第15章 漁港 7
時が差し迫っている。この際、巨大クラゲの上に飛び移れるのであればその後のことは全て後回しにするものとして、その助けになるものが無いか周囲を見回すものの、目に映るのはせいぜいクラゲの身体、足、渦巻く空と海、そして轍の残る護岸くらいのものであった。
轍。その異音は、密かに混ざり込んでいた。
車輪による跡は桟橋の方から一直線に護岸の上に描かれていたが、記憶を辿るにそれは封じられた扉の中へと消えたきり、不死人が今居るこの周囲には本来存在しなかった。ならば今目に留まるそれは巨大クラゲとの戦いの最中に生まれたものであり、そして粗暴に打ち込まれる太い足では残せるものではない。
これを皮切りにすべきことが見えてくると、丁度巨大クラゲは足の動きを止め、身を沈ませて的の立つ場所、よりも右の方角にその瞳を向ける。その直後には虹色の怪光線が放たれ、同時に不死人は駆け出し、塔のカイトシールドを前面にしながら護岸の縁を蹴り、大きく跳躍していた。
これを愚かな選択と言う者が居たとして、反論の余地は無い。いくら護岸が削りに削られ、残り時間が僅かであったとしても賭けに出るには未だ確証が不足しており、その無謀な行動の代償として不死人は空中で虹色の光線の一薙ぎに遭い、だが貫かれず、小爆発が盾の表面で起きるのみであった。
貫通するものと小爆発を起こすもの。同じ光線であっても威力の現れ方が二種あり、前者は防御不可であっても、後者はそうではないらしく、事実それを受けた護岸は轍のような痕が残るのみに留まっている。その結果、不死人は光線の一部を受け止めながらも跳躍した身体は勢いを失わず、そのまま巨大クラゲの上に落ちる。
柔らかな足場は崩れかけの護岸よりも不安定であり、起き上がるにも一苦労であったが、クラゲの長い足のいくつかが持ち上がり、一度宙を指した後、自身に乗り上がった異物を追い始めたため、姿勢や格好がどうの、と言っている場合ではない。這う這うの体で駆け出し、円形の巨体の中心部を目指す。
それでもクラゲの足がやって来る方が遥かに早く、不死人は背後に落ちる影を頼りにそれを回避しながら走り続け、だがようやく辿り着いた場所には濁った目玉が見えず、それは今まさに二枚の瞼のような皮膚で完全に覆われようとしていた。
多くの生物にとって目玉とは弱点の部位でもあり、この巨大な生物を斃すならこのような場所に狙いを付けなければ途方も無く、是が非でも届かせなければならない。そのように意志を硬くさせた不死人は振り絞った気力を足腰に込めて走り、最後には倒れ込む様にしながら、ロングソードを瞼が閉じていく目玉に突き刺した。
剣の先が半透明の粘膜に刺さり、またそれに反応してか、巨大クラゲが強く痙攣を起こし、だが刀身はそこで止まっていた。瞼は遂に閉じて目玉を守り、そして魔術師のロングソードを横から挟み込み、不死人がそれ以上押し込もうと、全く動く気配を見せなかった。
千載一遇の機会を、と悔いが湧き上がると同時、背後では何本もの足が持ち上がり、瞼の方へと倒れ込もうとしていた。そのままでいれば砕かれ、肉片になって埃払いをするように海に棄てられるのが目に見えているが、巨大な足の質量は大きく、その上硬く、打ち降ろされるそれを止める術など皆無である。
故に不死人は突き立てられたままのロングソードに向き直ると、背負っていた聖職者のウォーハンマーを取り、両手で振り上げたそれを剣の上に打ち込む。
直後にまた地震、巨大クラゲの痙攣が起こる。鳴き声などは無いが痛みに悶えているらしく、それによって足の動きも一時的に止まり、だがまたすぐに動き出そうとしていた。つまり手を休めてはならないのだろう。不死人は息を大きく吸い込んで力の限り槌を打ち込み、痙攣が起こって直剣が深く刺さるとまた深く息をして得物を振り上げ、動作が反復する。
それは決して無意味な行動ではなかっただろう。実際、これによって危機は遠のき、だが段々と目玉に埋まっていく直剣はそのうち柄の部分にまで達しようとしており、それ以上は上から打ち付けたところで、巨大クラゲに効果的な苦痛を与えることは期待出来なかった。何か別のやり方を考えなくてはならず、しかしウォーハンマーを振り上げ、やや体重が反っていた瞬間、足元がこれまでの痙攣とは比べ物にならないほど強く揺れ、不死人は転倒する。
危うく巨大クラゲの身体の端の方にまで転がりそうだったところを踏み止まり、聖職者のウォーハンマーを背に戻して空いた手でロングソードの柄を掴んで留まる。おそらく敵は本格的に不死人を自身の上から取り除こうと巨躯を激しく揺らしており、下手に身動きを取れないため収まるのを待とうと姿勢の維持を計るが、これを激しい動きであると感じるのは小人の方のみであったか。
身体の真横に、長い足による打撃が打ち込まれていた。巨大クラゲは身体を揺らしながら、且つ足を使った攻撃を継続出来るらしく、ただ身体を支える剣を掴んだきり、手も足も出せない不死人とは対照的である。今の攻撃は運良く外れたものの、今後もそれが続くなどとは思えず、だが剣を打ち込む姿勢を取れず、また仮にそうなったとして、最早剣は殆どが埋まっており、それ以上は打ち込むだけの余地が無かった。
よって魔力は、不死人の詠唱によって剣に注ぎ込まれた。より効果的に攻撃するのであればソウルの大剣などが望ましいが、今はとにかく時が惜しい局面。詠唱最速のソウルの矢が、瞼の奥で炸裂する。
直後、不死人に迫っていた足が外側に向かって強く伸びる。それこそは効果の証であり、ならば反撃の隙を与えまいと不死人は連続してソウルの矢を詠唱し、その度に巨大クラゲは益々暴れ、無数の足が天を指し、踊り狂う。
そしてそれを十ほど繰り返すと突然クラゲの目は見開かれ、足は萎えて落ちるが、まだ勝利に浸る時間ではない。不死人は透明な粘液が溢れる目玉から直剣を引き抜くと、傾いていく巨体の上を駆け走り、端から跳躍して護岸の上に着地する。
一つの怪異が死ぬ。力尽きた巨大クラゲは海に沈みつつあり、だが遠くの方ではこの敵と同じ大きさ、姿形をした者達が海上を占領し、狩り尽くす事など、到底出来ることではない。
もう元には戻らないのだろうか。