第15章 漁港 6
かつての人の営みの名残、先を行く轍は岩の道の上にどこまでも伸びており、これを辿れば出入り口の一つでも見付かりそうなものだと決めてかかっていたが、しばらく追い続けるとそれは唐突に右に折れ、柵の下へと消えてしまっていた。よくよく観察してみればその部分の柵は他とやや材質が異なり、まるで補強された跡のようになっていたが、それで思い返したのは東の居住区にある、閉ざされた扉であった。
どちらにせよ向こう側から荷物が積まれているため、この扉は開く術などないものだが、探索の大まかな方角がこちらで合っていることへの証のようにも見える。この漁港を去るための出入り口が付近にあることを期待しながら不死人は更に護岸の南を目指して歩き、すると少し行ったところから景観に若干の変化が生まれていた。
その不穏は足元にあった。道の脇に積まれたクラゲ達の死骸、その向こう側にある海面にそれまで不死人に常に付き纏っていた怪異達の影が無く、底の見えない昏く深い海だけがある。それが解放を意味するのならば良いが、何らかの先触れ、例えば小魚の群れが道を譲るようなものであるならば。
突如として、下からの強い振動が立ち昇る。荒く波打ち、護岸に砕かれてはまるで不死人を捕らえようと潮は高く跳ね上がり、それを見て思わず後退った直後、海原から更に巨大な飛沫が咲く。
そうして深いところからやって来たのは、護岸一帯と全長を同じくするような、途轍も無い巨躯のクラゲであった。金のタコ達ですら捕食対象と見えるほどのこの生物は、外周から突き出した節のある丸太のように太い足を護岸の上にまで伸ばし、濁った目玉は不死人の方へと向いているが、瞼のような皮膚は半開きであり、それを見たところで意志の確認など出来ない。
前例に倣うのならあまり刺激せず、見逃されることのみに注力すべきだが、この怪異は不死人が何もせずとも足の一本を高く振り上げ、護岸に叩き付ける。攻撃と呼ぶにはあまりに狙いが稚拙であり、予備動作も大きいことから避けるまでもなかったが、その次には眼前にまた別の足が突き立てられる。
直撃すれば頭から割り砕かれるほどの威力は不死人に余波を伝え、その感触から引き下がろうとするも、更に別の足が背の方で護岸に叩き付けられたためその場に留まり、だが頭上で長い影が起き上がったため、それが打ち下される前に前方へと飛び込む。やがて巨大クラゲは海に浮んだまま、回転しつつ何十もある足で次々に護岸を叩き、それこそ狙いを付ける必要すらない。
出鱈目に振り下されるクラゲの足を避けるべく、不死人は揺れる岩の上を動き回り、凌ぎながら、巻き上がる微細な粒子を目にして一つの懸念が膨れつつあった。
この護岸は人の手によるものである。漁港を運営するためにと作られたものであり、間違っても怪異と戦う際のことなどが設計に盛り込まれる筈も無く、然るに、耐久性についてもそれ相応のものでしかない。
巨大クラゲが突き刺した足が岩の一部を穿り、海に掻き出していた。つまりこの足場の上で戦うのはごく不利であり、移動出来るならそうした方が良いものの、護岸の造りは全て同じであるため北の方に戻ったところで意味は無く、まさか木で出来た桟橋に移る訳にもいかない。この敵を斃すとして、早期に決着させなければ護岸を全て削られ、海中へと連れ込まれることになり、だが激しく打ち据える足の動きは大きく、容易に捉えられるようなものではない。
それどころか、巨大クラゲ本体のゆったりとした回転そのものはずっと同じ速度ではあれど、足の動きにはまるで秩序が無く、乱雑であるため回避するだけで手一杯、詠唱の隙も無い。出来ることと言えば足の打撃の合間を縫って、斬撃を一つずつ与えていくことか。
右手に見える足が打ち降ろされるのを待ち、それが岩を叩き、また持ち上がると同時に頭上から落とされた別の足から逃れつつ前に転がり込み、奥にある足の一本が未だ予備動作に無いことを確認してからその下に入り、更にその向こうにある足が護岸を刺した瞬間、ロングソードの銀光が放たれる。
ただ一度の攻撃を試みるだけでいくつもの手間が必要であったが、しかしようやく届いた剣が返す感触は、まるで鉄を叩いたかのようであった。元よりこの種のクラゲの足は柔らかな胴と異なり、針金のように硬いため、溝の溜まり池ではこれに足を貫かれたことすらあったが、それが巨大になれば最早、剣で斬りつけても傷一つ付いていない。
予備動作。頭上の足に貫かれる前にそこから飛び退き、また次々に迫る足を避けながら方策を検討し始め、だが早くも行き詰まり、護岸から転がり落ちる岩に自身の行く末が重なる。
巨大クラゲは不死人がそれまで目にしてきた生物の中でも特に身体の大きさに優れる対敵であり、単純な質量だけで言えば、アリーナの王ですら及ばない。故に体高があるためその時点で近接攻撃が届き辛いが、そもそも回り続ける本体は海上にあり、そこから護岸に向けて硬い足を長く伸ばしている状態にあるため、足以外はどうしようと剣の間合いに入らない。
長い足がまた護岸に突き刺さり、岩の一画が音を立てて崩れ落ちる。時間に慈悲など無く、策を生み出せようが出せまいが終わりが迫り続けており、多少強引であれ何かの行動に出るべきである。或いはその、無謀を呑むという条件が取っ掛かりであったか、いっそどうにか海に浮ぶ巨大クラゲ本体の上に移ることは出来ないかと思案を始めるも、やはり体高があるためそう易々と叶うものでもない。
せめて詠唱の時間だけでも得られればやれることは増えるものの、その隙は見当たらず、と、そのように考えていたとき、まさに巨大クラゲは足を宙に置き、同時に身体の回転も徐々に収まり、そのうち停止していた。障害は一切無くなり、この時間にどのような魔法でも詠唱出来そうではあったが相手は怪異。この沈黙を不気味なものであると捉えていると、やがて円形の胴体は海水にやや沈み込む。
現状の高低差であれば敵の上に飛び移るのも不可能ではなく、ただ濁った目玉の視線は無視出来るようなものではなく、射抜かれたまま動き出せずにいると、やがて的との高さを合わせた巨大クラゲは身体の縁を虹色に発光させ、次いで目から一条の光線が放たれた。
それは横合いに飛んだ不死人がその直前まで居た護岸を薙ぎ、切り出された岩がごっそりと転げ落ち、海が泡立つ。貫通能力が特に強い、怪異達が放つ光線。おそらく万が一それに直撃すれば盾の防御など無きに等しく、一撃で消し飛ばされる見込みが高いためこの迎撃があっては本体に飛び移るどころではない。その上足で打たれた時よりも護岸は大きく崩れており、残された時間は更に減少したと見るべきだろう。
その後、巨大クラゲはすぐに浮き上がって足を上げ、綻びが顕著な護岸を再び叩き始める。不死人とてそれから逃げ回らなくてはならず、左から順に打ち降ろされる足の下を駆け抜け、或いは足と護岸の間を滑り込み、だがいつまでもそうしているだけでは、一向に打開策は生まれなかった。
唯一好機らしいものと言えばあの光線を放つ直前の瞬間だろうが、凄まじい勢いで迸る光の源の方へ飛び込もうとすれば直撃は必至であり、避けながら魔法を詠唱するのも難しい。
ただされるがまま、巨大クラゲの足から逃れようと飛び跳ね続け、護岸は崩れる一方にある。そのうち円形の胴はまた海に沈んで低くなり、それは光線の照準を合わせるために必要な動作であったが、この時にもまだ不死人は何の対策も見出せずにいたため、ただそれを避けることのみに意識を傾ける。
そして濁った目玉が指し示した虹色の軌跡は、しかし標的の居る場所よりも遥か右方向に一度留まり、それから護岸一帯を一気に薙ぎ払った。
それは徴のジュリアスが放ったものと同質であり、即ち、目標に命中してすぐ威力を発揮するものではなく、一拍置かれた後、なぞられた箇所から順に護岸の上で小爆発が起こる。不死人はその光線から引き退がり、だがいかんせん足場は狭く、柵に張り付きながら盾を翳し、巻き上がった薄紫の硝煙から身を守る。
衝撃に見舞われるもそれによる負傷は浅く、しかしエストで回復する内に巨大クラゲはまた高く浮き上がり、足を伸ばしては護岸を延々と叩き、それはおそらく、不死人が屈するまで続く。
両足は脆くなった岩の上を駆け続け、頭では対抗策が巡り続け、だがそれらしい契機は訪れない。しばらくが経つとまた巨大クラゲが沈み、目玉から貫通性の光線が発射されるが、不死人はそれを避ける以上のことは出来ず、岩が海中に落ちていく様子をただ見詰めるばかりであった。