リボン・オブ・ザ・デプス   作:アザトリデ

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第15章 5

 第15章 漁港 5

 二本目となるこの桟橋には途中で道を遮るものが無く、一直線に陸へと続き、そこを目指して不死人は駆け出していた。追っ手がいることを思えば強引な行動ではあるものの、あの場に居れば敗北する以外の結末が存在しないため、未踏の場に入り込み、新たな策を見出す。

 まさか共闘する者などは見付けられないだろうが、地形を利用した罠か、他には単に隠れ潜むか、そこまでいかなくとも、エストで身体を癒すことが出来れば挽回の足掛かりとなる。行った先で新たな敵が現れるか、単に行き止まりであれば望みは絶たれるが、それ以外であれば何かしら活路は拓けるだろう。

 そういった算段を脳内に展開しながら走り続け、そして唐突に躓いていた。それは腿の裏に小型のククリが突き刺さったが故に起こったことであり、また投げた相手を誰何するまでもない。駆ける三頭蛇の魔人は既に近い距離にあるため、澱の塊の闇術にせよ、単純な斬撃にせよ、ここからまた背を見せて逃げつつ凌げるものではなく、不死人は迫り来る敵対者に向き直らなければならなかった。

 両者の距離は瞬く間に縮み、程無くして訪れる衝突の瞬間、異形の鎧がすれ違い、そして脇を走り去っていく。

 すっかり斬撃に対する構えを取っていたため一瞬呆けてしまい、しかし遅まきに敵対者の目論見を察した時には、互いの立ち位置は完全に入れ替わっていた。即ち三頭蛇の魔人が陸の側に陣取り、不死人が桟橋の上に残される。

 一本道のこの木の橋の上から移動するには陸の方向以外にもガレー船と、それから三本目の桟橋へ続く小船があるものの、どちらも足場が不安定であるため敵の遠距離攻撃を凌ぎながら乗り移れるようなものではない。それは船上よりも逃げ場の狭い桟橋の上で敵の攻撃を受け続けなければならないことを意味しており、率直に言えばこの状況は詰んでいる。

 月か、陰った太陽か。溶けたような黄色い謎の球体が渦巻く紫の雲の合間から覗き、その空に軋んだ桟橋から漏れ出た気泡が翻弄され、複雑な輝きを見せながら立ち昇っていく。

 遊ばせる心など無い。ましてや、見たところで気を落ち着ける助けにすらならない風景だが、そのようなものであっても意識に流れ込んでしまうほど、頭の中は空であった。諦めの境地、ではなかったが、打開策というものの、その手掛かりすら何も思い描けていない。

 やがて三頭蛇の魔人は陸地に背を向けながら、魔術触媒を兼ねる籠手の表面を不死人に見せ、魔法の詠唱を始めようとしていた。ならば、これで終わりだろう。それを事実と受け止め、しかし不死人は未だ目を強く見開き、最後の瞬間まで出来る限りのことをやってみせようと、剣と盾とを構え、そして飛沫が、桟橋を砕いた。

 何の予兆も無く高々と潮が舞い上がり、またその中に、剣のような銀色の巨体が紛れていた。それはおそらく、海に棲む巨大な魚の一匹なのだろうが、この魚は何を考えたのか、桟橋の一部を砕きながら跳ね上がったらしく、だがまたすぐに海の中へと消えていった。行動の意図が不明のため迂闊な動きはすまいと足を固め、すると程無くして宙に散っていた木片と海水が落ち、露になった事実に硬直が下から昇り、全身へと伝播する。

 闇霊、三頭蛇の魔人の姿が無かった。隠れる場所の無い桟橋で、どこにも居ないのであればあとは海の中にしかその所在は有り得ないが、それにしても単に落下した訳ではないだろう。どうやら彼も、食べられてしまったようだ。

 逃げるなり、何か行動を起こすべきなのか、留まるなり、何も起こさぬべきであるのか。次々に浮んでは沈む案を捉まえられず、突けば今にも尻餅をつくような震える足腰で、不死人はその場にずっと留まっていた。その時間の始めから、結局行き付く答えは堤防の上で迷っていた頃と同じ、と理解はしていても、あれほど強力なダークレイスが一瞬にして消えて無くなったという理不尽さにはそう面と向かっていられるものではない。

 そうして無益な、だが気を静めるのに必要な時間を潤沢に消費し、不死人は息を一つ大きく吐く。それからエストを飲んで傷を癒し、それで気を取り直したつもりになって歩き始める。だが。

 桟橋の一部が三頭蛇の魔人と共に消失し、陸地への道が断たれた今、不死人がするべき三本目の桟橋へと続いている小船達を渡ることだが、いざその前にまで行くと、先程と全く同じ症状が身体に現れていた。

 なにしろいくつか連なった小船の下には金のタコ達が脈動し、また銀の魚達がまるで飛び交う火花の如く素早く左右へ泳ぎ、そして頻繁に不死人に目線をやっている。あくまで心を失っているため、それを恐怖と形容するのが正しいかどうかは分からなかったが、なんと言い訳しようと結局足は竦んでおり、無理に渡ろうとすればつまらないミスによって簡単に水没するだろう。

 いっそ三頭蛇の魔人の手に掛かった方が。そのような考えまで転がり出る始末であったが、それは単に恐怖に屈したが故の戯言ではない。亡者や敵対者によって斃された方が不死者としてはありふれた死であり、そこで記憶や所持品、ソウルなどを失うとしてもまだ立ち上がることは叶うだろうが、魚達に食われる、となってはそこから先がどうなるのか、想像がつくものだろうか? 気付いた時には怪異の仲間入り、ということも考えられる。

 渡る、という答えが出ているにも関わらず、そうした堂々巡りの思案に暮れ、また時間を浪費していた。そしてその益体の無い思考が五順ほどした頃、ようやく決心が足の方にも伝わり、震えも落ち着きを見せていた。

 一つ目の小船に移る。黄金の肌が小刻みに波打つ軟体動物達は、古代における海の怪物の象徴が如く、あの大きなガレー船ですら容易く飲み込めるほどに触手を広げながら漂い、だが自らの上に立つ者を眺めるばかりであった。

 二つ目の小船に移る。その横などでは、タコ達と同程度の大きさの魚達が光を眩しく反射させながら泳ぎ、深い渦をすら起こしていた。この際喰われる云々は置いておくとして、しかしあの速度と質量はそれだけで人の手に負えない脅威であり、万が一小船に向き、気紛れに衝突すれば転覆するのみならず、その上に乗る不死人を引き裂いた後、海に落下して尚、彼等によって細かく千切れるまで轢かれ続けるだろう。

 三つ目の小船に移る。そのような巨躯を持つ彼等だが、犇きながらも不思議とぶつかり合うことはなく、また時折見せる身体同士の隙間の奥には他の生物の姿があり、更にその下にも巨大な怪異たちが蠢き、海の深さに際限は無い。

 四つ目の小船に移る。僅かな揺れ。ほんの少しエラの勢いを強めるだけで小人の乗る小船は逆さになるものだが、彼等はそのようなことはしなかった。昏い海の中で静かに待つばかりであり、ただ、ふと見た触手の蠕動は、引き込み、誘うような印象があった。

 五つ目の小船に移る。海の者達はおそらく、本質的に悟っているのだろう。いずれは全てが、彼等の元へやって来ることを。

 そのように下にばかり向いていた視線を、前に向けると短く跳躍し、三本目の桟橋の上に至る。先客は網に絡まり、死んで溶けたように形の崩れた無数のクラゲ達であり、それらが向ける濁った目玉は腐臭、病の媒介を思わせるため、自然とそこから身体が遠ざかる。それでなくとも足元では頻繁に巨大な生物達が横切っており、出来る限り早くにここを立ち去ろうと不死人は歩き出し、橋の先端に向かう。

 そうして遂に桟橋から陸地、岩で固められた護岸の上に移る。高い木製の柵が設置されているためまだそれより内側には入れないが、そこには不死の拠り所、篝火があった。腰を降ろし、燻ったような弱い火で身体を治癒しつつ、同時にエストの量も回復させる。

 出来れば心とはまた別にある、臓腑に刻み込まれた海に棲む怪異達への本能的な脅えをも時を掛けて癒し、そうまでしてこそ万全な状態であるのだろうが、篝火の側とは言えまだ海は近く、それこそ気は休まりようもない。不死人は早々に立ち上がってまた歩き出し、一本道の護岸を南に向かって進み始めた。

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