リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第15章 2

 第15章 漁港 2

 振り向き、目に入ったのはこちらに向かって走る肥大した頭部の亡者達であった。先頭の一匹の後にもう二匹が続き、さらにその後ろの方では堤防と桟橋との間にある小船から置き上がる者達の姿が二つある。

 計五匹。それも、一時的な平和等の備えも無く、また行き止まりを背にした不利な情勢で戦わなければならなかった。が、真に挑まなければならないものを思うのなら、この程度で斃れることなどあってはならない。

 はじめに魔術師のロングソードを構え、詠唱の速いソウルの矢を飛ばし、先頭の一匹の出鼻を挫く。これによってこの亡者の足は一瞬止まり、そこに後続の敵が追いつくと三匹が足並みを揃えて迫ることとなり、そうして彼等が不死人の元に辿り着くと同時、それを迎える、ソウルの大剣が振り抜かれる。

 その一閃は三匹を諸共に捉え、まず先のソウルの矢の直撃を受けていた肥大した頭部の亡者に致命傷を与え、またその直後に不死人はまだ怯んでいる右の二匹目に詰め寄りながらそれを斬り伏せ、その斬撃よりも少し遅れて飛んできた三匹目の敵の拳を横に躱しながら、下段にあった剣を勢い良く斬り上げ、胸を深く裂かれてこの亡者も斃れる。

 理想的な流れによって瞬く間に三匹を無力化し、しかしそこへ槌のような重い一撃が不死人の頭部に下されていた。脳を大きく揺らした強烈な打撃は両の拳を一つに固めて上から打ち下されたものであり、それは四匹目の肥大した頭部の亡者の接近を知らぬ間に許したがために命中し、失神させるに足る威力であったが、そうなるにはやや狙いがずれていたらしい。その上敵は勢いを付け過ぎたのか、殴りつけた後には脇に抜けて数歩たたらを踏み、無防備にも背を晒している。

 よってその膝裏を軽く蹴り込み、亡者は仰向けに転倒して隙だらけの格好となるが、それは一度捨て置き、間近となっている五匹目の相手を先にしなければならないようだ。駆ける勢いに乗って長い腕が突き出され、槍の様相で迫るそれを、塔のカイトシールドが打ち払う。

 致命の一撃。それを与えるのであれば、剣は突き立てるべきである。だが斬撃の構えを取った不死人は眼前の亡者の腹を横に裂き、そしてまたその勢いを維持したまま身体と剣とを翻し、起き上がりつつあった背後の敵にも横薙ぎの一撃を呉れ、更にまた反対回りの旋風によって前後の亡者達にそれぞれ斬撃を浴びせる。

 二匹は斃れ、そうなればこの場には最早、敵対する者の姿は皆無となった。敵からの打撃による負傷をエストで癒し、乱れた息を整えようとするが、水中の中でそれを意識すれば、むしろあまり気分は落ち着かなかった。

 それでも一応は静穏を得ており、探索を再開しなくてはならないが、そうするにも目処が立っていない。一本道の堤防は断絶しているため道というものはこの場に存在しておらず、であれば立ち往生するしかないが、人の世界の余命が明確でない以上、消極的な選択を是とすることも出来なかった。

 よって不死人は落下などの危険を承知の上、行く先をいくつか連なる小船の上とし、それを渡ることでまずは一つ目の桟橋の上に乗ろうと決めると、寄り集まって係留されたそれの方へと近付く。この上なく不安定な足場であったが、肥大した頭部の亡者達がここに隠れていたことから、重量による沈没の心配はあまりないだろうと、堤防から少し身を乗り出し、だが反射的にそれを引っ込めていた。生理的な拒絶があったためである。

 あまりに現実的ではない光景であったが故に、もう一度小船の方、海の中を覗き込んでみたところ、先程と同様に視線を交わすことになったそれは、巨大な金色の蛸の、横に長い瞳であった。小船の真下に留まり、不死人の方をじっと見詰め、それ以上の何かを仕掛けようとはして来ない。

 心を失った不死であれば、あらゆる恐怖は障害と成り得ない。

 それは所詮、空想に過ぎなかった。仮にも生物であれば、根源的な恐怖には抗えず、足腰は力の支えを失い、とても歩き出せるような状態ではない。それではなくとも、地の利があるどころか、完全に自らの行く末を相手の掌中に委ねる状態になるため、何の工夫も無くこの小船の上を渡ろうなどとは正気の沙汰ではない。

 堤防の上で立ち止まり、長考を始めていた。討伐するか、何かを囮にするか、見付からないようにして渡るか。様々な案が出るものの、いずれも納得出来るものではなく、というのも結局は、刺激するべきではない、という点を重要視していたためであった。

 攻撃するのは論外として、囮などをするために音や光を用いては実の所相手がどのような反応を返すか分からず、また身を隠す場合、それ自体が非常に困難な上、万が一見付かった時には相手からすれば急な遭遇と化す可能性が高く、驚いて思わず襲ってしまう、という誰も望まない結末にすら成り得る。

 第一、最初に互いを見た時にはその距離も近く、やろうと思えばあの蛸は一瞬にして触手を伸ばし、不死人を捕らえるなりが出来ていた筈である。その機会を見送った、ということは、相手にその気がない、と見做すことが出来るのではないだろうか。またこの仮説を裏付ける要素の一つとして、牢獄都市最奥部に棲むこれと同じような姿をした金の蛸のこともある。

 特にそういった観点から、何もせずただ渡る、という結論に達し、だがやはり足は動こうとしない。考えた結果の答えとは言え、正気の沙汰ではない、という最初に抱いた印象が脳の裡から消える事は無く、不死人を迷わせ続けていた。出来るだけ客観的に見てどうなのか。本当に大丈夫なのか。そのような問答を繰り返していた。

 もしも青ざめた空でなければ、陽が傾いたことだろう。それほどの時間を思考に費やすも、出た判断は同じ、そのまま渡る、であった。まだどこか納得し難い部分もあったが、これ以上の検討は単に情けないだけである。

 覚悟を決めて一歩、一つ目の小船の上に乗り上げながら、蛸からの視線を全身に受ける。ロープで留められただけの覚束ない足場は徒に揺れはするものの、それを誘いと見なかったらしく、金色の巨大軟体動物は他に動こうとはしなかった。それを見届けた上でもう一歩、不死人は歩き始め、その後に二歩、三歩と続く。

 一先ずは予想通りに事が運び、されど蛸は、特に水棲生物の中では比類なき知能の持ち主であるという。そのような手合いであれば、例えば逃走がより困難な場所にまで獲物がやって来るまで待つ、というように企てることなどもあろうと思えば、到底安堵出来るものではなかった。

 次の小船に乗り移る。懸念は多くあれど、それをどんなに捏ね回したとして、この場では相手に全てを任せる以外、出来ることはない。そのように断じてまた小船を乗り移り、そこで見た光景にまた足が止まる。

 海は紫に渦巻く空を映してそれと似たような色をしており、だが本来暗く静かであろうその中は、実際にはうねる輝きで騒がしいものとなっていた。海中を泳いで留まる、無数の巨大な蛸達によって。

 小船を渡り始める前などは一匹だけのものであると認識していたが、それは下手な思い込みであったらしく、彼等は皆一様に、不死人を凝視していた。予想していなかった事態に直面しており、自然に堤防に戻る提案が浮ぶが、それを却下とした。どの道、攻撃も囮も隠密も良しとしない状況であるには変わらない。

 不死人はまた小船の上を歩き、或いは乗り移って桟橋を目指し、だがそうして足を動かしながら海面から目を逸らしたところで、脳内では否応無く凄惨な結末の想像が駆け巡っていた。仮にこの大勢の中に、一匹でも腹を空かしたものが居れば、または虫の居所が悪いものが居れば。彼等の気が向けば、それがいつだろうと、餌は些細な小船ごと喰われるのである。

 ただ、結果としてそれらが現実のものとなることは無かった。計五つの小船の上を渡った不死人はようやく一つ目の桟橋の上に到着し、足元もいくらか安定したものとなる。とは言えそれとて木の板で造られたものでしかなく、歩く度軋むことからもそこまで丈夫であるようには見受けられず、また蛸達は相変わらず、海いっぱいに蠢いていた。

 安全を確保したとは言い難く、やはりなるだけ早くに移動し、陸の上に辿り着くべきだろう。不死人は陸地から真っ直ぐ生える桟橋を歩き出した。

 しかし実のところ、この桟橋から陸にまで上がれるかはまだ不明であった。直進すれば陸地の方角、というのは間違いないものの、桟橋の上には小屋が一つ建っており、それが視線を遮っているため、先の様子が観察出来ずにいる。よってまずは通り抜けることが可能か否か見定めなくてはならず、不死人はその小屋の前まで近付くと、一度立ち止まる。

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