第15章 漁港 3
漁師達が使ったものであるのか、正面の扉が開いた小屋の中には漁網が多く置かれており、他に浮きのような道具も散乱していた。それは特に気に掛かるようなものではなく、肝心の陸方面へと繋がる扉はその奥に存在しているため、不死人は網の上などを跨いでそこへ近付くも、これが開くような様子は無かった。閉ざされている、というより開き方を忘れてしまったかのように扉の金具は錆びて固まっており、通行は断念する他無い。
用の無くなった小屋を後にし、そしてまた行き先を決められず、桟橋に立ち尽くすこととなる。一本道の桟橋の上で、他に行けるとすれば沖の方角であり、そちらに進めばまた渡れそうな小船が浮いているが、その先には待つのはかのガレー船である。
二つ目の桟橋に移るにはその巨大な船の中を経由しなければならず、それは小船の上を渡るよりは遥かに危険は少ないように見えて、現実にはその逆であると直感が告げていた。
ただ、他に道が無いのも事実である。止むを得ず不死人は沖の方に向けて桟橋の上を進み、ガレー船の方に近付いていくと、早速、まさしく面倒な事態が走ってやって来ていた。
巨大なその船から降りては小船の上を飛び跳ねるようにして桟橋に渡り、向かってくる三つの影があった。頭が大きく、腕が長く、つまり彼等は肥大した頭部の亡者達である。大きな足音を立てながら走る様子は想像力というものが欠如している風であり、橋の下で泳ぐ者達を刺激しないものか危ぶむが、そう言っている場合でもないのだろう。
まだ距離がある内にと不死人は右手の得物をロングソードからウォーハンマーへと持ち替え詠唱、一時的な平和の用意を整え、迎え撃つ姿勢を取る。その備えさえあれば多少の数の不利があろうと敵を圧倒出来ると、これまでの経験からそれは間違い無いものと考え、しかし不意に起こった背後での異変が、その驕りを露にした。
物音に振り返り、目にしたのは小屋の屋根から飛び降りる二匹の肥大した頭部の亡者達の姿であった。この敵との遭遇は既に距離があまりに近く、即応しなければ危険であり、よって出し惜しみ出来るような状況ではない。不死人は迫り来る彼らの眼前で聖職者のウォーハンマーを桟橋に打ち込み、そこから散った小さな白い文字、一時的な平和が二つの異形を縛り付けると、間髪入れず、順に敵の頭部へ槌の打撃を浴びせていた。
そうして後ろの敵の制圧を終えれば、次には向き直ってガレー船の方からやって来る三匹の方を相手取らなくてはならないが、今の一幕で時間を多く損なっており、その結果、駆ける亡者達との距離は相当に近いものとなってしまっていた。
ここからまた一時的な平和を付与するだけの時間は存在せず、残された猶予は発動が早めの魔法の詠唱一つ分程、といったところか。先程のようにソウルの大剣によって迎撃することが出来ればそれが最善ではあるものの、彼等が到着するタイミングには誤差があり、それの調整をしていれば時間を使い切ってしまう。ならば、どのようにして迎え撃つか、というよりも、どのようにして切り抜けるか、をより意識するべきか。
一瞬の内に方策を定めると、不死人は魔術師のロングソードを構え詠唱、その剣尖から闇の玉を放っていた。
この魔法の特筆すべきは、やはり衝撃力か。並ぶ三匹のうち、中央の一匹に闇の玉は直撃し、その威力は交差された長い腕に防御されて尚、敵の身体を大きく怯ませ、またその機を逃さず、不死人は飛び込んでいた。
闇の玉の詠唱の後、それを追うようにして駆け出した身体は十分勢い付いており、左右の亡者から寄越される、掴みの長い腕を潜り抜けながら塔のカイトシールドを前面にし、まだ怯みの抜けていない正面の敵に突撃を打ち当てる。鉄と肉とが衝突し、どこかの骨が陥没したような音が鳴ると共に、相手は衝撃を耐え切れずに仰向けに倒れ込み、そしてその上を飛び越え、不死人は包囲を脱する。
抜かれた二匹はすぐに身体の向きを反転させるも、先に駆け出した方に分があって当然である上、やはり彼等は遠距離攻撃の手段を持っていないらしく、互いの距離は遠ざかっていく。
と言っても、所詮ここは桟橋の上でしかなく、先など知れたものである。沖の方に向かって走った不死人の前には海面が近付き、早々に肥大した頭部の亡者達に追い詰められる格好となり、しかし二と一とに別れた上、これだけ距離を稼げたのであればいくらでもやりようはある。
まずは牽制に闇の玉を放ち、それを二匹揃って走っていた内の片割れに直撃させ、足を止める。その一方、残ったもう片方はそのまま走り続けており、程無くして不死人との距離が近くなると固めた拳を振り上げながら軋む木の桟橋を踏み込み、飛び掛る。
その大袈裟な動作は威力や速度はあれど、空中に身を置く小回りの利かない瞬間があり、不死人の一閃はそれを狙い、放たれたものであった。肥大した頭部の亡者の腹を斬りながら脇を通り過ぎ、前に踏み込むと出遅れた二匹目の拳を塔のカイトシールドで受けつつ、その縁の下から剣の先を忍ばせる。
そして亡者の身体を盾で圧して抑え込み、腹を一度刺して抜き、二度刺して抜き、三度刺しては抜き、しかし四度目は抜かずに剣を抉り、これまでの傷を一つに繋げていく。この時点で相手は大量に出血したため全身の力を失くしており、左手と盾は抑える必要の無くなったために翻ると、腹を横一文字に斬り破られて蹲っていた一匹目を海に叩き込み、また同時に、腹を抉られていた方も桟橋に倒れ伏す。
ここでようやく闇の玉と盾との突撃を食らって転倒していた亡者が到着し、走り込みながら長い腕を横に薙ぎ払う。それを前転して潜り抜け、入れ違いになると敵よりも早く振り返り、無防備な背を深く斬り付けた。
背骨を割ったか。そのような手応えを感じ取ってすぐ、肥大した頭部の亡者は桟橋に両手と両膝をつく。
「私は君を許そうと思う」
それが良くない結果を招くことがあると理解していながら、振り翳した剣は亡者の一言に止まっていた。
「先にこれを言っておけば、気まずい思いをせずに済むというものだろう? いずれ皆が生まれ変わるのであれば、我々がこの先、また顔を合わせる機会はいくらでも、永遠にあるのだろうしな。ふんっ。ふふふっ。ふっ、ふひぃッ、げごッ!」
果実のような頭部を魔術師のロングソードが割り、また果実のような中身を晒していた。
元より期待もしていなかったが、亡者の言は不吉な予言の類であり、何の益にもならなかった。それどころか後味の悪さばかりが纏わりつき、不死人は早々にここから立ち去ろうと歩き出すが、しかしその直後、唐突に大きな飛沫が上がり、またその中にあった巨影に身体が仰け反る。
桟橋の間近で海面が割れ、潮を盛大に噴き上げたのは剣のように銀に鋭く輝く巨体であった。宙に大きく突き出し、だがそれはただ一瞬のこと。またすぐに海の中へと沈むと凪が戻り、周囲は静穏そのものとなったが、それを見た者までがそのような心地になることなどは有り得ない。
一瞬の出来事の中、不死人の記憶に強く残っていたのは、銀の身体の先にあった、黒い大きな瞳であった。つまり今しがた顔を見せたのは魚であり、そしてこの生物もまた、タコやクラゲ同様、巨大な身体を持っているらしい。前例があるため今更それについて常識と照らし合わせる手間などは省くとして、あの魚は何故、跳ねたのだろうか。
脳裏を過ぎった考えに従い、周囲をよく見回したところ、海面で浮んでいる筈の肥大した頭部の亡者の躯が一つ、見当たらなかった。どうやら彼は、食べられてしまったようだ。
姿を見られながらも無事に小船を渡れたことから、海に棲む者達は意外に優しい気質の持ち主である可能性に僅かに期待を寄せていたが、それは今度一切、捨て去るべきだろう。ただ、だから何が出来る、という話でもない。木で出来た桟橋など、あの巨体の衝突に堪えられるものではなく、不死人の命運は、未だ彼らの気紛れに委ねられている。
それから少し時間を置き、異変が起きないことを確かめてからようやくガレー船に向けて歩き出し、程無くして経由するための小船の前に辿り着く。波に揺れてはいるものの、すぐに沈むような気配もないためその気になりさえすればこれを渡るなど造作もなく、だが見下ろせば海の下で黄金の肌が蠢いている。
帯のような瞳は小船の上に移ろうとする者の姿を捉えており、否応無く視線が絡み合うが、その巨大さのあまりまるで水面が盛り上がっているような錯覚が起こっていた。そうなっては当然足が止まり、しかしどれだけ躊躇い、時を無為に送ったとして、進む以外に選択肢は無い。深く呼吸した後、枯葉のような小船を、やや弾みをつけて渡り、船首からガレー船の中へと転がり込んだ。
最初に目に飛び込んできたものは、細やかな模様であった。雨曝しに遭い、ほつれ、所々千切れながらも床に敷かれたその絨毯は豊かな草花を象ったような複雑な柄を残しており、そして同じ柄をリングレイでは目にしない。またその上にはいくつかの刀剣が捨て置かれており、これについても絨毯同様、この土地では一般的でない凝った装飾が柄などに施されていた。
漁師の老人が仄めかしていた通り、これはやはり、異国の船であるのだろう。ただ、このガレー船が奇異であることには違い無いが、特に船倉などを調べず、船から出てしまえばそれ以上のことはない。
不死人は船尾の方へと進み始め、だがそうして足早にここを去ろうと決めた裏では、無意識にこういった事態に陥ることを直感していたのかもしれない。