朽木桜花――苗字の通り四大貴族朽木家に連なる者、そして現当主の娘。
その名を聞いて真っ先に脳裏をよぎったのは、昨夜見た不思議な夢のことだった。
もし仮に……あれが、私自身の記憶だったとしたら?
「朽木……って、まさか……」
「あぁ。儂が昔当主をやっておった四楓院家と同じ、四大貴族の一つ……そんな家の一人娘がいなくなったのじゃ、とてつもない騒ぎになったことじゃろうて」
現当主の一人娘。
それはつまり、朽木家当主であり六番隊隊長でもある朽木白哉の娘ということを意味する。そして朽木白哉が愛妻家であることは、原作でもはっきりと描かれている。
ということは、『朽木桜花』の母親は朽木緋真ということで間違いない。三十五年前に十五歳だったということは、ストーリーが始まる四年前である現在は五十歳となり、年代的にも合致する。
そして朽木緋真の娘ということは、『朽木桜花』はあの朽木ルキアの姪にあたるということだ。
……そんなキャラクター原作にいたっけ。
いなかったよね、確実に。
「驚くのも無理はありません。なんせ四大貴族っスからね、夜一サン」
「何故そこで儂に振るんじゃ……嫌らしいやつじゃのう」
「いやあ、そんなに褒めても何も出ませんって夜一サン」
「誰がいつ褒めたんじゃ」
何やら楽しげな二人を横目に考える。
原作のイレギュラーである『朽木桜花』という存在。同じくイレギュラーである私の存在。そして、あの夢。やけに広い庭園に、まるで高貴な家の生まれであるかのような私の話し方。『父様』『母様』という呼び方。そして、その『父様』の口調や態度。
もう、間違いなかった。
「ん? どうしたんじゃ、桜花。難しい顔をして」
「いや、びっくりしちゃって……同一人物じゃないにしても、そんな偉い人と関わりがあったかもしれないんでしょ?」
しかし私は、その確信を胸の奥に隠した。
イレギュラーがどうのこうのなんて、原作の主要メンバーたる彼らに言えるはずもない。
それに……そんなことを口に出してしまえば、ここでの居場所がなくなりそうな、そんな気がしたからだった。
「そうなると夜一サンはどうなるんスか、先代当主っスよ」
「うーん、夜一さんは夜一さんだからなぁ……特に何も……」
「いくらなんでも率直すぎますって。気持ちは分かりますけどもっとこう、遠回しに言わないと」
「ほう……よくわかった。そこに直れ、二人共」
結果、私と喜助さんは揃って夜一さんから拳骨をいただいた。死神になって身体が頑丈になったらしく、生身の時より痛くなかったのが幸いだった。
さて――これで私は、上手に誤魔化せただろうか。
◇ ◇ ◇
「"破道の三十一・赤火砲"」
手のひらを岩山に向けて一言唱える。瞬間、放たれた赤い火の玉が爆音と共に岩壁を大きく抉った。外の世界と隔絶された修行部屋に、吹くはずのない風が吹く。
「うっわ……やっぱり全然違うな」
「詠唱破棄でこれか……どうじゃ鉄裁、おぬしの目から見て」
「威力は以前の詠唱つき"赤火砲"の倍以上。発動速度も段違いです。まさかここまで変わるとは……」
「人間の身体って、死神の出力には向いてないんだねぇ……」
「当然です。我々とて、義骸に入ったまま本気を出すことなどできませんから」
鉄裁さんが頷く。
確かにその通りだ。鉄裁さんレベルの人が義骸で本気なんて出したら、義骸の方がその出力に耐えきれなくなりそうだ。
「瞬歩もかなり扱いやすくなったし……まさかあの量の霊圧込めて暴発しないだなんて」
いつものように足裏に集中したところ、いつもの倍近くの霊圧が集まってしまったのには驚いた。だからと言って一度出したものを引っ込める訳にもいかず、私は暴発覚悟で足元を弾いた。
しかし、結果は成功。倍の速度で目的地に到達してしまい、私は状況が理解できず突っ立ったまま呆けることとなった。そんな私を見て、夜一さんは大笑いしていた。
いやいや、笑い事じゃないから。
いくら死神の身体が人間のそれより頑丈とはいえ、あの速度は、人間を辞めたばかりの私には刺激が強すぎた。
「斬拳はともかく、走鬼はそこそこか……実力的には七席ぐらいじゃろうなぁ」
「七席かぁ……それってすごいの?」
「悪くはない。じゃが、儂らには到底及ばぬな」
「それは当たり前。揃いも揃って隊長格なんだから反則だよ」
思えば、私の知り合いの元死神には反則級の人しかいない。夜一さん達にせよ、
「反則? まさか。おぬしはこの儂に瞬歩を、鉄裁に鬼道を、喜助に剣術を教授してもらえるのじゃぞ。その方が余程反則じゃろうて」
「それは……否定できない……」
反則は私もそうだった。師匠がこの三人だなんてムチャクチャだし、血筋的にも強くなれないはずがないし、その気で修行すれば隊長格にだってなれるだろうし。
「よし。おぬしの瞬歩も成長したことじゃし、ここらで一つ鬼事でもしようではないか」
「は? ……きょ、拒否権は」
「ない」
ですよね。
流石は夜一さん、唐突にも程がある。
「儂に捕まる度に拳骨じゃからな」
「ひぃっ……そんな無慈悲な……」
「はっはっはっ! ほれ、かうんとだうんとやらを始めるぞ! 十九八七六――」
「ちょ、早い早い早い!」
夜一さんの瞳が妖しく光る。
これは怖い。怖すぎる。トラウマになりそうだ。
◇ ◇ ◇
屋敷の中は広い。それこそ、一日に二度は迷ってしまうほどに。
居心地が悪いからと、付き人を連れずに歩き回る私が悪いのは分かっている。だから毎日毎日迷子になっているからといって、不平を言うつもりはなかった。
それに迷子になってしまっても、この家にはたくさんの従者がいる。彼らに頼めば自室まですぐに連れて行ってもらえるのは分かっているからこそ、私は何の心配もなく迷うことができるんだ。
「お嬢様! お嬢様ぁー! どこにおられるのですかー?!」
「おっと」
すぐ近くから私を呼ぶ声が聞こえて、私は迷わず縁側の下に入り込んで霊圧を消した。
私につけられた付き人達は皆、腕が立つ。特に私の付き人筆頭の
「お嬢様! そこにいるのは分かっているのですよ!」
真上からその芦谷の声が聞こえた……が、その手には二度と引っ掛からない。
これを言われて渋々姿を現したものの、実は居場所がバレていたわけではなかった――という悲劇は二日前に味わったばかりだ。
「いい加減にしないと当主様に言いつけますよ、お嬢様!」
甘いな、芦谷。父様と母様は既に説得済みだ。私が芦谷との隠れんぼを楽しんでいるのは二人共よく知っている。身分故に遊び相手のいない私を案じてくれる二人は、私が遊ぶことに関して寛容なんだ。
それに私の本当の
「お嬢様ぁー!」
まだ三つになったばかりの私では、瞬歩なんて高等技術は扱えない。けれど、一つだけ年齢にそぐわないほど得意なことがあった。
それは、霊圧の隠蔽だ。
もちろん父様の手に掛かれば一瞬で見つかってしまう程度ではあるけれど、前に霊圧探知が苦手だとぼやいていた芦谷から逃げるにはそれで十分だった。
芦谷の声が遠ざかっていく。やっぱり私を見つけていた訳ではなかったらしい。出ていかなくて正解だった。
「きょうはどこにいこうかな……」
しゃがみ込んだまま思案する。一度は離れにも行ってみたいけれど……離れは今は使われていないと父様が言っていたから、万が一迷ったら面倒なことになる。
「よし」
結論はすぐに出た。どこへ行くか決められない時は、あそこに行くに限る。
縁側の下から飛び出した私は、霊圧を消したまま走った。従者達に見つからないように時に隠れ、時に走り、また隠れては走り……そうして私は目的の部屋の前に辿り着いた。
「おうかです。おへやにはいってもいいですか?」
「ええ、もちろんよ」
「しつれいします」
返事はすぐに返ってきた。
どうやら今日は調子が良いようだ。襖を開ける。
「ちょうしはどうですか? かあさま」
「今日はいつもより元気ですよ。ほら、こちらにいらっしゃい」
「はいっ!」
声を掛けられるやいなや、私は母様の元へと駆け寄った。母様は、文机の前に座って読み物をしていたようだった。
「芦谷が呼んでいましたよ」
「はいっ、きょうもにげきりました」
「あまり困らせてはなりませんよ」
「こまってませんよ! あしやはわたしとかくれんぼしてくれただけです」
「あら、それなら後で一緒にお礼を言いましょうね」
そう言って、母様は私の頭を撫でてくれた。
前世の記憶があって精神年齢だって高いのに、それでも頭を撫でられると嬉しい。それくらいには、私は父様と母様が大好きだった。
「とうさまはきょうもおしごと?」
「もちろん。あなたの父様は隊長ですから」
「たいちょうかぁ……いいなぁ」
「桜花は死神になりたいのかしら?」
「はいっ!」
大きく頷く。
せっかくこんな血筋に生まれたんだ、上を目指さないともったいないじゃないか。それに死神になれば、父様や母様以外の人にだって会えるようになる。
死神なんて、きっと楽しいに違いない。
「わたし、しにがみのしゅぎょうがしたいなぁ……」
「ふふ、それは桜花にはまだ早いでしょう?」
「はやくないですっ」
早いだろうか? いや、霊力の扱い方くらいは教えてくれても良いような気がする。独学ながら私は既に霊圧の抑え方を知っているんだ、それくらいなら早すぎるも何もないと思う。
「誰に似たのかしら? こんなに元気いっぱいだなんて……」
そう言いつつも、母様は嬉しそうだった。確かに私の性格は父様とも母様とも、それに前世での気性とも違っている。
実はまだ父様も母様も知らないことだけれど、私の性格が誰に似ているのか……その見当は大体ついている。
「この歳で芦谷から逃げ切るなんて、やはりあなたは父様に似て強くなりそうね」
そして私の戦闘能力は恐らく、父様の血を引いている。いくら霊圧探知が苦手な芦谷といえど、総合的な実力は席官クラスだ。そんな相手から逃げ続けられるんだから、それは間違いない。
いやはや、ありがたいことだ。
「私の身体が弱いところ、あなたに似なくて本当によかったわ」
そう言って私を見下ろす慈愛のこもった瞳だけを見つめていると、まるで鏡でも見ているかのような錯覚に陥る。
瞳の色は父様似だった。けれどそれ以外は全て、母様似。つまり、私は鏡写しのように母様にそっくりだった。
顔立ちは私、瞳の色は白哉様に似ているのですね――そう言って少女のようにはにかんだ母様の表情が、昨日のことのように思い出される。そんな母様を見て父様は柄にもなく照れていた。
そんな時私はといえば、子どもの前でイチャイチャするなよ……と目のやり場に困っていた。しかし当時まだ一つだった私では空気を読んでその場を辞すことなどできず、両親による桃色な雰囲気をやり過ごすしかなかった。
「そんなこと、いわないでください……かあさまはすぐにげんきになるんですから」
「ふふ、そうね。ありがとう、桜花」
そう言って儚く笑った母様に抱きつく。
このままだと母様は来年には亡くなってしまう。何としても、それだけは避けなければならない。
原作通りになんて、絶対にさせるもんか。