傲慢の秤   作:初(はじめ)

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十一、資格というもの

 

 月曜日は、あっという間にやってきた。

 土日のほとんどを睡眠に費やしただけあって怪我は全快した。体調も万全だ。

 

 いつも通りガヤガヤと騒がしい校内を歩いて、教室に向かう。子どもって何で朝からこんなに騒げるんだろう、なんて年寄りじみた感想を抱きつつ、私は開け放された教室の扉をくぐった。

 

「あ、桜花だ。カゼはもう大丈夫なの?」

「おはよ、由衣(ゆい)。もう平気だよ」

「良かった、心配してたの」

「はは、ありがとう」

 

 ほぼ一週間ぶりに登校してきた私に真っ先に駆け寄ってきたのは、今年になって初めて同じクラスになった斎藤由衣だった。真顔なことが多い外見に反して、根は明るい女の子だ。それに、周りと比べて大人びているであろう私と仲良くしようとしてくれる良い子でもある。

 まぁ一つ、変わっているところがあるとすれば……

 

「あのね、桜花が休み始めてから隣のクラスの黒崎くんが元気ないって聞いたの。これってそういうことよね?」

「好きだねぇ、そういうの……」

 

 これである。

 小学三年生にして既に構築されている謎の情報網と、それをフル活用したゴシップ集め。

 

「桜花はどう思う?」

「あー、ないない。ないって」

「その根拠は?」

「そりゃ……まぁ、色々あるんだよ」

「色々って何よ」

 

 一護が落ち込んでるのは、まず間違いなく私のせいだ。でもそれは、恋愛関連の話にはなりえない。まず間違いなく。

 

「はいはい、この話はここまで」

「仕方ないなぁ……うん、もう訊かない」

 

 常に情報を貪欲に求める由衣だけれど、引き際は潔い。相手に言う気がないと判断したら、さっと引く。全く末恐ろしい。将来優秀なOLになりそうだよ、この子は。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……桜花。ちょっと、いいか?」

 

 一日の授業が終わって帰りのホームルームの後、教室で由衣と話していると声を掛けられた。一護だった。

 

「またね、桜花」

「……じゃあね」

 

 真顔ながら目だけはキラキラと楽しそうに輝かせている由衣に別れを告げて、私と同じくランドセルを背負った一護のもとへ向かう。

 

「あの、えっと……」

「ねぇ一護。今から一護ん家、お邪魔してもいい?」

「え?」

 

 外で、誰が聞いてるかもわからないのに話はできないでしょ?

 そう小さな声で指摘すると、一護は一瞬戸惑ったような顔をして、それから頷いた。

 

 いつも一緒に帰っている竜貴には、用があるからと先に帰ってもらったらしい。

 特に会話もないまま私と一護は並んで歩き、そして黒崎家に着いた。

 

「ここが、一護ん家?」

「うん……病院なんだ、ウチ」

「みたいだね」

 

 目の前にあるのは一軒の家、そして『クロサキ医院』と書かれた大きな看板。

 

 見覚えのある、黒崎一護の家がそこにはあった。

 

「父ちゃんも母ちゃんも家にいると思う」

「そっか」

 

 頷いて、玄関へ向かう一護の後をついていく。

 

「ただいま」

「お邪魔しまーす……」

 

 友達の家にお邪魔するなんて、どのくらいぶりだろう?何となく居心地が悪くて、そっと玄関から室内を覗き込む。

 

「おかえりなさい、一護……あら」

 

 真咲さんだった。真咲さんは私を見て驚いているようだったけれど、すぐに優しい声で歓迎してくれた。

 

「いらっしゃい、桜花ちゃん」

「えっと……お邪魔します」

 

 ペコリと頭を下げる。

 

「いいのいいの。ほら、遠慮せずに上がってちょうだい?」

「はい」

 

 お言葉に甘えて靴を脱ぐ。前を歩く一護と真咲さんについて行ってリビングに入って、勧められるままにダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。

 

「ごめんなさいね。目が覚めたって聞いて、土曜か日曜に一護と浦原商店に行くつもりだったんだけど……浦原さんに止められちゃって」

「喜助さんに?」

「えぇ。月曜には完治するだろうからそれまで待てって言われたのよ。だから、これから二人で向かおうと思ってて……はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 真咲さんが出してくれたオレンジジュースをありがたく受け取る。甘酸っぱい果汁を口に含んで、考える。

 なるほど。土日に二人が来なかったのは、そういうことだったのか。

 

「あの、一護のお父さんと妹は……?」

「二階にいるわ。だから、話しても大丈夫」

「そうですか……」

 

 私がこの家にお邪魔した段階で、人払いは済ませてくれていたらしい。一心さんには聞かれても問題ないとは思うけど……まぁ、双子の娘達の面倒を見る人は必要だ。

 さて、何から訊ねるか……

 

「あの――」

「桜花!」

 

 しかし、私の言葉はすぐに一護に断ち切られた。ダイニングテーブルの向かいに座っていた一護が、椅子の横に立ち上がって私をまっすぐ見ていた。

 

「オレ、遠くから見てたから知ってんだ……桜花が何と戦ってたか。あの時は、その……母ちゃんとオレを、守ってくれてありがとう。それと、オレのせいで怪我して……本当にごめん」

「……一護」

「私からも、一護と私を守ってくれてありがとう。あんな怪我をさせてしまって、ごめんなさいね……」

「真咲さんまで……」

 

 友達とその母親の二人に頭を下げられて、私はどう反応していいか分からなかった。

 だいたい私には、そうやって謝ってもらう資格なんてないのに。

 

「やめてよ、一護、真咲さん……私はただ、自分の勝手な都合で手を出しただけで、本当に手を出すべきだったのかって今も思ってて――」

 

 むしろ、手を出すべきじゃなかったんだろうな、なんて思っている始末だ。それはつまり、真咲さんが死んだ方が良かったんじゃないかと考えているということ。そんな奴には謝罪も感謝も無用だ。

 

「んなことはどうでもいいだろっ? お前のおかげでオレと母ちゃんは死ななかった! だから――」

「こら。落ち着きなさい、一護」

 

 声を荒げた一護を、真咲さんが優しくたしなめる。

 

「でも、母ちゃん!」

「いいから。ねぇ、桜花ちゃん。もしかして、自分にはお礼を言われたり謝られたりする資格なんてない、なんて思ってない?」

「え……何で……」

 

 当てられた。

 どうして分かるのかと呆然として――私は()()()()()()()()()、真咲さんの顔を見た。

 

「あのね、これは受け売りなんだけど……何かをする資格があるかないかって、自分で決められるものじゃないって、私は思うの」

「え……?」

「だって、桜花ちゃんがもし資格がないって考えてたって、私達からの感謝や謝罪の気持ちはなくならない。その気持ちを伝えたいって思うのは、私達の自由でしょう?」

「そう、ですね……」

 

 確かに、正論だ。

 相手が感謝するかどうかを私が決めるなんて、それはあまりにおこがましいというものだ。

 

「でしょ? だったら私達が気持ちを伝えたいって思ってるっていう事実こそが、その『資格』ってものなんじゃないかなぁ?」

 

 そんな、私にとって都合の良い考え方で良いんだろうか。

 そういう――

 

「そういう、考え方もあるのかな……」

 

 そう小さく呟くと、真咲さんは胸を張って頷いた。

 

「あるわよ、世界は広いんだから」

 

 そう考えても良いんだろうか。

 そう思ってすぐに、私は苦笑と共にそれを否定する。

 

 いや、そうじゃない。

 この考え方でいくと……そう考えても良いのか――つまりそう考える資格があるのかということ自体、私に決められることじゃない。

 資格とは、そういうものだから。

 

 

 あーあ、やられたなぁ……

 

 

「……一護、あんたは幸せ者だね」

「は? 何で?」

「こんな素敵なお母さん、なかなかいないよ」

「まぁ、その……オレの……自慢の、母ちゃんだからな」

 

 そっぽを向いた一護が、頬を少し赤く染めて呟く。

 かわいいなぁ、もう。

 

「大切にしなよ、お母さん」

「……分ってる。次はオレが母ちゃんとお前を守るんだ」

「ふぅん、私を守る? これはまた、大きく出たねぇ」

 

 からかうように笑ってやると、一護は少しだけムッとした顔をした。けれどすぐにそんな表情は消え失せて、一護はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「そうだよ、何回でも言ってやる。オレがお前を守るんだ」

「へぇ……」

 

 そこにいたのは、まごうことなき『黒崎一護』その人だった。その表情も、態度も、言葉も全て、私が漫画の中に見た彼そのものだった。

 

 今ここで、そんな一護を見られるとは思っていなかった。

 この子も、立派になったなぁ……

 

 

「桜花ちゃん。ちょっとおいで」

「……え?」

 

 一護の言動に感動していた私を真咲さんが呼んだ。見ると彼女は小さく手招きしていて、私は何事かと首を傾げる。

 

「いいからいいから、ちょっとぎゅーってするだけだから」

「はぁ?! え、いや……え?」

「何言ってんだ母ちゃん!?」

 

 唐突な人だ。

 何がなんだかよく分からなくて慌てふためく私と一護を他所に、真咲さんは満面の笑みを浮かべている。

 

「そんなに慌てなくたっていいでしょう?」

「いや、そんなこといったって――」

 

 その時……真咲さんと、目が合った。

 

 優しい目だった。

 暖かくて、柔らかい、母親の目――

 

「あ……」

 

 そうだ。

 私は、これと同じ目をした人を知っている。

 どこかで、見たことがある。

 

 でもそれは、前世ではない。前世の私の母親も私を愛してくれていたけれど、彼女はもっと気が強くて、ここまで柔らかな眼差しをしているところなんて見たことがなかった。

 

 じゃあ、一体どこで……?

 

「もう、どうしてそんなに寂しそうな顔するの。ほら、おいで」

 

 真咲さんが、にっこり笑って手を広げた。

 その姿が。その仕草が。

 

 

 重なる。

 

 

 ――『桜花、こっちにいらっしゃい』

 

 

 重なる。

 

 

 ――『良い子ね、桜花』

 

 

 ぼんやりと浮かんだのは黒髪の女の人。

 優しい声。

 顔は……見えない。

 

 

 ねぇ、あなたは誰?

 何で私を呼んでいるの?

 

 私……何でこんなに、寂しいの?

 

 

「桜花、お前……」

「――え?」

 

 一護の声が、私を現実に引き戻した。

 私はいつの間にか、真咲さんに抱きしめられていた。

 

「何で泣いて……」

「え? 私、泣いてなんか……」

 

 目元に触れる。

 

 ――濡れていた。

 

「あれ、何で私……こんな……」

 

 

 分からない。あの女性が誰なのか。

 

 分からない。何故こんなに寂しいのか。

 

 分からない。どうしたらこの涙は止まるのか。

 

 

「いいのよ、我慢しなくても」

 

 

 そう言って背中をなでてくれる真咲さんの優しさが、泣いている私を見ないようにしてくれている一護の優しさが、痛いくらい伝わってくる。

 

 私は、真咲さんの肩にしがみついて、静かに泣き続けた。

 




短いですが、キリが良かったので。

女性の正体、分かった人もいるかとは思いますが、感想などに書き込むのはお止めください。「大☆正☆解!」って言いたいけど言えない、複雑な気持ちになりそうなので。私が。

よろしくお願いします。

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