで傷付いた身体を篝火で癒し、落ち着いたところで周囲を見渡す。
風化していく騎士が斃れた場所のすぐ近くには大きなレバーが備え付けられており、これを見た不死人は予感するものがあったため、その取っ手に触れた後、正しい方向へ力を込める。
鉄と鉄とが噛み合う音が小気味良く鳴り、間も無く周壁全体が揺れ始めると、徐に周壁正面に位置する門が開きつつあった。
他には特に仕掛けの類は無く、その場から不死人の目に入るものと言えば動かなくなった風化していく騎士の身体と三つの梯子くらいのものであった。
一つはここに至る為に先程登った梯子であるため無用であり、二つ目の梯子の先を覗いてみると、下は特攻亡者が数十体固まって待ち伏せていた場所であったためここを降りる意味も無く、不死人は三つ目の梯子の前に立つ。
未踏の場所へ続く梯子を伝って降りた先は暗く、だが亡者達の気配も無い通路であった。これを真っ直ぐ進み、通路の先に更に下の階へと続く階段を見付けると、亡者の奇襲を警戒しつつこれを降りて周りを観察する。
今降りたばかりの階段より後方の通路の先には鉄の扉があり、不死人はこれに近付き引いて押すものの全く動く気配は無かった。
引き返し、階段の正面の方角に向けて通路を歩んで行くと、牢屋のような鉄格子が視界に入る。
この牢の中には人の姿があった。鉄格子越しとは言え念の為突発的な事態を警戒しつつ牢に近付いていくと、中に一人で居た男は不死人に気付き、その顔を上げる。そのまま少しの時を送り、やがて互いが正気を残した者であると分かると、その男性は不精な髭に覆われた口を開く。
「どうかね? 愚か者の姿は。君自身がそうならない為にも、よく見て行くといい」
髪も髭も伸び、手入れの一切はしておらず、また元が何であったか判然としないほど破けた布きれを着た男は、まるで自分を嗤っているような様子であった。
付近には他に牢も囚人も無く、この場所がやや不自然に見えたため、不死人は鉄格子の扉を確かめるも、やはりそれは閉ざされたまま、開くことはなかった。
「ああ、愚か者と言っても、私は罪人ではない。ここも牢ではなく、貴重な物を仕舞う場所であったに過ぎない。そして鍵は今私が持っている。閉じ込められているのではなく、閉じ篭っているだけだ」
牢の中の男は一度不死人から目を逸らし、少し躊躇うかのように一拍置き、それからもう一度目を合わせるが、その目元は細められ、少し引き攣っているような印象があった。
「かつて神に仕えていたのだ。だが居ないことを知ってしまったのでな。己の愚かさと、その契機を悔やんでいるのだ。いや、どうでもいい話だな」
男は自嘲する。
「私にはもう何も出来ないし、責任も負えないが、それでも良いのなら、ここで会ったのも何かの縁だ。君にとって有益となりそうな話をしよう。いや、神は無関係だ。単なる善意と考えてくれ」
牢の中の男はやおら身を起こし、不死人が来た通路の奥を指す。
「確かめたかもしれんが、向こうにある鉄の扉は開かん。あれの奥には漁港の倉庫から物資を運搬するリフトがあるが、今は漁港に至る道も全て途絶えていると聞く。使うことはまず無いだろう」
男は次に、牢から見て左側を指した。
「その扉の向こうには周壁の下に続くリフトがある。これは今も使える筈だ」
さらに男は漁港側リフトの反対側の方に続く通路の方を指す。
「向こうには礼拝堂と隣り合って作られた病院へ行くリフトがある。これは動かず、使えるようになるとすれば、一度下でリフトを作動させた後になるだろう。そしてリングレイの本当の秘密を封じた者は、礼拝堂に居る筈だ」
男はその時にだけ、自らを嘲笑うものではなく、どこか暗い笑みを湛える。件の礼拝堂にせよ、今の彼自身にせよ、迂闊に近付くべきではないと思わせるものであった。
「ああ、それと神の奇跡が必要であれば言うといい。私は正直馬鹿らしいと思っているがな。ふっ、ふふふっ」
引き攣った笑みだけでは堪え切れなかったのか、牢の中の男はとうとう声に出して笑い出し、居所の悪くなった不死人は彼に背を向け、そこから立ち去った。
牢の前からほんの少し歩いた先には、男の話にあった通り扉が一つあり、容易に開いたそれを通ると奥にはリフトが吊り下げられており、可動部分に乗りスイッチを押せばすぐにそれは動き出し、不死人と共に下へ向かって降り始める。
僅かな時間の内にリフトは一番下まで降りて止まり、目の前に人が一人通れる程度の大きさの赤茶けた鉄格子の扉が現れ、内鍵を解錠して外に出ると、そこは中央広場の手前であった。
この扉は周壁の下の秘密の通路から上がってきた直後、真っ青な肌の巨人と対峙する前にも目にしたものであり、つまり不死人は東の居住区を始点としてそれなりの距離を歩いたが、同じ場所にまで戻ってきてしまったようだ。
だがそれが全く無意味な探索であったかと言えばそう単純でもなく、不死人は中央広場に入ってすぐ、先ほどまで見えなかった姿を見付け、声を掛ける。
「ああ、あなたでしたか」
周壁の外側で立ち往生していた女性騎士は、篝火近くの瓦礫の上に腰掛けていた。
「あ、もしかして、ですが。もしかしてあなたが門を開いてくれたのでしょうか? あと、矢が降ってこなくなったのも関係が?」
不死人は彼女の質問に対して頷いてみせる。
「そうでしたか、随分お強いのですね。あなたのお陰で私もこちら側に来る事が出来ました、ありがとうございます。あ、すみません、お礼になりそうなものが何も。せいぜいこれくらいですが、是非受け取って下さい」
女性騎士は自分の懐から茶色い袋を取り出すと、不死人の手の上に乗せる。どうやら中には雫石が入っているようであった。
「それに、名前すらまだ名乗っていませんでしたよね。私はアトラングのルシンダ。お察しの通り、記憶はもう曖昧で、齢だとかはあまり思い出せません。それをどうにかしたくて旅に出ました。ただ、田舎者なせいか、剣の腕前も何もかも半端で、あまり上手くいかなくて」
彼女は苦笑いを見せ、だが次には真っ直ぐな語り口になる。
「目標はちゃんとあるんです。それは自分のお墓を作ってちゃんと死ぬことです。あ、変なのでしょうか? でも私にとってこれは大事なことなのです。心を失ってずっと世界を彷徨い続けたくはありませんから」
その部分について、おそらくあの牢の中の男も同調するのだろう。閉じ篭もり、鍵を掛けてしまえば、徘徊はしなくなる。
「私はこれから王城へ向かいます。あなたもそうなんですよね? もしお互いを見掛けたら、協力し合えるといいですね。あ、一方的に助けられるだけにならないよう頑張ります。あ、えっと、まず、道が分からなかったり迷ったりしてしまいそうですが」
不死人は道について騎士らしき風貌の男から聞いた内容を伝え、それを全て聞き終えると彼女はまた頭を下げる。
「それにしても、周壁の上から矢を放っていた敵はなんだったんでしょう。正直、この地に守る物なんてもう無いと思いますが」
その質問に対しての明確な答えを持ち合わせておらず、不死人が黙ったままでいると会話は途切れ、やがて別れを告げて女性騎士の元を去った。